階梯
テスフィアとアリスは激戦を繰り広げていた。それこそ観客があんぐりと口を開けて見入ってしまうほどに。
誰もが感じたはずだ、7カ国魔法親善大会の時より一皮剥けたと。
無論、二人の連携がそれを際立たせているのだが。
ミナリスと名乗った少女はそれを揚々と受け止める。
実態を持つAWRに対抗する強度を持った水刃は刃が激流の如く回転しているためまともに斬り合うことすらさせてもらえなかった。
刃が触れた瞬間に弾かれるのだ。
至近距離での【氷塊散弾】は完全に死角を突いたにも関わらず一瞬にして水壁がせせり立ち、呑み込まれるように同化してしまう。
物体と液体の違いは内包する魔力量でいとも容易く氷塊を呑み込んだ。
直後、水壁からテスフィア目掛けて高速で回転する水流の棘が襲い掛かった。それは液体を凌駕し、削り取る強度と破壊力を思わせる。
即座に刀を地面に差し【氷の断崖】を構築して防ぐ。大会時に使用した時よりも汎用性に富んだ造形になっていた。
だが、水流を包み込むように作り込んだ歪曲した氷の壁は結果的に意味をなさない。
水流が意思を持っているように壁にぶつかると【氷の断崖】の端からテスフィア目掛けて二股に分かれた。水の棘が交差するように狙いを定める。
(――!! あんなの一発でダウンじゃない)
研削どころの話ではない。模擬試合でなければ身体に大穴が空くだろう。
テスフィアは地面に刺した刀の柄を軸に身体を逆さまに逆立ちして宙に踊らせた。勢いが頂点に達し足が天を向いた瞬間に刀を引き抜き【氷の断崖】の天辺に向かって降り立つ。
そして交差する水流をかわしたのはテスフィアだけではない。
背後から機を狙っていたアリスはテスフィアが空中に逃げる頃には横に回避しながらミナリスに切迫していた。
お互いが次に何をするのかが手に取るようにわかる。
この挟撃は二対一が故に効果的だ。
空中で体勢を立て直したテスフィアは【氷の断崖】の天辺を足場にトンッと蹴ると上段に大ぶりに刀を振り被ったまま一回転する。
ミナリスは明らかに斜め上方に跳んだテスフィアに冷めた目を向けたが、次の瞬間口角が持ち上がった。
彼女の刀の後を巨大な氷剣が構築されていったからだ。
間合いは十分。見る限り威力も凄まじいだろう。この際、どこかで見たことがあるような気は捨て去る。
はて、どう受けたものかと考える。
回避するのは容易いが横合いから来るもう一人の相手も必要だろう。せっかくの挟撃だ。回避という選択は些か大人げないような気がした。
片手に生える水刃が魔力の残滓を散らしながら霧散する。そして包帯に巻かれた手が袂の中からそろりと覗いた。
この場においてテスフィアとアリスは内から湧き上がる高揚に身を委ねていた。戦うことの楽しさはたとえ命のやり取りではなくとも程良い緊張感として身体を突き動かすのだ。
だから全力を以て期待に応えることができたのだろう。
テスフィアの背後から凄まじい速度で冷気を吐きながら迫ってくる氷剣が更に姿を変える。
壮大に聳える氷の剣が身を砕くように表層が割れる。神秘的な氷の剣。それは神話や御伽噺の世界にのみ存在するような神々しさを感じさせた。
そしてより鋭利になった刃は空気を凍て付かせながら速度を加速させた。
「【永久氷塊凍刃】」
軌道を変えずに頂点から一気に振り下ろされたの同時――アリスは姿勢を低くしながら疾走する。
たとえ避けられようともその隙を逃すまいと一瞬たりとも視線をミナリスから外さない。
そして絶妙なタイミングでアリスは金槍を引く。顔の位置まで刃先が来るほどに引き、固定すると全ての魔力が柄を伝い刃先に集中する。
これはアリスの提案を受けてアルスが準備してくれていた新たな魔法。
元々、7カ国魔法親善大会でヒントを得た魔法だ。アリスはこれができれば戦術の幅が広がると提案し独自に訓練に追加していたのだ。それを戻って来たアルスに相談した所、丁度良く考案中の魔法に組み込むことができた。だから未だ練習中の魔法ではあったが、この時だけは失敗の可能性は考慮しなかった。
それもそうだろう。命の掛かった試合ではないのだから、何も恐れるものもない。最初から挑戦するつもりで臨んだ試合だ。
アリスは明らかにテスフィアのゼペルより後手に回っていても気にせず魔法の構成を組み上げていく――今更、後手に意味などない。
距離は到底届かない位置だったがアリスは勢い良く輝かんばかりの金槍を突き出す。
「【光神貫撃】」
刃先から閃光が突き出される。
それは拳大ほどの微かな刺突の延長。しかしその速度は光の瞬き――その証拠に術者のアリスにはテスフィアの魔法より早く到達することがわかっていた。
完全に捕えた。あれほどの強敵にこれほど善戦でき、勝つこともできたのだ。
死力を尽くしたと言える。結果に二人は堪え切れない嬉しさを魔法の発動と同時に表情に出していた。
しかし――。
そう確信した結末を覆すように不吉な声音が凛と鳴る。
「【黒楼芒波の四尾】」
瞬間――地面から湧き上がる黒い液体。
液体の底から四本の尾が浮き上がった。長大な漆黒の液体を内包した尾が試合場一杯に広がる。
その尾はミナリスのローブの中へと繋がっていた。黒い液体は尾が形作られるのと同時に余剰分の水分を消失させ輪郭を現す。
「――――!!!」
刹那、伸縮するような漆黒の尾――その内2本が凄まじい速さで鞭のようにしなりテスフィアの【永久氷塊凍刃】を一瞬の内に中腹から砕けさせた。
少しの抵抗もなく、枯れ木を思わせるほどあっさりと、ゼペルは鋭利な結晶を空中に舞わせ、砕けた順に魔力残滓へと還る。
もう一本の尾はアリスの遥か後方から続いていた。脈動を思わせるようにうねりを上げると彼女の脇を過ぎていく。それは触れてもいないのにアリスの身体に衝撃としてダメージを負わせるほどであった。
無論、彼女には何が起きたのか捉えることすら敵わない。
一本の尾が人間の胴体ほども太さがあるのだ。それが縮小しながらミナリスに向かって走り、彼女を貫かんとする【光神貫撃】の光撃にあろうことか追いつく。
瞬く間に包み込み【光神貫撃】の光の刺突を締め潰した。シュゥゥという焼ける煙がとぐろを巻いた尾の隙間から溢れ出す。
貫くはずの……いや、それどころか捉えることすら困難な【光神貫撃】が出遅れた尾に追いつかれたことにアリスは言葉を失った。
それはテスフィアとて同様だ。次元の違い、懸絶した力量差は少し前まで互角以上の戦いができ、尚且つ勝利を確信した二人にとって落胆するには十分過ぎるダメージを与えた。
その証拠に試合中だというのにすぐに反応することができない。
一方のミナリスは眉根を寄せて苦い顔を浮かべていた。
全力を持って向かってくる若人に触発されたのだ。真っ直ぐな眼差しで挑まれるということに、ここまで自分が駆り立てられるとは思ってもみなかった。
少なくともイリイスと名乗ってからの数十年では初めての事だ。だから持てる力で粉砕した。
と、言えば聞こえはいいのだろう。
ミナリスがこの魔法を繰り出したのは真正面から対抗できる術が少なかったからだ。つまりは引き出されたということになる。
新しく芽吹く次世代を担う若い世代がしっかりと育っていることに年甲斐もなく涙腺が緩みそうになる。後悔はなくとも、こんな犯罪者の身でさえなければ自分は今もアルファで先達者として後進を育ていただろうか。
そんなあり得ない未来を幻視するという不毛はこの時だけのことだ。
彼女にはここに来た理由がある。それは【クラマ】の邪魔となる筆頭、最強と謳われる魔法師の実力を確かめることだ。たとえ独断だとしても【クラマ】は纏まった組織ではない。
自分の目で見て決める。イリイスは見極めるためにこの場に潜入しているのだ。
恐らくバルメス近郊での遠距離戦闘に1位が含まれていたことは疑いようがない。
果たして自身が警戒したバルメスの魔物を屠ったアルファの現1位に【クラマ】がどれだけの代償を支払わなければならないのか。
他人も同然の犯罪者集団ではあるが発足時より数年を共にした仲だ。誰が死のうと構わない、それでも組織の幹部として裏切るわけにはいかないだろう。
今更偽善者などできようはずもない。もう彼女には堕ちるところまで堕ちるしか道は残されていなかった。復讐を果たし、残ったのは凶悪魔法犯罪者の肩書。もちろんそれを望んだのはイリイス自身だ。
(茶番はここまでだ……)
追想はここまでだろう。
水を操るイリイスでも足元までありえた日常に浸かり始めていた。温かいがそれを酷く拒む自分がいる。
気持ち悪いと思ってしまうのだから彼女はもう後戻りはできない。
チラリと横目で目的の人物を視界に収めた。数分前から試合を観戦しているただならない視線は彼女が探していたお目当ての人物からだ。
「やっと見つけた」
ニヤリと歪む口元に彼女は意識を試合に戻す。
時間潰しにしては面白かったというのが彼女の感想だ。
だが、それもここまで……イリイスは茫然自失となっているテスフィアとアリスに向かって軽く目を伏せながら口を開いた。
「もう少し周囲に気を配るべきだったな」
「えっ――」
二人は彼女が言う周囲を見渡す。
しかし、その真意がまったく理解できなかった。
実際イリイスは試合開始直後の魔力の奔流によって自身の魔力を散布していた。それは情報体としての劣化を余儀なくされるものの彼女が放出した魔力は水系統魔法への構成を最初に留めたある種の魔法だ。
魔力の情報劣化を魔法の構成に切り替える寸前に放出。
これは劣化する魔力の情報を魔法として新たな変異を組み込んだ魔力ということになる。つまり劣化を一時的に防止する意味を持つ。
無論これがあったからこそ瞬時に【黒楼芒波の四尾】を行使することができたのだが、用途としてはもっと別なところにあった。
二人がその微細な魔力を感じ取ったのは実際に魔法として具現化してからだ。
「「――――!!」」
無数に浮遊する小さなシャボン玉のような球体がいたるところに出現する。中には一杯に透き通る水で満たされていた。
二人の目の前をゆっくりと通った瞬間――。
「悪く思うな」
少女の声音だけが透き通る。
背後に浮遊していたシャボン玉がテスフィアとアリスに触れた直後、爆発的に膨脹して二人を包み込んだ。水の中へと引き摺りこまれた二人は人一人を簡単に包み込めるまで膨れ上がった球体の中でもがき苦しむ。
全身を包み込まれた直後に球体は浮遊し水で満たされた水中では前に進むことも後退することもできない。まるで出口のない水風船に閉じ込められたかのようだった。
直後、二人が取った行動は持っていたAWRで表面を斬るというものだった。
しかし、球体に水を内包する表層はなく水だけを跳ねさせるだけで内部の水を外に排出することができない。
咄嗟のことで呼吸も続かず、漏れる気泡が二人を追い詰めていく。
訓練場内でも人間を殺す術は存在する。
疑似的に魔力で生成した水とは言え身体機能の一つである呼吸をできなくさせれば、訓練場内における魔力のダメージ変換対象外になる。
テスフィアはAWRに魔力を通し魔法を行使しようとするが上手く構成段階を脳が追えなくなっていた。呼吸ができないという状況下で正常な思考ができるはずもない。
それはアリスにも同様のことが言える。彼女の金槍は球体の外に柄が出ているが何もできないことに変わりはなかった。
誰かがこの柄を引っ張って自分を球体から引っこ抜いてくれれば……。
そんな誰とも知れない助けを求めるように水中で口を抑えながらそれだけを望んだ。
二人は次第に霞む視界で最後に大きな気泡がゴボッと球体の中を上がって行く。
当人たちだからこの苦しみが命の危機感へと変わるが、未だ観客席では歓声が轟き事態の深刻さに気付いた者はいない。
それに気が付いたのは一分近く後になってのことだった――二人が息の続く限界に迫り、動きが鈍くなってからだ。
誰かが洩らしたのがキッカケだった。「なんかやばくないか?」そんな言葉は熱気を鎮静化させ冷静な分析に入る。
酸素を欲するようにもがき苦しむ二人の少女に深刻さがじわじわりと観客の肝を冷やす。
「おい、あれはまずいぞ!!」「誰か!」
そんな慌しい言葉が行き交う。
無論、それに応えられる人間など観客席にはいない。階下に向かって叫んでも第2魔法学院の選手であろう生徒は言葉を詰まらせるように見ているだけだ。
どうすれば良いのかがわかっていない。
それにこれまでの試合を観戦した者たちにとって知識のない魔法にどう対抗すべきかがわからなかった。
そんな助けを求めるように選手やスタッフの生徒は自然と顔をデルカ・ベイスに向け、集まる視線。
しかし、彼もこれらの試合を映像のように見ていた観客の一人と化していた。
すぐに自分の責務を思い出したのは耳鳴りのような声の濁流から自分の名前を呼ぶ選手の声を拾い上げたからだった。
すぐにAWRを引き抜き試合場に走る。
その顔はいったい何をすればいいのか……という頼りない表情だ。
試合場の傍で内部と会話ができるよう壁に備え付けられているボタンを押す。スピーカーによって内側にも声が届けられる。
彼は少女に対して声を張り上げた。
「すぐに魔法を解除してください。二人の命に……!!」
デルカ・ベイスは途中で口を閉じた。いや、開いていたが続く言葉が発せられない。
まるで自分を意に介していないのだ。
少女は無感情に二人が力無く球体に浮くまでをじっとつまらなそうに眺めている。
そして明らかに自分に対しての言葉ではない声がスピーカーを通じて微かにベイスの耳を震わせた。
「さぁ、どうする? 1位」
少女は顎を上げそのまま首を傾けた。見つめる先にいる人物に対して発した言。
デルカ・ベイスはもう自分が出ていくしかないと判断し、入口を開けるボタンに手を掛けた直後――。
何かが割れる音を聞く。
同時に試合場の壁が大きく揺れたのを感じた。
イリイスは標的の相手に問い掛ける。
生徒が死ぬかもしれない、そんな状況だ。わざわざ自分で口実を作ったのはこのためだ。当初の予定よりは生易しくなってしまったが、結果的に助けに入れば戦闘になると確信していた。
それが本当の殺し合いになろうともイリイスにとっては然したる問題ではない。実力を確かめるのが目的だが、そんなものは戦ってみればどっちにでも転ぶ。
アルス・レーギンに問う。
お前は助けるか?
その解答はイリイスがアルスを睨みつけた瞬間に出た。
「――――!!」
一振りのナイフが鎖を引き、高速で飛来してくる。
刃先の周りに何かが纏わりついているのか、空間がぶれて見えた。
ナイフは訓練場の壁面を易々と貫通する。そのまま手前のテスフィアへと向かって行く。
彼女を串刺しにする速度だったがナイフは空中で向きを変え球体だけを切り裂いていった。
球体は今度こそただの液体へと還る。
アリスの球体も解かれた瞬間、鎖に繋がれたナイフはもの凄い速度で持ち主の元へと戻って行った。
それを見ていたイリイスは関心する一方で眉を寄せる。