煌びやかな仮面
時間は遡り、大会終了後。アルスたちが任務に向かって半日も過ぎていない頃だった。つまり、急遽バルメスにて一日遅らせたことを考えれば、まだ本部に駐留していることになる。
「まさかここまで忙しいなんて……」
テスフィアが外面用の仮面を維持しながら眉間を摘まみ精神的な疲労を紛らわす。
探すように視線を巡らせると今も応対に追われているアリスが四苦八苦していた。そう、できるだけ二人で固まっていようという話になったのだが、早々に引き離されてしまったのだ。
見ている限りかなり困窮しているようだが、なんとか上手く凌いでいる。
そしてアリスも同じくテスフィアを探すように顔を振っていた。交わったのはすぐだったが、今にも泣きそうな表情で見つめてくるのだ。
当然、約束もあるのだからと一歩踏み出そうとした時――。
「失礼、少しお時間よろしいかな――」
そう言ってテスフィアに話掛けて来たのは物腰の柔らかそうな男だった。まだ三十代だろう男を魔法師だと直感する。外界で戦ってきたのだろう歴戦の魔法師が纏うような雰囲気が漂っている。フォーマルな格好でも隠しきれない戦闘経験とも言うべき身体付き。無論この場にいることを考えれば各国軍関係者なのだから容易に推測できるのだが。
貴族だからと他国からの部隊勧誘はないだろうと高を括っていたが、どうやらお構いなしといった具合で一次が始まってから十七人目の相手をすることになりそうだ。どういうわけかフェーヴェル家と知っての勧誘らしく『母に~』の常套句が利かないのだ。まずは本人からということなのか、どの道また時間がかかりそうだとテスフィアは顔の前で手を合わせてアリスに言外に謝罪した。
全てのパーティーは同じ場所で行われる。だだっ広い部屋では各学院の選手が制服に身を包んで出席している。無論大々的には親睦の場というのがこの席だ。
いつの間にか貴族やスカウトマンへの配慮からなのか、広い部屋では第1から第7までの選手は決められた場所から大きく動くことができない。というのも全選手を合わせればかなりの数になるからだ。一応食事などが楽しめるように長大なテーブルには色とりどりの料理が並んでいるが、上位三校はほとんど手付かずなままだった。
これはこれで困ったものなのだが、かといって最下位ともなればお通夜状態なのだから贅沢というものだろう。7カ国魔法親善大会の風物詩とも言われる光景であるのだから今に始まったことではない。
逆に言えば優勝校である第2魔法学院でも初戦敗退などの惨敗に終わった選手はほとんど声が掛からなかったりもする。だからこそ優勝者のテスフィアや同列視できるアリス辺りは引っ切り無しだ。
シエルも4回戦まで進んだ功績もあってか、皿を持ってテーブルに近寄ろうとする所を呼び止められたりしている。こちらはアリス以上に困惑していて逆にペコペコ頭を下げている始末だった。
ならばと気になる人物を探すために隙間を縫うように視線を巡らせる。テスフィアが優勝したとはいえ、もう一方の試合を見た者ならばわかるはず……空いている席に繰り上がりで着いただけだと。
第2魔法学院は中央にスペースがあり、その隣には準優勝の第1魔法学院がいる。最も人だかりのできている中心を見ると回復したのだろうフィリリックが大人相手に談笑に興じていた。
だが、こういった場に慣れているテスフィアだからこそわかることもある。
(外面用の仮面は徹底しているのね……)
裏表のない表情でグラスを片手に貴族然とした立ち振る舞い。
なんとなく癪に障る。
「あの……フェーヴェル殿?」
「え、は、はいっ!!」
まだ話途中だったことを思い出し、自分がミスをしてしまったことに気が付いた。
「そ、それでですね是非私の隊でその才能を伸ばしてみませんか? こう見えても私二桁でして」と胸ポケットから取り出したライセンスに触れる。
立体映像として浮かび上がるプロフィール、これは相手に見せるための名刺だ。
「まっ! そのような方にお声を掛けていただけるなんて光栄の至り。ですが、私のような若輩者では皆さまにご迷惑を掛けてしまうかもしれません」
口に手を当ててワザとらしく驚いたテスフィアは謙遜とばかりに意図して翳りを落とす。ろくに会話もできずに突っ撥ねたのでは貴族としての品位が疑われるというものだ。
気を持たせるのは悪いと思いながらも。
入学当初ならば二桁魔法師というだけで卒倒ものだったのだろうが、誰かのせいで凄みが鈍ってきているのは確かなようだ。
話を聞けばこの男性はクレビディートの魔法師らしく、隊も新設したばかり。
要は人員を確保したいのだろう。
「そんなことはありませんよ。本戦の試合を拝見させていただきましたが戦い慣れているご様子、もちろん入隊は学院卒業後ということになりますが、休みなどを充てて訓練期間を設けるつもりです。私は是非ご友人であるアリス・ティレイク殿もご一緒にと」
隊長らしいがまだ板に付いた感じはしない柔和な表情だった。外界で前線に出る魔法師には見えないが、見掛けで判断はできない。
というより最初からその気はないのだが、友好関係まで調べていることには内心驚いていた。
「ありがとうございます。ありがたいお話なのですが、やはり家のこともありますので私の一存では……何よりまだ一年生ですので先のことを考えるには……恥ずかしながら浅薄な一学生です。じっくりと学院で進退について考えたいと思っていますの」
ここまで言えば大抵は引き下がる。この男性も例に洩れなかったようだ。
「そ、そうですか……そう、ですね。私も気が早かったみたいです。では来年もお声を掛けさせていただくことにします」
「ありがとうございます」
愛想笑いを受かべて腰を折ったテスフィアに男性は顔の前でブンブンと手を振って焦った表情を浮かべた。
「またの機会を楽しみにしてますよフェーヴェル殿。おっとその時のために是非私の名前を覚えていただかねば……ロエン・ウェルツ、来年まで覚えていただければ」
「はい」
喜色を浮かべたロエンは「では、失礼させていただきます」と言ってそのままアリスの元へと足早に向かっていく。
その背中をアリスともども視界に収める。
丁度アリスも手を振りながら応対していたスカウトと思しき人物と分かれた直後だった。身体をそのままテスフィアに向けると先ほどのロエンがすでに待機しており「ひゃっ!」と肩を跳ねさせるのだった。
テスフィアは肩を竦めて向き直る。すると前にはライセンスを取り出し列ができていた。頬を引き攣らせてまだ仮面は外せないと緒を締めることになった。
ふと視線を逸らせた先、休憩スペースでロキを発見した。残念ながらこの場で最も注目を集めるべき彼女の元には誰もいない。彼女は部屋に着くと普段通りに歩いて見せた。予想以上に回復が早いことに本人が一番驚いたことだろう。
それでもやはり試合はできなかったとも溢していた。
とは言え、パーティー開始直後に最も人だかりができたのはロキの前だ。
だが、たった一言「パートナーですので、どこの勧誘も受けるつもりはありません」と断じたため、一切取り付く島がないと知ってスカウト勢は顔合わせだけを済ませるとすぐに散っていったきり彼女の前には誰も訪れない。
いや、同校の選手が何人か挨拶は交わしてくのだが、ロキの表情は仏頂面と言えた。
そうして二時間ほどが経つと、アナウンスでスカウトなど軍関係者の退場が促され、貴族など重鎮の入場が入れ替わり、二次の始まりである。
この場では名目上コネクション作りが目的とされているのだが、その実、伴侶探しの場であるのは黙認されている事実だ。そして軍関係者でも未だに退場せず残り続けている人物はというと家柄が良い。つまりは貴族ということになるわけだが、二次でのスカウトは御法度とされている。
華やかな衣装に身を包んだ貴婦人などが多く姿を見せる。といっても主役は選手であるため、煌びやか過ぎず、地味過ぎない格好が目立つ。こういった衣類一つとっても貴族としてのステータスが如実に表れる。
テスフィアは一息付く為に飲み物を取ろうとテーブルに足を運び、アリスにも持っていこうかと視線を向けると崩れた笑顔を張り付けて狼狽している姿が映る。相手はロエンではなかったが軍人のようにも見えない。内容まではわからなかったが見た限り思わしくない光景だ。声は大きく威圧的ですらある。すでに勧誘の時間は終わり貴族たちが姿を見せているにも関わらず終わる気配がないのだ。
アリスも相当参ってしまっているのか、説教されているようにも見えた。
「何あれ、ルールも知らないなんて……」
テスフィアだけでなく周囲でもざわつき始め、注目を集めた出した時――。
「あなたこの場でのマナーをご存じないのかしら? どこの国、隊は、階級は?」
女性のソプラノ調の声だったが、それは明らかな怒気が込められ、嘲笑のように滔々と紡がれた。
「悪いがまだ話は終わっていない。少し待っていてください……それでアリス君……」
振り返りもせず、壮年の白髪を混じらせた男は食い下がる。
「君のAWRを是非調べさせて欲しい、できれば製作者も教えていただければ……」
捲し立てる男の背後で深紅のドレスを纏った女性はため息を溢し。
「まさかとは思うけどアルファじゃないわよね。こんな屑がいるなんて思いたくはないわ……セルバ」
「畏まりました」
女性の一歩後ろに立っていた執事が前に進み出てアリスと男の間に割って入った。
「申し訳ありませんが、そのお話は後にされたほうがよろしいかと、これ以上はあなたの身元を確認しなければならなくなりますの、で」
老執事の眼光を真っ正面から受け、たじろぐ男。老いたとはまだまだ現役ばりの殺気を込めることは造作もない。今でこそ身体に鞭打つことはなくなったが、魔物ではなく人間を相手にしてきた経験は並ではない。
「い、いや私は……!! わ、わかった……失礼したアリス君」
諦めるように振り返った男は声を掛けて来ただろう女性を見て喉を詰まらせた。
「お、お母様――!!」
テスフィアが吃驚の声を上げる。
そう、男の目の前にいるのはアルファでも名家、大貴族とさえ言われるフェーヴェル家現当主フローゼ・フェーヴェルその人だった。他国にもその名を聞くに違いない。
男は目を見開くとすぐさま深くお辞儀して退室する。
見下すように冷たい視線をぶつけたフローゼはため息を吐いた。
「はぁ~困ったものね」
「左様でございます」
「あんなのに絡まれるなんてアリスちゃんも運がなかったわね」
その人物を見てアリスは慌てて頭を下げた。
「フローゼ様!! あ、ありがとうございます」
「いいのよ。それよりも悲しいわ、娘の親友に様付けで呼ばれるなんて……お母さんと呼んでくれてもいいのよ。娘みたいなものなのだし」
などと言われてもフェーヴェル家に入り浸っていたわけではないのでかなりと言ってもいいほど抵抗がある。
「フローゼさん、ではダメですか?」
少しおっかなびっくりなのは何時かの訓練を思い出してのことだろう。
「わかったわ。今はそれで構わないわ」
少し残念そうな表情は本気だったのか、それとも冗談だったのか、どちらにせよ他愛もない挨拶ではあった。
「それよりも何故お母様がこちらに?」
「当然、二人の試合を応援しに来たのよ。フィア、優勝おめでとう。アリスちゃんも見事な試合だったわ」
「あ、ありがとうござますお母様」
「ありがとうございますフローゼさん」
テスフィアは意外感を禁じえなかった。いくら外で外聞があるとはいえ、口に出して褒めてくれるという事態が嬉しくも夢のように思えてしまうのだ。
アリスも似たように思っているはず、どこからどう見ても威厳あるフローゼからは想像しづらい態度だった。そこは娘の活躍を喜ぶ母の姿があったのだから。
実際フローゼはこれ以上ないほど満足していたと言える。また一段と見違えた娘は着実に魔法師としての資質を開花させているのだから予想とは裏腹に誇らしくはあった。
最初は素直に喜んでいいものか悩んでいたが、セルバに一言「お嬢様、頑張られたのでしょうな」と含みのある言葉を投げられ、無粋な考えは仕舞い込むことにしたのだ。本命は別にあるということも含めて。
「それでアリスちゃん、さっきの男は勧誘とかではないようだったけど?」
「え、はい! ルサールカの技術部門主任だとおっしゃってました。その、AWRを是非調べさせてくれと……」
「珍しいわね。それだけの逸品ということなのかしら、私も軍を退いてから最新のAWRとかは疎くって……槍型のAWRだったわね。あれはどこで購入したの?」
「……! い、いえ、その……アルが作った物で誕生日祝いと断り切れず……うぅ」
「――――!! なるほどね。それで彼の名前を出すのを控えていたというわけね。それにしても技術者は火が付くと周りが見えなくなるのはどこの国も似たようなものなのね」
「頂いた物とは言え、許可なく名前を言ってしまうのは……」
「アルなら間違いなく機嫌を損ねそうね。厄介事は避けたいだろうし」
テスフィアが今までの付き合いからアルスの性格を考えて、皮肉混じりに嫌そうな姿を幻視する。
フローゼは以前情報収集の際に得た情報の裏付けがされた気分だった。魔法師としての異質な経歴だけでなく、魔法の発展に必ず彼の名前が見え隠れするのだ。新魔法が大全に載る場合は開発者の名前も明記されるのだが、これは必ずしも強制ではない。しかし、研究者として名前を連ねることは名誉と言える。寧ろそのために学問を極めんとするのが研究者だ。
だが、実際に大全にはいくつかの魔法には開発者名に空欄がある。これは研究者間では周知された人物を示している。
それがアルス・レーギンその人だ。
ここまでたどり着いたフローゼは重い腰を上げて今大会に乗り込んできたというわけだが。
まさか、AWR市場でトップを走るルサールカの技術主任が目を付けるほどの代物を製作したとは、規格外とはこのことだろう。