蓋然性
召喚魔法の域を超える魔法【レヴィアタン】。
その構成にアルスは目を向ける。いや、恐らく感じ取ったと表現したほうが正確だろう。どこから捻り出したのか、膨大な魔力を内包するには形を成し過ぎる。
あれほどの召喚魔法。創造するには時間がかかるはずだ。
(今なら――)
アルスは全貌を現す前に不死鳥に目標を示す。
直後、甲高い鳴き声とともに業火の翼を羽ばたかせる。爆風の如き熱波が吹き荒れた。不死鳥は巨大な身体を地面に失墜させるように全速力で【レヴィアタン】の頭部に狙いを定めた。
狙い違わず衝突する。
噴火の如く火柱が昇り、同時に凄まじいまでの水蒸気が辺りを覆う。
「ふむ、もう少しだったのに、もう終わりか」
視界を覆われた中で少女の落胆するような声だけが鳴る。
「さて、次は……」
「付き合うつもりはない!」
「――!!」
霧の中でイリイスは背後から聞こえた声に目だけを向け腰を屈めた。
その上をナイフが一閃し霧を巻き込みながら振るわれる。
「接近戦は得意じゃないんだけどな」
瞬時に右手の袂から水刃が構築され、真後ろに向かって薙ぎ払う。しかし、空を斬っただけで手応えがない。
「そのようだな」
今度は真横から聞こえた声にイリイスは左手にも水刃を構築して薙ぎ払う。
これも手応えはない。
視界が通らない状況に不利と覚ったイリイスは地面に向かって魔力だけを突発的に放出する。彼女を中心に霧が円を描くように晴れた。
だが。
「――!!」
そこにアルスの姿はない。ぞくりと背筋が強張る刹那、頭上からの影が濃くなる。
反射的に顔を上げ、目前に迫ったナイフに舌打ちをしながら水刃を割り込ませた。
その失態に気付くことができたのは先に見ていたからだ。そして彼女だからこそ反応できた。
アルスの振り下ろしたナイフは水刃では防げない。
魔法を解き、身体を捻じるようにして地面を蹴る。空中で斜め上方に向かって回転して避ける。その際に脇を通り過ぎるナイフの奇怪な音に肝を冷やす。
地面に膝をついたイリイスはその後に回避は正解だったと知る。
空間そのものがずれてしまったような光景だ。すぐに空間は修復されるが斬られた痕までは直らない。
「やはり接近戦は苦手だ」
無論少女の身体ということもあるが、何よりもAWRを所持していないがために防御の術が魔法のみに限られてしまう。
魔法戦ならば負ける気はないが接近戦となれば話は別だ。いや、対抗する術はある。
そもそもあの魔法を使われてはAWRを持っていようと関係ない。
中・遠距離を得意とするイリイスの戦法は相手を近づけさせないことにある。だが、これも実力が拮抗してこその戦略だ。
この状況自体イリイスとって数十年ぶりと言える。
「一桁は一筋縄じゃいかないな」
「それはどうも」
確かに接近戦に加えて魔法戦もイリイスの知るシングル魔法師を遥かに上回る。だが、それだけではなかった。
確実に殺すための一撃であったのは間違いない。
人間を殺すことに躊躇いがないというのは彼女にとっても誤算だ。
イリイスは今までに何人もあの世に送って来たが、それは自分が犯罪者というレッテルと復讐があってこそ。
だからシングル魔法師だろうと戦いの場において人間を手に掛ける刹那、僅かな躊躇があると踏んでいたが。
お互いにとって相手の実力は予想を上回っていたということだろう。
アルスは考える。この訓練場の耐久力を上回らない魔法でなければ耐えられないだろうと。
選び出す魔法は慎重にならなければならない。無論今の【次元断層】も殺す意図はない。いや、殺すつもりであったのは間違いではないが確実に回避されると踏んだからの魔法だ。
そうでなければイリイスに理解させることができない。自分は殺せない、と。
さすがに中位級や上位級では足りない。どれほど洗練されていようとも相手も同じ域で魔法を使われては時間だけを浪費する。
さすがにもう召喚魔法は使えないだろう。危うく大量の死者を出すところだったのだから。
アルスに強いられた条件は行使する魔法を極力防護壁に当ててはならないということだ。できれば相手の魔法も相殺する必要がある。
♢ ♢ ♢
デルカ・ベイスは今までにない程緊張の面持ちで屹立していた。
目の前で歯噛みするように爪を噛む理事長を見るのは初めてだったからだ。
その表情は非常事態を告げている。無論ベイスにもそれを見抜くのは容易い。
「ベイス君、で、今アルス君は訓練場で戦っているのね」
「は、はい!」
言伝を言い終えたベイスは次の指示もしくは退出の許可が下りるまでは退室することができない。これは軍での研修期間中に教え込まれたことだ。
いや、貴族であるベイスはそれぐらいの礼義を弁えていた。
独り言をぶつぶつと言う理事長の言葉はベイスの耳にもしっかりと届いている。
「もう何でこんな時に、彼のことだから考えてはくれてるんだろうけど……訓練場の防護壁じゃ持たないじゃない」
憤慨する理事長だが、どこかあどけなさが窺える。
隣では説明会のための司会者――教員が指示を今か今かと急かされるように待機していた。しかし説明会は中止せざるを得ないだろう。非常事態なのは理事長の表情一つで理解できる。
更に言えばベイスの言葉を聞いていたからでもあるのだが。
その教員に向かって理事長は最も優先すべき事案を伝えた。
こういう時のために教員はいる。何も順位だけではない。教員は理事長自ら選んだのだ。それなりに魔法を使えるからこその人材。おつむの出来がいいだけなら非魔法師でも問題はない。
「全教員を訓練場に集合させなさい!」
「で、我々は……」
「当然対魔法障壁を展開。全員ならば少しは持ち堪えられるでしょう」
「無論です。しかし、それほどの戦いというのは……」
「いいから、すぐに行くッ!」
尻を蹴っ飛ばされた形で教員は講堂を急ぎ足で出て行く。彼が最初に向かったのは放送室だろう。校内放送で収集をかける必要がある。
理事長は次に再度ベイスを見る。
彼は一層背筋を伸ばした。
「外の警戒もしなきゃいけないわね。それについてはアルス君から何か聞いていない?」
それについてはロキが警戒をしているが、聞かされていないベイスは即答だった。
ブンブンと首を振るベイスは軍における伝言の重要性を理解し、自分が適任でないと知る。
自分では不足していた。いや、伝言として頼んだフェリネラにも失態はあるのだろう。
もしかすると彼女はそれほど重要視していないのか、はたまたアルスを信頼しているのか。
「すみません」
そう答えることしかできなかった。
一通りの状況をベイスから聞いたシスティはアルスの思考を読む。彼ならばどうするか。
意図はどこにあるのか。
(私のことをもっと考えて欲しいものね)
かなり端折られた情報に頭を悩ませる。
捕縛という言葉にアルスが今戦っている相手は捕縛する必要があるということだ。だからこそ捕えるための人材を要求してきている。
もちろん、彼がその気になれば誰であろうと被害を出さずに捕縛することは可能だ。それが出来ない相手……。
「簡単に言ってくれるわね」
「はっ?」
独り言を呟き、声になっていたことにシスティはベイスに向かって手を振り「違うの」と訂正を加えた。
相手に覚られないように優秀な魔法師を探しだすのは難しい。かと言って今から軍に連絡を取り出動の要請をしたのでは時間が掛かり過ぎる。
物理的に不可能だ。
どんなに少なく見積もってもアルスが被害を出さずに捕縛できない状況というのは相手が二桁魔法師以上を示している。
二桁であることを願うが、薄々わかってしまう。二桁魔法師だろうと彼を前に大それたことができるとは思えない。
無理難題な要求にシスティは一先ず最低限達成しなければならない目標を導き出す。
「フェリネラさんが試合形式で試合進行を行ったのよね?」
「はい。学園祭を継続させるようです」
そこからシスティはアルスの意図を手繰り寄せる。
学園祭を中止にしないということは捕縛は二の次。アルスには被害を絶対に出さない打算のようなものがあるのだろうか。
それが防護壁という頼りない物だったとしてもアルスは被害を出さずにこのまま学園祭を続けるつもりだ。
ならば、システィも被害を出さない方向で動いたほうが良い。完全に隔離状態にする必要がある、それができるのはこの学院で一人だけだ。
そう判断するもアルスに言われた通り追尾できる高位魔法師の要請を軍に入れておく必要はあるだろう。
何も言わずに歩きだしたシスティにベイスは背中を追いながら問い掛けた。
「理事長、どちらに」
「着替えます。ベイス君は訓練場に戻ってフェリネラさんの補助を」
「わ、わかりました」
「追尾はできないけど、防御系魔法に関しては自信があるからね。私もすぐに訓練場に向かいます」
「ハッ!!」
ぞわっと込み上げてくる期待にベイスは身震いを紛らわすように敬礼する。
三巨頭と謳われた元シングル魔法師が戦闘態勢で出てくるのだ。その雄姿を見る好運にベイスは気を引き締めつつ踵を返す。
彼が訓練場に戻った時の光景は高揚を一瞬で吹き飛ばすほどであったのは言うまでもない。
確信する。
アルスというたかだか1年生が元シングル魔法師である理事長に命令することができる理由を。
試合場の二階、解説室にいるフェリネラと眼が合い。ベイスは伝言は確かに伝えたと視線に含ませた。
解説室とは言っても、こんな戦いを解説することなどできようはずがない。
ベイスは徐についた口に任せる。
「やはり……」
♢ ♢ ♢
空間魔法は周囲に影響を及ぼす魔力の濃度によって正確性を欠く。いや、干渉自体が困難だ。
先ほどのように左右から空間ごと押し潰し挟むというのは単純なようで緻密な構成が要求される。互いの相対距離をゼロにするため逐次変数として書き変えていく必要があるからだ。
その工程をある程度簡略化するためにアルスは合唱というポーズを取る。
だが、今のようにイリイスの周囲を濃密な魔力が覆っている状態では空間自体を捉え魔法に反映させるのは難しい。詳細に言うのならば魔力が系統に則して変質していることが原因だ。ただの魔力ならば受ける影響は少ない。しかし、それが魔法へと昇華しつつある段階ではすでに座標という面で捉えることは難しい。
かと言って更に空間を歪める空間掌握魔法では殺してしまう可能性もある。
というよりも彼女の観察眼を前にして使いたくはなかった。
(やっぱり極力魔法は避けるしかないか)
アルスの使える魔法は良くも悪くも防護壁を突破してしまう。
必然戦法は限定される。
(接近戦しかないか)
鎖を引きあまり使い慣れていない魔法を組み立てる。
鎖が示す魔法式はアルスが使用を制限している風系統だ。風系統は言うほど容易い魔法ではない。それこそ訓練を積む、勉強すればという類の魔法が少ない。
端的に言えばかなり感覚的な側面に比重が置かれる魔法なのだ。それもそうだろう。意識的に風を操り、魔法として構築していく過程は風速やその他諸々の知識以上に肌で感じるような感覚に影響される。
そういう意味ではいかにアルスであろうと風系統で一般的な【風乗り】はできない。当然、ロキのような魔力を波長として飛ばし探知することも魔力を体内で電気に変質させる【フォース】も使いこなすことができないのだ。
だから、今から使う魔法は用途的にはあまり役に立たない類の魔法であり、感覚に頼らない――プロセスに沿った魔法だ。
座標を固定し球体をイメージ。内部を中心に乱回転するように指向はない。
「【異極引】」
上空に出現した球体――竜巻を球体に閉じ込めたようなものだ。
質量ある物は当然ながら、その本質は魔力をも吸い込む球体である。得た魔力や質量によって膨張拡大し吸引力が増す。それは術者であろうと関係ない。
当然、既知としているイリイスは意図を上空に舞い上げられるローブと髪を押えながら考える。いや、考えるまでもない。
これは昔から肉弾戦を好む魔法師が対人に使う魔法だ。
つまりは接近戦をしようという合図。
【異極引】の最も厄介な点は魔法を行使しても魔力を少しずつ吸い上げられることにある。それに加えた吸引力は座標維持を困難なものにする。つまり魔法が長持ちしない。
【異極引】は吸い込んだ質量と魔力によって効果を上げる。
長引けば魔法すら満足に使えず、本当に肉弾戦状態だ。
イリイスは面白そうに口元を嗜虐的に歪める。
(ぬるい、魔法が使えなくなるのはお互い様……それに異極引はそれ自体に防御力がない。攻撃を放つだけで霧散する……私が乗るとでも思ったか?)
足元がぬかるむ。魔力が水へと変質し突然湧きだしたかのように見えた。
それは上空に向かって二対の水の竜巻がうねりながら昇る。
瞬間――!!
竜巻が弾け、竜巻は原型を留められずに魔力へと還り吸い込まれる。その瞬間イリイスは電気の迸りを視界に収めた。
視界を遮っていた竜巻が消え、目の前にはアルスがナイフを引き切迫していたのだ。
「こいつ……」
雷は水との相性が抜群だ。しかし、高位の魔法師であれば対策を講じて然るべき。
もちろんそれは魔法を構成するプロセスが追加されるという意味だ。つまり追加を許さなければいい。
これほどの実力者だ。1秒もあれば雷耐性を魔法に組み込めるはず。
「ならば1秒未満はどうだ?」
ナイフを覆う魔力を電気へと変質させる。【雷刃】――電撃がナイフを覆い放電しないように留めた。
それを極限状態で放出することで電撃を斬撃のように飛ばすことができる。雷刃の利点だ。
纏う電気量によって電撃の威力も調整できる。
電撃が空気中を走る音が耳を劈く。
バックステップを踏み距離を取ろうとするイリイスにアルスは速度を増して間合いに入った。
空中でイリイスは焦りを見せず淡々と両手をクロスさせる。
先ほどと同じように二対の竜巻がアルスへと研削するように昇った。
しかし――。
空中で雷鳴が二度鳴りわかっていたように竜巻は天辺を弾けさせる。
「クッ……」
イリイスの視線が着地地点に向く。
直後、自身の周囲から激流の如く水が溢れ出し竜巻を一瞬にして構築。彼女は竜巻の中に身を隠したことになる。
しかし、それがなんだというのか、アルスは無感情に竜巻に向かって一閃し、割った。
ここまでくれば何をしようと速度で勝るアルスを前に対抗する術はない。雷系統に耐性を持たせる時間も余裕も与えない。
そう何をしようとも……。
アルスは空中で何もしようともしない少女に訝しみを抱いた。確かに今更何をしても無駄だ。だが、それを打開するほどの実力はあるはず。
驚愕の表情すらない。イリイスはただアルスをじっと見つめて動きを止めた。
バッと両腕を広げるが、それは抵抗ではなくただの抱擁に見える。
もうアルスは止まらない。イリイスに向かって雷刃を振り下ろした。電撃を一身に浴びて轟雷が場内に響き渡る。
そして――胸から斜めに刃が吸い込まれる。
「――――!!」
そう何の抵抗もなく吸い込まれる。人体を斬ったという感触が一切ない。まるで空気でも斬ったような抵抗のなさだ。
そしてアルスは見た。斬り付けた胸辺りから鮮血ではなく透明の液体が流れていることに。
遅れて気付いたため、イリイスの手はアルスの手首をがっしりと掴んでいた。そして顔や腕それらの色が抜け落ち液体へとなる。
「チッ――!!」