先駆者
帰還したレティたちは憔悴しきった顔で宛がわれた一室に集まっていた。
一応休息用に各人一部屋割り振られているが休まることを良しとしないような雰囲気であった。現在はこの隊本来の隊長であるレティの指示を待っている状況なのだ。いや、すでに指示は受け取っている。
では、何故誰一人休息を取らないのか。
単純だ、担ぎ込まれたアルスたちの容体を気にしてのことだった。この場にいる魔法師は知っているのだ、魔法師の頂点に君臨する魔法師がどれだけ軍役に就く魔法師に還元しているのかを。
彼を失うのは人類にとって多大な損害であるのがいやと言うほどわかってしまう。そして肝心な時に傍観していることしかできなかった不甲斐なさだけが、彼らを未だ任務遂行中であるような顔つきたらしめていた。
そんな空気の中では唯一異質と取れる人物が机の上で仮想ボードを叩いていた。彼女も心同じくしていることに違いはない。気を紛らわすにはちょうど良い事務作業だ。
リンネは帰還後、身体を洗ってからすぐに作業を始めている。のちのち各人の動向を正確に記載した詳細な報告書を作成しなければならないが、その前に記憶している限りの経緯をまとめる必要がある。
急務とは言え、本来ならば作成に必要な情報を提供するだけでちゃんと書記官がいるのだがそうも言っていられない理由があった。
レティから隊に伝えられた報告は諸連絡に加えて口裏を合わせるために報告書を偽装するということだ。
これは偽装というほど大袈裟なことではない。そう、ミスで、書き損じただけなのだ。無論人為的にだが。
(アルス様の負傷は魔物によるものであり、自爆の余波に起因する……直後に標的の抹消を【黒雷】で図ったが魔力爆発を引き起こす……と、その際に直径200mほどのクレーターを残す……)
指を動かしながら脳内で改ざんする文を追っていく。
これが総督の指示である以上、異を唱えることはできないし唱えるつもりもなかった。
途中までは正しいのだから嘘は付いていない。そう、アルスは一人で魔物を倒したが、予期しない自爆にあっただけのこと。
焦点は討伐するまでである。その後はきっと蛇足なのだろう。それにシセルニアも同じことを言うに違いないと確信にも似た予感がする。自分に言い聞かせるように納得するリンネは湿ったままの髪で顎を引いた。
鬱々とした空気から逃避するように画面へと意識を移す。さすがに没頭するほどの図太さがないため、ソワソワと足が空踏みを繰り返した。
こんな時に一新するように晴れ晴れとした表情で「そう言えばあの時はどうなったかご存じありませんか」などとお茶を濁すような気の利かせ方ができればよかったのだろうか。それはそれで無神経というものなのかもしれない。袋小路にあったような思考回路は口を開かせることはなかった。
画面から視線を浮かせて僅かな苦楽を共にした隊員を見て、諦念を噛み締めてから視線を戻す。
(レティ様、早く戻ってきてくださらないかしら)
当のレティはと言うとべリックへの報告と擦り合わせを終えて、アルスが担ぎ込まれた緊急治療室の前で壁に凭れかかりながら目を瞑っていた。
重厚な扉は施錠されているように開く気配を感じさせない。すでにアルスが入ってから三時間以上が経過している。一時間ほど前にロキが施術を終えて出て来ていた。
彼女は部分的な損傷が悪化しただけで命に関わるほどではないらしい。ただそれは今治癒に専念している一人の魔法師あってのセリフだろう。
この部屋は各国にある治癒専用の施術室である。内部構造は四面を魔力を遮断する稀少な鉱石で覆われており、床には巨大な魔法陣が展開している。滞空する魔力の残滓すら施術に使うために考案された常時発動型治癒魔法だ。この魔法陣の生みの親は今まさに施術中である。
この中にいるだけで自己治癒能力が向上するという、ただ重症患者に限るらしいが。
ロキがストレッチャーに乗せられて出てきた際に入室を希望したレティだったが、当然のように門前払いにあった。
自身の魔力が室内の魔法に干渉してしまうためらしい。シングルであるレティならば無意識に流れ出る魔力をコントロールすることは造作もないことだが、万が一があってはいけない。それにできようができまいが、関係無い者は誰一人入れないとのことだった。
そういうわけもあってレティは二時間弱をここでじっと待っているのだ。
ただじっと心配しているばかりではない。端的に言えば一人で考える時間が欲しかった。
レティは総督とのやり取りで得たアルスの力について思い出す。
(確かにあれほどの異能、魔物に対して天敵と言えるっすが……それは人間に向くかもしれない諸刃の剣……っすか)
この話を聞く前にべリックは最初の暴走について語った。
アルスの圧倒的な戦闘力が開花し始めた時、べリックはすぐに臨時の部隊を新設した。それはヴィザイストを隊長に据えた少数の隊だ。というのも事前にアルスから異能について聞き及んでいたからでもある。本当にたまたま、偶然だろう。ヴィザイストを含め余人を挟まなかったのは。
主に異能を把握するためにアルスは任務に就くこととなった。べリックのお膝元で異能に関する調査を進めるが、まったくといってわからなかった。そこでこの力は魔物に対して圧倒的な力を有していることからコントロールする方向で最重要機密として訓練が行われる。
そんな時だ。
コントロールという着眼点を肯定するように制御が利き始めた、そんな時のこと。
初めて外界での暴走を確認したのは。
周囲数百m圏内の魔物が姿を消したのだ。そのことについてヴィザイストは言及せず従ってくれたが、もみ消すのに相当骨が折れたらしい。
当時のことを話すべリックは苦笑しながらも反撃の狼煙を上げる為の火種を見つけたと言った。大きな業火となると。
だが、問題はそう容易くはない。この異能を解明できないため公表することができなかったのだ。それに強過ぎる力は往々にして恐怖を生む。ましてやコントロール、制御なんて言葉が介在する以上避けられないのかもしれない。余りにも強大過ぎる代償を支払えるのかと。
それでもアルスを起用し続けたのは過去の大災厄を知っているからだろう。鬼を喰らうならば相応のリスクだ。それを理解する者は限りなく少ない。誰も自分の命以上に大切なものがなかったからなのかもしれない。
これを受け入れるだけの器量を上層部は持ち合わせていなかった。
(けれど……その罪のトリガーを彼に任せるのは酷っすよ)
いや、もしかすると総督はいつか受け入れられる力だと考えているのかもしれない。この国を引っ張っていく魔法師としてアルスを導く為に。
だから、今まで必要以上に秘匿し、他国から――特にルサールカのような大国から――外堀を埋めようとしたのか。彼が人類にとっての有用性を説くのに必要な段階を踏む為に。
現状では大陸の奪還を一人で成し遂げたなど鼻で一蹴されて終わりだ。アルファの発表では1位の功績となっているが、他国は明らかに裏のある発表に眉を潜めたことだろう――事実だとしても。
ルサールカは共同作戦を提案してきたぐらいだ。1位を組み込む条件が裏で行われていたかは定かではないが、両国の信頼は派遣する部隊に比例するのだから当然と言えば当然だ。寄せ集めの部隊では両国の関係は悪くなるかもしれない。もしかすると他国も不信を抱きかねない。
(だったら、総督もアルくんの退役は相当堪えたっすかね。いいきみっす)
と私情が入った感情にレティは悪戯っぽく頬を上げる。
(それにしても【暴食なる捕食者】っすか、魔力のみを喰らう魔力)
記憶にあるはずもない異能。
レティも気づいている、まるで魔物のようだと。
魔物が人間を喰うとは魔力を吸収する目的あってだ。元々魔物には人間を消化する器官がない。そのため糞と呼ばれているのは消化不良によって吐き出された残骸である。つまり、ほとんど魔力だけを喰うと言えるわけだ。
この性質を聞けば必ず邪推するものがでてくるだろう。べリックがアルファ内でも共有しないのはこの理由が大きい。
最悪、研究と託けて処分しようとする者は確実に出てくるだろう。そうなった場合一人や二人では済まないはずだ。べリックが擁護できなくなった時、それはアルファが、如いては人類が絶滅することを望むかのように狂人への道を知らずに歩み出す時。
正論は時として恐怖心を増長させ、全てを肯定してしまう。大きなうねりは結果を見ずに収まらないはずだ。
(…………だったら毒を食らわば皿までっすかね。毒は毒でも特効薬にも化けるっすが……)
物思いに耽っていたわけではなかったが、実際、緊急治療室の扉が開いた時に反応が少し遅れてしまう。
現在治癒を行っている人物は名前を世界中に轟かせた聖女と謳われる人だ。
だから、その治癒魔法は折り紙つきだというのに、行動は正直だということだろう。大丈夫だと言い聞かせていてもこればかりはどうしようもない。
駆け付けたレティは治療室から出てきた人物に迫った。
「ネクソリス様、アルくんは……」
かつて聖女と呼ばれたネクソリスは不機嫌そうに皺くちゃになった顔でぶっきらぼうに口を開けた。
「まだいたのかい。誰だか知らないけど、私を見くびるんじゃないよ。少しばかり腰が痛くなっただけさね」
「し、失礼しました。私はアルファのシングル魔法師、レティ・クルトゥンカっす」
ただ言葉ほど余裕はなく、疲れているのがその顔に張り付いた水滴が物語っている。
そうかつて聖女と呼ばれた女性は面影すらない。残念ながら美貌から聖女と呼ばれていたのかわからないが。治癒魔法故に呼ばれていたのだろうとレティは思った。
それもそうだろう。齢七十も半ばに差し掛かっているということだ。曲がった腰を擦りながら低くなった背で正装だろう白い衣装の捲っていた袖を降ろす。
「ふん! アルファかい……たく、相変わらず虫が好かん国だよ本当に。あの坊主が現1位だってぇ世も末だねぇ、あんなション便臭いガキが外界に出てるなんて……」
「そ、それは……」
ぐうの音もでないレティは黙することしかできなかった。間違ってもアルファを代表する魔法師が関係無いなどと言えるはずもないのだから。
「あんたに言ってもしょうがないさね。わからなくもないからねぃ、あれほどの魔力量を内包していればどの国だろうと使いたいだろうさ。だからこそ私にはわかるんだよ。なんであんなのが存在するんだい」
「そ、それはわからないっすけれども、間違いなく歴代最強の魔法師っす……」
少し誇らし気に言うと、ネクソリスは鼻を鳴らしてよろける。
「おっと……どちらに?」
腰を落とし身体を支えてあげたレティ。
「昔助けてやった奴の顔でも見てやろうかね」
それが誰なのかわからず、首を傾げたレティは背後のアルスを心配するように問う。このままネクソリスを送り届けたいのは山々だったが、アルスを放置してしまうのは……。
そんな心配を汲んだのか。
「大丈夫さね。傷は一つも残っとらん。どのみち今は動かせん、あの部屋で自動治癒式を掛け続けて様子見じゃ。万が一の措置さね。恐らく今、あの坊主は許容量を超えた魔力を取り込んでいる。こっちでは下手に発散させんほうがいいんじゃ。と……言うよりも手が出せん」
「じゃアルくんが目覚めるのは」
「どうじゃろうな、少なくとも魔力を取り込むまで待つしかあるまいて。身体の異常は全て完治させてあるんじゃ、何とかなるじゃろ」
レティは背後、部屋の内部をチラリと振り返った。
中には7カ国魔法親善大会でも活躍した名高い治癒魔法師たちが項垂れるように腰を落としている。相当消耗したのだろう、あのまま寝てしまってもしょうがないほどだ。
再度、ネクソリスに視線を移したレティは考え直す。彼女こそ治癒魔法界を先導した先駆者なのだから。
元来、治癒魔法とは擦り傷程度の自己治癒能力の促進、痛み止めほどの効力しかなかった。
それを大きく躍進させたのがネクソリスその人だ。
治癒魔法界の先駆者で聖女と謳われた魔法師は生きる伝説に近い。今アルスが横たわっている下にある巨大な魔法陣も彼女の考案したものらしい。
常時自己治癒能力を促進させる。名医と呼ばれる魔法師たちは始めに彼女の著作から学ぶほどだ。イベリスお抱えの治癒魔法師だが、その名が広まったのは過去の大災厄が機だったはず。
匙を投げられた患者を数えきれないほど救ってきた。今は軍役を退き、街で小さな診療所を営んでいるらしいが、その探求は今も続いているのだろう。
やはり聖女と呼ばれるに相応しい。
レティは「ありがとうございます」と感謝を述べた。
「礼を言うならならおぶってもらおうか、老体に立ち仕事はこれっきりにしてもらいたいものさね」
「はい、それでどちらに……」
ネクソリスは呆れたように難しい顔で眉間を摘まみ。
「洟垂れ坊やのところさね」