超越者
フェリネラとの仮称デートは時間一杯まで続いた。
出店を巡り、和気藹々と過ごす。
彼女のこんな無邪気な一面を見るのは初めてだった。それはアルスに限ったことではない。
学院の至るところから風に乗った噂の真偽を確かめるため、生徒が表情に驚愕を張り付けて覗かせる。
フェリネラは我関せずといった具合だ。寧ろ見せつけるかのように振る舞って見せていた。
いや、本当にこの時間を楽しんでいるのだろう。時間さえ制限がなければそれこそ【学園祭】が終わるまでそうしていたに違いない。
一見アルスを連れ回しているかのような構図だったが、本人も満更ではないようだ。
楽しんでいるかと聞かれれば、わからないと答えただろう。しかし、この時だけは何も考えずに過ごすことができていた。それを楽しいと言うのであれば、そうなのだろう。
周りの視線は気にならず、フェリネラが手招きしては手を引く。アルスはやれやれといった風に色付いた空間に入って行くのだ。
二人は歩きながら訓練場の前で立ち止まった。
「惜しいけど、そろそろ時間だな。戻る前にここも見ておきたいんだが」
時間を確認したアルスにフェリネラは満足そうに頷いた。
本音を言えば自分も反射的に時間を確かめていただろう。それほどまでに時間が過ぎるのが早い。
回っていない場所も多くあるのだ。これからという時にお預けを喰らってしまった。
わかっていたこととは言え、上手く微笑むことができた自信はない。
童心に戻ったように何もかもを忘れて一緒にいる、それだけが気候を操作したように温暖な風を内に吹き込ませていた。
跳ねる鼓動が次第に鎮静化していくと、自分の状態を理解するのだ。そんな自分自身にフェリネラはこう告げる。
(そんなに気を落とさないで、次はもっと楽しいわ。もっと素敵な時間になるのよ)
これが最後でない、これが始まりなのだ。
一人の男に染まって行く――夢中になっていく自分が少し誇らしかった。知らない自分に出会えたのだから。
「アルスさんも楽しんでいただけましたか?」
破顔で問い掛けるも少し声が震えていた。
「これで独りよがりでなければなぁ」そう心の声が確認の言と姿を変えて口から放たれる。
「あぁ、久し振りに楽しめたよ」
まだ喧騒は近い。
それでも二人の間で妨げる障碍はない。糸が切れたように心なし冷気を含んだ風が二人を撫でるように通り抜けていく。
アルスの方が一つ年下であるにも関わらずそう感じさせない大人びた仕草にフェリネラは一拍分喉を詰まらせた。見惚れていた。
そしてゆっくりと大きく呼吸をすると「私もです」と今度は自然と満面の笑みを浮かべる。
「フェリは本部に戻るのか? 俺は一応あいつらの様子を見ておきたいんだが」
「それでしたら私もご一緒させてください。訓練場での模擬戦については進行状況しか報告を受けていないので、一度見ておいたほういいと思いますし」
「そうか」
無論、あいつら、というのが今も模擬試合をしているであろう彼女たちのことだ。
二人の思考が初めて訓練場に向いた時。
二人を追い抜き続々と訓練場へと走って行く生徒や客の姿に小首を傾げる。
「随分と盛況みたいだな」
「ですね。この時間ですともうデモンストレーションは終わっていますので、模擬戦ということになりますが」
確かに【学園祭】における模擬戦は一番と言って良いほどの人気があるが、これは例年通りだろう。
アルスはそう思ったわけだが、フェリネラは予期しない盛況ぶりに驚いているようだ。
というのも明らかに模擬戦に参加しない人たちまでが観戦のために集まってきている。それは広大な訓練場を以てしても収容できないほどだ。
訓練場内での歓声が熱気となって入口から吐き出される。これは入り切らない観戦者が出入り口にまで溢れてしまっていることを意味していた。
訓練場内での模擬戦がどのように行われているのか。
これはフェリネラが最も詳しいはずだが、アルスも警備上把握している。
4つに仕切られた訓練場では毎回4人が相手をすることができるが、これは一人に掛かる負担が大きいため選手サイドではローテーションが組めるように倍する人数が控えている。一日に行える試合数は百近いのだ。
そこでアルスはふと気になる。
「そういえばフェリも参加するんじゃなかったか」
「私は運営委員のほうがありますので、明日以降にしてもらっているんです。初日が一番大変ですからね」
アルスは「あぁ~」と中身の乏しい相槌を打つ。
そんなことをイルミナも言っていたような気がする。初日の人数割りが多いのはそういうことかと考えた。
「でもこんなに大勢見に来ていただけるのでしたら、明日以降も大変そうですね」
「頑張ってくれ、警備のついでに覗きにでも行くよ」
「はい。でも、アルスさんも協力してくれていいんですよ」
冗談めかした口調で告げるフェリネラは未だ余韻に浸っているかのようだ。
「そりゃイルミナ先輩に怒られそうだ。今日は碌な仕事をしていないからな」
「イルミナは怒らせると怖いので私もこの辺でやめておきます」
他愛もない会話をかわして訓練場内へと踏み入る。
もちろん一般入場口から入ったのでは内部の様子を窺うので相当な時間が掛かってしまうだろう。
というわけで委員長権限もとい、フェリネラの知名度を有効活用し、選手控室から通る。さすがに関係者以外立ち入り禁止の札があろうと問題はない。
訓練場を本校舎側まで周り込む。
もちろんこの通路は普段授業で使うことが多い。そこから中に入るとすぐに更衣室があるのだ。
選手たちやそれを補助するスタッフがフェリネラを見ては軽く頭を下げる。いつもならば挨拶の一言もあるはずだが、それだけ忙しいということだろう。
模擬戦では毎年同じことが繰り返されるわけではない。
簡単に言えば、軍人さえもまれに参加する。その場合は生徒に華を持たせることがままあるが、稀に戦闘不能にまで疲弊させられる生徒も少なくはないのだ。
だから毎年多めに予備がいるのだが。
フェリネラは今年もまた何かあったのかしら、と内心で感じる嫌な予感とともに口を開いた。
更衣室を通り過ぎ、控室よりも先に訓練場で今まさに行われているであろう模擬戦の様子を窺う。
通路としてそれほど入り組んではいない。このまま直進していけばいいだけだ。
そこはまるで世界その物が突飛過ぎる変貌を遂げたように、熱気を取り入れている。先ほどまであった濁流のような歓声は静まり不気味な静けさが降りていた。
観戦者たちは息を呑みように拳に力を込めながら押し黙ったような緊迫感がある。
そして二人は訓練場内へと入った。目を細めるほどの光量。
ここからは選手専用の通路が確保されているため、広大な訓練場内でも比較的観客が少ない場所だ。
選手控え室側から模擬戦を行える区分けされた4つの試合場。
三分の一ほどが当てられ、残りのスペースは近づかないようフェンスが立てられてる。
当然、二階部にある観戦席は満員。通路にまで立ち見が出ているほどだった。
そして現在試合は1箇所で行われている。そう4箇所ある内の一つだけだ。
しかし、アルスがそこに視線を向けた時、眼が細められた。
「また変なことになってるわね」
誰に発し言ではなかったが、それに申し訳なく応える人物がいた。
「すまん、委員長」
隣で後頭部に手を持ってきてすまなさそうな声を上げたのは学内でも別の意味で人気が高い男子生徒だ。
3年生であり、彼はこの訓練場における模擬戦の纏め役を任されている。
「ベイス先輩、試合形式の変更は現場にお任せしていますのでお気になさらないでください。それより何があったんですか?」
フェリネラが先輩という言葉を用いたのに少し新鮮な気持ちを抱くアルス。
説明の邪魔をしてはまずいと口に出すことはなかった。というのも現在注目を集めている試合場ではテスフィアとアリスが戦っているからだ。
無論、仲間同士、大会の再現なんてことはない。その証拠に確かに三人目が存在する。
鮮やかな刺繍の施された真っ赤なローブ。
引き摺っていしまうほど裾が長く、袖も手を覆うほど余っている。明らかにサイズを間違えたような風貌だった。
そしてまだ子供ように幼さが見える。鮮やかな金色の髪は肩甲骨辺りから色を変え深紅に染まって行く。
外見からはロキよりも年下に見えるほどだった。
しかし、そんな単純でないことにフェリネラも気付く。
そうAWRすら持たずにテスフィアとアリスを指導するように手玉に取っているのだ。
圧倒的な実力差。
テスフィアとアリスは単純な戦闘力ならば4桁を切っていても不思議ではない。無論、外界でこの評価は当てにならないのだが。
そんな二人を同時に相手取る。
しかも教育者のような戦いであることをアルスは理解する。二人が至らない点をわざわざ突いているのだ。魔法の威力で押すのではなく、魔法個々の弱点や足運び、接近戦における技と技の連結時に起こる無駄な動作を的確に突いていた。
二人は全力を尽くしている。それこそ外見に惑わされないほど真剣な表情だ。
そこで説明を求められたベイス――デルカ・ベイスが短髪で整えられた髪を軽く撫でた。
「あの子が突然一番強い奴と相手をしたいと言い出したんだ。俺はこの通り監督責任があるからな、一応1年生の二人の名前を上げてどちらを希望するか訊いたんだ。本来なら受付で済ませて貰うことなんだがな。それにどう見ても来期の入学希望者には見えん。というわけで受付も困り果てていたんだ」
そこで騒ぎになる前にベイスが割って入ったということらしい。
「随分と偉そうな奴だったが、聞けば彼女は、その……見た目以上の歳らしくてな。もちろん身分証も見せて貰った。アルファ軍所属だったからな」
「それで許可したのね」
「そうせざるをえんだろ」
ベイスの言うように自国の軍関係者であるならば断る理由などない。ましてや生徒が勧誘されるかもしれないのだ。
ベイスは知らないが、軍では個々の力量を計るためにタッグ戦を組ませることがある。これは連携など即席でどこまで動けるかという団体戦における個人の力という見方からだ。
予測できない動きの対応力、その中でどれだけの力を発揮することができる。二人における戦闘の相乗効果がプラス域ならば上々。逆に一人のほうが十分な力を発揮できるのであれば未熟と言わざるを得ない。
アルスの記憶には少女のような魔法師はいなかったはずだ。いや、それも結局正確ではない。孤立したように活動していた彼には軍内部の人間など1割すら記憶していないだろう。
訝しむような視線を向け今も二人がかりで試合をしているテスフィアとアリス。
彼女たちには悪いと思いながら相手の動作を機微に観察する。ローブから腕が出ることはない。これは魔力の動きを覚られない為の措置なのだろう。
しかし、生身で二人のAWRを掴み押し返す姿は圧倒的なレベルの差を感じさせる。
すると背後から見知った顔が近づく――なお少々膨れっ面だったが。
「アル……」
「ロキか、どうした」
「一体どこにいたんですか」
というのもロキも今し方休憩を取っていた所だ。僅かな時間であろうともロキがアルスを探しにいくのは扱く当然のことだった。
しかし、いると思われる場所におらず、渋々戻ってくるとあろうことかフェリネラと一緒にいるではないか。
ロキの心証的には納得できない、という思いが湧く。
「フェリネラと食事を取っていたんだが、こっちは妙なことになってるようだな」
ロキは一度フェリネラへ向かって獣が威嚇するように唸って見せてたが、すぐに密着するように近づくと。
「私がいない間に来たようですね」
「そうか……」
知らないのならば仕方がない。しかし、このべたべたとひっつくのはどうにかしてもらいたいと視線を戻す。
――!!
アルスは鮮やかに二人の魔法をかわし、反撃する女性と眼があった。それは見ずともテスフィアとアリスの攻撃を容易く往なせる確証の元だ。
そして口元が動く。
『やっときた』
彼女の小さな口が弧を作りながら、そう描いたのをアルスは見ていた。