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過去編~白狼Ⅱ~

「――!! 何言ってるんですか隊長。アルス君に何かあったらどうするんですか」


 この隊で唯一と言っていいほどにエリーナだけは過保護だ。女性だけに母性本能なのかもしれないが。


「それこそ無用の心配だろう。それにエリーナが言い出したんだぞ。要は上位者として認識させられるかということだ。うちではアルス以外に適任はいないんじゃないか」

「それはそうですけど……」

「僕は構いませんよ」


 返事を待たずにアルスは檻に向かって歩き出した。

 コツコツと規則正しい軽い音。


 隙間から爪が届くかという距離まで近づくと、案の定魔犬と呼ばれた獣は「グルルゥゥゥ」と唸り声を上げた。それは敵対心、殺意というよりも威嚇に近い。


「アルス君、もういいですから、それ以上は危ないです!」


 エリーナの制止を無視してさらに一歩……無視というよりも視線を逸らさずに意識を集中していたため、思考の隙間に入ってくることがなかっただけなのだが。

 アルスは不思議な感覚に捉われていた。それを集中というには疑問が残る。外界にも動物は多く存在するが、これほど雄麗な生き物は見たことがなかったからだろう。近くでみると一層視線を奪われる。

 猛々しく雄々しいのにどこか脆さを感じてしまう。そんな奇怪な有り様はどこか自分と重なるような気さえしていたのだ。


 その時だった――堪え切れなくなった。それは動物としての本能なのかもしれない。自分の領域が侵される、そんな危機意識からだったのだろう。

 吠えながら鋭く突き出した爪が鉄格子を裂いた。

 いや、裂くことはできなかったが、爪痕を残して振り下ろされた。耳を劈く金属音はまさに悲鳴のようである。


「…………」


 アルスの意識に触れた瞬間だ。故意ではなく、攻撃を受けるという行為に外界で培われた戦闘態勢へと切り替わる。

 無闇やたらと迸る魔力の奔流。


 隊員は慣れているとは言え、外界でもない内側――生存権内――で晒されるとは思っていなかったのだろう。無意識に一歩後ずさっていた。


「さすがにすげぇな……」

「せめて感情任せじゃなく、コントロールしてくれると助かるんだがな」


 ヴィザイストが嘆息しながら見守るが、隊員たちは平静を装うためなのか口を開いて誤魔化そうとする。


「まだまだ未熟って、こ、ことだな」

「震えた足で何言っても説得力がないぞリンデルフ。それにしても末恐ろしい子だ」

「あぁ、俺たちゃあ良いけどあの犬っころはやばいんじゃないか?」

「どっちの心配だ? アルスが敵とみなして手を下しちまうのか? それとも犬が使い物にならなくなるほうか?」

「……どっちもだ。あの犬には同情するしかないって」


 口々に言っても警戒を解くことはできないようだった。


「あんな子供がいていいのか……そう言えばお前んとこの子供は……」

「アルスと同い年だ、が……正直そうは見えない。あんな子だけは勘弁だな」

「同感だ」


 軽口が軽口である分には問題はなかっただろう。それが中傷へと変わったのならば話は別だ。

 エリーナがキッと振り返り、射殺さんばかりに睨みつけた。


「あっ! わ、わりぃ。そんなつもりは……」

「すまん」


 隊員も口に出してする会話ではないということを自覚して顔の前で手を合わせて謝罪する。

 そう、本心であっても同じ仲間に向ける言葉ではない。

 ましてや、本人がいる前で……いや、アルスが感化されることはないだろう。この場合はエリーナがいるということに配慮すべきだったのだ。


 エリーナは顔を戻して「アルス君ももう結構ですよ。それ以上はその子が可哀想ですしね」と意識して冗談っぽく言う。

 それで終わるはずだったが、アルスはさらに一歩踏み出した。


 瞬間――パンッと空気を震わすほどの高音が室内で弾けた。

 我に返ったアルスが振り返ると、ヴィザイストが手を合わせている。風系統である彼が魔法を併用して音波を増幅し空気振動を引き起こしたのだろう。


「よし、もういいぞアルス」

「……」


 無言のまま、もう一度魔犬を視界に入れる。


「「「「――――!!」」」


 檻の中で少し後退した魔犬は「クウゥゥゥン」と、か細く鳴くとゆっくり座り、頭を深く下げた。床に付ける鼻先、瞳は先ほどのように敵対的な意思はなく、少し愛くるしくあった。

 視線を交わらせずに床に注がれていることからも、身を委ねるという自然界では死を意味する行為だ。


 ヴィザイストは――隊員全てに共通する――まるで服従する光景に頬を持ち上げて声を張り上げた。


「よし、魔犬は一時、特殊魔攻部隊が引き受ける。面倒はアルスに一任する。外界での行動の伴とすること。いいな!」


 威風ある姿であるにも関わらず、気を引き締めるにはヴィザイストの表情は優しげであった。

 まるで自分の子供であるかのように微笑む。


(生き物を飼うことで何か変わるかもしれないしな)


 それに断らなくて済んだ、という安心もあったがこの依頼はどう考えても難題過ぎるため、十分な申し開きはできる。だから、ヴィザイストのこの表情はアルスに対して変革への期待なのかもしれない。




 魔犬が特殊魔攻部隊の部隊室へと訪れたのはそれから3日後のことだった。というのも檻のまま連れて行くわけにもいかず、出さなければならないのだ。

 そこで急遽首輪を発注したわけなのだが、そこまで予期していなかったのか製造に手間取ったというわけだ。少々無骨な首輪に鎖を連ねただけのリード。ただそれは大の大人が数人掛かりで引くことを想定しただけの腕力に物を言わせた作りだった。

 一応のマナーのつもりなのだろう。暴走した時には手が付けられないのは想像に難くない。ましてや、そのたずなを握っているのが子供なのだから不安は一層である。


 少しだけ……いや、かなり手狭になった部隊室も魔犬が幅を利かせているからだろうか。

 実際には40人は収容できる部屋に加え仮眠室などもあるのだから魔犬が一匹増えようとも狭くなることはないのだが、そう感じるのはその存在感故だ。

 当の魔犬は大人しく目を閉じて伏せっている。器用に前足を組んで頭を乗っけている体勢だ。

 調教をするほど実は頭が悪くない。倫理的な弊害を犯した罪なのだろうが、なんにせよ犬よりは知能が高いらしく、大抵のことはジェスチャーで理解してくれるのだ。その内簡単な言葉も理解して動くようになってくれるらしいとのことだった。無論現状ではアルスの命令に限りだが。


 アルスは手首では巻きつけられないリードを腕にぐるぐるに巻いている。鬱血してしまいそうな光景だった。とは言え道中魔犬が無理に引っ張るような素振りは一度も見せなかった。


 魔犬はできるだけ隊とのコミュニケーションを取るためにいるわけだが、その思惑はある意味絶望的と言える。数人単位で外界での任務に当たるのだから魔犬だろうと探知を目的としている以上連携は必須という判断だ。

 ただこれには問題が多く、軍本部内を魔犬が歩くのはいろいろとまずいだろう。というわけで訓練以外では研究棟の倉庫を小屋代わりに使用することになっている。

 では、何故今回は部隊室にわざわざ連れてきたのかと言うと。


「これから任務を共にするんだ、名前が魔犬では味気ないだろう。というわけでまずは名前を皆で考えようじゃないか」


 任務の合間を使っているため、時間的にも余裕はないがヴィザイストは当然のように招集を掛けた。

 つまりは、自己のアイデンティティとして重要な役割を担う名を付けようというのに当人がいないのでは……ということらしい。

 真っ先に視線が向かったのは自然と言えば自然なのだろう。

 エリーナはそんな魔犬の半分もないアルスを視界に入れて何か不思議なものでも見るように問い掛けた。


「アルス君は何かないの?」

「…………白」


 それを聞いた周囲の隊員たちが「たぁは~」と額に手を添えたり、顔を振ったり、あえて無言で暗に「ない」と告げている。


「そのまんまだな」


 ヴィザイストも悪くはないが、奇抜さがないし強そうじゃない、と苦言を呈した。それを肯定するように魔犬は閉じた目を開こうともしない。寝ているのかもしれないが。

 当然、エリーナはさも良い名前があるのかと問う。


「じゃあ、隊長は何かあるんですか?」

「そうだな、まぁ取っていたわけじゃないが、ゴルマンスなんてのはどうだ。男が生まれた時用に考えていた名前なんだが」

「そう言えばヴィザイスト隊長の娘さんは何とおっしゃるのですか?」

「あぁ、フェリネラだが、俺が考えていた娘の名前は却下されてしまってな」

「い、一応訊いておきますが、どんな名前にしようと?」

「ゴルネアだ!」


 あんぐりと口を開け放ったまま呆然と立ち尽くす隊員たちはギョッとしてふるふると頭を振った。

 この解答を聞きだしたエリーナは前髪を耳に掛けるように指で掬い上げてから率直な感想を述べた。


「なんて惨い……」

「……!! た、確かに嫁には止められたが、俺が三日三晩考えた名だぞ。何よりも強くあろうとする向上心を持った子にだな……」

「はいはい、隊長のお気持ちはわかりますが、筋肉が隆起している姿が目に浮かぶようです。奥様には感謝してもしきれませんね」

「ぐ……いや、まぁフェリネラという名は確かに素晴らしいのだが、私の……」

「いえ、隊長、もうわかりましたから、それ以上は隊の士気に関わると思われます」


 ヴィザイストは事、命名に関しては発言権を失ったと言える状況に項垂れるしかなかった。

 纏め役としてエリーナが仕切り出したのは場の流れから当然であり、一時隊長権限が委譲した瞬間だ。


「では、他に何かあれば……というか何か出して下さい。捻り出して下さい」

「というかその前にオスかメスかをはっきりさせましょうよ」

「そ、それもそうですね」


 エリーナはアルスに向き直って「どっち?」と首を傾げてくる。

 自分や隊員が確かめないのは魔犬がアルスにのみ懐いているからだろう。懐くと言えば語弊がある、主として認めているという認識なのだろうが、隊員たちからしてみれば懐いているように見えるのは動物だからに違いない。


「オスですよ」


 すでに確認済みとばかりにアルスは即答した。


「というわけです。立派な名前を付けて上げましょう」

「ま、まて、オスだったら尚更ゴルマンスがいいんじゃ……」

「隊長は黙っていてください! 犬の反応だけを伝えてくれればいいです。気に入った名前なら何かしら反応を示してくれるかもしれないので」

「う……」


 トボトボと肩を落としたヴィザイストがアルスの隣で腰を降ろして膝を抱えた。


「さて、あまり時間もありませんし、真面目に考えてくださいね。本当にゴルマンスなんて恥辱を新しい隊員に名付けてもいいんですか?」


 それを聞いていたヴィザイストは「ちょっ!」言いかけて不承不承の続きを呑みこんだ。


 それから思い付く限りの名前が列挙したが、これといって魔犬が反応を示した様子はない。それにどれもピンとこないものばかりだった。この際、アルスが付けた白というまんまな名前にしようかと考え出した時だった。


「以前家で買っていた猫なんですが、ニケというのはどうですか」


 その時、魔犬の耳がピクリと動いたのをエリーナも確認したが、続き次第では機嫌を損ねてしまうだろう。


「まさかとは思いますが、死んだとかいいませんよね」

「1年前に亡くなったが、ちゃんと天寿を全うしたぞ!」


 う~んと唸ったエリーナがアルスたちを一瞥するが、傍観しているだけだった。それは判断を任せるというサインだと判断する。


「それに勝利の女神……まぁオスだがこの際はいいんじゃないか。隊にとって勝利をもたらしてくれると思えば悪くないだろ?」

「そうですね」


 とエリーナが「どうですか?」と訊ねようとした時、魔犬が大きな耳をピクピク動かして片目を開けた。それは寝起きのようでもあるが、名前が決まった瞬間でもあった。

 スムーズで呼びやすい名に不満の声はない。





 それからというもの、実戦投入できるように外界や訓練場での連携が幾度も繰り返された。隊員も慣れたのかニケを本当の隊員のように扱うようになっていった。

 ただアルスが傍にいないと触ることもできなかったが。


 ニケの戦闘能力はDレート並であり、探知に関しては推定で2km近くをカバーできることが判明した。役割としては魔物を感知した場合、ニケは隊の後方で控え、隙あらばサポートをすることだ。

 そんなことができるかというと本当ならば動物に出来ようはずもない。しかし、ニケに関しては知能が高く、命令がなければ独自で最善の手を選択できる。本能なのかもしれないが。


 もちろん、連携や役割を覚え込ませるために、隊員たちは空いた時間を全て訓練に充てた。その甲斐あってというべきなのだろう。ニケは1カ月ほどで完全に隊の動き方をマスターしたと言える。

 同時にアルスにとっても連携というチームワークを覚えさせる良い機会にもなった。無論、こちらに関して言えばたった二日で把握してしまったのだが。

 ニケの首輪が取れたのはすぐのことだった。無論檻から出す時は必須なのだが、外界での演習の際は首輪を外しても理性的な行動が取れるため、今ではリードも可愛げのあるピンクの革製だ。ほとんどあってないようなものだが、ニケはアルスの隣を一歩遅れて歩くのが常になっている。だから引っ張るということはないのだ。


 ニケが来たことで一番の変化はやはりアルスに起きた。

 何かが変わったというわけではないが、隊員たちやヴィザイストは薄々感じている。

 最初はアルスが研究棟の倉庫まで行って面倒を見ていたりしていたのだ。ヴィザイストの命令だからだったのかもしれないが、良きパートナーであるのは誰の目から見ても明らかだった。


 次第に部隊室にニケが寝泊まりするようになり、そのためのスペースを確保し隊員全員でバカでかい木造の小屋まで建てたほどだ。犬小屋というには十分人が入れるほどの大きさである。

 

 月日が流れる速度は多忙で忙殺される日々よりも濃密で穏やかに駆け抜けていく。劣化することのない日々が色鮮やかに毎日を積み重ねていった。充実というのは軍人に縁遠く、ともすれば場違いなほどだ。


 初めての外界任務でのニケの活躍に舌を巻く隊員は期待を遥かに上回っていたのだろう。外界では見せない笑顔が絶えなかった。油断をするでもなく確実に着実に任務をこなしていくが、以前よりも遥かに完遂時間や疲労を考えればニケのおかげであることは誰も知っていることだ。

 そう、魔物が近づくとニケが逸早く察知して方角と大凡の距離を吠えて知らせてくれる。連続して吠えたり、声量によってもある程度判断ができるまでには訓練を積んでいた。


 防衛ライン周辺の魔物の掃討では時間内に通常討伐数に倍する数字を叩き出せたほどだった。そうして初任務を終えたニケは正式に隊のメンバーとして迎え入れられる。

 その際、盛大にパーティーが開かれたのは忘れらない記憶として刻み込まれたことだろう。

 魔犬用の食事は人間の物でも問題はないが、あまり思わしくないため、骨付きの肉塊が贈呈された。ヴィザイストの祝辞を待たずしてニケが涎を滝のように流して齧り付いたことも記憶の1ページだ。

 ただ、ヴィザイストがニケに酒を呑ませようとしたので、エリーナが正座をさせて折檻をしていた。


 正式な隊員として迎え入れられた証しとして全隊員からニケに贈られたのは首輪だった。光沢のある赤銅色の真ん中には銀光を放つプレート。ニケと刻まれていた。

 これはアルスが自分で刻んだものだった。


 それを両腕では回し切れない太い首にエリーナに手伝って貰いながらベルトを締めて、苦しくないように腕が入るぐらいの隙間を空けてやって留め金をカチリと嵌める。

 

 その時にニケが吠えた遠吠えは訓練にないものだった。

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