纏わりの手管
実に簡素な応接室だった。
第一印象を抱くにしては何もない。シンプルでさっぱりとした印象を持つ。
最低限のもてなすための給湯器や食器があるだけだ。調度品すらも見当たらないのはこの場に生徒も呼ぶからだろう。入学試験の面談時にも使われたことのある部屋だ。できるだけ生徒が畏縮しないためのもので貴族を案内するには物足りなさを感じるが、肝心のアイルは鼻に掛けるでもなく何事もないような顔を向けていた。
中央にはソファーセットが置かれ、その間に重厚な曇りガラスのテーブルが設置されている。三人掛けのソファーの中央に背筋を預けず座るアイルは微笑ましげな表情でアルスを出迎えた。
「すっぽかされずに済んでホッとしたよ」
アルスは誰のせいでこうなった、と半眼でアイルを見たが口は別の言葉を発していた。
「それは悪かった」
ソファーの後ろに直立する二人の従者に視線を移す。本来ならばノックをすればどちらかが開けにきたのだろう。システィとの会話でうっかりしていたが。
恐らくは女性のシルシラと呼ばれた方が扉を開けにきたのだろうか。彼女は従者としてフェーヴェル家に仕えるセルバと同じ匂いがする。
しかし、一方の男の方はと言うと、少し無骨な美丈夫。外見こそ違和感なく従者に扮しているがいくつもの修羅場を越えたような洗練された鋭さを感じた。
アルスの視線に気付いたのか男は軽く眼を伏せた。
「そうだった。話の前に少し紹介の時間を貰えるかな」
何気ないはつらつとした口調で問うアイルに、にべもない頷きを返す。
アイルは振り返らず片手を挙げてまず女性の方を示した。
「こっちは僕の護衛兼従者をしてもらっているシルシラ・シクオレン」
「護衛?」
アルスは半ば予想していたが、あえて疑問符を浮かべた。
単純なことだ。この二人は見る者が見れば明らかに異質。シルシラと紹介を受けた女性は優美な動作で胸に手を当てて腰を曲げた。
流れるような洗練され尽くした動作。何万回と繰り返した所作にアルスは訝しげに失礼なことを内心で呟いた。
(どうしてこれほどの人材がこんな奴の周囲にいるんだか)
無論、それがウームリュイナ家の強大な力の一端である。私兵の数もまた群を抜いていたが、やはりこの二人が筆頭戦力なのは火を見るより明らかだ。
「遅れての紹介、申し訳ありませんアルス殿。状況が状況でしたのでお許しください」
つらつらと奏でるように述べられた謝意にアルスは無愛想に「どうでもいい」と手で制した。そう、思ってもない詫びなど受け取る意味はないのだ。
彼女は一切敬服などしていないのだから。
「棘があるなぁ、シルシラ」
「アイル様の難題に付き合わされる身としては幾分苦労が絶えませんので」
「それは仕方がないことさ。それでも君は僕に従ってくれるんだ」
「御意に」
畏まった口調でシルシラは心の籠ってない上辺だけの言葉を放った。
そんな二人の明け透けなやりとり――もとい従者と主という距離は比較的近いように感じた。
アイルの顔がばつの悪い表情に変わり、思い出したように次は反対側の手を上げ。
「失礼、続いてこっちは完全に護衛だね。僕専属という点ではシルシラも一緒だけど彼には執事のような真似はできなくてね。ここだけの話だけど彼の入れる紅茶は酷くて飲めたもんじゃない」
「それは失礼しました。もう二度と淹れる機会はないと思います」
無愛想な言葉を発した男は半歩進みアルスを値踏みするような一拍後。
「お噂はかねがね。拝謁できたことを光栄に思いますアルス殿。私はオルネウス、以後お見知りおきを」
「こちらこそ」
アルスもまた探るような返しを口にして勘繰る。
(家名を告げない理由はなんだろうな)
この場合は地位的に上位のアルスに対してフルネームで紹介に応じるのが礼儀だ。
それを告げない理由は単に家名を持っていない。もしくは明かせない理由があるなど限定されるものの形式的な会合でない以上、名を強制的に明かせとは言えまい。
それこそ邪推なのだろう。
そんな一見して慇懃無礼な従者に対して主人であるアイルが代わりに詫びた。
「悪いね。オルネウスは少々堅物でね」
冗談混じりの言葉にアルスは一層不快感を抱いた。まだオルネウスの方がわかり易く共感が持てるのだが、アイルの言葉全てが慇懃無礼に聞こえてならないのだ。
誠意がないのではなく、誠意があろうとなかろうと結局は装う。その判断が付かないことこそアルスが無礼に聞こえる理由だった。
完璧過ぎるポーカーフェイスは判断が付かないレベルだが、そこには本心と呼べる類の本人が一切介在していない異物感を与える。
「こっちは既に紹介に応じる必要はないと思うが?」
「もちろん、君のことを知らない人間はここにはいないよ」
呆れるでもなく、泰然と答えるアイルは番のソファーを勧めた。
すぐに新しい紅茶がシルシラの手によって無音でテーブルに配置された。
アルスは軽く茶で喉を潤す。
確かに高級な茶葉をふんだんに注がれたお茶は鼻腔を抜ける芳醇な香りを放ったが、残念ながらアルスは日頃ロキの淹れた紅茶によって舌が肥えている。高ければ良いというものではないのだ。
彼の味覚を捉えているとは言い難い。
これはこれで落ち着くのだが、これだけ香る紅茶――嗅覚で味わう紅茶というのは初めてのことだった。
「産地はハルカプディアの最北、茶畑より直送です。ウルガル地域で栽培されているウル産茶葉を使用しています。ブレンドではない産地銘柄茶葉なだけあり香りは豊かです」
アルスの表情を見て、シルシラは説明口調で捲し立てた。
コトッとティーカップを受け皿に戻したアルスは一息つく。
「茶葉だけでここまで違うのか」
素直に認めねばならないだろう。舌が肥えているとは言え、美味は美味なのだから。
「お湯の温度も適温で淹れます。淹れ方もまたコツがいるのですが……それでもこれほどの茶葉ならばご満足の頂ける物が提供できること請け合いです」
抑揚のない声音だが、つらつらと言葉が出てくるあたりわからないことがないのだろうか。
「奥が深いな……」
「はい、もちろん茶葉が全てとは言いません。品質が悪くても生かせるよう活用するのもまた淹れる者の配慮かと」
「あ、あぁ、そうか、な」
気圧されるように相槌を打つアルス。
「はいはい、もういいでしょシルシラ。済まないねアルス殿。彼女にお茶の話は禁物だよ。いつまでも話していられるぐらいだ。なんせ彼女……えっとなんだっけ?」
場の空気をぴしゃりとリセットするためにアイルは手を叩いて中断を図った。
そしてシルシラを一瞥してため息混じりにその理由を思い出そうと小首を傾げた直後。
「ティーマイスターです!!」
「そう、それ! シルシラは茶に関する全ての資格を取得していてね。いろいろと並々ならないんだよ」
「アドバイザーの資格もありますので、何か分からないことがあればいつでも」
寡黙な印象のシルシラだが、最後にそれだけを付け加えて主人の窘めに押し黙ることにしたようだ。
仕切り直しとばかりにアイルはアルカイックスマイルを維持してアルスに向かって口を開いた。
アルスとしては完全にペースを持っていかれた気分だが、これからを本番と思えばなんてことはない。何一つ譲るつもりは最初からないのだから。
「さてアルファが誇る最高位の魔法師にわざわざ会いに来たというのはもちろんフィア絡みでね。身辺調査をしていて、君が彼女を直々に教えているというじゃないか。僕としてはアルス殿を蔑にフィアを引き抜こうとは考えない。一度話を通しておかないと、と思ってね」
アイルの言葉は筋だけは通すが、それだけの話だと告げていた。
「フィアは連れて行くよ。文句はないよね」
アルスは決めつけて発言するアイルに眇めて見た。足を組み一言きっぱりと言い放つ。
「悪いが、それはさせない」
「…………ふ~ん、そうくるとは思わなかったよ。アルス殿はてっきりこちら側に首を突っ込むのを嫌っていたのに……それともフィアを気に入ってしまったのかな?」
誤算だといいながらアイルは一切笑みを崩さなかった。まるで想定の内だと言いたげに。
しかし、実際の所、アイルは断られるという選択肢を思案してはいても実際にはそうならないだろうと思っていたのだから予想外ではあった。
「そうとってもらっても構わない」
無論、テスフィアの才能を買っての発言だ。
人を食ったような笑みをアルスが浮かべて、アイルはピクリと眉尻を上げた。
それもそうだ。ここまで熟すのを待ったのだから、それを横から掠め取られるというのはアイルとしても承服しかねる。というよりも彼の意志を阻む者がいるということ自体看過しかねる。
「君はこちら側に関わることを理解した上で言っているのかな」
「そうだ」
「何が君をそこまで駆り立てるのか聞いても? 僕の調査ではアルス・レーギンとは俗世とは深く関わろうとしないはずだったけど、特段貴族社会に関しては触れずにいたよね。爵位の授与まで蹴ったんだ」
「よく調べている……当たってるのが癪だが。何も隠す必要はないな、自分が手塩にかけた教え子を引き抜かれて、はいそうですかとはならんだろ普通」
それ聞いたアイルはそういうものなのかと顎に手をやって間を置いた。
「ましてや俺が楽をしたいがために時間を割いてきた奴らだ」
「なるほど、少し調査が甘かったようだ。で、アルス殿はどうするんだい? 僕を亡き者にでもするのかい」
無邪気な笑みで冷酷な言葉を発する。
アルスは内心でウームリュイナの調査力に奥歯を軽く噛んだ。総督直轄で全てが極秘裏の仕事まで知っているとなるとウームリュイナ家とは軍の中枢にまで入り込んでいるのだろう。
「俺からは何もしないさ。そっちが決めるんだ。貴族ならば理解できるだろ」
スウッとアイルの表情が初めて変わった。持ち上がった頬が下がり無表情ともつく素顔に変わる。
「君も勘違いしないほうがいい。ウームリュイナは貴族じゃない。王族だ。覚悟を決めるのは君だよアルス、骨身を削ってまでやり合う覚悟はあるのかい? 君には何の得もないのに」
「覚悟か、悪いな生まれてこの方覚悟をしていない選択は一つとしてないんだ。得するかは今後に期待だな、だがこれだけははっきりさせておく。俺は徒労に終わるのは我慢ならん性分だ。今回に限っては尚更な。それに……王族だか知らんが俺には関係ないことだ」
瞠目したアイルはニイッと口元に三日月を描き、プッと吹き出した。
「そうだった、君はシセルニアの命令さえ従順とは言い難い。確かに関係無いね……でも、今回は違うよ。こちら側の話に君がしゃしゃり出てくるならばルールには従ってもらう」
それを承知の上でアルスは持ちかけたのだ。
だが――視線をアイルの両脇向け、交互に見やる。
「それには及ばない。主人を守る準備はできているか?」
アルスは片手を持ち上げてコキコキと関節を鳴らした。
瞬間、シルシラがアイルの前に立ちはだかり、オルネウスが間に置かれているテーブルをひっくり返す。
ガラスはその勢いに耐えきれず罅を走らせた。
アルスは座ったまま軽く床を蹴って一足飛びに扉の前まで着地する。
守られながらもアイルは苦笑を洩らし、二人の従者を軽く挙げた手で制した。
「怖い怖い、さすがに最強の魔法師ともなると、こう、凄みが違うや……でも出来ない」
「ちっ……」
アルスは苦々しい思いで舌を打つ。
やはり全てお見通しということだろう。
「君のことは調べたんだ。僕の調査力を甘くみないほうがいいよ」
アルスは今もまだ軍属だ。そしてアルスが上の命令に従うのはべリックへの恩が少なからずあるからだ。
アイルは集めた全ての資料から少なくともアルスの弱みとも言うべき材料を集めていた。
正直言ってそれらしいものはなかったのだが、唯一気掛かりだったのはアルスの任務は全てべリックを通して下される。これは最高位の魔法師への命令権が総督にあるからと考えるのは当然だが、アイルはそう考えなかった。
出自も不明な魔法師が突如として最高位まで昇り詰めるという異様な様は何かしらの背後関係がなければ成立しない。
アイルは彼がまだ人間であると判断した上で発破をかけた。さすがに化け物が人類最高戦力とは言いたくはなかっただけのことだが。
「総督の任期は全て元首に一任されている。ここでの君の行動はのちのちべリック総督に響くはずだよ。ウームリュイナはそういう工作だけは上手いと自負しているんだ。残念ながら華々しく退役とはいかないだろうね」
アルス個人だけならば国を追放されようともどうということはない。寧ろ願ったりだ。
しかし、それは遺恨を残してはならない。そうなれば命令権を持つべリックに少なからず責任が圧し掛かる。べリックを総督の椅子から引き摺り降ろそうとする連中にとっては絶好となる機会だ。
いや、それも言ってしまえば止むを得ない。アルスにはそこまで気を使う間柄ではない。そろそろ引退しても良いとさえ考えているのだから。
しかし、今べリックがいなくなればアルファは立ち行かなくなるのは間違いない。
それに……べリックに罪人の烙印を押させることだけはどうしてもできなかった。
アルスの悪い癖で咄嗟にこの場の三人を亡き者にする思考を巡らせたが、既に時は遅い。
(これを見越してわざわざ衆人環視であれだけのことをしたのか)
先に手を打たれていたという点ではやはり幾分か頭は回る。
軍でも強制力を持ってアルスのたずなを握っているわけでないことを把握していたということだ。彼ならばどんな状況においても己の権限以上の行動に出てくる可能性をアイルは考慮していた。
実際、アルスが行動に移したかというと、やはり理事長への迷惑を考えれば何もしなかったはずだ。
学外に出てからというのも考えたがそれも難しい。時間が短すぎる。完全犯罪を犯すことの忌避はないまでもポカをしては意味がない。
ウームリュイナ家を危険視する声は確かなようだ。
これはある意味でアイル・フォン・ウームリュイナという一人の人間が成した所業だが、家の権力があればこそ彼の頭脳が生かされることの証明でもあった。