過去編~白狼Ⅶ~
防衛ラインで迎撃の準備をしていた魔法師たちは良い意味で肩透かしを食らったことになる。
それを目にした魔法師は数えきれないほどいたという。荒れ狂う無数の大蛇が燃え盛る樹頭を抜け、大きくうねっては火の海へと潜っていった。餌に群がる大蛇の様相は、やはり蛇とは異なるものなのだろう。禍々しさを具現化した、ただの悪夢に等しいと誰もが怖気とともに抱いたのだから。
正体不明の大蛇が出現して以降、アルファへと侵攻していた魔物の数は極端に減っていた。
その後の統計では、侵攻した魔物の数は1000体以上という目を疑う数であった。アルファ近辺の魔物が全て襲ってきたと思えるほどの数だ。
打って出た魔法師の活躍により半数を減らすに至った。被害は予測を下回る数で済んだものの、死者が出ている以上少なくて良かったと喜色を浮かべることはできない。
功績は全体の総指揮を執ったフローゼ・フェーヴェルの手腕であることは疑いようのない事実。が、これは結果論であり、実際は楽観視できる事態ではなかったのだ。Aレートである【ロゾカルグ】に加えて新種のAレート、木の革をローブのように纏った【サイレン】の出現は高位の魔法師を多く失う原因となった。
今回の大侵攻の発端は約300体のアラクネの半身【アルニア】と呼ばれる劣化体が原因だ。一気に大きな動きを見せれば魔物の中には触発され、いきり立つ個体が現れても不思議ではない。それが【サイレン】であり【ロゾカルグ】だったわけだ。
だが、今回の侵攻で不幸が重なったとするならば間違いなく【サイレン】の出現であった。今でも解析は追いついていないが、サイレンの発する音波は魔物に作用することが判明。それによって【ロゾカルグ】が数体引きずり出されたというのが大凡の見解であった。元々【ロゾカルグ】ほどの高レートは個体数が少ないが群れる習性があるため災害級の規模になったというわけだ。
侵攻した最高レートであるAレートは【サイレン】を除けば【ロゾカルグ】が6体という未曽有の危機に陥っていたことになる。
結果として討伐の報告が上がったのは【サイレン】と【ロゾカルグ】が2体だけだった。これにより一端体勢を立て直すために軍は前線を防衛ライン付近まで下げたのだ。
実際に侵攻してきた魔物は低レートとほぼ被害を出さずに守り抜いたが、総指揮を取っていたフローゼや防衛を任されていた一部の者たちにとっては残りのAレートの行方に疑問を残した。
魔物の大規模侵攻から数日が経っても警戒態勢は解かれず、負傷者の治療などで軍は危機が去った後も忙しなくも騒々しい様相を呈していた。
アルスは軍本部ではなく、その隣、広大な空き地のような墓地に来ている。ここの脇でニケと遊んだことが幻視されるが、僅かな日々での記憶は胸を圧迫するには十分な感情を秘めていた。
無数にある墓標だが、幸いにも隊員たちはちゃんと埋葬してあげることができたのは唯一の救いだっただろう。
この中には遺品しか入っていない棺も珍しくはない。数百とある墓標も年々数を増やしていくはずだ。
アルスは何事も言わずに白い花束を添えた。
背後にはヴィザイストとリンデルフが喪服姿で目を伏せている。
二階級特進は魔法師にとって何の慰めにもならない。それよりもこの場では「よくぞ守った」と言ってやるのが誉れだと言う。
今回の特殊魔攻部隊の功績は秘匿事項が多分に含まれたが結果的に多大な功績を残したとして評価されるだろう。ヴィザイストは少将、リンデルフは二階級特進で中佐となることが確約されていた。
リンデルフは不名誉の昇進だと漏らしていたが、歯を食いしばって「それでも俺がもっと階級を上げれば各隊の連携で死傷者を極限まで減らすことが可能かもしれない。こいつらの餞別として良い報告がきっとできるはずだからな」と真っ直ぐに視線を固定し遠くを見るように応えた。
ささやかな黙祷を捧げるとヴィザイストは。
「まだ、後片付けが残っているぞ」
「わかっています」
そう言葉少なに応えたリンデルフはふと視線を横にずらす。まるで話を聞いていないだろうアルスはすでにトボトボと小さな背中を向けて去っていた。
あの日以来からだ。目覚めたアルスは抜け殻のように「一人でやっていれば」と繰り返し自分を苛んでいる。
そんなアルスに掛ける言葉を見つけられないリンデルフは頭を掻き毟った。入隊以降、アルスはニケとの日々を本当の子供のように共有していたのだ。きっと家族を失うことと同義なのだろう。
(エリーナがいれば……)
なんてわかってはいても吐いてしまう弱音。こんなことではいつものように殺されかけて然るべきなのだろう。
そんなリンデルフの苦悩を察したのかヴィザイストは少し窮屈な喪服のポケットに手を入れ。
不承不承と言いたげに苦い顔をして口を開いた。
「今は何もすべきじゃない。俺らは男だ、ましてや器用なほうじゃないからな。だが、アルスも男だ。だから今は大人として見守ってやろう」
「それぐらいしかできないんですかね」
「あぁ、今はそれぐらいしかできんだろうな。リンデルフ、お前には明朝より一区域の掃討を任せる。魔物の掃討作戦が始まるが、アルスは……」
「わかってます」
「お前にも休ませてやりたいのは山々なんだがな」
「承知してますよ。今は猫の手も借りたいほど魔法師不足ですからね」
ヴィザイストはリンデルフだけに話していた件について再度念を押した。
「ニケの……いや、探知犬については口を滑らせるなよ」
「は、はい」
ニケが遺伝子操作によって生み出された実験犬の一体だったわけだが、倫理的な問題は同時に別の問題をも指摘されていた。寿命、強制的な成長は発達させられた身体と脳に負荷が大き過ぎるため、生きても2カ月という消耗品同然の扱いとして作り出されたのだ。
もちろん、ニケを引き取った1カ月ほどで判明した事実だ。ヴィザイストはすぐに研究をべリックに告発してプロジェクト共々頓挫させた。各研究データのために実験犬の処分は内々に処理されたが(軍の倉庫を解放して放しているだけだが、一応扱いは犬のそれと変わらない)ヴィザイストはニケだけはアルスと共に過ごさせたのだ。
今更引き離すことができなかったとも言えるが。
だから、ニケが寿命を超えて生きたことに驚いていたのだ。そしてニケの最後を聞いたときについ目頭が熱くなった。この墓標の中央にある一際大きいものがニケのだ。
そこには大輪を付けた白花が花弁を揺らしている。そして視線を上げれば墓石に埋まるようにして全隊員で作った首輪が付けられ、中央に銀光を放ったプレートが綺麗に磨かれている。ナイフで彫ったような【ニケ】という無骨な二文字がくっきりと刻まれていた。
♢ ♢ ♢
本部内を颯爽と歩く二人の姿がある。一人は白を基調とした軍服を着用しており、長い髪を片方に結って前に垂らしている。腰に付けられている白い布が妖艶さをも醸し出していた。
豊満な胸が強調されるような軍服だが、邪魔になるような作りではなく服を押し上げながらユッタリと歩調に合わせて弾む。
もう一名は一歩引いた位置から後を追う形で、資料を捲りながら報告しているようだ。
廊下で彼女とすれ違う魔法師たちは端にずれて頭を下げる光景が広がっていた。
「システィ様、お疲れ様です。連日の防衛の任、システィ様がいればこそです。魔物の侵攻は……」
「そんなお世辞はいいから要点を言いなさい」
「は、はい!?」
うんざり気味なシングル魔法師の声に背後でビクッと跳ね上がる。
男は歩きながら不格好に謝罪し、報告を続けた。
「フローゼ指揮官の元、明朝より掃討作戦が敢行されることになりました。外界で生き残った魔物が回収の行き届かない死体を……その……食べて……で、ですね。変異体になる恐れもあり二次災害を起こさないために……」
「それは聞いたわ。それよりも何部隊動員するの?」
「それは、わかりかねます」
システィははぁ~と盛大にため息を吐いた。
「そのシスティ様、どちらに……?」
「今回は少し気掛かりなことが多いから彼がどう動くかも把握しておきたいのよ」
「彼とは?」
「もう良い歳なんだから彼というのも変ね。ヴィザイスト卿のことよ」
「――――!!」
三巨頭と呼ばれる三人が集結した作戦はもう過去のことだが、それが再結集するとあっては男が鼻息を荒くしても仕方のないことだ。
稀代の司令官フローゼ・フェーヴェル。
災害級異端児ヴィザイスト・ソカレント。
魔女の異名を持つシスティ・ネクソフィア。
ここ数年はヴィザイストが外界に出ること自体減ってしまったが、システィは間違いなく今が全盛期にあたる。フローゼは退役した身でありながらこの一大事に臨時召集されていた。
システィは――フローゼも気づいているはず――残りの4体のAレート級の魔物が姿を消したことに疑問を残していた。正確には誰が討伐したのかということだ。すぐに攻めてこないこと自体が不自然だったのだ。高レートの魔物は知能を有しているとされているが、低レートを率いてきたことを考えればここで二の足を踏む理由がわからなかったのだ。
討伐していないとしたならば危機は未だに去っていないことになる。だから万が一のために協力の要請――に関しては既に通達があるだろうが、前線で防衛するシスティにとって彼がどう動くかは把握しておかなければならなかった。
だから、まさかヴィザイストが隊を新設していたことにも驚愕したが、それ以上に疑問を抱かせた。何故今になってという訝しみだ。
彼を慕う魔法師は多いが当人は隊を作らず、上からの打診も無視していた。それが機嫌を損ねると分かってもだ。
だからヴィザイストは臨時で組まれる隊の隊長を任されることが常だった。多くの魔法師が彼の教授と三巨頭と謳われる由縁を体験している。
そこで少し調べたシスティは隊員に一人の少年――いや子供と言うべきだろう――が組み込まれていることに一層不審感が湧いた。
それは不信ではない。ヴィザイストに限って軍規を犯すとは考えづらい、となれば関係しているのは必然総督だ。子供が軍に入るには倫理的な問題が立ちはだかるため、易々と許容できるものではないがシスティはそこである事件を思い出した。
それは軍人で殉職した子供を預かるという保護施設であるが、それとは別に魔法師を目指すことを決めた子供には早期に魔法師育成プログラムを与えることもできる。
それは軍内部の批判が強く、1期生が全滅してしまったことに端を発するのだが。
未だに凍結したという話をシスティは聞かなかった。
そして特殊魔攻部隊の部隊室の前に来ると、僅かに扉が開いていた。中から明りが漏れているため不在ということはないだろうと隙間から覗いて見る。
「あれは……」
壁の隅で膝を抱いた少年の姿があった。虚ろな眼はシスティが数多見た魔法師が失意の底に落とされた時に見せる物と同じ類のものだ。服装を見ても察するのは容易い。ましてや魔物の侵攻があって間もないのだから。
だが、システィはどの魔法師よりもただならないと確信を抱いた。
脆く、儚く、頽折れそうな……極上の剣が錆びて付いて今にも折れてしまいそうな、見ているこっちが気を塞いでしまいそうな、そんな姿だ。
システィは他に誰もいないと覚ると一度扉から顔を離して男に振り返った。
「もういいわ。あなたは戻りなさい」
「はい?」
「少し長くなりそうだから……そうね、ヴィザイスト卿は不在のようだから探してきてくれるかしら」
「え、は、はい!」
男の背中を小刻みに手を振って見送ると、システィは扉を開けた。
「初めまして……」