それぞれの思慮
学園祭初日を乗りきったアルスはテスフィアとアリスの容体を確認せずロキと帰路に着いた。
無論、彼女たちには学園祭の期間中の訓練はないと告げている。実際の所ベッドの上で寝込むほどでないことは直に見ていたアルスにはわかっていた。
彼女たちを鍛える上で先の試合を映像として残しておいたほうが良い参考になるかもと思ったが、やはりまだまだ早いのだろう。
昼間の馬鹿騒ぎはなくなり嘘のような静けさが夕闇とともに迫る。
学院の敷地内では明日の準備を済ませたクラスから帰宅しているが、まだ終わらずにてんやわんやしている所も少なくない。
そんな生徒を尻目にアルスは振り返らず意識だけを背後に向ける。
一歩後ろを歩くロキは黙々と小さな足音すら立てずに付いてきていた。
アルスが彼女に躊躇うことがあるとすればやはりこの関係についてだろう。半ば解答を予想しながら独白するように口を開く。
「なぁ、ロキ。お前はどこまで俺に付いてくる?」
歩調が早くなりほぼ真横まで近寄ったロキは不退転の覚悟――いいや、問うことすらない、と告げるように即答する。
「もちろん、どこまでも」
「それは俺が1位でなくともか」
「愚問です」
「魔法師でなくともか?」
問いを重ねるアルスにロキは不信感を抱きながら言葉は変わらなかった。
「愚問です。アルス様個人に付いて行くだけです」
「愚問、か」
「はい」
迷いない言葉を聞いてアルスは決意を固める。
「これから忙しくなるぞロキ」
「あの少女に関係しているのですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるな」
からかうような言葉遊びに不機嫌さを露わにロキは「では研究室に戻ったら聞かせて貰いましょう」と若干前屈みに見上げるようにして告げる。
「それと昼間入れ替わりに話していた人物についても説明願います」
「…………」
アルスはやっぱり来たかという顔で視線だけを真横に逸らす。
幾度か感じた魔力の波長はロキの探知によるものだ。まさか自分に向けられていたものだと、この時初めて知るのだった。
しかし、アルスが頭を悩ませるのはやはりイリイスが最後に発した言葉だろう。
(クラマが動き出すか)
クラマが何をするつもりか、その目標はわからないままだが、なんとなく予感だけはあった。シングル魔法師に匹敵する犯罪者集団。
ならば彼らを捕える実力があるシングル魔法師を狙うのは必然だ。その他のシングルに眼を向けないところをみると高を括っているのか、それとも最警戒すべきはアルスだけだと定めたからか。
どちらにせよ、クラマが警戒すべきはやはりシングル魔法師であるのだ。
♢ ♢ ♢
軍本部内の一室、そこに入れる者はそれこそ魔法師としての順位、もしくは階級の高い者のみだ。
それ以外に呼び出されるとすれば悪い予感を抱くのはこの部屋が、というよりもそこにいる人物が軍で最も偉いからにほかならない。
実にシンプルな部屋だ。眼に付くものは山積みになった紙ぐらいなものだった。
そこに呼び出された男は魔法師として、大成していると言っても過言でない二桁魔法師だった。たった一人、面と向かうのは数時間前と同じ。
しかし、今は悪い予感しかない。
「申し訳ありません。標的をロスト、追跡を振り切られました」
俯き気味にそう答える顔は強張っていた。
任務の失敗、それは二桁魔法師として情けない結果だ。人材不足など言い訳にもならない。
真っ直ぐ見れない視線は綺麗なカーペットの柄を虚しく見つめる。
「気にするな、元より無理難題だったのだろう」
「いえ! そんなことは……実力不足を痛感しております」
「そう言う意味ではない。誰であろうと逃げられたと俺は思ってる」
「……!!」
(ヴィザイストがいればまだなんとかなったかもしれんが……)
この場にいない諜報のスペシャリストを思い浮かべ、しばし思考を飛躍させるべリックは眉間に皺を寄せた。
それを見た魔法師の男は背筋を伸ばし姿勢を正す。
軍本部内でも最上階に位置するこの部屋は総督べリックの執務室だ。
べリックは内心で手間のかかる最高戦力に頭を悩ませていた。皺の数の半分以上が彼によるものだと言われれば、壮年を過ぎたべリックは納得するだろう。
(さて、アルスが追尾に参加するものとばかり思っていたが、使われたか)
システィからの報告が上がり、全ての指示がアルス一人による独断だと推測したべリックは学院側の報告を受け取っただけで連絡を終えた。
ざっくり言えばアルファ軍の偽造ライセンスを使用して生徒二人に危害を加えたということ、その人物については容姿と使用した未知の魔法についてだけだった。
それだけで二桁魔法師では不足しているのではないかと思ったが、何よりも引っ掛かったのはアルスが追尾に参加しなかったことだ。
べリックは情報をアルスに堰止められているような感覚を抱いていた。
システィに報告しなかったのなら直にべリックへと連絡が入るだろう。しかし、自らの範囲内で解決できる場合アルスは報告を怠る悪い癖がある。
固まるようにして突っ立っている魔法師を見て、少し気の毒になったべリックは労いの言葉を掛けて退室を許可した。
扉を丁寧に締めようとする男にべリックは。
「悪いんだが、少しの間誰も通さないようにしてもらえるか」
「ハッ!!」
張りのある了承が返って来た。
扉の閉まる音を聞き、べリックは傍受対策の施されたプライベート通信を開き、詳細な説明を聞く為に連絡を取る。
コール音とともに仮想液晶が構築される。もちろん面と向かって訊くためだ。
こういう所は時代に付いていけないと実感してしまうが、実際に音声だけでは読み取れる情報量は少ない。相手の表情然り目線や呼吸それらから得られる物は言葉で語るよりも多くを語る場合がある。
アルスに関してはやり難い相手ではあるが、音声だけよりはマシなのだろう。
数回のコール音。
すぐに出ないのは相変わらず、しつこいぐらいに鳴らしまくる。
そして――。
「遅いぞアルス」
『失礼しました。こちらにも予定がありましたので』
「優先順位が間違ってるぞ。と、それは学園祭での出来事と関係しているのか?」
『えぇ、ですが、大事ではないので総督自らとは予想をしていませんでした』
淡々と告げるアルスの表情は読み辛さをべリックに与えるが、こういう場合には積み重ねた経験に差が出る。
「システィには虚偽の報告をしただろう。もしくは巻き込んだな」
『…………いいえ。理由が見つかりません』
「ま、そう言うな、訊かせて貰えるのだろう?」
『何をです?』
さすがにここで癇癪を起さない。
べリックはやはりという確信を得た。状況は悪い予感を的中させる。自分には確かな情報を渡す、もしくは隠し通すか。
後者であるから非常に厄介だ。
「アルス、俺は魔法師としては二流以下だが、これでも総督をしているんだ。お前よりも長く経験も積んでいる」
『でしょうね。わかりました、もう一度訊きます、何をです?』
あくまでも白を切ろうとするアルスにべリックは眉間を摘まんでため息を吐き出した。
『それより総督、どうやら俺の学院生活がままならないことになりそうなのですが』
「自業自得だ」
内心で反芻するヒントにべリックは欲を出さずに引き下がった。
(派手に戦ったのか!! いや戦える相手ということ、か)
事の成り行きなどは細かく聞き及んでいるべリックはいよいよアルスの順位を隠し通せなくなってきていた。
いや、いつかはそうなるとわかっていた。しかし、少々早い感は否めない。
子供らしく大人に助けを求めるような奴ならばどんなに楽だっただろうかとべリックはこめかみを押す。
全てを知らないが納得した上で画面の向こうにいるアルスに問う。
「本当にいいのだな」
賢い彼ならば何を意味するかわかるはずだ。
軍は手を出せない。出しようがないということ。それでもアルスには軍人としての縛りが付く、それをどこまで理解しているかわからないが、逸脱しないことを祈りながら言葉に乗せる。
諦めたのかアルスも眼を鋭くしてきっぱりと言い切った。
『迷惑は掛かりませんよ。たぶん』
「弱々しいな、おい……まあいい、お前が言うのだから心配はせんが一人で何とかならないこともあるからな、人間である分を越えるなよ」
『耳が痛いですね。さすがに学習はしてますよ』
飄々と応えるアルスにいくらか肩の荷が下りた。
無論、何もしないつもりはなかったが、知りようがないのであれば動きようもないのだが。
『さすがに今回を失態とかこじつけないですよね』
「そうすればお前は出頭するのか?」
『今は無理でしょうね』
「……だろうな」
ふんっとわかっていたように鼻息を吐いたべリックは頬杖を付いて装う。今までの経験上アルスが出頭しても構わないと言ったことはない。
いや、命令であれば何度も顔を見せたが、これは命令ではない、であるならば彼は間違いなく拒絶したはずだ。
べリックは少し改めなければならなくなった。少々厄介なことになりそうだと。
『ところで総督、話は変わりますが……』
さも当然のように話題を変えるアルスにべリックは内心でここまでか、と切り替えに乗っかる。
『近々、近代魔法の評価を改定するための論文を発表したいのですが……』
「わかってる。確実に通すが、その前に俺も読ませてもらうぞ」
『もちろんです』
アルスの研究の背景には後押しする後ろ盾がなければならない。魔法を研究する研究者は過去の功績の上に成り立っている。そのため中々画期的な進歩が見られないのだ。
アルスは既存の魔法に関する根底を揺るがすような画期的な研究が多いため、最初こそ異端児とされていた。
しかし、今になってみれば研究者でも彼の名前を出した時点でいちゃもんを付けるような勇者はいないだろう。
それがわかっていてもべリックは請け負う。
「もう出来ているんだろ?」
『えぇ、ですが発表時には名を伏せてお願いします』
「……何故だ」
『今回は大したことじゃないからですよ。俺じゃなくてもできたことですので、それを我が物顔で発表するのは些か忍ばれます』
「よく言う……一応はわかった」
研究者として名前が知れるのは名誉なことだが、アルスに限っては固執しない。
それが未だに異端の鬼才と研究者間で呼ばれる由縁だ。
既に軍人としての体裁は終わり、ある種知人の会話となって来た所でべリックは何とはなしに訊く。
「所でお前の愛弟子はどうだ?」
『……かなり語弊がありますね。愛が付くとしたら総督の方でしょう』
ジト目をぶつけられてべリックは一度ワザとらしく咳をする。
「もちろんアリス君もそうだがテスフィア嬢も今回の被害者だろ」
『大したことはないでしょう。二人とももう明日の準備に取り掛かってるはずですよ』
「なんとも薄情な師匠もいたものだ」
『崖から突き落とさないだけマシだと思いますけど』
「人心を慮るのもまた教える者の形だぞ」
ニタリと笑んだべリックは狙いとは違うアルスの表情に言葉を詰まらせた。
異性だということを覚られないように言ったつもりだったが。
『俺は経験したことしか教えられませんよ』
この切り返しべリックは二人の姿を思い浮かべながら気の毒にと内心で告げた。
「それは些か酷過ぎないか?」
『もちろん、手を加えてはいますよ。俺が受けた訓練は少し非効率だったわけですしね』
「そ、そうか」
苦笑で応えるしかなかったべリック。
今でこそ魔法師育成プログラムは凍結した。だが、やはり過去が薄れることはない。べリックではなく軍の汚点だ。
『それと総督、近々ルサールカに一度顔を出しにいこうと思うのですが』
「よりによっていけすかんルサールカか」
『渡航の許可を頼みます』
「それは構わんが何をしに行くんだ?」
『まぁ、AWRの技術もそうですが元首会合の際にリチア様にお呼ばれされたもので、さすがに無視し続けるのもどうかと思いまして』
「それもそうだな、となればシセルニア様には黙っておくか。わかってると思うが期間は限られているぞ」
『承知していますよ』
リチアと仲の悪いシセルニアに伝えれば即答で却下されるだろう。
アルスのおかげでバナリスの奪還を果たせことを考えれば当然だ。労いとしてしばしの休暇を与えても問題はないだろう。
ましてや相手国元首からのお誘いとあれば……。
「とすると国賓扱いになるのか」
『どうでしょうかね。一応連絡の一本でもジャンを通して入れるつもりですが、できれば向こうのAWR技術を見たいものです』
「勉強熱心なのは構わんが、学業のほうはどうする」
『一先ず学園祭後の振り替え休日を利用しますが、どのみち学業どころではないでしょう。幸いにも総督への貸しが役立ちそうです』
「おまっ!!」
ツッコミを引っ込めたのはアルスのしたり顔を見てだ。
一方的な返却は受け付けないと言った表情に盛大に眉間を寄せた。どうせそうせざるを得ないならば言質を取った上で単位免除の融通を利かせるしかない。
総督でありながらシスティに懇願する姿は誰にも見せられんなと頬を掻く。
通信を終えたのはそれからほどなくしてのことだった。
久し振りの会話は少し前までのアルスからは想像が付かない明け透けなやり取りだ。そんな会話を本来ならば楽しめるはずだったが、気掛かりは気掛かりとしてべリックに心痛の杭を刺した。
最強の魔法師とは言えべリックからしてみれば孫も同然の年齢だ。大人顔負けの知識を持ち、卓越した戦闘技量を持っていようともべリックにとっては子供だ。
アルスに関して言えば大人の矜持というものの見せどころだろう。
試されているのではなく、責任としての行動をべリックは開始する。
革張りの椅子に背中を預けたべリックは珍しく予感を口にした。
「どうにも悪い予感しかしないな」
順位はアルスを縛る楔となっているが、やはり彼には重石に他ならない。だからこそ個人での解決を図る。団体としての手助けを求めない。
そうなるように訓練されてきたのは知っているが、やはり彼には孤独の選択を迫る現実があるのだ。
べリックは孤独にならない方向に誘導してきたつもりだったが。
「思い通りにはならんもんだ」
外に控えさせた魔法師を忘れ少しの間、飛躍させるべく思いを巡らせる。
やはり一度ヴィザイストには帰ってきてもらったほうが良いだろうと。
ヴィザイストは現在バルメスに常駐し、新体制を整える間の指揮を一任されているのだ。
かと言っても代役を立てねばならないのもまた道理。
実際の所、7カ国において最も魔物の進行が多いのはアルファなのである。魔物が南から北上してくるというのは建国後に判明したことだ。今では生存圏以外の全てに魔物が蔓延っている状況だが、当初は南からというのが有力な見方だった。
最南端を守備するアルファは引きが悪かったということになる。
アルスが渡航する間、レティを防衛に置くことで守備を固める。ここまではなんてことはない、問題はバルメスの代役を誰にするかということだ。
べリックはすぐさま思い浮かべた顔に不安を抱きながら扉の外で待機しているであろう男を室内に呼んだ。
恐る恐るといった様相で畏まった顔の男は言葉に出さずビシッと姿勢を整えた。
「悪いんだが、リンデルフを呼んでくれるか」
「ハッ!!」
その名を知らない物は軍内部にはいないだろう。
最速で司令まで上り詰めた若きエリートなのだから。
防衛の一切を任される司令官を呼びに行くと言うのも男には些か不思議なものだった。
「総督、お言葉を返すようですが、通信で呼び出されては」
「いいや、それじゃすぐにはこんだろう。あいつには直接が効果的だ。ヴィザイストが絡んでると一言教えてやれ」
「は~、はい」