度重なる女難
ノワール・ヴァリス・ウード。
彼女は来年第2魔法学院を志望する。仮に合格できたのならばアルスの後輩にあたるが、当人からしてみれば魔法の学び舎で後輩を持つという奇妙な感覚に見舞われていた。
生まれてこのかた後輩を持ったことなど一度としてない。そもそも後輩がいるから何かしなければならないという固定観念がいけないのだ。
軍で度々目撃されるペコペコ諂う姿は見ていて痛ましい。
魔法師は順位が物を言う。それに浸っている連中が順位を無視して先輩面する姿もまた痛ましいものだ。
だからアルスとてノワールが新入生として入って来たならば先達者としての立場を取るべきなのだろう。順位ではなく、一足先に学院に足を踏み入れた者としての。
そういう意味で言うのならば先輩とは先に見知ったことを後輩に伝え行く役割のことだ。それに対しての上下関係はあって然るべきだが、威張り散らすだけで役割を果たそうとしない者が軍には多い。
だからこそアルスの周りには人が寄り付かなかったとも言えるのだが。
無論、そんな面倒くさいことにならないことを願いながら、アルスは一通り本校舎内の案内を終える。
次は研究棟へと向かうのだが、予定より時間が早いためそのまま講堂へと向かうことにした。
ここは特段役に立つ案内ができる場所でもないのだが、時間から逆算すると隣接されているこの場所しかいけないのだ。
食堂はいつも通り通常営業だ。時間もお昼時と合って少々混雑していた。
食堂を案内し更に上階へと入る。
この建物自体は講堂を目的とされている。授業に必要な必需品などもここで揃えることができるが上階では会議や雑談ルームとしても用いられ、生徒の実習スペースでもある。
しかし現在は、というと。
「かなり人が集まっているな」
「そのようですが、一体ここは何があるんですの?」
明らかに年配の父兄が多い。
丸ごとワンルームを全て解放し訓練場のような一つの大部屋が出来ている。
「今は理事長が学院の説明会をしている所だな」
そう言ってアルスは時間を見て。
(こっちも大変そうだ)
「今で大体3回目になるか」
「結構な人の入りですのね」
「そうだろうな、今年はいろいろ変更があったからその説明も兼ねている。どうする聞いて行くか? 試験を受けるのであれば重要な事だと思うけど」
少しの間ノワールは陶器のような顔で考えると。
「いえ、せっかく先輩が案内してくれていますので今日の所は遠慮しておきます。また明日にでも受けに来ますので」
「そうか」
本人がそう言うのであればアルスとしても厄介払いはできない。なんて人聞きの悪い思考は一端閉ざすとして。
時間を見計らいながら講堂を後にする。
ノワールに対して違和感を感じたのはある一幕があったからだった。それは研究棟へ入ったすぐのこと。
ここでは主に教員主導の元生徒のグループが研究成果を発表している場所でもある。それ故に数少ない学問の領分だ。
場所は2年生を担当している教員が多い3階で起きた。見物に訪れる人はやはり研究者肌の者が多いようにも見受けられる。
そんな中において明らかに不審な者がいた。白衣のようにゆったりとした袖から覗かせる小型の盗撮機。
こういった研究成果は他国のスパイ活動の標的になることも少なくはない。そのため学院では研究棟の撮影機材の持込みを禁止しているのだが。
さすがのアルスも眼の前でそんな杜撰なことをされて黙っていられる立場でないことは承知していた。無論現在は案内役として時間を貰っているが、腕にはしっかりと腕章が付いている。
「はぁ~、悪いノワール。少し待っていてくれ」
一瞬で男の傍に移動するのは現場を抑えるためだ。
腕を捻り上げ高々と掲げられる男の手にはしっかりと撮影用の機器が握られている。
「悪いですがご同行願えますか?」
「な、なんだね君」
男の叫びは周囲の関心を引く程度の効果はあったが、手に持っている物を見ると冷たい軽蔑の視線へと変わる。
言わずとも男の罪を察せない者はいないだろう。さすがに企業スパイなんて言えば大袈裟だろう。学院の、それも生徒が関わっているプロジェクトなのだから。
まったくないとは言えないが的外れな感は否めなかった。
アルスは腕を背後に回させ、手から証拠を掠め取る。
研究棟にも数名の警備が配置されているはずだが死角を突かれたということなのだろう。
すぐにコンセンサーで救援を呼ぶが。
「私が何をしたというんだ」
「往生際が悪いんですのね」
そう声を発したのはアルスではなく一部始終を静観していたノワールだった。
淫靡に口元に指を当て上気した頬は仄かに赤い。
そのまま冷笑を浮かべながらコツコツと歩を進め。
「時間は有限にして価値ある至高品ですのにねぇ~」
男の前まで来ると顔を覗き込むように表情を歪める。
「ねぇ~そうは思いません?」
「――――!!」
男は顔を引き攣らせて身体を硬直させた。
「悪いなノワール。これは俺の仕事だ」
腕を差し込んで遮るアルス。
危険を感じたというわけではなかったが、あまり近づけさせないほうが良いと直感的に判断しての行動だ。
どのみちこちらに向かってくる警備に引き渡すだけの簡単な作業だけで時間的なロスは少ない。
予想通り引き渡すだけで事無きを得る。
そして案内が再開されるころにはノワールの機嫌は嘘のように戻っていた。それでも先ほどのことを忘れたわけではないようだ。
如いて言えばアルスの手腕について。
「先輩も体術に覚えが?」
ワザとらしく視線を中空に据えて発するノワール。
アルスの答えも平凡で在り来たりなものだった。
「まぁ、人並みにはな。俺のは我流もいいところだから見ても参考にならないぞ」
「まっ! 御謙遜を。あれだけの技術はその辺の学生には体得し得ないものと思います」
鋭い、と思うのは彼女も体術を修めていると言えるほどのレベルにあるからだろう。
「それに人体の壊し方を熟知している」
ボソリと呟かれた言葉はアルスの台詞と運悪く重なった。
「魔法師と言えど魔法だけでは生き残れない世の中だからな、鍛えて損をすることはないさ」
口がひとりでに言葉を発しているような違和感をアルスに与えたが、それほど本人は気にせず饒舌になっていく。
アルスの性格からして初対面でこれだけ口数が多いというのは不自然なことだった。
面倒くさがりであり、わざわざ案内している自分に虚像が張り付いている。その場の流れで逃れらなかったという免罪符がアルスの思考を遮っていた。
何故ここまでしているのか。それに気付けるのは第3者の存在だけだ。
だから研究棟の説明よりも歩きながら話した内容はアルス自身の人と成り。どういった考えを持っているのか。
そういった思考回路の構造を曝け出していた。
靄が掛かったような甘い香り。
ふと気付いたアルスは正門の前でちょうどノワールと別れるところだった。
「今日はお忙しい中ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。俺もそこそこ楽しかったしな」
今も正門から訪れる人の数は多い。
波に逆らうようにノワールは淑やかな動作でお辞儀する。何度か立ち止まっては振り返るが次第に彼女は解けるように人ゴミに消えて行った。
アルスは最後まで見送り、振り返り様鼻を擦る。
「変わった奴だな」
そう感想を述べて見てもアルスの知る貴族を思い浮かべまともな奴がいないことに苦笑いを浮かべた。
(そういうものか)
また本校舎前まで歩き出す。
出店を一瞥して耳に手を押し当てる。一応連絡は入れた方がいいだろう。
時間を確認するために視線を上げた。本校舎に備え付けられている大時計を見る。
(こんな時間だったのか)
アルスは「おかしいな」と唸る。
体感だろうと10分もオーバーするなんてことは今までに一度としてなかったことだ。
一先ず謝罪が先だろう。
(それにしても一本ぐらい知らせてくれてもいいのに)
と考えながら応答を待つ。
「イルミナ先輩ですか、すみません」
『やっと繋がった。アルス君コンセンサーは外しちゃダメよ。以後気を付けてね』
「え、はい」
この返答はアルスからすれば理解できないものだ。
コンセンサーを耳から外した覚えはない。今の連絡も着ける工程がなかったのだから最初から着けていたことになる。
アルスが疑問を呈す……直前。
「アルスさ~ん」
うわっと思ったのは無論内心での事だ。
その人物に対してではなく走ってくる女性の上下に揺れる第一級危険指定物に対してだ。
「フェリ、先輩?」
と言い直したのは未だ通信中だからだ。
アルスの目には本校舎から出てきたフェリネラが人目を気にせず満面の笑みを浮かべて走ってくる姿だった。
ただし女性の胸はあんなに揺れる物なのかという率直な感想は内に留めておく。
見れば周囲の男たちも皆一点に熱い視線を注がせていた。
学院の制服を着用しているフェリネラはいつもとなんら変わらない。
しかし、貴族らしい立ち振る舞いを心掛けているTHE淑女な彼女からしてみれば走るというのは妙な感じだ。というか初めて見たとさえ言える。
きっと艶やかな黒髪から男を一撃でのしてしまうほどの仄かな香りを振りまいているのだろう。
彼女を中心に時間さえも動きを止めてしまっているようだ。
そして短くも長い時を走りフェリネラはアルスの元まで来ると言葉を発する前に身嗜みを整えた。
そこはしっかりと体裁を取るのだからよくわからない。
「アルスさん、少しお時間ありますか」
「え、いや、今警備の仕事に戻るところだったんだが」
「――!!」
明らかに気落ちするフェリネラは手櫛で髪を整えながら必死に落胆していないことを装う。
「せっかく時間ができましたのに……」
聞えよがしな言葉。
アルスは反応に困った。
そんな心中を察したのかコンセンサーの先で盛大なため息が漏れた。
『アルス君、フェリと代わってもらえる』
「い、いいですけど」
そうしてアルスは耳に付けているコンセンサーを外しフェリネラに渡す。
その際、少し顔が赤くなったのは気のせいだろう。
「何イルミナ?」
『アルス君はこれから仕事に戻ってもらうところだったのよ』
「そう言わずに、ねっ。少しだけ、ダメ?」
『あなたはいつもそれで通ると思っているの?』
「通るように運営委員を調整してきたもの。後はイルミナの腕次第といったところかしらね」
アルスは皮肉っぽい言葉に眉を寄せるが、黙して傍観した。
『無駄に優秀……』
「えっ、何?」
『いいわよ。少し調整するけど皺寄せは来てるんだから、そこの辺は理解しなさい』
「はいはい」
『はぁ~アルス君は確かまだお昼休憩を取ってなかったから30分だけだからね。ホント! ちゃんと食べさせておいて』
投げやりな言葉にフェリネラは喜々として返す。
「そういう合理的な理由を付けるところ嫌いじゃないわよ」
フフッと返すフェリネラに対しての返答は、プツッという通信の遮断で終わった。
アルスの介入しないところで何かに決着が付いたようだ。
コンセンサーを返すフェリネラの表情を見れば大方察せてしまうのが何とも……。
「アルスさん、まだお昼を取ってないんですってね」
「あ、あぁそんな時間なかったな」
別に空腹というわけではないが、お腹が空いていないなどとこの流れで口に出すことはできない。