見えない思い
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昼を過ぎ、テスフィアとアリスは苦難もなく連戦に次ぐ連戦を余裕でこなしていく。
というのも訪れる相手は他校の生徒や軍関係者などがいる。その中で最も多い相手というのは来年度に第2魔法学院への入学を希望する新米以下の魔法師たちだ。
当然二人は指導するように試合に臨む。
時には口を挟み……というのはテスフィアとアリスにとって誰かを連想される。だからなのか指導者としての気苦労などが垣間見えた。
と同時に普通ならここまではしないだろうという得も言えぬ感謝の念が湧いてくるというものだ――なんとなく。
手取り足取りというわけではなかったが、相手に合わせるというのがこれほど大変だとは夢にも思わなかっただろう。肉体的な疲労よりも精神的に摩耗する。
テスフィアなどは一発でかいのを見舞えればスカッとするだろうなどと思っていたほどだ。
交代制とはいえ、受付では指名することができるため、人気の高い――特に7カ国魔法親善大会出場者――などは休憩も僅かだ。
それでも二人が甲斐甲斐しく手解きしてしまうのは、対戦相手があまりに初々しく数か月前までの自分たちを思い出してしまったからだろう。
今もテスフィアは刀型AWRを鞘に納める。向かい側では荒い呼吸を繰り返す男の子がいた。
彼は来年度の入学試験を受けるらしいのだ。そのための指導を仰ぎにきたというところなのだろう。更に言えば彼はテスフィアを指名してきていた。
馴染んでるとは言えないAWR。
運動着のような服は少年という印象を後押ししている。虫も殺せない優しそうな子、というのが初めて彼を見たテスフィアの印象だった。
彼は模擬試合を始める前に声高々と自分の名を名乗り、限界まで頭を下げたのだ。
メイン・モーレント、そう名乗り貸し出し用の剣型AWRを構えた。
女のような名前だが愛嬌のあるクリッとした眼、総合的に見て中性的と言える。身長も低く撫で肩、ひ弱そうな男の子だ。どこか守ってあげたいような母性を擽る。
対戦したテスフィアには様々な物が見えていた。これはアルスの指導の元培われた心眼でもある。
メインは必死だった。
ひたすらに全力だった。
それはこれから魔法師となる者の決意を湛える眼だ。それ故に未熟さが際立つ。
剣の振り方は雑で、今まで訓練を積んできていないことがわかるほどに体捌きが悪い。足運びや相手との距離感――間合いの詰め方が素人然としていた。
これは仕方のないことだ。貴族でもない限り皆スタート地点は同じ入学後なのだから。
しかし、こればかりはテスフィアも関心した点があった。
それは魔力の流動だ。
本人の性格故なのか、緩やかに伝う魔力は川のようにせせらぎすら聞こえてきそうなほどだった。魔力の放出量やそれに伴う持続力、無駄を省いた効率的な流動まではさすがに無理難題だろう。テスフィアでさえまだまだなのだ。
だが、それを差し引いてもつい見惚れてしまう才が宿っていた。オーシャンブルーのような半透明の魔力、個人の情報が魔力に内包されていることを考えれば彼は外界に出て行く魔法師にはとことん向かないのだろうと思う。
しかし、そんな個人の事情に口を挟めるわけもない。
だからテスフィアは少々厳しく事にあたった。きっとこれもアルスの受け売りなのだろうと思いながら。
結果は意外に根性があるという形で終わった。
あれだけの魔力を放出し続け、気力だけで向かってくる少年にテスフィアは自分を見ているようでどこか愛おしく見えてくる。
きっと何もわかっていない。そう思っても仕方のないことなのだろう。
メインには不退転とも思える覚悟があるように感じたのだから。テスフィアは「お疲れ様」と飄々と告げた。
彼は満身創痍な表情で勢い良く立ち上るとまたしても頭を限界まで下げて「ありがとうござました!!」と叫ぶ。
傷だらけということは、この訓練場内ではありえないが、心なし汚れているようにも見えた。腕白坊主とも見えなくもない。
だからテスフィアはそんな少年にクスリと軽く握った拳を口元に当てて笑った。
「あの、何かいけませんでしたか」
少し強張った表情で上目遣いに覗き込んでくる。中性的な顔立ちのせいか、いつものような言葉遣いでは勘違いされてしまうだろう。
テスフィアは貴族然と――いや、この場合年上の女性として対応した。
「いいえ、頑張ってね」
そう手を差し伸べる。
メインはその手をじっと見つめると、慌てたように顔を真っ赤にしてゴシゴシと右手を服に押しつけて汚れていた諸々を拭う。
「ありがとうござます。来年、必ずテスフィア先輩の後輩になります!!」
そう断言する彼にテスフィアはぎこちなく微笑み返した。
彼にしてやれる助言は少ない。
自分で決めた道なのだろう。表情を見てテスフィアは言葉を呑み込む。数か月前の自分も誰に言われようと学院に入学したのだから。
アリスが居て、貴族としての階位を示す。
だから、野暮ではなく本当に余計な事は口に出さない。
彼の自分に向けるキラキラとした眼を見て手を離す。
しかし、意外にも細いメインの手はテスフィアの手を掴んだまま離さなかった。じっと見つめる眼が――憧憬の眼差しが彼の頬に見惚れとして表れている。
「あの……」
テスフィアが申し訳なさそうに視線を手元に寄せると、メインも「えっ!」と声を裏返して視線を落とした。
「*+%&#+*>……ご、ごめんなさい!!」
「別にいいんだけど……」
ハハッとテスフィアは空笑いを受けべる。
そして羞恥から逃げるように背を向け、退場するメインに。
「また来年会いましょう」
そう告げたテスフィアに彼は堪え切れなさそうな表情で「はい! 絶対に受かって見せます」とやる気を露わに去って行く。
可愛らしい子ではあったがどこか危うい。そんな自分を見るアルスのようなことをテスフィアはこの時に感じていた。
(良い子なんだろうけど)
そう言って自分の手を見降ろすテスフィアは彼の自分に対する瞳の色を読み取っている。
「可愛いんだけどなぁ」
そぉ、純粋過ぎる。真っ白過ぎるのがどこか心配だ。
アリスなんかは男女見境なく可愛い物に目がないため、テスフィアとはまた違った見方をするだろうか。
何も知らないことがいいこととは言えない。
きっと知った時に変わらない白さにこそが美しい物なのだろう。
テスフィアは来年を楽しみにしながら退場した。
気持ち心が弾んでいたのだろう。出迎えたアリスは含むような悪い笑みを向けてくる。
「気にいっちゃった?」
「だ、誰が……まだ子供よ子供ぉ~」
「え~そうなの~、てっきり来年入ってくる子かと思ったのに」
「……いや、来年受けにくるらしいけど……」
パッとワザとらしく表情を明るくするアリスから悪戯っ子が覗く。
「へぇ~隠したんだ」
「バッ!! 違う! あんななよなよしたのなんか全然なんだから」
「じゃ~どういうのがタイプ?」
さすがに二人の仲だ。浮いた話というか色恋の話題なんかもしてきた。しかし、テスフィアが描く理想の男性像というのはいつも順位や強さばかりで実の所正確にアリスも把握していなかったのだ。
そんな親友の意地の悪い質問にいつも用意していた解答をテスフィアは告げた。
「そりゃ、強くって順位も高くて、頼りになる人が良いに決まってるわ」
「それってアルじゃダメなの?」
「――!!」
カァッと思考が停止し顔が熱くなる。
一瞬の間で浮かんだ情景――二人で外界の任務をこなしていき、帰れば疲れたように日常的な家庭に戻る。少々アルスには似つかわしくない光景ではあったが、女性が焦がれる理想など美化されて然るべきなのだろう。
その証拠にテスフィアが甲斐甲斐しく苦手とする手料理を振る舞い、アルスが見たこともない笑みを浮かべてお礼を述べていた。そんなどこか一般的な家庭に憧れていたのかもしれない。
テスフィアはショート寸前の回路に冷水を掛けるようにして首を振った。
おかしい、以前はあんなに毛嫌いし、今も同じ解答を述べただけのはずだったが今の光景はいったい何だったのか。
(これは憧れとかそういうものよ。あんな小難しい顔と一緒にいて楽しいわけないもの。うんそうだわ。確かに1位という順位は魔法師として尊敬するし、それに見合うだけの圧倒的な力を有していることは認めるわ。それに頭が良いのも、容姿も悪くないわ、ね。それでいて自分というものを持っているのも……)
脳内でそんなことをつらつら述べて行くうちに、自分が提示した条件に合致していくような不安が押し寄せてくる。
だが……。
(でも……そ、そうよ、お母様が認めないわ。あんなどこの誰とも知れない男、ま、まあ訓練はしてもらってるし、総督とも……あれ、婚約を見送ったのって……)
そう婚約を見送ることになったのも全てはアルスのおかげであり、フローゼが彼を気に掛けていることも知っている。興味がないのならば婚約はテスフィアの意志に関係なく進んでいただろう。
テスフィアは否定する材料を必死に探したが、それは全て彼女が以前抱いた感情からのものだった。今とは違う材料を元に思案しても仕方がないとは思うのだが、そうでもしなければ心を落ち着かせることもままならない。
アルスを婚約者に……それを妨げるものが皆無なのだ。もちろんあの男がそんなしちめんどくさいことに夢中になるとは考えづらい。
そこでテスフィアはため息を吐きだしながら考えるのをやめた。彼女が願うのは自分の望んだ相手と恋仲になることだ。もちろんアリスに言ったように条件などは二の次、方便ということになる。
しかし、生まれてこの方、恋する乙女の心境というのになったことがない。
だから行き着く先は……好きか嫌いかで言えば好き、だと思う程度の結果だった。
全てを見透かしたようなアリスは現実に戻って来た親友に対して、どこかホッとしたような笑みを浮かべ。
「ライバル多そうだね」と軽口を叩いた。
それに猛反発したのは言うまでもない。
「だから違うってば、アリスも大概しつこい!!」
「だってぇ~フィアの言う条件に合ってるのが一名いるんだもん」
「だ・か・ら~」
フルフルと怒りを露わにする親友にアリスは背を向けて喜々として逃げ出す。
そんな時だった。
二人を探したように声を掛けてくるデルカ・ベイスに呼び止められたのは。
彼は訓練場内における公開模擬試合の纏め役として選ばれている。貴族という立場を笠に着ない彼は面倒見の良さもあって評判が良かった。
かく言うテスフィアも入学当時、憧れる先輩の一人としてチェックしていたこともある。
次の試合が組まれたとテスフィアとアリスは引き締める。
しかし、デルカ・ベイスが直々に知らせにくるということはこれまでに一度もない。というのも彼は全体の進行や試合を受ける側に不備や不測の事態に備えて目を皿にしていなければならないからだ。
受付で済ませた組み合わせ表を機器に入力し、訓練場内で待ち時間などを表示することになる。これは予想であって実際の試合状況によって加算も減算もされていくのだが。
一応受付では3試合先までは組まないようにしている。
選手の負担も考えた配慮だが、実際にはうまく回せているとは言い難い状況だった。
だから二人はすぐに試合が組まれようとも驚きもしなければ、疲労を見せもしない。
他の選手は早々に魔力が回復するのを待っている状態だが、二人は倍する試合数をこなしているのに問題なく動けていた。
アルスの訓練あっての物種だ。
寧ろ、彼との実戦訓練のほうがよっぽど疲れるというものだ。こちらのほうが精神的な疲労は感じるが肉体的にも魔力的にもまだ余裕はある。
これもアルスのおかげであり、自分が信じて努力した結果だ。
彼女らが初めて他生徒との差を実感した瞬間でもある。本当に頑張った、それに応えた、応えることができた自分が少し誇らしくもある。
テスフィアがおおらかに寄ってくるデルカ・ベイスより先んじて発した。
「先輩、次の試合場は何番ですか?」
「いや、そのことなんだが……」