才能の一端
見てやると言ったものの今やっている魔力操作は初歩の初歩だ。それで躓くからと言って二人が未熟であるとは言い切れない。
この技術は魔物と戦うに当たって必要不可欠なものだが、本来ならば長いスパンでコツコツやっていくものなのだ。
だから、アルスの予想では棒を使った次のステップに進むのは少なくとも一カ月以上後のことだろうと思っていた。
しかし、どうしてか。
素直に自分の教育者としての才覚が芽生えたかと錯覚を起こしそうなほど二人は昨日と見違えた。
無論本人達の弛まぬ努力の末である。ただ、昨日の今日だ。いくらなんでもこれは……。
「そこじゃない。指先に集めろ」
アルスはお互いを抓らせた上で、二人の指先に自分の魔力を僅かに触れさせた。もちろん反発はあるのだが、それによって体内の魔力をより認識し易くなり、尚且つ明確な指針を得られる。
すぐには棒を使った魔力の抑え込みまでは到達できないだろうが、それも時間の問題だろう。
すでに二人は魔力を知覚し始め、体内を巡る全ての魔力ではないにしろ指向性を与えられるまで掴んでいた。
昨日のようなことにはならず、二人の魔力が少しずつ指先に集まっていく。
「集中を途切れさせるなよ」
二人の場合、無意識下での影響を受けやすいため指先に集めた魔力を停滞させる命令も下し続けなければならない。
でないと……。
「ちょっ! 黙ってて」
などと悪態を吐けば、命令が取り下げられて指先に集まっていた魔力が抓った箇所へと流れ始める。
「――――!」
「ほれ見たことか」
アルスは呆れ混じりに溜息を付いた。
その直後。
「もうダメ……」
アリスも集中力が切れたのか、汗の掻いていない額を軽く擦る。
実際に魔力を使っているわけではないので魔力の枯渇による体力疲労はない。その代わり、精神的な面でのフラストレーションは溜まることだろう。
一息入れるにはちょうどいい。
「少し休憩を挟むか」
ぐったりとした頷きで同意を得る。
この休息はテスフィアとアリスのためのもので、当然その間アルスは自分の机へと腰を落ち着けた。
綺麗に整頓された資料は探すのも苦にならず、思いのほかすんなりと切り替えることができた。
「そういえばアルは何の研究をしてるんだっけ」
「まだ聞いてなかったね」
興味深そうに爛々と輝いた視線がアルスへと向けられる。それは単純な好奇心からのものだろう。
「転移系魔法を実戦で使えないかと思ってな」
校内にある転移系魔法サークルポートはアルスが考案した空間干渉魔法の副産物だ。空間干渉魔法とは厳密には存在しないことになっているため、理論的な論文を発表しただけだ。もちろん自身で実験済みだ。
アルスの研究はその手のものが多い。本人は魔法師全体の底上げを図って新たな魔法を生み出しているつもりだが、基本的に既存物から掛け離れた構想は同時に多くの利用形態が生まれるのだ。
この場では余計なことを言わないのが得策だろう。
「転移って言うとこれよね」
そう言って胸の校章を掴んでアリスに同意を求めた。
「そう思うけど」
アリスの空ろな表情はアルスの回答を促すものだ。
「転移系魔法が用いられているのはその校章が初めてだな」
それ以外にも国防の防衛ラインには随時魔法師が目を光らせているが非常事態に備えて等間隔にサークルポートが設置されている。運用の形としては同じものだ。初めてというのは一般運用での話。
「それにも欠点はある。なんせ最大転移距離は3kmが限界だからな」
もちろん改良の余地は大いにある。魔力を複写、それを元に移動先の転移門に座標を固定する。これは時間の概念が乏しい空間自体に作用するもので俗に『飛ぶ』と表現されることもある。
根本的な問題として複写された魔力情報の劣化があり、不定形の魔力を空間に留めること自体に無理が生じているのが原因だ。
魔力を魔法へと再構築した際には劣化という事象は起こり得ないのだが、魔力単体は体外に放出されると時間とともに情報に劣化が生じる。
それによって特定の転移門への移動を阻害することが実験で明らかになっている。
改良の余地はあるのだが、研究者が手を拱くのも魔力に付随する情報体を保護することに前提が置かれているのが原因だ。
「攻勢魔法への転用は元々考えてのことだったんだが、いざ魔法にするとなると何に重点を置くべきかが問題でな」
そんなことを聞いたことで二人から回答が得られるわけもない。
それでもついつい口走ってしまうのは研究者の性だろうか。
「それって実戦でどう使えば一番いいかってこと?」
「まぁ間違いじゃないな」
これはオリジナルの魔法を作るに当たっての問題だ。特にアルスの作る魔法は魔法師全体にとって有益でなければならない。
「大きな分け方でも、魔物を倒す、行動を阻害する、味方の攻撃を支援する。それとも逃走に用いるとかだな」
「ん~…………」
唸るように小首を傾げるテスフィアとは対照的にアリスは挙手して発言を申し出た。
「魔法師を守るためのとか、全部を幅広くカバーできる魔法にするのは?」
もちろんどんな意見だろうと頭ごなしに否定することはしない。研究者としての自覚からかアルスは自分の中で一度吟味するのだ。
しかし、アリスの提案はとうに結論がでていた。
「それは無理だな、転移魔法は万能じゃない。使い方によっては攻撃にも防御にも使えるし支援だってできるかもしれない。が、全てを受け入れるのであれば魔法としては欠陥だな」
魔法大全に載る魔法は、固有名称が認知されたことを意味する。魔法としての意義が認められるということだ。万能な魔法は存在しない。それよりも何か一つに特化した魔法のほうがよほど有益なのだ。
「まぁこれは実際に前線に立つ魔法師に聞いたほうが早いかもしれないな」
テスフィアはアル本人がさんざん前線で戦っていたのだから思い付きそうなものだと思ったが。
理事長の言っていた彼は例外だからという言葉を思い出して呑み込んだ。
1位の魔法師を基準にした魔法を編み出したところで使えるのが一人だけならばそれは意味のないものだ。
特にアルスが掲げている自分が楽をしたいがために魔法師の底上げを魔法を提供することで成そうとしているのであれば論外だろう。
その後なんだかんだでアルスの一方的な教授が繰り広げられた。もちろん結論は出ない。それでもこういう話を他人と共有する機会を持てなかったアルスは時間が過ぎるのも忘れて話し続けてしまったのだ。
それによって二人が門限を過ぎることはなかったが、訓練が出来なかったとの苦情は大いに的を射た。翌日の放課後に付きっきりの指導を要求されればアルスに拒否する言を探し出すことができなかった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「それにしても意外だったね。あんなアル」
横を歩くテスフィアに向けて笑みを溢しながら話す。そこには1位としての隔絶した存在よりも同年代の近しい者に対する言葉だった。
今日は二人での帰宅だ。アルスがいないからと言って特段気を付ける必要はない。
当のアルスはと言うと理事長に校内放送で呼ばれたために重たい足取りで二人と別れたのだ。
「まるで子供だったわね」
「そこは年相応って言ってあげないと」
「いや、あれは子供よ。買ってもらったおもちゃをひけらかすみたいな」
アリスはそう言われればそんな気がしてきたと、クスッと手を口に当てて笑みを洩らした。
「そうだったかもね。とんでもないおもちゃみたいだけど」
「まぁね。それにしてもあいつの魔法師としての腕は分かったけど、研究者としての腕はどうなのかしら」
アリスは疑いもなく。
「きっとずば抜けてるんじゃない?」
「どうかしらね。うだつの上がらない研究ばかりしてるのかもよ」
「う~ん、そんなことはないと思うけど……今日言ってた魔法が完成したら見せてもらおうよ」
「そうね。あんなに力説しておいてチンケな魔法でも笑っちゃだめよアリス」
お姉さんのように窘めるテスフィアにお返しとばかりにアリスは返礼した。
「それはテスフィアでしょ。貴族なんだから可笑しくても大口を開けて笑っちゃだめよ!?」
などといつの間にかアルスの研究がチンケなモノしか生まないと決めつけられ、すり替えられていたとしても、笑い合いながら帰路を行く二人にはどうでも良いことなのかもしれない。
後に二人がアルスの研究の一端を少しでも理解した時……その表情が一変することは言うまでもないことで、それはその時までは伏せておくことにしよう。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
アルスはテスフィアとアリスの二人と研究棟の前で別れた後、気怠く重たい足で理事長室まで向かった。
何故かろくなことにならない予感しかしないのは僅かな間、理事長との会話や仕草などから得た教訓だ。
たかだか予感がこれほどアルスの中で確信めいたものへと変わっていても不思議ではない。
アルスの研究室が置かれる研究棟から理事長のいる本校舎までは歩いて数分のところにある。
それでもアルスがついついサークルポートに向かってしまっても責める者はいまい。
数回のノック、規則正しく最低限のマナーは守ったつもりだったが、その表情は明らかに嫌そうだった。
中からくぐもった声で入室の許可が降りるとアルスはそっと扉を開ける。
「まだ何も言ってないんだけど……」
この不平が何に対してのものなのかはすぐに理解できた。
「まだ何も聞いていませんが」
素知らぬ顔でアルスは姿勢を正した。ここでは彼女のほうが立場が上である。
「まぁいいわ。わかっているとは思うけど来月の頭に実力試験があるわ」
「存じてますが」
もちろん年間のカリキュラムに含まれたもので毎年新入生には入学時での順位を更新するために用意されているものだ。
というのも入学時の試験では限りある時間内で千人以上の入学希望者を審査しなくてはならないため、杜撰というわけではないが、正確性に欠く。
そのため個人の力量を正確に判断するための試験が入学早々に設けられているのだ。
この時点ですでにアルスは理事長の意図を察していた。
「つまり、順位ですか」
「そお、無用な騒ぎはごめんだから、あなたは私が審査することにしたわ」
職権乱用だと一言いってやりたいのは山々だったが、無用な騒ぎは更にご免だ。
そのため、それぐらいしか抜け道がないのも事実だとアルスは思う。
年間行事に試験があるのは把握出来たものの、その内容、方法についてまでは記載されていないのだ。
「わかりました。それで呼び出した理由はなんです」
理事長は見破られたことに驚きはしない。寧ろ溜息が洩れた。
これで本題に移れるのだろう。
理事長の様子から察するにアルスの予感は的中したようだ。
「これよ」
理事長は机の前に紙束を置いた。
それはアルスが見れるように向きを反転させれている。つまりは見ろということなのだろう。
一応アルスは許可を取るために目で問い掛けた。
これに対して微笑を浮かべて促される。
「…………」
一通り目を通し終えるとアルスも溜息が洩れた。これに関して言えばアルスはどうすることもできない。
「俺にどうしろと?」
「別にどうしろってわけじゃないけど……どう思う?」
資料の中は新しく組み込まれる授業について詳細に書かれている。この提案書は軍からのものだ。
つまり国策としての第2魔法学院はこの提案を受け入れなければならない。
アルスに意見を求めたことでどうなるわけではないが、誰かの意見が欲しくなる内容ではあった――特にアルスの。
「その前に一つお聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
艶やかな笑みはアルスの意見に期待を膨らませてのことか。
「これは俺が退役を申し出たことで生じたものですか」
「たぶんね」
曖昧な返事ではあるが、アルスの退役に起因したこと自体は問題視していないようだった。
資料の内容はこうだ。
課外授業と託つけて生徒に魔物との実戦経験を積ませるというものである。
「これ自体は遅いぐらいだと私は思ってるわ。他の第1・4・5・7学院はすでに導入されていることだしね。ただ……」
「これでは死人が増えるだけですよ」
「やっぱりそうよね」
理事長はあまり深刻にはなっていないようなニュアンスの声音で呆れるようにぼやく。
命に関わるということ。それ自体は卒業後に軍務へと就くのだからいずれは経験することなのだが、生徒はその手の訓練を積んでいない。
いや、ここで問題にすべきは保険措置としての役割が機能しない可能性が十分に考えられることだ。
魔法師として一応の魔法が使える生徒達ならばレートの低い魔物程度なら討伐に成功できるだろう。
だが、万が一アルスの言ったように恐怖に慄き、心が戦うことをやめた時、彼等は魔法が使えなくなってしまう。それが半永久的なトラウマのようになるかは個人差による。
そのためのセーフティーネットが設けられているのだがそれに問題があるのだ。
一年生には監督兼、非常事態に備えて上級生が付くだけ。
つまり、練度の差こそあれ、討伐初心者では一年生と大差ないということになる。
非常事態の時に、そのための人員が役に立たないことは想像に難くないはずだ。
「つまり、上層部ですか」
「そうなるわね。魔物と戦ったこともないお偉いさん方が考えそうなことね」
そこで早めに解消しておくべきだろうとアルスは先に本題へと切り替えた。
「俺にどうしろと?」
「私は防衛任務がほとんどだったから魔物に関してはあなたのほうが詳しいわ」
その言い分には疑問を呈したいが一先ず全てを聞くべだろうと続きを促す。
「で、アルス君なら何とかできない?」
「なんとかとは?」
「上に働きかけるとか、単独でちょちょいっとさ」
「無理です」
上に働きかけられるほどアルスはあまり歓迎されていなかった。そのくせ任務ではさんざんこき使われたのだが。
これが総督による提案ならば口添えすることもできたかもしれない。やるかやらないかは別として可能性の話だ。
もう一方も当然。
「一体何人学生がいると思ってるんですか、全てカバーするのは無理です」
たとえアルスだろうと一か所にでも固まらない限りは不可能だろう。
理事長は歳不相応に頬を膨らまして不貞腐れた。
「じゃ、何かいい案ないかしら」
かなり投げやりになっている。
おそらくこれでは黙って帰ることはできそうにないだろう。
アルスは肩を竦めてわざとらしく、仕方ないと頭を掻いた。
「どこまで変更できるんですか」
たとえ理事長であっても上からのお達しに口を挟めば不興を買いかねないし、それが正当なものであっても異論を唱えること自体ご法度のようなものだ。
そんな中で良策の提示を要求するのであれば、多少の無理は理事長に通してもらうしかない。
「それこそ意義を損なわない程度なら」
真剣な面差で応対した。それは出来るか出来ないという表情ではなく。かならず通して見せるという決意を湛えていた。
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