優秀で不出来な教え子
アルスは手にしている棒に意識を集中させた。
テスフィアとアリスもそれにつられて凝視するように見つめる。実質的には二人がアルスの魔法(と呼べるかは疑問だが)を目にするのは初めてだ。
日課となった毎朝の鍛練としてやっていたもので懐かしさすら覚える。呼吸するかのように自然に、一瞬にして棒を魔力が覆った。
それは見事の一言である。
これが魔力付与というものだ。などとアルスが言う筈もないので代弁しておく。
二人は目をひん剥いた。それも無理からぬことだろう。アリスの魔力付与がどれほどのものかわからないが、テスフィアの見るに堪えない付与では格の違いを見せつけられたようなものなのだから。
瞬きすら忘れて、二人は無意識に顔を棒に近づける。
「何これっ!」
「綺麗!」
ほんの数ミリ、魔力で覆ったのだ。それは水が流れるように流動しており、清流を思わせた。
「お前達にはこれぐらいとまでは言わないまでも、もう少しまともになってもらう。じゃないと業物も型無しだからな」
「うっ……」
心当たりがあるのだろうテスフィアは頬に一筋冷たいものが伝ったのを感じたはずだ。
二人が至近距離まで顔を近づけたところで意識を戻させるために魔力付与を解く。魔力は体内から流れ出るため、付与するときは柄を伝い、剣先へと伸びていくものだ。しかし、解くときはその魔力が体内へと戻ることはない。体外へと指向を持たせた魔力は絶えず劣化していくため、常流し続けなければならない。
「言っておくがこれは初心者向けの訓練だからな。これが出来ない奴は魔物を倒すことなんかできない。寧ろあっという間に臨終だな」
ごくりと生唾を飲み込む音が二人の喉を鳴らした。
とは言え、この棒は一本しかない。
それに気付いたアリスが口を開きかけたとき。
「じゃ始めてもらおうか、――っと」
アルスは手刀で棒を切断してみせた。
「「――――!!」」
今のが何なのか、またしても二人は理解できなかった。生身でも鍛えれば出来る人間もいると聞いたことがあるが、この棒がただの木材ではないこと薄々気付いているだろう。当然ビンなどの割れ物ですらない。
ここで疑問が生じた。これは魔法ではないのか。
本来魔力は魔法を使うためのエネルギーである。だから斬る、切断するという魔法が存在したとしてもなんら不思議ではない。ただアルスの手刀は魔法を発現するための詠唱もなければ、それを破棄できるAWRも持っていないのだ。
その疑問はすぐに本人の口から解消されることになるのだが、二人が理解できたかは別だ。
「…………あぁ、これも魔力付与の応用だ」
「うそ!! 魔力なんて見えなかったわよ」
言葉を失った二人に説明するのが面倒になってきたなとアルスは感じた。目の前で起きた事象を見ても納得がいかなかったのかテスフィアが不満を漏らす。
同意見なのだろう。アリスも首を縦にブンブンと振った。
「お前達程度に気付かれるようじゃ一桁は名乗れんだろ」
その意味を二人は正確に理解出来ていない。互いに首を傾げて、その瞳を好奇心の色が覆っていく。おそらく向上心の高い二人には種を明かしてやらねば気になって先には進めないだろう。やれやれとアルスは肩を竦ませた。
手元のメモ用紙を丸めて棒として見立てて今度はゆっくりスローモーションにして実践して見せることにする。
ゆっくりとアルスの手刀が横薙ぎに振られる。間近で見つめる二人は危険を顧みないほどに近く、アルスに限ってミスを犯すということにはならないから黙認して続ける。
手刀は紙に触れる直前、一瞬にして魔力が手を覆う。それも二人が至近距離から凝視しなければ気付けないほど微細に。
先ほども述べた通り、魔力は接地面である手から流れ出る。これを未熟な二人が行えばゆっくりと先端までを魔力が覆っていくのが見て取れるだろう。
何の抵抗もなくアルスの手刀は紙を裂く。
テスフィアとアリスが気付けたのはここまでだった。
「本当だ! でも……」
「うん。なんで切れるのかしら」
二人がそう感じるのもそれなりに知識があるからだろう。
魔力を付与するということは、そのものの強度を上げたりするもので、本来は有機物への魔力付与は親和性の面からほとんど意味がない。というのも拳を魔力で覆ってもすぐに劣化して残滓となって霧散するからだ。
アルスの手刀が紙を切り裂いたのは単なる魔力付与ではないということになる。
常識の埒外であることは言うまでもない。それを今二人に話したところで余計に混乱すると考えたアルスは詳細な説明を省いた。
アルスは本当に優秀なのかと疑問を理事長にぶつけたかったが、事態が好転するわけでもなく、ただの徒労に終わるだろうと理解しやすいように手を出す。
「お前、AWRを貸せ」
テスフィアを指差した。
しかし、テスフィアはお前呼ばわりが気に食わなかったのか。
「私にはちゃんと名前があるんだけど」
そう言って刀を胸の前で抱き抱えた。
こういうやり取りでさえ蛇足に感じてしまうアルスは食ったようなセリフを口にする。
「何だっけか」
「――!! こいつやっぱり……」
「フィアやめなって」
袖を巻くって刀を引き抜こうとするテスフィアをアリスが宥め。
「そうだったカスフィアだったな。ありがとうアリス」
「ちがぁぁぁう!」
そうお礼を述べるアルスの顔は悪人だった。
これでは一向に進めないとアルスは真剣に。
「貸して貰わないと時間を食うだけだがいいのか? テスフィア」
真顔の対応にテスフィアは根負けした――落差に付いていけなかった。未だ怒りはあれど、本当に忘れていたわけではなかったことに少なからず安堵の息を漏らす。
彼女の心情を正確に汲み取れたのはアリスだけだろう。
アルスは鞘から刀身を引き抜くと感嘆を漏らした。
「確かに業物だな。魔法式も正確に刻まれているし、これなら刀をAWRに選ぶのも頷けるな」
今回は手放しの称賛だった。無論刀に対してだが。
刀身に刻まれた魔法式はアルスの予想通り、氷系統の魔法を補助するものが記されている。
さっそくアルスはテスフィアの刀を魔力で覆った。
二人はうっとりと表現してもおかしくないほど見惚れている。現物があるため、危険なのだが。
「おい……」
意識を戻して進める。
「この状態で紙を切れば当然切れるだろう。何故だと思う?」
「あっ――――!!」
やっと気付くことができたようだ。
「そう、刃の部分にも魔力が覆われているのになんで切れるか、それは魔力が正確に刃を象っているからだ」
二人はまたしても刃へと視線を移した、先ほどよりもさらに近い。
「あった!」
僅かに見えたのだろう。それほどアルスの魔力操作は精密かつ繊細だ。
「もちろんこれ自体は大したことじゃない。実物があるんだからそれに這わせるように魔力で覆えばいいだけだしな」
それすら出来ない二人にとっては簡単に言ってのけるアルスの凄さを再認識した瞬間だった。
「これを応用したのがさっきの手刀なわけだ。つまり魔力を這わせるんじゃなくて意識的に魔力を操作して魔力刀を形作るんだ」
「そんなことが……」
俄かには信じられないとアリスが溢したが、それが出来る人物が目の前にいることで途中で言葉を取り下げた。
そこには当然矛盾が生じたが、二人は気付くことができず、アルスも敢えてそのままにしておく。
魔力が体内に吸収されやすい性質である以上、成形できても僅かな間だ。それを可能にしたのがアルスだ。種を明かしたところでそれが出来るようになるかは別の話だ。
「まっ、これができれば二桁まではいけるぞ」
テスフィアとアリスは素直に喜べない。糠喜びにも程があるのをわかっているからだ。更に上のスキルを要すると知らなくともだ。
ただの魔力付与すらまともに出来ていないのだから、そこに行き着くまでには途方もない努力が要求されるだろう。ましてや体得できる保証すらないのだ。
「そこでこれなわけだ」
アルスは先ほど二つに分けた棒を二人に手渡す。
二人して値踏みするように隅々まで視線を這わせるが、何もないと結論付けるとしっかりと握り込んだ。
「それは俺が以前倒した魔物の死骸を使ったもので……」
と言ったところで床に乾いた音が二本分鳴った。
「おい! 世界に1本しかない貴重品なんだぞ」
「いや、だって……」
これで魔物を倒そうと意気込むのだからお先真っ暗だ。
「安心しろ。俺だって何年もそれで訓練したんだから何もありゃしない」
そう聞くとアリスはあっさりと拾い上げる。一方でテスフィアは拾ったものの指で摘むように持ち上げた。
「俺はやらなくてもいいんだぞ」
本心では避けられない指導だと分かっているが脅すぐらいじゃないと本当に進まない。
「まずは魔力を通してみろ」
「はいっ!」
アリスは切り替えたのかやる気が伝わってくる覇気のある声で答えた。
しかし、二人が魔力を通すと――バシュッと魔力が拡散した。
「「――――!!」」
アルスは口の端を上げて説明……補足する。
「その魔物の性質でな、魔力に触れると拡散させるんだよ」
「じゃ、どうやって魔力を付与すればいいのよ」
当然の疑問だ。それも自分で考えろと言ってやりたいが、下手をすれば何日も費やすことになるかもしれない。
「魔力で押さえつけるんだ」
魔力を意識的に動かしたことのない二人にとってアルスの言っている意味は理解できないだろう。
すぐにやろうとしないのはわからないということの証明だ。
「それで優秀だなんてよく言うな」
「あたし達が言ったんじゃないわよ」
それこそ自意識過剰というものだ。そんな傲慢な奴はさっさと魔物の餌になるべきだろう。などと行き過ぎた悪態は内に留めておくとして。
それでもアルスは頭を抱えざるを得なかった。つくづく教師というものは面倒見の良い奴しかなれないのだと。
多少なりとも今後アルスの教師に対する態度が変わるきっかけに…………ならなかった。
「二人とも肌を出せ」
突然のセクハラ発言とも取られそうなセリフに一瞬の間があったが、アリスが先に腕を出したことでテスフィアも袖を巻くった。
もちろん肌ならばどこでも良いわけで、これで脱がれでもしたらアルスは自分を責めたに違いない。
「イタッ!!」
「イッ!!」
アルスはテスフィアとアリスの腕を抓った。
もちろん意味のあることだ。
「何すんのよ」
二人の疑問は当然だが口で説明するよりもやらせてみたほうが理解しやすいだろう。
「この状態で足に魔力を集中させろ」
「「…………」」
魔力は体内で生成され、必要に応じて体を巡るものだ。魔法師がAWRを使用する際、無意識下ではAWRを握る手だったりと魔力が集中している。
意識下でも出来ないことはない。しかし、普段から無意識下での魔力移動に慣れてしまっているため、優先順位としては無意識下のほうが圧倒的に優先される。
本能とも深い関わりを持つ魔力は反射行動にも如実に表れるのだ。心身と密接な関係にある魔力は当然、暴走することもしばしばだ。だから魔法師は常に冷静で在らねばならない。
つまり抓ったことで痛覚が箇所に集中するように魔力もそれに応じて抓った箇所に流れるのだ。
痛みのある状態で魔力を意識的に移動させる訓練だ。
軍にいた時は抓るなんて生易しいことにはならない。蚯蚓腫れになるほどの鞭を受けるのだから、彼女達には随分と易しいはずだ。
それでも痛みが少ないのでは訓練にならない。無意識下で抓った箇所に集まる魔力に指向性を与えるのだからある程度は我慢してもらうしかあるまい。
二人はそろって顔を歪めた。もちろん赤くなるだろうが、痛すぎて思考が回らないというほどではない筈だ。
「……なんだそれ」
これは二人に対して放ったものだ。
テスフィアは無意識下での魔力移動に抗えず(と言うべきなのか)、何故か魔力がバラバラに移動を始めた。
アリスはアリスで、どういうわけか凄い勢いで抓った箇所に魔力が集中している。
判定を下す。
「お前ら本当に四桁なのか」
「どういう意味よ」
「それしきのこともできないで四桁なのかと聞いた」
アルスは魔法師の――延いては人類の未来が不安になった。本心ではないが。結局のところ人類がどうなろうとあまり関心はない。これといって困ることがないのだから。たとえ絶滅したとしてもアルスは自分だけなら生き残れる自信があった。
だが、それでは研究する意味もなく、怠惰な人生を送ることになる。つまるところどうなろうと構わないが、必要以上に切り捨てたいとも思っていない。
「い、いいわよ。こんなのすぐにマスターしてやるんだから」
意気込んでいるもののすでに意識が散漫になっている。
アリスも力強く頷き、静かに闘志を燃やしたがやっていることは課題に対して正反対だ。
「まぁいいや。俺は自分のことを進める」
切り捨てるように言うと手を離した。
「二人いればできるだろ。出来たら呼びに来い」
「「…………!!」」
二人は赤くなった腕を擦った。
予想していた訓練とはだいぶ趣が違って戸惑った二人だったが、この訓練の意義が分かった今拒むようなことにはならない。
それでも不出来な生徒を見放すような言い草に寂しさを覚えていた。
やり遂げる意思はあるのに出来る気がしない。
そんな寂寥感を含んだ不安。
背を向けて机へと歩むアルスの背に向けてテスフィアが口を開いた。
「その、何かヒントは……」
ピクっと歩みを止めるとアルスは振り返り、一瞥した。その口が僅かに上がり。
「手加減しないことだ」
と指で何かを掴むようにジェスチャーを示し、最後に捻じってみせた。
あやふやでヒントと呼べるものではなかったが、テスフィアとアリスは抗議するよりも背筋を強張らせるのであった。
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・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定