契約
翌日の放課後、蓮はクラスメイトの女子生徒から話がしたいから、と教室に残るよう言われていた。とはいえ、別に浮ついた話ではないことは始めから分かっていた。
今朝教室に入ってすぐに、蓮は息を呑むことになる。まさに昨夜彼を襲ったその人物が、クラスにいたからだ。彫像の様に固まって視線を離せずにいた蓮だったが、当人の方から話しかけてきたのである。
わからないことづくめだが、昨日の真相を知るには話を聞くしかないだろう、そう思った蓮は了承の意を伝えた。
「待たせたわね」
とても同一人物とは思えない高慢な態度で、少女ーー東郷美咲はそう言った。
「話したい事って何なんだ」
訝しむ様な視線を向ける蓮の前で、彼女はやおら地面に四足をつけーー
「私の『眷属』になって下さい‼︎」
蓮の前で土下座をした。
「話が突飛すぎて意味が分からない」
女子の土下座が見るに耐えず、視線を逸らしたまま蓮は呟く。
「あなたの強さが私には必要なの!」
「悪いけど、なんか危険な香りがプンプンするから嫌だ」
「女の子がここまでしてるのよ⁉︎」
「お前が勝手にしたことだろ」
「…そう。簡単に話を飲んでもらえるとは最初から思ってなかったけど。でも、気をつけなさいね。あなたはすぐに、私の要求を受け入れることになるのだから」
警告とも、脅迫ともとれる台詞を残し、少女は扉の向こうに姿を消した。
しばらくして、ただ一人が残るのみとなった教室に、少年がよく知る人物が現れた。
「蓮」
明るく呼びかけてきた親友に、蓮は手をひらひらと振って応える。帰り支度を整えていると、教室の中まで入ってきて彼が荷物をまとめ終わるのを見守っている。
「さっきまで誰かいたみたいだね。とても不機嫌そうな顔で出てったけど、喧嘩でもしたの?」
「そんなんじゃないっつの。ただ、一方的につっかかってきただけだ。そもそも今まで話したことすらない」
「面白そうな話だね。歩きながらきこうか」
そういって、悪友は好奇心を隠そうともせずニヤリと笑う。だが、今日ばかりは、この友人に話を聞いてもらうのが一番いいのだろう。
この数ヶ月で日課となった二人での登下校。さきほどまでの胸騒ぎは、どこかへ飛んで行ってしまったようだった。
「『眷属』?」
「あぁ、確かにあいつはそう言った」
二人がいるのは、駅前にあるとあるファストフード店。蓮の話に並々ならぬ関心を抱いた俊が腰を落ち着けて話したいというので、少し寄り道をすることにしたのだ。
「それって、よくお話に出てくる吸血鬼の下僕のことだよね?」
「俺の聞き間違いじゃなかったらな」
「ん〜…僕にはその子が電波入ってる風にしか聞こえないんだけど。まぁ、それでも十分面白そうだけどね」
悪どい笑みを浮かべる俊。中学からの長い付き合いだが、蓮は彼の面倒ごとにすぐ首を突っ込むこの性格を常々直して欲しいと思っている。
「まぁ、それが妥当だよな。だけど、少し引っかかることがあってな。」
「聞かせて」
こちらに身を乗り出してくる俊を諌めるのを諦め、蓮は続ける。
「俺が昨日あいつに襲われかけたとき、反射的にかなりの力で打ってしまったんだが…今日見たあいつは何事も無かったような様子だった」
「そもそも人違いなんじゃないの?ただ単に今日、電波な女の子に遠回しな告白を受けただけって考えるとすごく自然だよね」
「……」
確かに、俊が言った事が真実なら辻褄があう。だが、蓮には昨日のあの光景が嘘だとはどうしても思えないのだった。
「ただいま」
我が家の扉を開き、家人に聞こえるように自分の帰宅を告げる。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
階上から、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら出迎える妹。
「かわいいね、比奈」
そういって、すっかり相好を崩して妹の頭を撫でる蓮。誰がどうみようと、シスコン兄貴の姿がそこにあった。
「はいはい、それ今日何度目?」
煩そうに蓮の手を払う比奈だが、それほど嫌そうではない。そろそろ反抗期に入ろうというのに、毎日彼の出迎えをしてくれるできた妹。蓮はそう思っている。
「本当の事さ。なにせ俺の妹だからな」
「それってちょっぴりナル入ってるよね…。そんなことより、今から洗濯物取り込むの手伝って」
「はいよっ」
こうして妹と触れ合っているだけで、一日の嫌なことなど全て忘れることができる。この子は絶対嫁には出さない、蓮はそう強く決意した。
「うん、しっかり乾いてる」
雲ひとつ無い晴天のお陰か、洗濯物からは太陽の匂いがした。それらを手際良く取り込み、比奈に渡して行く。
「今日は学校はどうだった?」
「もぉ、お父さんみたいなこと聞かないでっていっつも言ってるでしょ」
あからさまに不満げな表情をみせる比奈。しかし、次いで紡がれた言葉はいつもとは異なるものだった。
「でも…今日はちょっと気になることがあったんだ」
「何?」
ピクリと反応し、蓮は鋭い視線を寄越す。
「なんだか帰る途中にね、誰かにみられているような感じがしたの。…気のせいかもしれないんだけど」
「それは大変だ不審者かもしれん明日からお兄ちゃんが学校まで送っていくことにしよう‼︎」
「絶対それが目的なだけだよね」
比奈が半眼を向けてくるが、蓮は全く意に介さない。明日は可愛い妹と過ごせる時間が増える、それだけで空にも浮かび上がるような気分を抑えきれなかった。
翌朝。いつも早い時間に登校する蓮に合わせて、比奈は早起きをしなければならなかった。しかし、いまだリビングにその姿はない。痺れを切らした蓮は、階段を上り妹を起こしに行く。
「比奈、朝ごはんできてるぞ」
「んぅ…あと少し寝かせといて」
寝ぼけた声で弱々しい反抗の言葉を呟く比奈。蓮は優しく体を揺すってみるが、頑なに起きようとしない。どうしようかと少し思案した後、蓮がとった行動はーー。
「よいしょっと」
「きゃっ⁉︎ちょっと、出てってよ‼︎」
いきなり妹の布団に同衾しだした兄を、比奈は力いっぱいベッドから叩き出した。
「うん、寝る子は育つというのは本当みたいだね」
「どこ触ってんのよ!男の子に触らせたことなんて一度もなかったのに!」
「お前の初めてはお兄ちゃんがもらう、それが柳川の掟なんだよ」
「私の両親は鬼畜か」
とても不服そうに布団から這い出る比奈。必要に迫られて少々荒っぽい手段に出てしまったが、妹を目覚めさせるのには成功したようだ。
朝っぱらからの一騒動から少しして、二人は静かなリビングで朝食をとっていた。柳川家では、食事中にテレビをつける事は禁止されているため、この空間に響くのは二人の会話のみだ。
「こんなに早く起きる必要なかったんじゃない?なんだか損した気分なんだけど」
「比奈も高校に行けば同じ時間に起きるようになるんだ、今のうちに慣れといた方がいい」
「逆だよ、お兄ちゃん。遅くまで寝られる今を私は謳歌したいの」
会話を交わしながらも着々と箸を進め、二人は食器を流しまで持っていく。
「よし、そろそろ出ようか。行ってきます」
「行ってきます」
まだ完全には日が昇っておらず、真夏の昼間の茹だるような暑さはない。この時間に登校する利点の一つだ。比奈が通う中学は蓮の高校からほど近い場所にあるので、送ってから自分の高校まで歩いていくのにも問題はない。今の学校を選んだのも、徒歩で通学ができる距離にあったからだ。
校門のまえで妹に別れを告げ、くるりと踵を返す。少し遠回りになったが、学校にはいつもの時間に着きそうだ。ゆっくりとした歩調で歩いているとーー後ろから自分を呼び止める声がした。
「柳川君」
東郷美咲が、彼の真後ろに立っていた。
「東郷…まさか、ずっとつけてたのか?」
「人聞きが悪いこと言わないで。話の続きがしたかっただけよ」
「きのう言ったとおりだよ、俺の返事は変わらない」
彼女を置いて先を急ぐつもりだった蓮。だが、その背に美咲の制止の声がかかる。
「本当に行ってしまっていいの?私は今あなたの生殺与奪の権を握っているのよ」
「どういうことだよ」
少しイライラとした口調で問い返す。この女の言いたいことが全く掴めない。
「これを見てみなさいな」
彼女は、人差し指と中指で挟んだ写真を彼に差し出してきた。それを表に返した蓮の表情が驚愕の色に染まる。
そこに写っていたのは、怪しい男ーー妹の下着を顔に押し当てる蓮の姿だった。
「これは……昨日の……!」
おそらく比奈と洗濯物を取り込むときに、どこかから撮られていたのだろう。
「この一枚をとるのにものすごい時間がかかったわ。それにしても、妹さんの下着に欲情するなんて恐ろしい男ね」
「か、家族の下着なんだから別に問題ねえだろうが‼︎」
「すごい開き直りね…。でも、もしクラスの人達がこれを見たら、一体どう思うでしょうね?」
「比奈が言ってた怪しい視線ってお前の事だったのか!くっ…この人でなし!」
「まぁ、その通りなんだけどね」
地にくずおれる蓮を、美咲は腰に手を当て威圧的に見下ろす。
「さあ、答えを聞かせてもらおうかしら」
契約を迫る女悪魔が、口の端を釣り上げた。




