腐敗進行
「アリスちゃんのAWRは確かに面白い作りのようだし、魔法も光系統にはなかったはずよね」
「は、はい。魔法もアルが作った物です」
「そう、だったのね……」
フローゼは眼を細めて閉じた口の端を持ち上げた。
魔法開発は研究者がチーム組んで大掛かりなプロジェクトを経て開発する。軍から資金提供を受けているほどだ。
それをたった一人で行ってしまうというには誇張が過ぎるのではないかと思ってしまう。一方で調べて来た情報はそれを容易く否定するのだが。
ともかく、素直には承服することはできない。
「AWRのことは私にはわからないけど、おそらく魔法に関しては大全に載せるよう打診が来るはずよ。もちろん魔法式の公開も含めてね。それは断らないことを勧めるわ。魔法に関する情報の開示は魔法師に共通して助ける力だから、ね」
艶やかな唇が懸念を孕んだ声を生む。だが、決して威圧的でなく優しく諭すような音色をだ。、アリスを気遣ってのことだとわかる。表情からも心配はないと告げているようだった。
アリスは不安を抱きながらも助言を素直に受け入れて一つ頷く。
改めて実感するのだ。AWRを作ってしまうことの凄さと、魔法を生みだす知識。どちらも既存の概念に縛られない奇抜な発想があればこそだろう。自分では想像もつかない叡智が凝縮されているに違いない。
そう思えば思うほど、どれだけ恵まれているかを実感してしまうのだった。
「それでね、せっかく来たのだからアルスさんにも挨拶をしたいのだけど、どこにいるか知っている?」
「そ、それなのですがお母様……」
二人の気晴れしない表情を見て小首を傾げる。
「…………残念ね。決勝に出ていなかったから不思議に思っていたのだけど、そういう理由ならしょうがないわね」
耳打ちするように告げられた内容にフローゼは内心落胆していた。口には出さないがアルスにもう一度会うことを目的としてきたのだから。正確にはその力量を計るためだ。
彼が魔法師としてどれほどの実力を秘めているのかを判断するには絶好の場に違いなかった。決勝でフィリリックというルサールカの魔法師はまさに当て馬としては十分な力を持っていた。物差しとしての役割を果たすと期待していたのだから残念でしょうがない。
結果として遠回しな推測しか立たなかった。各試合は瞬殺のため、評価すらできない。決勝でフィリリックに勝利したアルスのパートナーであるロキの実力はフローゼの予想を大きく裏切っていた。たかだかサポート魔法師が勝利を収めたのだから、彼女の相方であるアルスの実力はそれ以上の可能性が高くなったと言える。もちろん自分の眼で確かめるまでは評価を保留せざるを得ないのだが。
結局は分からず仕舞いだ。
しかし、ここに来て手ぶらで帰るわけにはいかない。そのためにもう一人、会っておきたい人物がいる。
フローゼは今まさに気が付いたような素振りを見せて。
「だったら、二人の友人であるロキさんにお会いしたいのだけど、紹介してくれるわね」
完成された、非の打ちどころのないアルカイックスマイル。
それだけにテスフィアとアリスは言葉を発せずに誘導されるように頷いてしまう。
ハッと気付いた時にはすでに遅かった。そもそも友人であるという情報をどこで得たのか。いや、この母親ならば調べるのは造作もないはずだ。ブラフである可能性も……アルスに指導してもらっているのだから友人と思われてもおかしくないのか? などと考えてみても取り返しが付かないのだが。
帰省した時のやり取りが想起されるような予感がテスフィアを襲う。そのため、すぐに視線を外してしまったのは不可抗力なのだろう。何より逸らした先にロキを見つけてしまうのだから逃げ道はなかった。
テスフィアとアリスはできれば今は遠慮して欲しいというのが本音だ。
どうにも今のロキはそわそわした様子で落ち着きがない。アルスがいないことに端を発しているのは言うまでもないことだが。
フローゼはテスフィアの視線を追う。
端っこで腰を据えている銀髪の少女、決勝戦で見た彼女に間違いない。遠回しに窺う貴族たち、あの試合を見ていたのならば彼女がどれほどの魔法師かという推察は容易い。
フローゼの見立ててでは過去に近い試合を見せた人物は現シングル魔法師、ジャン・ルンブルズとレティ・クルトゥンカの試合に引けを取らないのではないだろうか。結論、将来的にかなり有望だということだ。
そうなると貴族であるとか、家名なんてものは二の次、三の次。ここにいる親たちは息子の相手にと目が血走るのも仕方がない、それほど有力馬と言えた。
貴族でなくとも彼女を欲する家は多いだろう。それこそ庶民だとしても一代で貴族の仲間入りを果たすことも夢ではない。無論、そのためには子供を家のための道具としなければならないのだが。
女性に優位性が高いと結納金など全て男側が提示するほどだろう。何を犠牲にしても嫁いでもらうためならば安い。
だが、フローゼはアルスという最大のカモを娘に背負ってきてもらうためにロキの存在は弊害でしかない。それほどに彼女の容姿は目を見張るものがあるのだ。絵本の中から出て来たと言われても納得してしまうほどに。
自分も若かりし頃は大勢の男から言い寄られた経験を持つ。蠱惑的な美の象徴だと同性に妬まれるほどだった。さすがに男を惑わす類の美しさまでは娘に遺伝しなかったが、それでも若い頃の自分を見ている気さえするのだから、美人である。
美人ではあるが、同じ学年にこれほどの美少女がいたのならば嫉妬しても仕方のないことだろう。フローゼとて十代の時にロキを見たならば嫉妬に身を焦がしたに違いないのだから。
だからこそ、ここでつまらない家に引っ掛けられるのは面白くないのだ。ましてや、娘たちの友人、自己紹介すら済ませていないのに。
焦る必要はない。
できれば娘には今すぐにでもそれなりの家柄と見どころのある階位を持つ夫を決めて貰いたいのだが。
テスフィアの成長速度を鑑みれば、決断が鈍る。自分が諦めた道、魔法師として大成ができるのではないかと。
それが適うならば結婚の年齢など多少目を瞑っても問題ない。条件さえ満たしてくれるならば、フローゼも本人の希望を適えてやりたいとは思っているのだ。魔法師として大成してくれるならば選択肢は多いだろう。もちろん死ぬリスクも高いのだが。
どちらにせよ、イレギュラーな存在が現れたことで見送るのが最善であると決断した。少なくとも学院卒業までは待つつもりでいる。
苦悩を抱きながら、周囲を見渡せば階位だけを見据えた貴族たちが婚約、いいや、お見合いだけでも約束を取り付けるつもりで窺っている。歯に衣着せない言い方をすれば節操がない。第一候補が期待できなければ次に次にと、とっかえひっかえだ。フローゼとて人の事は言えないが、貴族社会の醜い部分が広がっているのは事実だろう。
本戦でロキの対戦相手だったフィリリックは気さくな笑顔を張り付けて、貴族然とした兎の皮を被った狼を相手にしている。フローゼから見ればあまり好ましくはない姿だった。ぬらりくらりと処世術は心得ているのかもしれないが、なんとも胡散臭い。
階位だけを見据えれば何事もないように引っ込める感情なのだが。
心証的には受け入れ難い。まだアルスのような横柄な態度のほうが軍にいた身としては好ましいのだ。
それもアルスという人物がいればこその感情だろう。彼が現れなければフィリリックの元に向かったに違いない。
貴族でない者が見ればさぞ不可思議な世界だろう。
しかし、貴族であることは大いに身を助ける。世襲制である貴族は代々名を守って来た。端に上流階級というだけでなく、バベル近辺に居住する権利もあれば、魔法師を警護として雇うこともできる。何よりも軍での昇進が早く、親の代から隊を抱えていることも珍しくはない。つまるところ貴族とはその高貴さを代表する家で、それは各国元首の保障するところだ。
高位の魔法師を排出することで証明している一方で、贅の限りをつくす特権階級へと成り下がる傾向にある。
元々は魔法師という職業に対する尊崇の象徴が貴族であった。
あった、はずなのだが……。
これが今の貴族なのかと……。
同時にこの現状は魔法師に対する社会的評価の向上に起因しているのだ。貴族である必要がなくなってきたというべきなのだろう。魔法師は順位や功績によって評価を上げる。それは貴族と同格であるという評価だ。社会階級が軍内部での階級とほぼ一致したがために順位が縛る。順位に縛られる。
貴族というぬるま湯を捨て去ることができる貴族は少ない。そのために血眼になって最良の物件を探すのは仕方のないことなのかもしれない。とフローゼは感じていた。
ともすれば、他人事ではなく、その矛先は我が娘たちも同様だ。
自分がいることでテスフィアとアリスに声が掛けられないのは余所余所しくグラスを持って窺い見る視線が告げている。
(意地汚いというかなんというか……)
疲れたように肩を竦める。もちろん我が子を思えばこそだと信じて何も言わないのだが。
フローゼが何をどう思おうが、行き着くところは同じ穴の貉でしかないのだ。それがわかってしまうから二人に対してもこんなことを口走るのだろう。
「ロキさんは見つけたから二人はここで皆さんのお話を聞きなさい。私が独占していたのではいつまでも終わらないでしょ?」
「ですが、お母様……」
テスフィアは全面に焦りを押し出す。この場がどういう席なのかを把握しているからだ。
「自分の眼で現実をみなさい。すぐにとは言わないけど勉強しとくには良い機会でしょ。アリスちゃんもよ」
「わ、私もですか?」
驚愕の声は飛び火したからだろう。わかっていたこととは言え、意表を突かれたのは事実だ。
「もちろん。アリスちゃんも魔法師を目指しているのだから目を背けることはできないわよ。勉強だと思って気軽に聞いていればいいわ。でも……ちゃんとお断りしないとなあなあで進んじゃうから気を付けるのよ」
教訓なのだろう耳が痛い。アリス自身、貴族であるテスフィアが傍にいるのだから、その手の話は既知としているが、自分とは無縁だと切り離している節があった。
「は、はい。気を付けます」
「大丈夫よアリス、私も出来る限り近くにいるから」
そう言ってテスフィアが背中を押すが、その表情は強張りつつある。
彼女とて良い顔をして話を聞いていられる自信はなかった。ぞんざいな応対をすれば家名に傷が付くかもしれないのだ。それとも婚約とか、自分の息子を押し付けるようなやり方には吐き気すらする。結婚という単語自体嫌悪するほどの拒絶反応があるのだから。
頭痛を覚えつつも外面ようの仮面をつけて精神的疲労に備える。
「良い殿方がいれば唾ぐらいは付けときなさいね。理想は将官の地位に就いた経歴があればいいわね。それが適わないなら二桁の順位を排出している家柄がいいわ。古いだけの貴族には気をつけなさい。私は挨拶してくるわね。一通り済んだらまた来るわ」
唖然としているテスフィアとアリスには悪いが、これは当主としての役目だ。関係のないアリスでも役に立つはず。
戦場に向かう二人の姿に肩を竦めながらも、しっかりセルバに遠目で見ているように言いつけて自分は人だかりの中に割って入る――途中で二つグラスを手に持つ。
優雅で一際人目を引きつける妖艶さに取り巻きたちは一歩引き、道を作る。何人かはフローゼとのコネクションを作りたいと思ったに違いない。
十年近く軍を離れていながら、まだ密接な関係を示すようにその名は色褪せず、将官時代の手練手管を知らない者はいないだろう。
柔和な微笑を浮かべてドレスを揺らす。