上級生は三桁
二人の訓練は夜遅くまで続いた。とは言っても日が沈んで間もない時間帯で、夕食時といっても差支えないだろう。
二人が帰るのはもちろん校内にある女子寮なわけで、特に危険があるわけではない。名門である第2魔法学院はそれ相応に防犯システムも充実しているため、校外よりも寧ろ安全なぐらいだ。
魔法の確立によって男女の力関係はないに等しいのだが、世間一般では暗くなってから女性だけを帰らせるというのはあまり関心しない風潮にある。
だからというわけではないのだが、アルスは二人を送っている最中だ。
「おい、ちゃんと前を見ろ」
「……」
と言うのも当然で、テスフィアとアリスは互いに腕を抓りながら器用に歩いている。
時折、目を閉じたりしているわけだから、危なっかしいのだ。
だからと言ってアルスが障害物の接近を教えてやるほど優しい性格はしていない。
ゴンっ!! 街灯を揺らすほどの衝突音が夕闇に鳴り響いた。
「――――!! っつ~」
「大丈夫!? フィア」
案の定街灯に激突したテスフィアは蹲って額を押さえた。
非難めいた視線がアルスへと向けられるが、そんな謂れもない視線は涼しい顔で受け流すのが賢い選択だろう。
「ちょっと」
「何だ」
「教えてくれても罰は当たらないでしょ」
この抗議が正当性を持つのは魔法師以外の一般人だけだろう。
「あのなぁ、魔物を相手にしてたら攻撃してこないわけないだろ。魔力付与に集中し過ぎて注意力が散漫になるんじゃ本末転倒だな。それこそ良い笑い草だ」
ウンザリした顔を全面に出したアルスに反論の声は上がらなかったが、さらに鋭い視線へと変わったのは言うまでもない。
結局その後も二人は……特にテスフィアは意地でも寮までの帰路を訓練に充てた。
「ここか…………」
アルスがその建物を視界に収めて二の句が継げなくなるのも仕方のないことだ。
さすがのアルスも一度ぐらいは男子寮を見たことがある。
……それと比べてもいいのか分からないが、明らかに防犯システムが違う。
正面に見える認証ゲート兼受付を通らないと、敷地内にも入れない作りになっていた。
重犯罪者を閉じ込めているのかというぐらいに高い壁は内からではなく外からの侵入を警戒してのことだろう。
テスフィアとアリスが手慣れた手つきで認証を済ませ、二重のドアがスライドした。
「アル、今日はありがとうございました。また明日学校で」
「じゃ、ご苦労様明日もよろしくね……アル」
まだ少しぎこちなさを残した呼び方でアリスが丁寧にお礼を述べるのに対してテスフィアはぞんざいに手を振った。テスフィアについてはニュアンスがおかしくなっており疑問符が付くのではないかと思うほど語尾の発音が上がっている。
見ようによってはしっしと払っているようにも見えたが、顔を背けた姿は照れ隠しのようにも見える。
呆れたアルスは肩を竦め。
「次は出来てからこ……ぃ……」
と言おうとしたとき。
寮に向かって一歩踏み出したテスフィアは柔らかい壁にぶつかった。それも豊満な胸に顔を埋めるほど盛大に。
「はぶっ!!」
「寮長!!」
アリスがテスフィアのぶつかった人物を見て声を上げた。
未だテスフィアは顔を埋めたままで、何かもごもご言っている。
「あの何か……門限は過ぎていないと思うのですが」
アリスの弱々しい確認は彼女が上級生であることを示していた。
流れるような黒髪は腰に届き、端整な顔立ちに柔和な微笑み。憤怒とは無縁のようにも見える慈愛に満ちた顔だ。
それを表面上のものだとすぐに気付けた。アルスと比べても身長差はほとんどない。可愛いよりも美しいと表現したほうが適切だろう。それも妖しげな魅惑する美しさ。
アリスも同じぐらいに大人の魅力を備えているが寮長と呼ばれた上級生はどちらかというと魔女システィよりの妖艶さだ。だからアルスにはこの上級生の笑みが蠱惑的に感じた。
「お帰りなさい。フィア、アリスさん」
柔和な顔からは優しい声音の優しい言葉が紡がれた。
やっと顔を離すことに成功したテスフィアは慌しくアリスと同時に一礼する。しかし、その顔は訝しさを湛えていた。
わざわざ寮長が出迎えるなんてことは僅かな学校生活で初めてのことだと。
上級生に対してはちゃんと礼を尽くせるのかとアルスは突っ込みたくなるのを抑え込んだ。
「そちらの方は?」
どこかワザとらしい微笑みで柔らかく促す。
それに対してアルスは自分から口を開いた。
「一年のアルス・レーギンです。二人と居残りをしていまして遅くなりました」
形式上、上辺だけのセリフだ。アルスは二人とは違った訝しさをこの上級生に感じていた。だからこそ一先ずの礼節を取る。
「……!! いえいえ、それは構いませんよ。ここの学生は熱心ですからね。門限なんてあってないようなものです」
一瞬、テスフィアとアリスへと視線を移した気がしたが、すぐにアルスへと向けられた。
「私は二年のフェリネラ・ソカレントと申します」
豊満な胸に手を添えて会釈で返した。一挙手一投足まで優艶さが滲み出ており、それは育ちの良さが全面に反映されている。
乱れ一つない所作、髪だけが艶かしく顔の前に垂れ下がる。その一動作に本来ならば見惚れるところだろうが、アルスはより猜疑心を抱いた。
それにソカレントと言うファミリーネームにも聞き覚えがあったのだ。
「二年生だったのですね」
率直な疑問だった。寮長という立場には責任が圧し掛かるため大抵は最上級生、もしくは教員が受け持つとばかり思っていたからだ。
知ってか知らずかテスフィアがアルスの猜疑心を解消するための補足を加える。
「フェリ先輩は二年生にして当校唯一の三桁魔法師なのよ。家の付き合いで以前からの知り合いなの」
何故か自分のことのように比肩するのもおこがましい胸を反らすテスフィア。
家の付き合いということは当然貴族なのだろう。爵位持ちといってはこのご時世に相応しくない。旧家、名家が軍と深い関わりがあるのも未だ貴族制度が生き残っている理由の一つだ。貴族だからと言って鼻持ちならない連中ばかりとは限らないということだろう。
魔法師としての位階は全て順位によるところが大きいため、順位の高い魔法師はそれだけで敬意を払われる。だから貴族としての威厳や誇りは当然順位に表れる。
何々家と表される高貴な身分の者たちはそれに見合った順位を示し、軍部に地位を築いているのだ。
「そうでしたか、納得です」
わざとらしく頷くアルスをフェリネラは謙遜とばかりに目を伏せた。
「たかだか375位ですよアルスさん」
三桁魔法師が学院にいること自体おかしな話だ。テスフィアとアリスに話したように順位は魔物の討伐によって大きく変動する。不思議に思いつつもアルスはフェリネラの言葉に引っかかりを覚えていた。
それに……たかだかという言い草にアルスはウンザリとした確信を持ち始めた。
予想は大方当たっているだろう。勘違いならば謝罪で済むのだから損得勘定する必要さえない。
「ヴィザイスト卿はお元気ですか? あの頃は大変お世話になりました」
アルスの一言にフェリネラは口の端を上げて微笑んだ。どうやらアルスの予想は的中したようだ。
「はい! 父もアルスさんのことは気にかけていました」
ヴィザイスト卿は軍内部では将官の地位に就いており、アルスも以前は彼の下で任務に就いていた。それも順位や功績が大きくなったことで国の軍事力を一手に引き受ける総督へと指揮権が移動するまで。(形式上は7カ国が人類の防衛に当たっているが表面上は全人類を守護する一国であるとされているため、表向きは大国アルファも一区域に過ぎない。そのため元帥ではなく総督が最高司令とされている)
このやり取りに驚愕したのは言うまでもなくテスフィアとアリスだ。
しかし、それも僅かな間。
テスフィアは想起するように思い出すと、アリスへと耳打ちする。
アリスは納得顔で口を開いた。
「寮長はアルのことを知っているのですか?」
一瞬の間の後――寮長はその解答も含めてアルスへと向き直る。
「もちろん存じておりますよ。こうしてご拝謁するのは初めてですが、お話は父よりかねがね」
貴族であるフェリネラがご拝謁と敬うのもアルスの順位を知ってのことだ。
「それより、アルスさんはこの二人にご指導を?」
「あぁ、理事長に押し付けられた」
上級生に対しての言葉遣いではなくなっていた。フェリネラもそれを気にした様子はない。
寧ろ、砕けた言葉遣いはそれだけ打ち解けたと解釈したのか嬉しそうに頬が緩む。
「随分と羨ましいお話ですね」
頬に手を当てて艶っぽく言う。
その言葉に幾ばくかの棘が含まれているのはテスフィアとアリスも感じただろうか。
「寮長、これからも遅くなるかもしれないが大目に見てやってくれ」
フェリネラの顳顬がピクッと動き。
「アルスさん、私のことはフェリとお呼びください」
笑顔であることは間違いないが、その声音には拒否できない強制力が働いている気がした。
「わ、わかった。なら俺のこともアルでいい。二人にもそう呼ばれてるしな」
この返答に嬉々として表情を作ったのは一瞬のこと。上級生としての体裁なのかテスフィアとアリスをチラリと見たのに気付いたのはアルスだけだ。
「大変嬉しいのですが、父の面子もあります、私が馴れ馴れしく呼び捨てにしては何かと問題もありましょう。しょ、初対面でもありますし、大……変……心残りではありますが、アルスさんとお呼びしてもよろしいでしょうか」
「わ、わかった」
「アリスさんもフェリさんもしくは先輩と呼んでください。寮長ではあまりにも他人行儀過ぎますし」
テスフィアはすでにそう呼んでいるのだろうが、何故かアリスと一緒に頷いてしまっている。というのも顔は笑っているのに口は一切笑みを湛えていなかったからだ。
このフェリネラの対応の違いはアルスの順位に敬意を払ってのものなのかはわからない。
アルスは用を終えたことでこの場にいる必要はないと判断を下し。
「じゃ俺はこの辺で」
踵を返そうとしたところにそれを引き止める声が掛かる。
「アルスさん、それでも女の子なのであまり遅くならないようにお願いしますね」
「わかった」
「それと……私もたまにでいいので見ていただけないでしょうか」
これにはアルスだけでなく、テスフィアとアリスも驚きを隠せなかった。
「二人見るのも三人見るのも変わらないが、本当にたまになんだろうな」
「はい!」
満面の笑みで答えるフェリネラは年相応のあどけない笑顔だ。
「正直、二桁に迫るフェリを見てやるほど俺も自惚れてはいないから、期待はしないでくれよ」
「わかりました。期待せず教わりますね」
と言う割に声は弾んでいた。
それを最後にアルスは本当に帰路に着く。
道中、後悔せずにはいられなかった。拒否できる雰囲気ではなかったのは事実だが、それによって犠牲になるのは紛れもなくアルスの貴重な時間なのだ。
♢ ♢ ♢
翌日の放課後、一週間の最後の授業だ。それをアルスはいつもの(とは言ってもまだまともに受けたのは三回目だが)ように平和的に乗り切った。
それもテスフィアとアリスが休みの合間にアルスへと近寄って来ることに少なくない影響があってのことだ。
さらに言えばアルと呼び名にも変化があったのも良い方向に作用したのだろう。
当初、対立関係にあったアルスとテスフィアだが、現在は打ち解け合っている? いきり立つほど険悪ではなくなったことで周りの視線も遠慮がちになってきたと言える。
……はずだが、二人の美貌は男子生徒を虜にしている節がある。そのせいだろう。アルスへと向けられる視線はやる気のない者への侮蔑から羨ましいと言わんばかりの羨望と妬みに変わっていた。
成長期にある二人はこれから女性としての魅力が年々増すことだろう。一層の苛烈さを極める可能性は十分に秘めた予備軍だ。
放課後、アルスは研究に没頭する計画をすでに頭の中で組み立てていたのだが。
「……昨日出来たら来いといったはずだが」
細められた視線はテスフィアとアリスへと向けられていた。
自室に戻ったらすでに二人が扉の前で待機していたのだ。
「いいじゃない減るもんじゃないんだし」
「アル、お願い……少しでも早く上達したいの」
自主練も同然のメニューなのだが、二人がいれば当然コツだのなんだの聞かれることは必然。
つまり答えは減るだ。主にアルスの時間が。
顔の前で拝むように頼むアリスを無下にするのは今更躊躇われた。
それに――。
アルスは視線を落とす……彼女達の腕には無数に赤くなった肌が斑点のように広がっていたのだ。
女の子だからと区別することはしないが……これはいささか。
「わかった。そんな赤くなった腕を誰かに見られたら俺が責められる」
魔法の技術が確立したからと言って、傷を瞬時に治すことはできない。せいぜいが細胞を活性化させて自己治癒力を上げる程度だ。それでもすぐにどうこうなるわけではないのだ。何人もの治癒魔法を重ねがけすれば話は別だが、治癒魔法を扱える魔法師は少ない。
無論この学院にも保険医として治癒魔法師が待機しているが、それでも一人ではたかが知れている。掠り傷ぐらいは数分で治癒させられるだろうが。
この技術は施術者の魔力を負傷者の魔力に同調させる技術が必要になる。本来魔力には個人の情報が詰め込まれているため、各人各様なのだがそれに波長を合わせて送りこむことで反発に均衡が保たれる瞬間がある。それによって細胞自体に働きかけることができるのだ。
魔力操作が上手いという次元の話ではないのだ。細胞単位での極細の技術、匠の技と呼ぶべきものだ。
どちらかというと二人やアルスの魔力操作とは別種の技術になる。その代わりに需要は絶大だ。
だからこれ以上テスフィアとアリスの腕が赤く染まっても自然に治るのを待つしかないのだ。
「多少は見てやる。その代わりに俺の邪魔はするなよ」
二人は逡巡する間すら惜しむように頷いた。
扉がスライドして部屋へと入室する。
「――――!!」
「何これ!」
テスフィアが声を上げるのも昨日とは部屋内部の様相が一変していたからだろう。
アルスにとっては何を言っているのかがわからなかった。
「どうして男の人はこれを何とも思わないのかしら」
書類の山は見事に崩れ去り、地面をびっしりと書き込まれた用紙が散乱した状態だ。長大な机も資料で埋め尽くされ、飲み物を置く場所すらない。
テスフィアとアリスが訓練が終わってから自室でも続けていたように、アルスもあの後で研究に没頭した結果だ。
二人は顔を見合わせて袖を捲くった。
「お前ら何をするつもりか知らんが、余計なことはするなよ。それは散らかってるんじゃなくて効率的に整理された結果なんだからな」
「問答無用!!」
テキパキと行動を開始したアリスの清掃スキルは専業にしている主婦顔負けのものだった。彼女には分からない資料のはずなのに散らばっている位置から大凡の見当をつけて綺麗に整頓されていく。
テスフィアはというと……まぁそこは貴族だった。
やろうとする意気込みこそあったのだが、散らかしているわけではないのだろうけどあまり手際が良いとは言えなかった。
それでも僅か数分の間に見違えるほど綺麗になったことにアルスは移動された悲壮感よりも感嘆が口を付いた。
「アリスはなんでもできるな」
「ちょっと私もやったんですけど!」
「……あ……あぁ、二人とも悪いな」
濁されたことでテスフィアが不満を口に発する前にアルスが継いだ。
「しょうがない。多少は見てやるか」
二人は見返りを求めての行動ではなかったのだろうが、アルスの一言に喜々とした笑みを突き合わせた。
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・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
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