合理的血路
ロキは落ち着き、分析するように一言一句に神経を尖らせる。
それが視線に乗ったのを機微に感じ取ったのだろうか、フローゼは肩を竦めるようにして柔和な笑みを作って口を開く。
「そんなに警戒しないでちょうだい。今日は単に試合の観戦に来たのだし、頑張った娘の友人に一言ぐらい労いの言葉を掛けさせてくれないかしら」
「……私はアルの代役ですので」
「…………そうだったのね」
この際、『友人』という言葉には目を瞑るとして、あまり関わりたくはない人物だ
フローゼがどこまでの情報を得ているかわからない状況では無駄な隠し立てはすぐにわかってしまうだろう。彼女は軍内部でも相当顔が利くはずというのは知っている。
「でも、あなたの試合は労って然るべきだわ。それだけの物を見せていただいたのだから、怪我さえなければ優勝はあなただったでしょうね」
「それも自分の不手際の代償です」
「あの一勝がなければ第2魔法学院の優勝は際どかったはずよ。素晴らしい試合だったわ」
「ありがとうございます」
含みのない称賛に訝しみを覚えながらも受け入れるしかないだろう。
「それと、いつも娘がお世話になっているわね」
「いえ、アルスさ、アルが決めたことですので」
フローゼは言い直したロキを微笑ましそうに見て。
「随分助かっているみたい。アルスさんにもあなたにもね。正直あなたも軍にいたのならわかると思うけどあの娘は才能に恵まれているけど、恵まれているだけなのよね。でも、数か月でこれほどの力を付けれたのだから見誤っていたのかもしれないわ」
「才能ですか……」
「えぇ、才能よ。才能があるからあなたたちは今の順位にいるのでしょう?」
「いえ、正確には違うと思います。そもそも順位など一つの指標に過ぎないはずです。それが外界で役に立つとは思えません。私もアルも順位には固執していません。生きる術は己の経験で獲得するものですし、才能があるから長生きするわけでもありませんから。だからアルが二人に教えているのは強くなる訓練ではなく魔物を倒す術だけです」
フローゼは知ったように、ともすれば試すように続きを促す。
「それは強さと同義ではなくて?」
「違います。強ければ確かに生存率も上がるかもしれません。ですが、長期的に見て長続きしません。釈迦に説法かもしれませんが」
相手の表情を見て、既知としている事実なのは明白だ。軍にいたのなら肌で感じているはず、それでもロキの口から聞きたいのだろう。
「魔物を理解し、最も効率的で最善を尽くす術を身に付けることはどんな場面でも対処が可能だということです。自分の限界を知る、正しく見極めることは過信しないことにも繋がりますし」
ロキは思い出すようにアルスとの会話を反芻する。
「だって、本当に強い魔法師は生き残った者にのみ与えられるのですから」
一瞬目を見張ったフローゼはすぐに柔らかい表情で感心するように口の端を上げた。
外界に出ていた魔法師を見下すことはしない。それどころか、頭が痛くなるほど痛感した。
そこまで行き着いていたことに驚きを隠せなかったのだ。
ロキが語った結論はプラグマティズム的な意味合いで真理なのだろう。だが、やはり彼女の世界は偏っていると言わざるを得ない。真理だけでは人は営めないということを。
「そう……ね」
一つの価値観としてロキの発した言はフローゼに波紋を起こした。
ロキも順位が持つ意味を理解している。魔法師社会の根幹部分で根強い評価基準でもあるのだから否定はしない。そう思っている魔法師がいるというだけのことなのだ。
無論ソースはアルスだが、今ではロキ自身が出した結論でもある。
何故が憑き物が取れたような表情を浮かべるフローゼに訝しみを覚えながらも、会話は続いた。
突拍子もない問いは今の話題が終えたことを意味しているのだろう。
「それで、そのアルスさんの姿が途中見えなくなったことについて何か御存じ?」
やはりという問い。
試合を観戦していたのなら誰しもが気付く。いや、気付いたのは何故こんな話を知人の母に話しているのかということだ。
親近感でも湧いたのだろうか。そんなはずはなかった。
だとすれば、上手いこと誘導させられていたのではないかと、思い返してみても失態というほど悪い気がしない。どうにも術中に嵌まっている気だけがするのだ。
これこそが貴族の恐ろしい所かとロキは頬を引き攣らせた。
ならばどう答えたものかロキは瞬時に脳内で思考する。すでにテスフィアやアリスと会っていると考えるならば情報を漏洩していてもおかしくない。自分も知り得る情報を二人にも教えたがその内容は任務の二文字だけだ。漏洩というには大袈裟だろうか。いや、殊にアルスの抱える事案に関して言えば全て秘匿すべきだ。
(二人にどこまで伝えるべきか、今後再考する必要がありそうですね)
もしくは二人にも秘匿の意味を学ばせる必要性すらあるだろう。すでに渡った情報だ。レティというもう一人のシングル魔法師も加わっているという爆弾付きだが。
「急用の任務が入りそちらに……」
結局、ここまでは話さざるを得ないと判断する。パートナーであるロキが知らないというのは不自然に過ぎるだろう。これまでのやり取りで騙せるような相手ではない。
ただ、フローゼの観点はそこではなかった。
「やっぱり残念ね。アルスさんにもう一度ご挨拶しておきたかったのだけれど」
「申し訳ありません」
「いいのよ。そういうこともあるでしょう。軍役に就くとは良くも悪くもプライベートの時間なんてないのだから。それよりも任務だというのにパートナーであるロキさんが行動を伴にしないのは何故なのかしら、普通はそのためのパートナーでしょ?」
時間を持てないというフローゼの言葉は現状でアルスの順位までは把握していないと推察できる。
だが、後に続く言葉は苦渋を味わう一言だった。
不思議に思ったといった表情で平然と問うフローゼ。そこには疑問を解消したいだけという率直な色が窺える――ロキの主観だが。
アルスの命だからなのだが、やはり本懐とはかけ離れているようにも思う。だからこそ、寂寥感を感じているのだ。
ただ、会話のやり取りで、もしかするとフローゼは本当に挨拶をしに来ただけなのかもしれないとさえ思えてきた。邪推かもしれないという警戒心の弛緩、もちろん用心に越したことはない。まだ、油断はできないのだから。
少なからず猜疑心が和らいだのは確かだろう。
「大会で二人も選手が抜けるのは第2魔法学院にとっては痛手でしょう。アルの指示でもありましたので」
「……歪ね」
「…………何がでしょうか!」
ふいに零れた言葉にロキは目を鋭くして、微笑を浮かべたままのフローゼを見返す。
「あなたがそれでいいのなら別にいいのよ。ただパートナーは駒ではないわ。ましてやあなたは命令を実直に聞く人形でもないでしょう?」
「私はそれでも構いません」
「そう、でもあなたは人間なのだから人形にはなれないわよ」
「…………フローゼさん、あなたは何も知らないからそんなことが言える」
ロキが何故アルスのパートナーになることを決意したのかそれまでの過程を何も知らない。それが全てだと言うのに……だから何も知らない相手にここまで言われる筋合いはないのだが、何故か無性に突っかかってしまう自分がいた。いや、アルスの傍にいる者、ロキのアイデンティティが口を開かせているのだ。
だというのにフローゼは表情を変えず教え諭すように口を開いた。
「そうね。何も知らないから歪に見えるのよ。別にあなたがそれで満足しているならいいわ。パートナーは役割の一つ、命令に従うのもある意味では正しいわ。でもあなたは不満なのでしょう?」
「…………!!」
「顔に書いてあるわよ」
まるで見透かされているような気分だ。
すでにロキは反論するだけで精いっぱいだった。警戒ではなく敵対に近いのだが、胸で異物が引っ掛かるように言葉が出にくい。
「軍を退いたとは言え私も長いこと従事していたわ、だからこれは助言よ。魔法師も人間、押し殺せない感情はあるわ。殺し続けるのも上手く満たすのも自分次第、だから言うわ、殺し続けることは不可能よ。時には我慢も必要でしょう。でも、あなたは我慢し続けているんじゃない?」
「そ、それは……でも……」
「もう少し譲れない物があってもいいんじゃない? あなただけの決まりが……あなたが納得する方法でね。そのほうが女としては魅力的よ」
微笑み掛けてくる顔と言葉にロキの胸は一つ大きく鼓動を打った。抑え込んでいた物が出ようとしているかのように。
「でも、私は……そ、それに次からは一緒に……傍で……」
俯き気味に発せられた言葉は切れ切れの断片のみで意味をなそうせず、視線を彷徨わせながら言い訳を探している。
だが、フローゼには伝わったのだろう。グラスを通り過ぎていくウェイターの銀製の盆に載せて。
「あなたは彼の何? 次っていつ?」
「…………!!」
見上げるように顔を上げたロキは何かが吹っ切れたのを内で感じていた。
(『彼の何?』……ただのパートナーに……ううん、違う。パートナーなんてただの口実。都合の良い役職。次、次っていつから? 何が次なの……でも、そこまで願っていいの? )
内心で盛大に頭を振ったロキは答えが出ない難題――ロキにとっては――をなぞるように口から漏れる。
「次……」
「ロキさん、あなたはここで何をしてるの?」
「――!!」
分かっていたことなのだろう。ロキにとっては知っていて、気付いていたことだ。言葉として聞けばそこには合点がいかない、奇怪な色を含んでいるように聞こえてくる。まるで二つの歯車が噛み合うどころか……離れているような。空を虚しく押し出して空回りしている感覚だ。
(次は……もう……!! ……でも)
しかし、ロキの瞳には欲求を通すことと行動に移すべきじゃない、という両方がいがみ合うように拮抗していた。
見かねたフローゼが額を抑えて、指を一本立てて眼前に突き出す。
「はぁ~、世話が焼けるわね。あなたは若いのだからまずは行動してから考えなさい!!」
トンッと背中を押しだすフローゼ。
ロキは数歩踏み出し、振り返った。一瞬の躊躇い、逡巡は果たして突き動かされるままに行動を移していいのかということだ。願望を優先させるならば一秒たりとも離れたくはない。だが、外界に出たことのあるロキにはわかるのだ。
足手纏いがどんな結果をもたらすのか。
(あぁ、でもそれでいい)
背中にチラつく無慈悲な彼にも感情はある。そしてロキにも。
一方的な恩義ではあるが、この命の使い道を再認識した瞬間だった。足手纏いなど絶対にならない、アルスの雰囲気からそうとう手強いのだろう。だが、命を賭せば数秒でも稼げるはずだ。
初めから悩むことでもなかった。きっとアルスはよくやったと褒めてくれるだろう。
身勝手に思い込んでも、学院で再会したアルスはあの頃と違う。そんな幻想を振り払い。ロキは決意する。
「…………ありがとうございます!」
胸の前で手を軽く振り「こっちは私が言っておくわ。でも……」と声を発しかけた頃にはロキは凄いスピードで会場を出て行った後。
「怪我をしてるんだから……」
という言葉は中空に虚しく消えていく。一応怪我を理由に取り巻きを遠ざけたのだから、その辺りも考えて欲しかったのだが、そんな余裕もないほど欲求に素直になったのだろう。
ロキは走れることに素直な感謝を治癒魔法師たちに送った。そしてもう振り返らない決意を抱えて真っ直ぐに走る。
後のことは後で考えればいいと教えてくれた。気付かせてくれた。
だから、足に負荷を掛け過ぎないように時間を掛けてバルメスに着いた時、総督にアルスからの指示だと嘘をついた時、罪悪感と一緒に決意が湧いた。今は彼の元に向かうことしか見えていなかったし、それだけで胸が弾むようだ。気が楽で……やっとという思いが足を軽くする。
それにアルスに文句を言わせない名分があるのだから。鬱屈とした気は晴れていた。寧ろ開き直っていた。
自分に嘘を付かない為に、何よりも後悔しないためならば迷わない。
ちょうど前線に送り出そうとしていた医療班、支援部隊に組み込んでもらえたのだ。
ロキの出て行った会場内では呆然と扉を見ている貴族たち。
フローゼはワザとらしく「ホホホッ」と口に手を当ててやり過ごした。
その時、背後からしわがれた声が掛けられる。
「敵に塩を送られるなんて……彼女は……」
「そうね。お礼のつもりだったのだけど……セルバ、私も歳を取ったのかしらね」
「いいえ、きっと童心に戻られたのではないでしょうか」
引き攣った表情で老執事を見て、一拍置き「そうね」とだけ諦めたように溢した。
そうフローゼはロキに順位が何の役に立つのかという指摘を受けて、思い知らされた。見下すように順位だけを見ている貴族の風潮に自分も浸かっていたということだろう。情けない話だ。
確かに魔法師として順位は評価される指標の一つとして社会に定着している。それは紛れもない事実であり、度外視することなどできない。それを肯定するのは順位を示した者のみに与えられる自由なのだろう。
しかし、順位は決して個人の価値にはなり得ないということ。それを思い出させてくれたのは年端もいかない彼女だ。
だからこそ、娘に嫁がせたいと思っているアルスを明らかに慕っていると分かっても助言してしまったのだろう。
そう思っていたのだが、セルバが放った『童心』という言葉は別の理由を指していた。
過去を想起させるように耽りながら、記憶の蓋を開けてみる。
「あれだけ、真っ直ぐな想いを抱えている子を見ちゃうと、ついね」
「左様でございますね」
含むように笑んだ老執事にフローゼは口を噤むことで悟る。いや、わかってしまったと言ったほうが正しいだろう。
自分こそが我慢していたことに、そのせいで夫を亡くした後悔の懺悔。
軍属に私情を挟まないというのが通説だが、結果は誰にもわからないのだから、私情だろうと行動するべきだったのだろう。
「幼少から軍にいたからなのかもしれないけど、不器用……いえ、下手なのね、生きるのが」
それはアルスにも言えることだったが、彼の場合は少し事情が変わってくることをフローゼは何とはなしに感づいていた。
そこには力を持ったがための気苦労があるのだろうが、初対面の時、少し生き苦しそうに見えたのだ。
「フィアにもあれだけの気概があればいいのだけど」
「悠長に見守る時間も必要でしょう。お嬢様ならばきっと」
チラリとセルバを見て、フローゼは爆弾を投下してみる。
「セルバ、フェーヴェルが貴族でなくなったら……」
「私は手足が動かなくなるまで奥様のお傍で働かせていただきますよ。お嬢様は私にとって孫も同然ですので、これだけは奥様の命でも聞きかねます」
フォッフォッフォと髭を震わせるセルバの表情を見れば不発に終わったようだ。
フローゼは小声で感謝を述べた。歩き出す先は娘を一直線に捉えている。
「そうね。自身の判断以外で後悔を植え付けるのは間違いなのでしょう。それこそフィアに恨まれるわ」
打算もあるが、結婚に関してはもう少し考えてからにしようと思い直していた。魔法師としての成功を取るのかそれとも貴族としての体裁を取るのか……それとも、その両方を勝ち取るのか。
その判断は親でなく娘に委ねるべきだろう。手を差し伸べるぐらいはさせて貰えるだろうか。
家督を譲るまでは母の役割を捨てるわけにはいかない。成長し続ける娘に渡すまでは家を守っていかねばならないだろう。
先は長いように思われた。まだ忙しい日々は軍務に従事するが如く苦労があるだろう。しかしフローゼの足取りは、草原を何の目的もなく無邪気に駆けずり回る子供のように軽やかだった。
「セルバ……来てよかったわ」
「はい」