日常再来
アルスとロキがアルファへと帰ったのは目覚めて二日後のことだった。
しかし、学院に登校したのはそれから三週間も経った後になってからになる。その間、何をしていたかというと、まずは今回の成功報酬としてべリックからの働きかけにより最初に鉱床で採取されたミスリルの塊を要求した。
十数kgのミスリル塊であるがそれぐらいの追加報酬はあって然るべきだろう。無論これはロキからの報告にあったようにトロフィーに使われているミスリルが少量であったためだ。
目論見通りに標的がSSレートに該当する事実を考慮すれば安い。ただこれを直接バルメスに請求するのが躊躇われた原因は今回の魔物をべリックがどう公表するかが肝になるからでもある。
アルスの存在を今まで公にしなかったことを考えれば何かしらの手を打つことも考えられた。
そのカモフラージュとしてレティ率いる部隊も同行させたに違いないのだから。
もちろんこの予想は案の定と言うべきか、アルファ本部に帰還した際に真っ先に念を押されたことだ。全部隊の総指揮を取っていたべリックがこの一件について虚偽の報告書を作成していた。
内容は【悪食】の討伐に関する詳細な経過報告書だ。一部改竄が見られたが概ね台本通りと言った具合で、アルスとレティ率いる部隊によって殲滅。自爆による余波で負傷等々。
嘘と歪曲で作られた報告書をアルスは鼻を鳴らしながら仏頂面で眺める。アルファ軍の、というよりはベリックの意向が多分に含まれていそうな気がしたのだ。【悪食】をSレートと記載することには随分と思い切ったことをすると感じざるを得ない。白々しく注釈で調査段階と付け加える辺り、ベリックの強かさが窺える。
いずれにせよ、アルスの異能を隠す意味でも、伏せざるを得ないのは事実だ。
これが一連の大まかな流れになる。道中クラマと思しき人物との交戦については克明に纏められている。
これらの事実確認はほぼ目を通すだけで済んだのだが、アルスには帰還後どうしてもやらなければならない約束事があった。
それはレティが数カ月かけて攻略していたバナリスの奪還作戦である。さすがに病み上がりとは言え完治に近かったアルスはすぐに出立した。
バルメスでの討伐以降、言わずもがなロキに対して行動に口を挟まない約束をしたため、当然パートナーとして同行。めでたく二人揃って学院を一ヶ月ほど休んだわけだ。
何よりもアルスにはどうしても外界に出て確認しなければいけないことがあった。
目覚めたアルスの体内に巡る異常なまでの魔力量が原因だ。本来ならば異能で吸収した魔力は許容量を大きく超えるためすぐに発散させなければ異能のコントロールが利かなくなる恐れがあった。しかし、今のアルスに流れる魔力量は以前よりも圧倒的に多く、不自然なことに鎮静化して馴染んでいる。
何はともあれ外界に出て魔法を実際に行使してみなければ自分の身体に何が起きたのかの見当が付かなかったのだ。
とまあそんなこともあり、レティたちの部隊が半年近く費やした奪還作戦も約二週間ほどで完遂することができた。ただ、その景観は損なわれたと付け加えねばなるまい。
地域の奪還時には様々な問題というか手間が必要となる。無論、アルスが加わったことで大幅に早められたのだが。
その一つが一掃された一帯に対して魔物が進入しないように防衛を徹底しなければならないことがある。実は国土を拡大するにあたってこれが現実的な問題の中で最難を孕んでいる。バベルの塔による防護壁の効力が弱まっているのは範囲拡大によるところが大きいためだ。ましてやバナリスはルサールカの排他的領地内に掛かっている。
ルサールカサイドではバナリスまでの国土の拡大は進んでいない。
これによってルサールカを焚きつけようとする考えもできる。領有権を主張しようにも現状ではバナリスで防衛網を築くことができないのだ。
これはアルファにも言えることで拡大する速度に合わせてバベルの防護壁以外の魔物を避ける手段がないことが原因だろう。
そのため、一掃した現在はレティの部隊が滞在し、アルファから様々な物資や機材が運び込まれている。そして最も急ピッチで進められているのがバベルの塔に変わる防護壁の開発だ。これは工業都市フォールンで試験的に試された物に酷似していると言えた。ただ当初の疑似防護壁とは違いその効果は格段に上方修正されているはずだ。それでもコスト的な側面で無視できないものがあるが、もう一基ぐらいならばどうにかなるだろう。
蛇足だが、アルスが奪還したクーベント大陸はすでに防壁が築かれている。ただ魔物を遠ざける効力がない。バナリスに比べて広い面積のため常駐している魔法師はいない。その代わりに常駐型のトラップは地雷原の如く無数に設置されている。
これもバナリスの奪還によりいくらか整備されるだろう。
未開地の最先端にあたるバナリスは今後7カ国が彼の領土を奪還するための要所となる可能性を秘めている。
来る日にはアルファからバナリスまでのルートを完全に掌握することも現実的となるはずだ。そうなればアルファの防衛ラインは格段に前進する。これが夢でなくなった背景にはやはり現1位の存在があった。
そんなこんなでアルスとロキが学院で久し振りに登校したのはすっかり気温も落ち着き……寧ろ寒くなりつつある11月半ばのことだった。
久し振りに規則正しい? 生活は日常に変化がないことを嬉しくもむず痒さを伴うものとなる。
「やっと来たわね」
「久し振りアル、ロキちゃん」
「お久しぶりです」
登校直前、研究棟を出た辺りだった。テスフィアとアリスが並んで声をかけてくる。両者ともに待ちくたびれたと言いたげだ。特に待ち合わせをしているわけでもないが、帰って来たことを知っていたのだろう。もしかすると外から部屋の明かりでも見えたのかもしれない。
二人ともカバンと一緒にAWRを持参している。
ロキが決まり文句で返し、アルスは一瞥して学院に向かって歩き始めた。
「それにしても1カ月も休んだらさすがに進級も不味いんじゃない?」
「大丈夫だろう。事情説明は理事長にも入ってるだろうし、単位の免除も有効なはずだ」
足早に隣まで並ぶと珍しくアルスの心配をするテスフィアに答える。
その反対側をロキが満足そうに、ともすれば何処か嬉しそうに並ぶ。
「アルもロキちゃんも遅いから心配したよ」
どこか心労が去ったように苦笑を浮かべるアリスには罪悪感が湧くもののこればかりはどうしようもない。
「まぁ、こっちもいろいろあったからな」
「ふ~ん。そうなんだ」
どこか含みのありそうなテスフィアの相槌だが、それ以上続く言葉なく。
「なんだ珍しく訊かないのか?」
「訊いたら教えてくれるの?」
「いいや」
ぶすっと頬を膨らませたテスフィアだが、すぐに頬がしょぼみ「だから訊かないの」と先読みした解答を提示する。
アリスも似たような表情で追及の言葉は口にしなかった。
だが、二人に共通して言えることがある。それはアルスの個人的な行動ではなく、軍、如いてはべリックの命令によるものだと知っているからだ。そこには当然言えないことも存在し二人はそれを理解していた。
アルスやロキにも当然口外できるようなことではないので漏洩することはできない。
しかし、それを鑑みても二人の口調には含みというか感付いている節があった。
何故か追及する気にはなれず話題を変える。
「まあいい。二人とも訓練は続けているよ、な?」
さすがにここでギクリの反応でもあれば理事長に直訴しても良いのだが。
「当然」
「もちろんだよ」
胸を張りそうな強気な言葉が口元で待機していた。
そうでなければ訓練の成果が水の泡だ。才能云々は抜きにしてもやる気だけは人一倍なのがこの二人である。ところがテスフィアとアリスの表情はそれに留まらない。
「ふふ~ん、絶対驚くわよ」
「ねぇ~フィア」
その意味ありげな言葉にアルスは「まさか二人ともクリアしたのか!」と驚愕の声を上げてしまった。
正直サルケロイトの外殻を使った魔力反発する訓練棒による訓練。魔力操作は一朝一夕では身に付かない。それこそ才能があればこそだろう。
ここまで短期間でこれた時点二人は優秀と言える。だが、更に難度が上がっている魔力操作をクリアしたとなれば常人を凌駕する才能だが。
「えっ……いや、その……そこまでは~」
アリスが落胆の翳りを見せ。
「ちょっと、ハードル上げないでくれない! これでも見違えるほどには長時間維持できるようになったんだから」
取り越し苦労なのだろうか、とアルスにも期待し過ぎたかという苦笑が零れた。
いや、事実そうなのだろう。いや、二人の成果がどれほどまでかはわからないが、見違えるほどというのは常軌を逸した成長速度には違いないのだ。
「まぁ、それは放課後見せてもらう」
「えぇ、期待していてちょうだい。でも、期待はし過ぎないでちょうだいね」
「どっちなんだ」
「ちょうど良い具合で……」
「フィア、回りくどいよ。アルに褒めて貰いたいだけなんだから」
「ちょっと!」
慌ててアリスの口を塞ぎに掛かるテスフィアの顔は少し赤みを帯びていた。
「俺の予想を良い意味で裏切ってくれたらな」
と、ぶっきらぼうに答えるアルスに呆れたようなため息が返ってくる。
褒めて貰う、という語句においてロキの鋭い視線がアルス越しにテスフィアとアリスへと注がれていたことに気付けた者はいない。
こんなやり取りが日常に戻ったことを自覚させられるのは釈然としないながらも変わらない時間の登校は過ぎていく。
本校舎へと続く通学路は主に女子寮から向かう道と被るため、比率で言えば男子生徒よりも女子生徒の方が多い。というのも立地的な理由から男子寮は本校舎までの距離ではなく方角が違うためだ。
それでも男子の数がちらほらと見えるのは思春期真っ盛りということのだろうか。
だが、道中アルスに続きロキも異様な雰囲気に訝しげな疑問を浮かべた。特段気に掛けるようなことでもないのだが、職業柄いつもとは違う雰囲気を機微に感じ取ってしまう。
遅刻間近だというのに誰も急ごうとしない、のではない。アルスたちは十分な余裕を持って登校している。極端に生徒が少ないというのでもない、これもいつも通りで仲の良い者同士で歩く姿が前後左右に見て取れた。
では何が違うのか、それは早朝だというのに会話する口調がどこか色めいていたからだ。期待に羨望、詮索に疑惑。様々な感情が入り混じっているものの、それらは朝早くだというのに弾んでいる。
そんなアルスとロキの反応を面白がるようにテスフィアがニコッと意地悪っぽく微笑んで肩を竦めながら口を開いた。
「すぐにわかると思うわ」
「だね、連日持ち切りだから」
と賛同の言を嬉しそうに挟むアリスは横一列の端から腰を折って視線を投げかけてくる。