志望生
アルスはテスフィアが作ったとされる犬? を見て眉を寄せた。
形は兎も角として、制作者がテスフィアというだけで付加価値が付き過ぎやしないかと思うのは高価な品を提供したアルスだから感じることなのだろうか。
これは【学園祭】なのだ。客層からしても若年層をターゲットにしているのだからそれもありなのだろう。
そう思いに耽るようにクラス内を見回すと、そうとばかり言えない光景が広がっている。
最初に入った時にも気付いていたことだが、できればそうであって欲しくないという願望が目を逸らしていたように思えた。
確かに射的という子供向けの出し物では自然と客層も親子連れなど特に子供が多いのはわかる。
学院の生徒が多いのも美少女三人の手製という情報をどこからか聞き付けたのだろう。狙いがあからさまだ。
そして見るからに軍関係者もしくは生徒。この場合、魔法師と一括りにしたほうが早いだろう。
大の大人が子供用の射的に無我夢中になっている姿は実にシュールだ。もちろん狙いはアルスが提供した品々なのだからなるべくしてなった光景に思われた。
苦い表情をそのままシエルへと向ける。
「こういうこと。アルス君が出したAWRの人気が凄くて、それ以外も競争率が高くて大体年代別に分かれてるよ。生徒も上級生は皆あれ狙い」
シエルは直接AWRを指差さずに壁に張られている張り紙を差した。
それは各品々、景品についてのお品書きだ。
釘付けになっている客を見るとAWR技工士のような男も入れば、軍人のような体躯の引き締まった男もいるし、当校の制服を着用している所からわかるように上級生もいる。
無論、列を覗けば他校の生徒もちらほらと見えた。
「なるほどな。それであれを直で買い取りたいと言い出したわけか」
「うん。決まりは決まりだし、あまりにも大金だったから逆にね。でもそれを狙いに来ていた上級生の人が抗議して、結果は見たまんま」
「まぁ値が張るのは事実だからな。表向きは利益を目的にしているわけじゃないから、それで正解だ。また難癖を付けてくるようなら警備に連絡してくれれば本部から俺にも伝えてくれるはずだ」
「うん、ありがとう」
さっさと切り上げるにはそれなりの理由がある。
もう一度アルスは室内を見渡し廊下にいるだろう列を思い浮かべた。
(長居したら手伝えとか言われそうだな)
すでに8人動員しても手が足りない様子だ。さすがに今更手伝えとは言われないまでもさぼっていると思われては元も子もない。
アルスは教室から出る為にシエルに背を向けて「頑張ってくれ」と他人事のように発した。
しかし――。
ドアの前には出入り口を塞ぐように一人の女性が立っていた。
当然、騒ぎで列が乱れたものの今は再整列しており、アルスは当然次の客だろうと思い、軽く目を伏せて端に避けた。
脇からシエルが覗き。
「あ、ごめんなさい。空きましたらお呼びしますので」
その言葉に女性は可笑しそうな笑みを浮かべてアルスへと視線を固定する。
「いいえ、客ではありませんの」
表情は笑顔を作っている。しかし、薄らと開いた眼がアルスと重なった。
「はじめまして、先輩」
優雅に腰を折りその女性は膝上の裾広がりの黒いワンピースの端をチョコンと摘まむ。身体の曲線を強調するような服装だ。
真珠色に近いグレーの髪は緩やかなウェーブが掛かり顎下を擽るように毛先を跳ねさせている。
服をきつそうに押し上げる双丘。まるで女性が理想とするプロポーションを体現していた。そんな魅力的でありながらまだその顔には幼さが窺える。
アルスとシエルは彼女が言うように初対面であることを確かめるように顔を見合わせた。
ただシエルに関して言えば先輩という言葉に衝撃を受けているようだ。
「嘘! 年下!?」
と決めつけるのは早計なのだろうが、相手から否定の言葉はなかった。
「はい、来年第2学院を志望していますの。7カ国魔法親善大会での先輩の活躍を拝見しました」
アルスはそう笑顔を振り撒くだけの彼女に何を言えばいいのかわからない。こういう時に面倒くさいという思考が先に立ってしまうのは悪い癖なのだろう。
「先輩?」
そんな気難しそうな顔を見て女性は慌てたように「あっ!」と声を上げ、胸にそっと手を添えた。どこか貴族然とした所作が垣間見える。
「失礼しました。私はノワール・ヴァリス・ウードと申します」
艶やかに微笑むノワールにアルスは目上としての立場を意識して自己紹介に応じた。
「初めましてノワール嬢……」
礼節には礼節を以て応える。この学院に来てから初めてのことかもしれない。
しかし、7カ国魔法親善大会においてアルスは欠場したため試合に感銘を受けたというのならまだロキのほうがしっくりくる。
そんな物好きがいたということにアルスは「そんなこともあるか」と内心で呟いた。
この【学園祭】においても7カ国魔法親善大会の影響は大きいということなのだろう。
「先輩、敬称なんて付けないでください。ぜひ呼び捨てで呼んでください先輩。御察しの通り貴族ではありますが名ばかりですの」
小笑いを挟むような指摘にアルスは了承する。
こんなやり取りに時間を割くのは無駄ではあるが致し方ない。
「ノワー……ル、俺もこの通り警備として来ていますのであまり時間が取れず申し訳ない。また機会があればその時はゆっくりと」
いきなり呼び捨てというのはかなり違和感があった。いずれ先輩後輩の関係になるかも知れないとはいえ初対面で近過ぎる距離感はアルスでは如何ともしがたい。彼女が望んでいなければ間違っても呼び捨てなんて選択は取らないだろう。
結局その場凌ぎの言葉を用いて一時退却を図る。
できればあまり会いたくない予感もした。女難の相でも出ているのだろうか、と思うが。
(今に始まったことでもないのか……)
脇を通り抜けようと廊下に出た瞬間だった。縋るように袖を引かれ。
「待って下さい! 先輩、少しだけお時間いただけませんか。この学院に来たの今日が初めてで、ご案内を少しだけ先輩にお願いしたいんですの……」
更に教室のドアからわざわざ顔だけを覗かせたシエルが目と口を意地悪そうに曲げた。
「まさか年下の子を無下にしたりしないよね、アルス君?」
そんなことを言い出すシエルにアルスは内心で「シエルも悪い意味で慣れてきた」とぼやく。誰かの影響なのだろうか、彼女自身が元々こういう性格だったのか。
どちらにしても近過ぎる距離感を感じたのはこの時だった。
それに加えてこの状況だ。
廊下には列となっている人が多く。こんな状況で断る男は早々……。
「ノワールさん、悪いけど今は仕事中だから」
ここにきっぱりと断る男がいた。さすがに軍で任務をこなしてきただけはあると本来ならば言い切っても良いのだろう。
しかし、この学院という若者が切磋琢磨する青春の一ページとしては勿体ない。という視線が全方位から浴びせられたのは言うまでもない。
「ダメでしょうか」
こんな非難のような視線を浴びせられての追い打ち。
もちろんアルスにも事情がありノワールの言っていることのほうが無理難題なのだが。
「はぁ~聞くだけ聞いてみるけど、それでダメだったら聞きわけてもらうよ」
盛大に吐き出したため息は口に出せないもどかしさ故だろうか。
アルスは逃げるように背を向けて耳に手を当てた。
そしてたった数回のやり取りでアルスは肩を落とす。
「20分だけなら……」
アルスの返答にノワールは「ありがとうござます」とにこやかに笑み、それを見ていたシエルが満足そうに頷く。
廊下の人だかりでさえチラホラと拍手が聞こえたのは気のせいではないだろう。
一部やっかみも聞こえてくるのは相手が相手だからだ。年下には見えないプロポーションを持った美少女。可愛いというよりも美しい、綺麗などの表現が合う人物。
周囲で見えていた青春真っ盛りな若者の胸中を表すなら分不相応といったところだろうか。もちろんただのやっかみなのだが。
シエルに見送られてバージンロードと化した学院の廊下を二人並んで歩き出す。
限られた時間内では全てを案内することはできないのでいくつか絞る必要がある。しかし「どこを見たい?」などと聞いても返ってくるのは本当に案内が欲しいのか? と思ってしまうほど当てもない。
それも今日が初めての来校なのだから施設の配置などわからなくても仕方がないだろう。アルスも案内として説明が必要な箇所があればわざわざ時間を作った甲斐もあるのだが。
ノワールにはこれといって行きたい場所がないらしい。というよりもわからないらしい。
そんなわけでアルスは現在いる本校舎から得意分野である研究棟への短いルートを選択した。
廊下を歩いている二人。
しかし、アルスはこの喧騒の中であることが気になった。
「ノワールは何か格闘技とか修めている?」
「えっ! なんでですか?」
そう反問するノワールは肩を一瞬震わせた。
「いや、綺麗な足運びだと思って……」
「――――!!」
少しだけ前髪の下で眼を開いた彼女は笑顔でない時の自然体の表情が少し硬い印象を受ける。気難しいといった具合に本当に驚いているのか判断しかねる。
「さすが先輩です……よくわかりましたね」
「そりゃ音もなければ、重心の移動が滑らかだからね。これなら入学も間違いないんじゃないか?」
「だといいのですが」
「魔法師としての素質は魔力が根底にあるからな。まぁ、難関らしいが見る者が見れば大丈夫さ」
などと気休め程度の言葉を投げかけるが、実際のところアルスは裏口入学なので試験については何もしらない。
だが、それを差し引いて余りある技術が歩運び一つに集約されている。そうアルスは思った。
「そう言えば先輩の試合を大会で拝見したのですが……」
アルスは何の気なしに相槌を打つ。
そうでなければノワールがアルスを尊敬するという事態にはなり得ないと考えたからだ。
「先輩の……系統って何ですの?」
いつの間にか一歩分後ろを歩いていたノワールから紡がれた言葉は周囲の雑音を介さず直接アルスの耳へと運ばれた。
そして歩きながら横に視線を向けたアルスは往なすように。
「機会があればいずれわかるんじゃないか?」
皮肉めいた声音が混ざったのは魔法に関する互いの詮索をしないという暗黙の了解を矢面に出す為だ。
これから魔法師を目指すための門を叩くのであれば今の内に知っておくべきだし、気を回しておくべきだろう。
「そうですね。いずれ、わかりますよね」
こんな用意していたような返答が返って来たため、少し肩透かしを食らってしまうのだった。