諦観強制修正
できるだけ一塊にならず、広がり過ぎず、という陣形とも言えない状態で進んでいる。今更連携云々でどうにかできる状況ではないのだ。
レティたちは一直線に黒雷が落ちたとされる巨大なクレーターに向かって疾走していた。傾く木々、そのせいで地中に埋まっていた根が進行を阻むように盛り上がっている。元々獣道のような森の中だけあり、下手をすれば道に迷ってしまい、方角すらわからなくなるだろう。
レティたちは地面だけではなく木の枝などを跳ぶようにして走るため、巨木や倒木で一々迂回することはない。直進とは言葉通りに真っ直ぐを指していた。
「異能というとリンネさんの魔眼と同等ということっすか?」
「どうでしょう。魔眼とは限りません。世の中には魔眼以外にも異能と呼ばれる能力はありますので、そこまではわかりかねます……」
目は真正面に向けられたままレティが問い掛けて来た。それは解決策を模索するような手探りを思わせる。
しかし、この答をリンネは持っている。正確にはアルスを止める術だが、それは可能性の範疇を出ない手段の一つ。魔眼で確認した限りでは可能性があるのかすら疑わしいのだが。
(魔眼のコントロールは結局の所精神力に依存してしまう。アルス様も既に分かっているはず……制御出来ない時点で意思だけでは抑え込めないことに……現状だと自律は難しい)
リンネだからこそわかる。異能と呼ばれ特に意思に反した力をコントロールするのは並大抵の精神力では制御できない。だからこそ一度手から離れれば制御下に置くことは不可能に近い。
アルスの力は制御できる程度を遥かに越えて成長してしまったに違いなかった。
外的要因で解消できるかはわからないが、意識があるのならば、不可能に近い可能性でも再度制御下におけることができるかもしれない。
同時に不安も過る。
(だから、アルス様は私の眼に興味を持たれたのかもしれない)
それはこうなる可能性を懸念し、暴走させないための手掛かりが欲しかった。
そう考えるならば、暴走してしまった異能に対する有効な手段をアルス自身持っていないことになる。
リンネは今更ながらに、隊員の決意に当てられた自分が理性的でなかったと思う。冷静に考えていなかったのだ。
場の空気に流されたのだろう。
後悔はなかったが、主人であるシセルニアにこんな話をしたらきっと小馬鹿にされるに違いない。『随分暑苦しくなったのね』とか言ってニタリと笑む姿が目に浮かぶようだ。
今はそれすら嬉しく期待してしまう自分に顔を顰めた。これでは虐められたいみたいではないかと。
きっと小馬鹿にされた自分は表には出さず、内心で遺憾だと反論するに違いない。もしかすると口に出してしまうかもしれない。それっぽい理由を並べ立てるに違いないのだ。
それを確認するためにもリンネは「やっぱり生きて帰らなければ」と独白した。
「全てはアルス様次第でしょう……着くことができればですが」
「っすね。でもまだ動きはないっすか? 最初はすぐに動いてくるような口ぶりだったすけど」
「いえ、そうなってもおかしくないということです。アルス様の意識があると確信したのは動きがないからです……つまり、制御下を離れたはずの異能に少しでも抗っていると私は思っています。だから、異能は動けない、と」
「なるほど……だったらまだうちらにもチャンスはあるってことっすね」
リンネはコクリと頷く。
だからこそ、全てが無意味でないことを証明している。抵抗しているのならば打開策はあると信じて。
それだけに現状では何も思い付かないことが悔しくもあるのだが。
結局は捨て身になるのかもしれない。抗う意思を強く持ってもらうしかないのだ。
そのためにはアルスの目の前に姿を晒すしかない。そんな博打にもならないことしかできないことも半ば理解しているリンネは己の無知に歯噛みする。
するとリンネは何かを見つけたように突然足を止めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい――」
そう言ってプロビレベンスの眼に魔法式が浮かび上がった。走っている時にチラリといくつもの視界の中を過った程度だったが、到底見逃すことはできない。
それは明らかに人間だったからだ。しかも記憶が正しければ……。
「誰かがクレーターに向かっています。数は一人……でも、なんで彼女が……」
♢ ♢ ♢
膨大な魔力を内包した【暴食なる捕食者】が巨大なプールを上空に浮かばせ、そこから弾けるように飛び出す直後、アルスは全気力を注ぎ込むように抗っていた。
そのおかげもあって、僅かに進行が止まる。
この隙にレティたちが逃げてくれれば、十分過ぎる成果と言えるだろう。討伐に成功し、予期しない事態にも被害を最小限に収めることができるのだから。
「ハァハァハァ…………クッ!」
占有されている意識が遠のくのを唇を噛み千切って堪える。口の中に流れ込んで込んできた鉄の味が眉根をピクリと反応させる。
膝から下の感覚は疾うにない、左腕にいたってはもがれたように反応しない。まるで錘をぶら下げているかのようだ。
感覚でグラ・イーターがぐぐっと制止を振り切ろうと少し進み出た。
掠れ行く視界に、薄ら寒くなりつつある身体。地に溜まる血液が温かく、顔を埋めてしまいたいほどに……。
一瞬でも気が緩めば……いや、あと一分もつかすらわからない。
そんな時だった――遠くの縁から誰かが跳び出す姿を見たのは。
縁から一気に跳躍して中へと入って来たのだ。そしてこちらに向かってくる小さな姿。
アルスはキラキラと陽射しを反射した髪だけで誰かを覚る。そしてキッと睨みつけた。
見間違うはずはない。腰まで届くかというマントに黒い腿までの短パン、スラッと伸びる細い足は肌を露出しないほどびっしりと隙間なく包帯が巻かれている。
だが、そんなことよりもこちらに向かってくる人物の銀色の髪を見れば一目瞭然だ。
アルスは膝を付いたまま上体を起こして、バッと向かってくる少女に右腕を突き出した。
「なんで来た、ロキ!」
怒気……いや、殺気にも似た雰囲気を纏わせてアルスは発する。
土煙を上げて止まったロキの顔は水滴を張り付かせて、服も湿っていた。何よりも足に巻かれている包帯は血を吸ったように赤く染まっている。
「ア、アルス様……これは……!! 怪我を――す、すぐに治療を……」
おたおたと一歩踏み出そうとしたロキにアルスは明確な敵意を持って制止させる。
「言ったはずだぞ来るなと。指示に逆らったということか!」
すでに任務は完遂されているため、脅威はない……アルス以外には。
だから、一刻も早くロキを遠ざけなければならなかったのだ。しかし、ロキは一歩を踏み出し、大義ありと軽快に歩み出す。その度に顔を歪めるが物怖じすることは無かった。
「私がアルス様の言いつけを守らなかったことはありません。それが正しいと思っていますから。ですから、私は来ました……約束は約束です、第2魔法学院は優勝しました。同行に関して口を出さないという約束ですよねアルス様?」
二言は無いとまで言ったのだ。
だが、しかし――――口を開こうとしたアルスの出鼻を遮り。
「いつから適用されるかはおっしゃられていません。ですので優勝が決まった時点より有効という意味ですよね」
ぐうの音も出ないとはこのことだろう。いや、考える余裕すらないのだから、どのみち……。
上空の球体から無数の足が生えた状態で制止していたが、ロキが来たことにより先端が真下に……アルスは感覚でロキに標的が向かったのを感じ、焦りは増す。
一瞬でも気を許せば瞬く間に呑み込まれる。気を張り詰めさせながら諦観の言葉が吐かれた。ロキを退避させるために。
「これは俺の力だが、もう制御下を離れた。お前だろうと標的になる。だからすぐにこの場から離れろ。それぐらいは時間を稼いでやる」
「そうですか……」
ロキは何かを思い出すように間を開けた。パートナーになるための試験の際に【鳴雷】を消失させたのもこの力だと。
「わかりました。それでアルス様はどうなるのですか? 当然助かるのですよね……すぐにでも治療しなければならないと思われますが」
鋭いなと思ったが、アルスは嘘を付けない。
それはロキが何故アルスのパートナーとなるに至ったかを知っているからだ。きっと命を投げ打つに違いない。
今まで口に出さなかったのも成長していく過程で変わっていくはずだと思っていたからで、そんな命の遣い方を看過できなかったからかもしれない。自分なんかのためにと思ってしまうのだ。
「おそらくだが、俺からは離れ過ぎないはずだ。これ以上吸収しなければだがな。本体がここにあれば容量的な限界はある。その後は、そうだな……俺を喰うだろうな」
「――――!!」
ゾワッとロキの背筋が粟立つ。薄々予期していたとはいえ、言葉にして聞くのとでは全然違うのだ。
だが、同時に揺るぎない決心が生まれた。
「私に出来ることはないのですか?」
「ない! ここからすぐに離れろ! お前が一度助けられただけで俺に付き合う必要はない。恩を感じる必要はない」
「…………!!」
その言葉はロキの中で溢れ出す想いが檻から解き放たれた瞬間である。
「覚えていてくれたのですね……」
込み上げてくる感情、胸がすく思いだった。嬉しくて今すぐにでも抱きついてしまいたい程、満たされる想い。
感情を表に出すことが苦手で、表情を作るのはもっと苦手だが、今は自然に微笑むことができた。
「お前を殺すためにパートナーとして選んだわけじゃない」
「はい、わかってます」
(アルス様はそういう方ですもの)
ゆっくりと踏み締めるように歩み始めるロキ。
迷いのない足取りにアルスは近寄るなという思いで睨み続ける。
「ロキ、お前は優秀だ。才能もある……だから……」
「アルス様もご存知でしょう。私はアルス様と同じで人類のためだとか、そんな殊勝な心掛けはありません。アルス様のいる世界が私の世界なんです。恩を感じていないと言えば嘘になるかもしれません。でも本当は関係ないんです。だからここにいるのは私の意志です! だって私が私でいるためにアルス様は必要なのですから」
穏やかな笑みを浮かべたロキは胸に手を添えて感じ入るように断言した。
「ふざけるなよ! …………!! しまっ!!!」
激情が一瞬の緩みとなり、グラ・イーターは瞬く間にロキを標的を定めた。向かっていくドス黒い魔力の棘を包囲するように幾本も走らせる。
そしてアルスが再度力強く制御――ビクンと脈打つように地面に突き刺さった所で停滞した魔力の棘。
後にはロキの姿がなかった。アルスもそれをしっかりと目に焼き付けている。
ロキが土煙を上げながらぐっと手を伸ばせば触れるほどの距離に跳び込むように転がってきたのだ。
この魔法を知っているが、当然あの足では走れるはずもない。
「フォース!!」
「こんな所でお披露目することになるとは思いもしませんでしたが。もう……動けそうにもありません」
ぐったりと横たわってこちらに顔を向けたロキは息も絶え絶えといった具合に呼吸も荒くなっていた。そんな彼女を見てもう何を言ってもダメだろうと、そんなふうに思わせる不退転の覚悟をもった笑顔だった。あの速度だ、転倒した拍子に膝からずれた包帯は血をこれ以上吸えない程に赤い。
「……このままだと二人とも死ぬぞ」
「はい、どこへでもご一緒します。アルス様が死ぬのでしたら私を先に、一瞬たりともアルス様のいない世界を見たくありませんので」
「…………」
これから死ぬかもしれないのに、涙どころか満たされたような顔を向けられる。
そんな表情をロキに見たのは初めてだった。ましてや、今まで見たどの魔法師の死に際の顔とも違う。
自然で、心の内をそのまま表している顔。
アルスはそれを美しいと思ってしまう反面、腹立たしくもあった。
「だれが、諦めるか!」
そう諦めかけていた自分が腹立たしかったのだ。足掻いてもいないくせに死を受け入れている。自らの失態ならば尚更だ。
「お前も俺も死にはしない。死なせるかっ! ロキ、帰ったらお前にはもう少し考えをもって行動してもらうからな」
「はい……」
自分だけならばと思っていたが、それがもう一つ命を預かることになってしまった。肩に乗っかる重圧のなんと重いことか。ため息すらこぼれてしまう。二つ分の命だ、楽な死に方を選べるはずもない。
「簡単には死ねなさそうだな……ったく!」
アルスは真上を見上げた。ブクブクと肥えたような魔力。
そして腰を地面に降ろし、足を投げ出す。片足は膝を立て「ここまで怪我したことはないな」と鼻で笑った。痛覚が麻痺しているからこその小言だろうか。
そんな弛緩した空気を纏うアルスが制御に神経を尖らせているはずもなく、滞空するグラ・イーターはテントを張るように端という端から何百もの触手を伸ばす。全方位から襲い掛かり取って付けたような口がガバッと開いた。
すでにロキを狙っているのかもわからないが、間違いなく二人とも毒牙に掛かるだろう。
流麗な動作でアルスの腕が持ち上がり、前に突き出して手を開く。
「そこまでだ!」
臓腑に響くような重く、一切の反論、異論を抱かせない。そんな神託を思わせる絶対服従の言葉。
数えるのも馬鹿馬鹿しい程の魔力の触手、それがアルスとロキを中心に小さく円を描いた位置で時間を止めた。
逆鱗の如くアルスは命令する。感覚ではなく、それは対話するような構図、服従させるような威圧を纏っていた。