~わからない~
何で、何で彼女は覚えていないのだろう。
心の中で何度も呟いた。辺りはすっかり暗くなり、お母さんと約束した時間はとっくに過ぎている。今頃、お父さんと一緒に探し回ってくれているだろう。でも、今は会いたくなかった。他の人にこんな顔を見られたくない。
涙はすっかり枯れて、息が苦しいだけだ。でも、苦し過ぎて立ち上がれない。川辺の階段にうずくまっているけれど、起きていることさえもしんどかった。
「何だか、死にたい気分だよ……」
やっと出た言葉がそれだった。その言葉を自分の耳をきいて、自分で笑えた。今自分を見たら、さぞ不気味だろう。
「どうした」
後ろで声がした。首を動かすことすらもしんどいかったけれど、弁解しなければいけないと思った。何故かはわからない。
「?」
僕の右斜め後ろには、上下共に黒のジャージを着た青年が立っていた。多分、年は僕と同じくらいだろう。
「覚えてないか……。ほら、よく校庭で本を読みあった」
「あ」
やっと、記憶が繋がった。そうだ、昼休みとかに校庭の日陰で本を読みあっていた――
「月世狸 継か」
「正解」
染めた訳ではない金髪に加え、近寄りがたいオーラや喋り方から、クラスメイトから遠ざけられていた月世狸に話しかけたのはたまたま僕が最初だった。昼休み、教室で暇そうにしていることに興味を持ったのだ。背もかなり高くなっているし、声も全然違っていたからわからなかった。
「よく、わかったね」
「そっちこそ。で、何? 死にたい気分って」
それは言いたくないなあ。
「君には、関係ないよ」
「そんな顔されながら言われても」
月世狸はどさっ、と僕の右隣に座った。肩に掛かっているタオルと階段に置いたペットボトルから考えて、ランニングでもしていたのだろう。
「話せよ。楽になるぜ」
月世狸はかなりいい人間に育っていた。七年と言う月日は確かに過ぎ去っていて、もう取り戻すことも出来ない。彼女は本当に忘れてしまったのだろうか。そう思うと、枯れている涙が出てきそうな気がしたけれど、やっぱり出てこなかった。
「まず、最初に――」
僕は全部、彼女のことを話した。
――私たちが大きくなったら、一緒にいきましょう。
約束のことも、今日のことも全部話した。
「これで全部だよ……」
何だか、月世狸の言う通り気分が少しだけすっきりした。
「そうか。話をきいた限りだと、かなり大事な約束じゃんか」
「うん……」
「彼女にさ、七年の間に何かあったんじゃねーか?」
それは、思いつかなかった。てっきり、どうでもいい約束だから忘れてしまったと……。
「俺はそこら辺に住んでないからわかんねえけど、近くの人だったら何か知ってるかもしんねえなあ」
「そうだね。明日から、きいてみるよ」
少しだけ、希望が見えた。あんなに大切な約束だったんだ。彼女が忘れる筈ない!
「はあ、はあ」
後ろで、息が上がっている声がきこえた。振り返ってみると、
「お父さん……」
「何してたんだ?」
お父さんは微笑んだ。迷惑をかけたのに。
「それは――」
話したくない。そんな僕の気持ちを汲んでくれたのか、月世狸が、
「家までの道のりがわかんなくなっちゃったらしいです。川を眺めにきたのはいいけど、帰れなくなったってさっき言ってました」
とフォローしてくれる。お父さんは納得してくれたようで、頷いた。
「そうか。じゃあ、帰ろう」
「うん。月世狸、ありがとう」
僕はさりげなく礼を言うと、ニヤっと左の口角を上げて、
「いいって。じゃあ、また今度会ったら声かけろよな」
と言ってくれた。本当にいい奴だ。