フェイカー
学園祭で急遽行われた前代未聞のハイレベルな魔法戦、アルスとイリイスの試合が学院内に広まるのは早かった。しかもそれは全校生徒に近い人数が目撃していたのだ。噂では済まされないだろう。
いや、この場合は噂の裏付けを自身で証明した形になってしまった。
そして学園祭はまだ始まったばかりなのだ。初日はどうすることもできずに身を隠すようにして帰宅したアルスだったが、翌日もというわけにはいかない。
一度受けた仕事をこなさないというのは彼にしてみればあり得ないことだ。
これぐらいの警備を放りだしたのでは今までの苦労を汚すような気さえしてくるほどに。
だというのにそれを阻む弊害がある――事件などの仕事に含まれる事案ならばまだ許せただろう。
しかし、こうも人の数がアルスに集中しているというのは彼を中心に何か悪いことが起きる予兆のようにも思えてくる。
往々として人が密集し過ぎるときの揉め事率は飛躍的に向上するものだ。
現在、学園祭二日目、昼真っ只中。
本校舎の出入り口で周囲に眼を光らせているのだ、が。
(ここまでとは……)
つくづく最高位の魔法師というのは難儀なものだと感じてしまう。
まだ腫れ物を扱うように距離を取ってくれる以前のほうがマシというものだ。
昨日よりも明らかに本校舎前に人だかりができている。それも順路に沿って動いているわけではないのだ。立ち止まってただ見るだけという学園祭において無駄な時間を浪費している。
時折ひそひそと話しあったりでまるで何がしたいのかがわからなかった。
学院の生徒、もとい昨日の試合を見た者、または聞いた者はお近づきになりたいというのが一番だろう。あわよくば順位を確認すること。コネを作ること――そこまで大それたことは早々しないだろう。最も考えられるとしたら正体など気にせず単に魔法の腕を見込んで指導を賜ればいいのだ。
しかし、生徒たちはアルスのことを良くも悪くも知っている。直接の面識がある者はごく僅かだ。そのためどう対応すべきかを迷っているのだろう。
今までのように接して良いはずもない。だからと言って確証もなく敬意を込めることも難しい。
要は線引きがあやふやなのだ。
だが、そんな中において猛者はどこにでもいるものだ――今回に限っては無知蒙昧とは言えないのが厄介な点である。
「失礼、通してもらえるかな」
そんな抑揚の利き過ぎた声音が注意を掠め取っていった。
従者が二人、人垣を強引に割り、主を通すべく道を作る。
アルスの視線も自然に吸い寄せられる――特に従者だろう二人へと。
一人は要人警護用だとすぐにわかるほど引き締まった身体付きだ。少し大きめのタキシード姿はカモフラージュのためだろうか。
清潔感があり、一切のだらしなを感じさせない見事な着こなしだ。
綺麗に整えられたダークグレーの髪はオールバック。束になった前髪が一本だけ垂れている。
切れ長の眼は鋭く、それでいて冷徹さをも兼ね備えていた。
もう一人は女性。こちらも女性用の作りにはなっているものの燕尾服に近い。スラリと背も高く英姿を思わせる威容さが窺える。シンプルに一本に纏められた藍色の髪。涼やかな眼で生徒たちに謝意を込めていた。
どちらも一目でわかるほどの使い手。二人ともまだ20代だろう若者だ。
主に対人を意識しての戦闘員であることは明らかだった。
フェーヴェル家の執事もそうだが人間に対する対抗策が優秀な件については些か複雑な気分だ。確かに魔法の在り方として魔物だけでなく対人用に特化できる側面もあるのだが。
その中心からコツコツと軽やかな足音を立てて近づいてくる青年。
学院の生徒だろうかと思ったが制服ではない。仕立ての良い白を基調とした衣は装飾がほとんどなく実に楚々とした印象を持つ。
金色の髪は男としては平均的な長さに整えられている。眉の下で揺れる金糸は彼の温厚そうな表情を後押ししていた。
しかし。
(うさんくさいのがでてきたな)
というのがアルスの第一印象だった。アルスに本心を見抜く心眼はないものの何とはなしに感じ取れる。というのも大人に混じって育った環境のせいかもしれない。
上手く、巧妙に作られた表情がどうにも気に障るのだ。
近づいてくる度に振る舞いや足運びが貴族のそれであることを物語っていた。これほど完璧に微かな違和感もない動作が一層癪に障る。
違和感がないこと自体が違和感でしかないのだ。要は身体捌きなど戦闘技術を別にしても歩き方にはその者の呼吸やリズムが生まれる。それが当然で当たり前なのだ。
しかし、この青年にはそれがない。完璧を完璧に模写した異様な人物。
彼から読み取れるのは全てが偽りのフェイクであるということだ。外見からは彼の彼足る情報が読み取れない。
周囲のざわつき具合からこの男がただのボンボンでないことがわかる。
聞こえてくる言葉を抜粋するとこの青年は【ウームリュイナ】という名前らしいがアルスには聞き覚えのない名だ。
だが、この場においてその名を知らないのはアルスだけであった。
青年はアルスの数歩手前で足を止める。背後に従者が控え、一拍置いて非の打ちどころのないにこやかな微笑を浮かべた。
「初めまして我がアルファの誇る最強の魔法師、第1位アルス・レーギン殿」
「…………どちらかな」
軽く眼を伏せる青年にアルスは無表情を貫いて答えた。内心では毒づいていたが、よくよく考えてみると今更なのかもしれない。傍観するだけの生徒には遅かれ早かれ知られるだろう。
アルスは笑みを崩さない美丈夫というよりも美青年よりの男を鬱陶しそうに見返す。
腹の探り合いでは分が悪い。相手はすでにアルスのことを知っていたのだ。
青年は気付かれない程度に眼を細める。それは今の台詞で彼が自分を知らないという事実に素直に驚いたが故だ。
「私はアイル・フォン・ウームリュイナと申します」
「知らないな」
「これはウームリュイナ家もまだまだということなのでしょうね。それともあなたからすればどうでも良いことなのかな」
軽く口元を緩めたアイルは彼の正体を知っているにも関わらず動揺、または微動だにしない気軽さを窺わせる。
そうした教育を施されているのか彼の本質が元々そうなのかまではわからない。
ただの言葉遊びのそれだった。彼自身アルスの興味を惹きたいのかと訊かれればそうでもないと答えただろう。今回に限っては別件なのだから。
野次馬のどよめきはアイルの第1位という言葉を聞いたからだろう。
そうでなければウームリュイナと対等に会話できるはずがないのだが、もう呆然とするしかなかった。
アルスは深いため息をこれ見よがしに吐き。
(昨日の試合を見たということでいいのか)
そう考えた直後すぐに思い直す――。
「以前より一度は会っておこうと考えていたのです。しかし、まぁ、なんというかまさか学院に入っているとは盲点でしたが。これなら真面目に通っておくべきだったかもしれませんね」
「一応は生徒ということか」
アルスの意識せず鋭くなった視線にアイルは困惑気味に苦笑を洩らす。
「籍だけは残しているんですよ。貴族とはいえ付けられる箔は付けておくのが良いものですから、それに無学と思われたくもないですしね」
「それじゃ、卒業もままならないんじゃないのか」
「いえいえ、ウームリュイナ家は学院の発展に寄与していますよ。多額の寄付金でね」
一切悪びれない表情を見てもアルスは何も感じない。寧ろ合理的な考えで潔いのかもしれない。独学でも十分知識は得られるし、外界に出るのか出ないのかでも求められる資質というのは変わってくる。
どちらかというとアルスはその手があったかと気付かされた程だ。
裏金を積んで単位を買えばいい。どうして今まで気付かなかったのかと自分を責めたくもなる。が、上の思惑を考えるならば当然無理だろう。
見たところ学院も財政難というわけでもなそうだ。
「では、どういった御用かな」
無駄話に付き合う程アルスも暇ではない。いや、暇ではあるのだが不毛ではないというだけの話だ。
「そうですね。話が早くて助かるのですが、こんな所で立ち話もなんですし場所を変えましょうか。シルシラ」
そう呼ばれた護衛の女性が一歩近づき眼を伏せながら主の横に顔を近づけた。
二言三言でシルシラと呼ばれた女性は本校舎へと歩いていく。
ちょうどそれは入れ違いになるのだろう。
アルスの意識の外でふいに聞き覚えのある声が叱り付けるように自分に発せられた。
「やっぱり!!」
赤毛を振り制服のスカートを揺らしながら気持ち早くなる足取りに任せてこちらに近づいてくる女生徒がいる。
振り返ったアルスは面倒くさいのが増えたと感じるのは仕方のないことだ。
「なんだ、お前は店番も碌にできないのか」
今回テスフィアが一人で現れたのは単純に模擬試合のスケジュール上のローテンション故だ。現在アリスとロキが模擬試合を行っておりテスフィアはクラスの出し物に出ている。最終日は逆になるのだが。
そんなわけで彼女は射的を見ていなければならないのだ。
「そうじゃなくて」
「昨日のことならもう話しただろ」
というのもさすがに二人ともイリイスにまったく歯が立たなかったのだが、それ以上にアルスとの試合を見ることができずに悔んでいたのだ。
結果として試合の状況をロキを踏まえて解説したのだが、まだ納得言っていないのだろうか。
「そうでもなくて」
「じゃあなんだ」
「校内で注目を集めてるのわかってるんだったらクラスまで連れて来てよ」
「……お前、俺を客引きに使おうと言うんじゃ」
「当たり前でしょ。うちのクラスには苦学生がいるのよ。主に私とかね」
「よく言う、お前の場合は単に遊ぶ金がないだけだろ」
ようは売上金を増やして配分を少しでも多くしたいのだろう。貴族にあるまじき勤労精神だ。
だが、それぐらいならばアルスとしても吝かではない。というかそれで周囲が少しでも減るならば望むところだ。警備をしていながら自分が火種となるのは避けたい。
しかし、
「悪いが今は先客がいるから無理だ」
「えっ!!」
そう視線を対面に向けたテスフィアは言葉を詰まらせ眼を見開いた。
「やぁフィア、元気にしてたかい?」
「な、なんであなたがいるの……」
「随分だなぁ、これでもここの生徒なんだけど」
気を悪くするどころか子供をあやすような微笑を浮かべたアイル。
一方のテスフィアは顔色が悪くなるばかりだった。
「なんだ知り合いなのか」
「――!! あんた知らないの?」
ギョッとした眼を向けられたアルスはこいつにしては珍しい反応だと感じるのだった。
しかし、当人には到底楽観することなどできない。
それほどウームリュイナとは貴族の間でも一線を画する側面があり、ある意味では最も貴族らしいと言える。
少し背伸びしたテスフィアはグイッとアルスの肩に力を加えて自分のほうへと傾けさせた。
「ウームリュイナは三大貴族の一つよ」
「だから?」
三大貴族と言えばアルスも少しは馴染みがある。
現三大貴族はフェーヴェル家とソカレント家、そしてもう一つがウームリュイナということになるのだ。
現と付くのは三大貴族の定義がかなりあやふやだからだ。しかし、これは多くの魔法師や政治上で重要な役割を担っていることを告げていた。
時代ごとに三大貴族は変わる。家名が由緒正しいというのは存外関係のないことだ。貴族として称えられる功績があってこそ象徴たる家名が輝く。
その点で言えばフェーヴェル家のフローゼは長きに渡って優秀な高官を育て続け本人も大成を果たしたと言える。
そして異色なのがソカレント家だ。
これは一代で上り詰めた異例の功績故に畏敬を込めて三大貴族の仲間入りを果たしていた。ヴィザイストの活躍はそれほどまでに異例である。蛇足だが、ヴィザイストは三大貴族という括りを鼻にもかけない、どころか忘れているかもしれない。
ただそんな二家に対してウームリュイナ家とは元々公爵の地位にあり、現元首シセルニアの遠縁にあたる。本物の貴族だ。いや、元を辿れば王族という括りになる。
それ故に貴族としての古き慣習に捉われてなお存続することができるのだ。
三大貴族とは功績や知名度など貴族としての力――財政力や影響力、家の戦闘力、はたまた魔法師としての力が含まれる――の指標上位三位がこれに当たる。このランキングとも言われる貴族制度にはある種の知名度や力関係を克明に明示しているのだ。その点で言えばウームリュイナ家は常にトップ、変動があるとはいえウームリュイナが三貴族から弾かれたことはただの一度としてない。
力の度合いとして別格だった。軍への供給も途絶えたことがなく上層部にはウームリュイナと繋がりの深い者が多い。
現在ウームリュイナ家では二人の息子がいる。そしてアイルとはその次男にあたるが、次期当主として最も有力であるのは当主としての野心以上に人間を掌握する術が卓越していたからだ。
「うちなんかとは比べ物にならない地位なの、貴族というのは単純な括りよ。ウームリュイナは王族なんだから」
「あ~そうか」
だったとしてもアルスに態度を変えるつもりはない。元々の性格もあるが貴族は好かない気質だからなのだろう。
「そういうこと。そろそろヒソヒソ話は終わったかな? 僕としては少々妬けてしまうよフィア」
小声で話したつもりだったのだろうが、テスフィアの声は通り易くアイルとの距離もそれほど離れていなかった。
アイルはテスフィアの所まで距離を詰める。拳一つしか隙間がないほどに近い。
テスフィアは身体が硬直してしまったかのように自分より背の高いアイルを下から弱々しく見つめるだけだ。
彼女にしては珍しく覇気どころか生気すら消沈しているようだった。
そしてアイルは真下を見下ろすように金糸の髪の下で彼女の瞳を覗き込む。口元をゆっくりと持ち上げて残念そうに呟いた。
「自分の物に汚れが付いてしまったようだね」
ニッコリとアルカイックスマイルを浮かべたアイルはその手をテスフィアの顎へと持ち上げる。
テスフィアに反応することはできない。アイルの眼に射止められ視線を外せないのだ。
そして近づいてくる顔すら拒むこともできない。
貴族としてのウームリュイナが怖くあった。何よりもこのアイルという人物が恐ろしいのだ。それが処世術というものだとしても、貴族に生まれ落ちたその時から決められた上下関係。
そんなことは考えるまでもなく擦り込まれた常識だった。だからこの硬直の正体を知っていてもテスフィアは己の意志で拒めない。家柄が彼女を縛り付けている。
クイッと持ち上げられた顎は――唇は何も発せないまま重なる唇を迎え入れた。
「――!!」
嫌悪感を内包した他者の体温が自分を浸食していく。その感覚を抱いてもなお見開いた眼を閉じることができなかった。