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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第3章 「かつての栄華」
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去りゆく嵐

 観客席は前人未到の領域で繰り広げられる試合に瞬きすら忘れてしまったかのように視線を釘付ける。喉が潰れんばかりに雑然と歓声の嵐と化していた――化したはずであった。

 しかし、現在はまるで物音一つ聞こえないほどに静まり返っている。呼吸音すら無意識に消失していた。

 魔法という物の無限の可能性がここにあった。


 ぽっかりと空いた穴は3階部から見下ろしても底が見えない。


 彼らがこの試合に抱いた物は希望であり反逆の狼煙だ。凡そ一世紀、人類が滅亡を常に頭の片隅に置くようになってからだいぶ経つとは言え、傷は現在進行形で拡張している。

 鳥籠に押し込められるように7カ国に併合したのはまだまだ記憶に新しい。


 そんな彼らが――魔物を見たことない彼らが人類の大望を叶えてくれると直感した。どんな魔物であろうと人類が滅びることがないと確信してしまうような戦いだったのだ。

 溜めに溜め込んだ雪辱を晴らしてくれると次第に胸中に充満してくる興奮がふるふると唇を小刻みに震わす。


 学生の試合などと誰も考えない。まさにアルファが、人類が誇る最高戦力だ。


 観客席では何と称賛したものか、言葉が見つからない。だからこそ静寂が生まれていた。

 きっと誰もが待っているのだ――試合が終わる合図を。




 イリイスは魔眼を今一度片手で覆った。もちろん攻撃のためではない。

 すぐに開かれた瞳は蒼穹ではなく琥珀色の瞳に戻っている。


 アルスも水の膜でカモフラージュしたのだと特に身構えずにいた。

 イリイスは取り残された足場から大きく跳躍して一足飛びに反対側に可憐に着地してみせた。


「追うかい? アルス・・・


 そのからかうような口調に肩を竦めるアルスは疲れたと訴えるように片腕を反対側の肩に回して揉んだ。


「いいや、"俺"にはまだ学園祭での仕事がある」

「――!! クククッ、なるほど……ならば私も敗者としての責務があるか」


 きっと彼にとっては未だ学園祭としての体裁を保ちたいのだろう。イリイスはしてやられたと思っても不快感はなく寧ろ可笑しさが込み上げてきた。


(その甘さが裏目にでないことを祈るよ。いや、私がどう動くかも計算の内、かな?)


 訝しむ視線はすぐに鼻で一蹴する。

 敗者は勝者に従うのが礼儀だ。


 イリイスは被ったフードの先端を指で摘まみグイッと深く被る。

 片手を軽く持ち上げ。


敗北リザイン」と透き通る声で発した。

 その瞬間を待ちわびた観客は勝敗の結果を告げるスクリーンより早く総立ちとなる。


「「「「ウオオォォォ」」」」


 ブザーが霞んでしまうほど割れんばかりの拍手と歓声。言葉をなしていなくともひたすら惜しみない称賛を込めて叫んだ。喉が枯れてもなお叫び続けた。

 防護壁を通しても轟く歓声の嵐にイリイスは大きく眼を見開く。


 顔をぐるりと回しながら見上げる。


(あぁ、なんと久しい……)


 魔法師としてこれ以上身に余ることはない。魔法の腕を人類のために鍛え上げたことが誇りだった過去を呼び起こされる感覚に浸る。

 もう叶わないと思った物、1位への固執は誰からも認められたいからだった。

 顎を上げフードの端で目元を隠す。

 口は一文字に引き結ばれていた。


 一拍後のことだった。穴の反対側でアルスが動いたのをイリイスは確かに見ていた。


 アルスにしては装い、ここまでしてやる義理はないが今ばかりは小さなことだ。この程度は彼女の苦悩に比べれば些細なことに過ぎない。


 姿勢を正したアルスは貴族然、紳士然とした動作で片手を胸に添え優雅に腰を折って見せた。

 それに歓声は一層の激しさを以て応えてくれる。


 そして腰を折ったまま抱え込んだ腕が今度はイリイスへと向いた。


「えっ!!」


 まさか自分に向くとは思っていなかったイリイスは一瞬狼狽する。だが、そんな彼女をお構いなしに怒涛の如き喝采が押し寄せた。

 鼓膜が割れんばかりの大音量もこの時は心地よく届く。


 ゆっくりと持ち上げられた腕は少し気恥ずかしさが覗いていた。キッと鋭い視線がアルスを射抜くが腰を折っているため空振りに終わってしまう。


 長いこと続いた称賛の嵐の中で退場する小柄な背中を眺めながら、自分らしからぬ行動に戸惑を見せつつ頬を持ち上げる。

 少女が退場口の手前で足を止め振り返った。


「そうだ、今度は間違えるなよ今はイリイスと名乗っている。それと礼だ。近々貴様を対象に動きだすぞ」

「…………」


 鋭く見返したアルスはため息を溢し、シッシッと手で払う。

 さすがに彼も立場上追尾をしないわけにはいかない。他人に任せるとしても彼女の正体を知ってなおも追尾を取り下げたのでは反意を疑われる。

 相当高位の魔法師でなければ今のイリイスですら簡単に追尾することはできないだろう。


 アルスは上を見上げ困ったような顔で問い掛けるシスティ理事長に顔を振った。


 ――追尾はいらない、と。

 正しくは学院は何もするなという意を込めた。


 防護壁が消失した途端にアルスは渋面を作る。鬱陶しげな歓声はこれでもかというほどに熱気を帯びていた。


(はぁ~テスフィアの言ったようになったか)


 避けられなかったとはいえだ、平穏ではなかったもののいくらか過ごし易かった学園生活が今、間違いなく崩壊した。

 通用口へと視線を向ければ学院の生徒がもみくちゃになりながら通路を塞いでいる有様だ。

 もちろん見知った顔などほとんどない。


 完全に出入り口を塞がれたアルスは救援を求めるべく再度見上げるのだった。


 明らかに嘆息する理事長だったが、ふわりと身体を浮かせるとそのままアルスの傍で降り立つ。

 その姿を見てつい口を付いてしまうのは仕方のないことだった。しかし、余計なことであるのは事実だ。


「いくらなんでも時代錯誤過ぎませんか?」

「失礼しちゃうわね。今でも現役だけど現役の時はいつもこの格好だったのよ」


 だから時代錯誤と言ったのだが。

 システィはまさに異名に相応しい格好だ。つまるところ魔女と呼ばれるような真黒なローブに圧倒的高性能を窺わせる杖型のAWR、木肌を思わせる材質だがエメラルドグリーンの色味に加えてその頂には見たこともないような石が埋め込まれていた。

 この程度ではアルスも何を言わなかっただろう。


 AWRに食指を動かされてもなお気になってしまう。極めつけは唾広の尖がり帽。戦闘態勢なのは理解できたが場違い感は否めない。


 ざわつく観客を見ても馴染み深い格好なのかもしれなかった。

 魔女と呼ばれるようになってからこの格好になったのか、それともこんな格好していたから魔女と呼ばれたのか、どうでも良いことだがアルスは気になった。口には出さないものの冷ややかな眼で見ていた。


「さぁ、どういうことか聞かせて貰いましょうかね。じっくりと理事長室で」

「…………」


 満面の笑みを浮かべたシスティはワザとらしく苦労したと訴えるように反論を受け付けない声音で言う。有無を言わさない点で言えば故意的に作られた表情と小皺が物語っている。


 お茶を濁したつもりだったが、やはり避けられることではないようだ。


『これにて特別模擬試合を終了とさせていただきます。なお、この後の模擬試合のスケジュールは通常通りとなりますので、引き続きお楽しみください』


 フェリネラの抑揚のきいたフォローに場内はゆっくりとたっぷり時間を掛けて鎮静化していく。いや、鎮静化するのはもう不可能だろう。

 様々な憶測が飛び交う。

 そう鎮静化するということは興奮が冷めるということだ。そうなれば冷静になった思考はアルスにとって良からぬ方向に向かう。

 試合の感想や意見を述べるまでが非魔法師だ。そこから一歩踏み込んだ考察をするのが魔法師たる生徒という区別でいいだろうか。


 今は各々の考えを他人と共有して不確かな仮説を立てる。その証拠に生徒たちは学年関係なく思いのたけを雄弁に語っていた。

 そして混乱したように通用口をただただ塞ぐのだ。何をするでもない、ただ集まる。


 理事長を先頭に人垣が割れる。

 奇異な視線は以前とは違い、少しだけ憧憬の眼差しが含まれていた。


「アルスさん!」


 そう声を掛けたのは実況もといフォローしてくれていたフェリネラだった。

 アルスは耳をそばだてるだろう生徒に気を付け背後の彼女に追加で頼みごとをする。


「お疲れ様です、それともう一つ悪いのですがロキを呼んできてもらえませんか?」

「え、は、はい! ……ロキさんをどちらへ」

「それは私用で離れさせたのですから模擬試合に参加してもらいますが」


 あまりにもちぐはぐな会話だった。あれほどの試合を行ったのだ。それをフェリネラ程ともなれば命を賭けた試合《戦い》だということはわかる。

 事前にも聞いていたはずだったがあくまでもアルスは学園祭の一部であると言ったのだ。

 これにはわかっていたとはいえ面を喰らってしまう。


「わ、わかりました……あのっ!」

「ん?」


 フェリネラは言葉を詰まらせた。場所を考えればこんなところで話すような内容ではない。だが、それが原因でないことを彼女自身わかっていた。

 胸の内に秘めておくべきではないが、と考えても結局は言葉として発せられることはなかったのだ。


 実況席にはフェリネラ一人しかいなかった。

 これは訓練場において普段は使われない。もちろん彼女は観客に対してのフォローを入れなければならなかった。だからこれは不可抗力だ。

 フェリネラは感音音聴機のスイッチが入っていたことに気が付かなかった。防護壁内部の言葉を拾い上げる機器は気付いた時にすぐ切れば何も問題はなかったのだ。


 だが、フェリネラは悪いと思いながらスイッチを切ることができなかった。そしてそれは後悔せずに済んだと言える。


 二人の会話を全て理解できたわけではなかったが、アルスの身に危険が迫ると聞いては大丈夫だとしても一抹の不安を抱いてしまう。


 フェリネラは二つの背中が見えなくなると大きくため息を吐いた。


(なんとかしないと……)


 焦燥感に駆られるもまずはロキを呼びに行かなければならない。校内放送でも呼びだしたほうが早いだろうか。と考えながら一端訓練場に戻る。

 これは単に反対側から出た方が早いというだけだったが、思わぬ足止めを食うことになった。


「ソカレント……」


 鋭い眼差しを向けられてフェリネラは小首を傾げた。家名で呼ばれる辺り年齢以上の距離がある。貴族とは厄介なものだ。女同士ならばまだ仲も良くできるが、異性ともなればやはり貴族としての体裁が先に立ってしまうのだろう。


 デルカ・ベイスは思いのほか強い語気になっていたことに自身の感情が上手くコントロールできていないことを覚った。それもそうだろう、あんな試合を見た後だ。


「なんでしょうか先輩?」

「……最初から知っていたな」

「なんのことでしょう?」


 あどけない微笑を浮かべたフェリネラを眇めて見たデルカ・ベイスは肩を竦める。

 彼女にはそんなつもりはないのだろうが。


「礼を失すれば貴族とて只では済まないぞ」


 シングル魔法師の有用性は貴族よりも遥かに価値がある存在だ。ましてや将官クラスの地位と同等ということを考えても貴族など容易く潰されてしまう。


 デルカ・ベイスの考察をフェリネラは半分だけ当たっていると考える。


 貴族ですら只で済まない階位というのは正しい。しかし、実際にそうなるかはアルスの人となりを知らなければならない。

 それが少しだけ嬉しかった。


「先輩、アルスさんはそんなことで目くじらを立てるような人ではありませんよ」


 可笑しそうに口元に手を当てる。


 そんな楚々とした姿にデルカ・ベイスは腕を組んで「肝を冷やした」と小声で追加した。

 どんどんアルスの正体がわかってきた時、真っ先に考えたのは礼を失することがあったか、記憶を洗い出した。

 だが、それほど、どころかほとんど関わりがなかったのが幸か不幸か胸を撫で下ろすに至る。


 そしてふいに懸念が湧く。


「これは学園祭どころじゃなくなるかもな」

「え、えぇ~そうかもしれませんね」


 苦笑で応えたフェリネラも同感だ。


 どう収拾を付けたものか腕の見せ所だろうか。せめて通常運転に戻すぐらいはフェリネラの仕事だ。自分の時間を持ちたいアルスが支払った代償は間違いなく彼の時間を搾取するだろう。

 ここから先はフェリネラが運営委員として戦うべきだ。いや、そうしたいと強く願った。


「さっ、先輩も仕事に戻ってください。すぐにロキさんも呼び戻しますのでよろしくお願いしますね」

「あ、あぁ……だがこれ、どうするんだ?」


 視線の先には底が見えないほど大穴が空いた訓練場がある。

 これを塞がなければ模擬試合もくそもあったものではない。


「困りましたね……まあ、そこは先生方にもう一頑張りしていただきましょうか」

「いや、確かに土系統の魔法師が教員に多いのは確かだが……」


 視線を上げたデルカ・ベイスは荒い呼吸を繰り返す教員に申し訳なさそうな表情でフェリネラに代弁した。


「アルス……君に頼めないだろうか」

「先輩が頼んでみてはどうですか?」


 冗談混じりな言葉と知っても眼を剥いてしまう。フェリネラほど親しいわけではない彼には荷が重すぎるというものだ。


「わかりました。時間が掛かり過ぎてもいけませんし私が頼んでみます。先輩は校内放送でロキさんを呼び戻しに行って貰っても?」

「無論だ」


 遣い走りのような扱いでも彼としてはいくらか楽な選択であった。


 そしてフェリネラはスキップしてしまうほど軽快に戻る。



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