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 次の日、昨日の雨は嘘のように眩しい太陽が地面を照り付け、からっとした青が伸びている。花壇のヒマワリも昨日の雨水を吸い込んで太陽を見上げ、その下に静かに揺らめく影を作っていた。土も、もう乾いている。近くの蛇口をひねると、ホースから出てきた透明な水が日光を反射しながらきらきら輝き、それは、昨日の露店の光りと重なった。

 一日だけだったけど、楽しかった。私は手首にはめたブレスレットを見た。ビーズを指先でなぞると、夜店の作られた明かりも、カキ氷の冷たさも、水樹くんの笑顔も、ふわりと優しい色に変わってよみがえる。今日、水樹くんのお母さんに服を返しに行かなきゃ。それで、もう終わり。来週の夜店は行かないし、水樹くんにも、もう会わないだろう。

 くしゅん、とくしゃみが出た。雨に打たれながら家に帰り、すぐ体を拭いたつもりだったのだけれど、それでも体が冷えてしまったらしい。朝から少し喉が痛む。


「ほら言った通りだ。あのとき、大人しく店ん中に入ってれば良かったんだよ」


 水樹くんの声が鼓膜を震わせた気がした。本当にすぐそばに居るように聞こえる。思わず、苦笑が漏れた。たった一日会っただけなのに、水樹くんの声や笑顔、頭を撫でてくれたときの温もりさえ、ひどく鮮明に思い出せるのだ。この記憶さえあれば、ぎゅうぎゅうで余裕の無かった私の心も、しばらくは深呼吸する程度の隙間は出来る気がした。でも、水樹くんの方は、私を思い出すときなんてきっとほんの少ししかないんだろう。そう考えると、もう会うつもりなんてこれっぽっちもないのに、少しだけ寂しかった。


「ねえ、無視?」


 また、水樹くんの声がする。今度はもっと近くで。足元の砂を撫ぜる、じゃり、という音がした。大きな濃い影が私の傍に落ちている。


「え」


 私は思わず横を見る。そこには、日の焼けた人懐っこい顔で笑う、水樹くんが居た。


「俺ね、この塾の生徒なの。やっぱ、気づいてなかったんだ」


 一瞬息が止まって、うそ、と言葉が漏れる。


「俺、すぐ気づいたよ。アオイが同じ塾に通ってる向日さんだって。クラス名簿の名前見たときから、ずっと気になってた」


 水樹くんは、私の名前を知っている。驚いて声も出なくなってしまった。

 向日むかいび あおい。苗字と名前をくっつけたら、向日葵ひまわり

 ヒマワリのような明るい子に。そんな意味を込めて、親が付けたのだ。


「どんな子なんだろうってずっと思ってて。気づいたら目で追ってた。夏期講習が始まってから、ずっと花壇のヒマワリの世話してたのも知ってる。ねえ葵。俺、名前ぴったりだと思う。昨日葵と話してさ、そう思った。すっげえ良い名前だよ」


 その言葉は胸を刺した。純粋に嬉しい、と思った。でも、同時に「分かってないなあ」とも思った。

 ヒマワリは、私に正反対の花だ。夏を象徴する、存在感溢れた花。堂々と空を仰ぐ、明るい花。運動も勉強も何も出来ない暗い自分に、皮肉のように付いて回る名前が、ずっとコンプレックスだった。

 でも、私はずっと、この言葉を望んでいたのかもしれない。初めて、この名前で良かった、と少しだけ思えた。自分の心は案外単純に出来ているらしい。


「そんだけ言いたくて。……あ! あと、もう一個」


 水樹くんは、もごもごと口篭り、一瞬唇を噛んで、あーもうっ、と髪を掻き毟ったあと、頬を真っ赤に染めた。


「葵、笑えよ。俺、葵が笑った顔はじめて見た時、ほんとに、ヒマワリみたいだなって思った」


 そう言ってから、彼は、ふうと息を吐いてから「何言ってんだろ俺」と赤い顔のまま笑った。その顔を見ていると、時間差で恥ずかしくなり、私も赤い顔でぎこちなく笑った。

 涼しげですかっとしたブルーハワイのような空を見上げる。すると、昨日食べたカキ氷の冷たさが蘇ってきて、また水樹くんの作ったカキ氷を食べに行くために勉強頑張ろう、と思った。

完結しました。

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