四
「アオイ? 大丈夫?」
ふと顔を上げると、いつの間にか、女の子たちは居なくなっていた。
「結構深刻そーな顔してた。暗い顔してたら、せっかくの可愛い顔台無し」
水樹くんの柔らかな笑顔を見ていると、自分の目頭が熱いのに気づく。自分の目を水分の膜が覆った。今瞬きをしたら、確実にその膜は壊れて、私の目から涙が零れ落ちるだろう。だから、それを悟られないよう、私は水樹くんから視線を逸らす。
「どした? 目がうるうるしてる」
それなのに水樹くんは、鈍感なのか鋭いのか、私の顔をのぞきこんでくる。私は必死になって目を開けたままにした。
「今日の私は、私じゃないんだ」
瞬きを我慢していると、その反動で喉に詰まっていたものがどっと溢れた。
「本当の私は、ガリ勉でメガネ掛けてて、すごく地味なんだ。今日、コンタクトにして、髪切って、雑誌見ながら頑張ってメイクして、一日だけ違う自分を演じてたの」
水樹くんは笑みを消して、ゆっくり瞬きをした。引かれたかもしれない。でも、一度動き出した唇はそう簡単には止まってくれなかった。
「私さ、ほんと駄目。変わりたいなって思ってるのに、変われないの。どんなに頑張ったって、目標の自分には全然届かないし、その目標も正しいのか間違ってるのか、分かんなくなっちゃった」
一気に言って、言ってから後悔した。知り合ったばかりの人に突然愚痴を吐かれた水樹くんは、きっと迷惑だ。ごめんね、と呟こうとすると、急に頭をぐっと掴まれて、思わず目を瞑った。その拍子に我慢していた涙がぽろっと目の端から零れる。
「ひゃっ……! な、何?」
「大丈夫、だいじょーぶ!」
恐る恐る目を開くと、豪快に笑う水樹くんが目に入ってきた。水樹くんは、私の頭を撫でているのだと、しばらくして気づいた。切ったばかりの髪はくしゃくしゃになってしまって、私は間抜けな顔でゆっくり瞬きをした。
「今日も変われなかったって言ったら後ろ向きだけどさ、現状維持も大切でしょ? 後ろに下がらなかったんだからいいじゃん。今を維持することって、誰にも出来ることじゃねえよ」
「そう、かな?」
水樹くんは、そうそう、と頷く。
「アオイ、真面目だから、ハードル上げすぎてんじゃない? だから足が引っ掛かるんだよ。それに、今の自分に納得出来なくてもさ、とりあえず今をきちんと精一杯過ごしてたら、いつのまにか変わってくもんだし。変わりたいって思ってるうちは大丈夫だよ。変われるよ、アオイは」
水樹くんの言葉は、私の胸の芯に通っていく。私はただ頷いた。水樹くんの笑顔がふるふると揺れて歪んだかと思えば、目の端からまた涙が零れた。
それと同時に頬に冷たい雫が当たる。自分の涙かと思ったけれど、その雫は肩や首筋、腕にも順番に当たってきて、それは雨なのだと気づいた。
「うわ、雨かよ」
水樹くんが眉間に皺を寄せる。
「これから花火だってゆーのに、ついてねえな。……早く店ん中入って。雨に濡れたら風邪ひく」
「もう、帰るね」
私は水樹くんの声を遮るようにして言った。声が震えないように気をつけてみたけど、語尾が少しだけ震えた。水樹くんにこれ以上甘えたら駄目だって思った。それに、これ以上、本当の自分を水樹くんに晒すのが怖かった。
引き止める水樹くんの声は聞こえないフリして、人ごみに紛れるように走り出した。雨脚はどんどん強くなっていく。空はいつの間にか、分厚い煙のような雲に覆われて、星どころか月さえも見えない。ワンピースが水を吸って、肌にへばり付いた。雨音と人の声の喧騒に紛れて「今回、この後に予定されていた花火大会は急な雨のため中止にします」というアナウンスが聞こえた。
私の夏休みはこれで終わり。きっと、これで良かったんだ。走りながら、手首にはめたヒマワリのブレズレットの形をもう片方の手の指先で確認した。
水樹くんが知ってる私は今日限定。クーラーの効いた塾の中で勉強漬けの私は、日差しを浴びて生き生きと育つヒマワリとは似ても似つかない。
――変わりたいって思ってるうちは大丈夫だよ。変われるよ、アオイは。
水樹くんの言葉が耳の奥で響いた。その言葉だけで十分だ。私は、その言葉だけで、頑張ろうって思える。




