圧倒的小手調べ
学内でこの騒ぎが広まるのは非常に早かった――それこそ風が全ての校舎を吹き抜けるが如く。
テスフィアとアリスが二人がかりで敵わなかったというのは生徒たちにあらぬ予想を生ませた。
それほど高位の魔法師が来ているのだと。
だが、次に流された話はその対戦相手がアルスだということだった。1年生であればまず一度は聞いたことがある名だ。
もちろん良い意味でも悪い意味でも……腫れ物のように触れず噂だけが一人歩きしている。共通の認識はわからない奴だというのが生徒間での認識だ。
ただ、女生徒たちはテスフィアやアリスから少なくないアルスに関する話を聞いており、男子生徒よりも好印象を抱いている。
その人物がテスフィアとアリスが敗北した相手と対戦するのだ。話題性で言えばこの時間違いなくトップに上がった。
それは今までベールに包まれていたアルスの真価が見られる。少なくとも学内でもフェリネラに次ぐ実力があるロキといることからもテスフィアやアリス並みの力があるのではと真偽を確かめるために出し物を放って生徒たちは訓練場に急いだ。
更にはあのフェリネラが学内で1番と評したことからも期待感は高まる。
そう、自分よりも強いと告げたのだ。
これは物議を醸し出したが、やはり自分の目で確かめることで解消するしかあるまい。
アルスに関する疑念はこの追い打ちで更に深まったはずだ。
訓練場内はあっという間にごった返した。
そして生徒たちは認識を改める。所詮噂は噂だったと。
予想を遥かに上回る光景が広がっていた。言葉にすることなどできまい。何をしたのか捉えることすら困難だ。
彼ら彼女らが使う初位級、中位級魔法など遠く及ばない。
まるで……シングル魔法師のようだと思うのは仕方のないことだった。
ここにいる者のほとんどがシングル魔法師の戦いを見たことなどないのだから。しかし、自分の知り得る最高の魔法師が一桁、シングル魔法師しかいなかっただけの話だ。
それほどまでの攻防に多様な魔法。
そしてどこかで立ち見をしていた女性の一団がぽつりと溢した。
「そう言えば誰かが1位はまだ若いとかって……」
「ちょっ!! それどこで、何歳ぐらい!」
女生徒は誰かに聞いたのではなく、そんなことを小耳に挟んだような気がした程度だったが、その言葉は今試合を行っている一人の男子生徒を見る視線に含まれた。
彼女たちにシングル魔法師の戦いがどういう物なのか見当もつかない。それでも魔法を少しでも学んだ身として一つだけ言えることがある。
「こんなの人間業じゃないわ」
♢ ♢ ♢
生徒たちが集まり出す少し前――試合が始まる数分前のことだ。
この訓練場が全て解放され、一つの試合場と化したのは入学時テスフィアにお灸を据えた時以来だったか。
だからと言って感慨深いものでもない。ここでの訓練はアルスも散々行ってきたのだから、少し広くなった程度しか思わなかった。
ただ、それでも狭いと感じてしまうのは相手の実力故だ。
はて、この訓練場の防護壁を最高レベルにしたからと言ってどこまで耐えられるものか。
この場においてアルスは丸く収める方法を考えていた。藪を突くにはリスクが大き過ぎる。
(ベストは被害を出さずに帰ってもらうことか……ただで返すつもりもないが)
そちらの方はあまり期待できないだろう。理事長に無理難題を言っているのも理解しているからだ。学園祭という場においてこの少女を捉える魔法師などいるはずもない。軍に掛けあっても難しいだろう。
何よりイルミナの言葉がアルスの中で今も残っていた。フェリネラが運営委員長を務める学園祭を歴史に残る事件にするのは不本意だ。
被害を出さずに一つの催し物として装う。
それにイリイスが付き合ってくれるかということだ。
(難しいだろうな)
と言いつつもハザンと呼ばれた男を連れてきていないのであれば、学園を襲撃するために来たわけではないようだ。
なんとも相手頼みの救いだが、何もないよりはマシだろう。
『指南してやろう』という言葉にアルスは一つの頼み綱を抱く。
癪に障るが指南してくれるだけで済むならば安いだろう。おそらくイリイスはアルスに会いに来たというのが最も可能性としては高い。
まさかテスフィアとアリスの命を天秤に掛けるような挑発をしかけてくるとは思わなかったが、そうでなければアルスが出てくることはなかったかもしれない。
そういう意味で自分の行動が不気味でしょうがなかった。
後付けの理屈は思い付くが、あの一瞬では考えよりも身体が先に動いていた。
「はぁ~」というため息は何に対してなのか自分自身でもわからない。
こうなってしまっては現状できることをすべきだろう。手を抜いて許してくれるとは思えない。
さすがにダメージの変換に期待するほどアルスも呆けてはいられないはずだ。黒い尾の魔法は確実に訓練場のシステムを凌駕する。
システム外の攻撃を行えるということは人間を殺しうるということだ。イリイスは現に二人を死に至らしめる術を提示して見せた。
アルスは開始のブザーが鳴るのをただじっと待つ。
ミナリスもルールに乗っ取り攻撃を仕掛けてこなかった。
それを確認できただけでも大きな収穫だ。ルールに則した上での試合ということで間違いないだろう。無為に殺戮を行うつもりはないと判断する材料にはなる。
ならば試合に見立てた殺し合いを乗り切れば彼女はここから離れるだろう。もちろん希望的観測が含まれていることは否定できないのだが。
(結局周りにも気を配る必要があるか)
試合開始の合図が無情にも鳴り響く。
思考は纏まらない。殺すと宣言したイリイスにアルスは殺せない、もしくは逆に殺されると認識させる必要がある。中途半端では無理だろう。
(防護壁がどこまで耐えられるか)
「まずは小手調べといこうか小僧」
そう喜色を含ませた笑みを少女の顔で告げるとイリイスは袂の中から片手を突き出し、小指から順に曲げて行く。
握られた拳が手首を返しアルスに向かって勢いよく開かれた。
同時に彼女の袂から膨大な量の水が溢れ出す。
「水竜」
その言葉に眉根を寄せる。また面倒くさいものを、という意味で。
「どうやって知り得たのだか」
召喚魔法に分類される中において竜として顕現できる魔法は最上位級に属する。もちろん架空の存在で実際に魔法として会得することが難しい。
難しい以前にどういう物なのかのイメージが記述でしか知り得ないことが問題だ。
小手調べで水竜を出してくるあたり、アルスの手抜きは許されないだろう。
場内はどよめきが起こる。
それも二階、三階の客席を優に超えて行く巨大さがあるのだから当然だ。
そして手品でも見ているように水竜が両側から潰されたように弾けた。
「空間に直接干渉するか」
「…………」
イリイスは真っ正面で合唱のポーズを取るアルスに発した。
「さすがに核心を突いてくるな」
しかし、両側から押し潰す空間干渉魔法は大粒の雨を降らせただけで水竜の身体は瞬く間に再構成される。まったくの無意味であることにアルスは驚きはしない。
予想していたことだ。空間干渉魔法を見破られるリスクを冒しても水竜は早めに葬っておきたいところだった。
不定形の召喚魔法はそれだけで厄介だ。物理的なダメージは通さないため、上回る魔法をぶち込まなければならない。
巨大な顎を開けて首が伸びるようにアルスへと降ってくる。
後方に余裕を持って跳躍するが――。
地面に衝突した水竜の頭は水が弾けるように爆散する。しかし、直後爆散した水が再構成してアルスへと向かいながら伸びてくる。
まさに地面でバウンドしたような具合だ。
空中に逃れようとも殊アルスに関しては隙に繋がらない。
予期していたようにAWRを引き抜く。じゃらじゃらと連続して鳴る金属音を聞き流して魔力を通した。
この手の魔法は物理的な防御では意味を成さない。
水だから雷が弱点というミスを相手がしているとも思えなかった。アルスならば対策するために構成をいじるからだ。
召喚魔法には魔力を供給するための核が存在するが、逆に言えば不定型の水竜は核さえ守ることができれば最強に近い。
先ほど使った空間を切り裂く魔法【次元断層】でも核を捉えられないと意味がないだろう。
だからアルスは鎖に刻まれていない魔法を思い出すように紡いだ。
「霧結浸食」
永久凍結界の構成を初期段階でキャンセルし、液化窒素へと魔力を作り変えるプロセスを脳内で改変する。
イメージとして魔力を微細な膜に変える。数にして数兆に近い。液化窒素を結晶に閉じ込め、刃先から結晶粒として霧を散布させた。
それは圧倒的速度と質量を持つ水竜の顎を前に頼りない。たとえアルスが十字に振ろうとも真っ白い霧は僅かばかりに視界を曇らせる程度だった。
これは実戦訓練時に作った魔法だったか。思わぬ所で役に立つと思いながら衝突を待つ。
霧結浸食の真価が発揮されるのはそれこそ衝突時だ。
水分で構成された水竜がアルスを呑み込もう結晶粒に触れた直後、爆発的に霧が発生し内部から一瞬にして水竜が氷の彫像と化す。
それをイリイスは無感情に眺める。
この程度で終わってもらっては困るのだ。いや、この程度ならばわざわざイリイスが来た意味がない。
しかし。
「初めて見るな、ニブルヘイムに似ているか……ククッ…………!!」
彫像の先から重力に従って落下するアルスにイリイスは彫像を再度見返し、眼を眇めた。
「久し振りに使ったが案外うまくいくな。この魔法はこれだけじゃないぞ」
何故アルスがミストロテインに浸食と命名したのか。
それは構成のエネルギーとなる魔力そのものを犯すからだ。魔法に対する効果は絶大だということだろう。
アルスは瞬時に新たな魔法の構成を入念に組み込む。
浸食されたままの水竜の核に込められた魔力を流用し、更に莫大な魔力が注ぎ込まれる。デミ・アズール戦でアルスが得た考えられないような魔力量が注ぎ込まれる。今の魔力総量は以前の倍はあるだろうか。だからこそ余分な魔力をここらで放出しておく。
時間が経ったとは言え、あまりに多過ぎる魔力量は不安定である。
「今度はこちらが見せてもらおうか…………再生の業火【不死鳥】」
水竜の彫像が激しく熱せられ内部が真っ赤に染まった刹那、凍った破片が弾け飛び空中で魔力の残滓に還った。
アルスの召喚魔法は記述に残される数少ないロストスペルから解読したものだ。無論、アルス以外には再現不可能な魔法として大全にも収録されていない。
訓練場の中を狭そうに浮くフェニックスは全身を業火に染める。
術者であるアルスはこの場にいても熱量に火傷することはないが、仮に訓練場を守るための防護壁がなければ観客は火傷では済むまい。
無論、それはイリイスとて例外ではなかった。ただ彼女の場合は訓練場内にいるという理由から魔力によって熱せられた影響は少ない。
熱さは感じてもそれによって受けるダメージはないはずだ。
イリイスはその神々しい光景に思わず見惚れ、次には盛大に笑いだした。
「クククッ、規格外、異端児、鬼才、化け物……生ぬるいわ! 物差しで測れる度合いを疾うに越えている……が、たかだか十数年しか生きていない若造に後れを取るつもりはない。私とて疾うに人間をやめているんだよ」
イリイスは腕に巻かれている包帯を強引に歯で破る。
僅かな隙間から見える物にアルスは予感が的中したと知った。
(腕に直接魔法式を刻み込んでるのか)
確かに理屈では可能だ。いや、それが最も効率が良いだろう。
しかし、実際には不可能である。皮膚に魔法式を刻んだところで日々皮膚は劣化、再生を繰り返す。更に年々弾性を失い、正確性を求められる魔法式は現実的に直接刻むのは不可能だと結論付けられている。
どういう理屈かわからないが、イリイスの腕には直接魔法式が刻み込まれていた。
それは確かに魔法式としての機能を発揮する。
淡く輝き出した薄いライトブルーの光が溢れるように輝く。
「では召喚魔法には召喚魔法で応えようか……ここではちと狭いが構わんな」
イリイスの背後に巨大な水の膜が出現する。それは何かを通す為のゲートであるかのように薄い。だというのに深海を映し出すようにどこまで黒く深い。
そして不敵な笑みを張り付けて高らかに両手を突き出して叫んだ。
「深淵より出でし絶海の悪魔…………【レヴィアタン】」
「――――!!」
何かが膜の中で蠢く、それは巨大な物が渦を引き起こすような身じろぎのようでもあった。重く響き渡る重低音。
ゴオオォォォという振動は芯にまで響いてくる。
会場の観客は息を呑むようにじっと口を閉じその水のゲートを見つめる。息が詰まりそうになるが誰も眼を離せない。
まるでフィクションの世界だ。
子供に聞かせた童話や小説のような世界にでも迷い込んだようだ。
じっくりと待たされた、と言ってもそれはほんの2・3秒の話だ。体感では疲れてしまうほど遥かに長く感じていた。
その姿が膜を引き裂くように現れた時、本当に一瞬の間誰一人として呼吸を忘れた。呼吸ができなかったのだ。
まるで化け物。
膜を押し広げるように顔が露わになる。海の底には未だ太古の怪物が息衝いているという話は過去話題になった。それも魔物が現れる以前の話だが。
それが現実に存在していたと錯覚するほどに恐ろしく、魔物とは別の意味でこの世の物とは思えない。
最初に見えたのは鋭い一角。
続いて凶暴なまでの顎、無数に乱立する歯が刃のように銀光を映し出す。眼はなく、竜に近い形をしている。
そして膜の中から2本の腕が強引に差し込まれる。
鎌を付けたような腕が這いでる為に地面を深々と貫いた。地震とも取れるその光景に誰もが全貌を露わすことに対して興奮を抑えきれない。
訓練場の上空を覆うほどの【不死鳥】でも比べ物にならないサイズだ。少なく見積もっても倍はある。
正確にはその魔法――いや、架空生物に対しての知識を有していなかったが、非常にまずい事態に焦っていた。
観客たちは絶対に安全であると疑っていないだろうが、こんな怪物同士が戦えば訓練場、いや学院は無くなる。
自分が引き金を引いたとは言え……。
(甘く見ていた……)
まさか【不死鳥】を凌駕する召喚魔法が出てくるとは思いもしなかった。アルスはイリイスに対する警戒をMAXに引き上げる。
これはシングル魔法師だろうと相手をするのは容易くはない。
どうせなら他国でやって欲しいと嘆いてみても何も始まらないだろう。