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 私には夏休みなんてものは無かった。

 中三の夏で進学校に入るのに必死な受験生が呑気に夏休みを謳歌する暇なんて無い。今、塾の宿題を放り投げて、ここに精一杯のお洒落をして来てしまったのは、一日だけでも中学生最後の「夏休み」を過ごしたかったから。後悔とか罪悪感とか、後で散々するのは目に見えている。でも、突発的に行きたくなった。甘ったるく爽やかなラムネを飲み干したり、ヨーヨー釣りをしたり、真っ黒な空を彩る花火を見たり。日々の空虚感がそれだけで埋まる訳ではないけれど、少なくとも、息抜きにはなる気がした。

 そんな私は今、花屋さんの彩り豊かな花々に囲まれている。


「おー、似合う似合うー」


 彼は新しく着せられた赤のギンガムチェックのワンピースを見て、嬉しそうに手を叩いた。

 お母さんのもの、と言っていたこのワンピースは、私のサイズとぴったりで、何だか自分の表情が映えて見える。


「何だか、ごめんなさい。ここまでしていただいて……」

「いいのよ。元はといえば、うちの直樹が悪いんだから」


 そう言ってニコニコと優しそうに笑う綺麗な女性は、彼と直樹くんのお母さんだそうだ。


「ねー、名前なんて言うの?」

「え、えっと……」


 名前はずっとコンプレックスで、いつも自分の名前を口にする前は躊躇ってしまう。


「あ、アオイ」

「アオイ?」


 頷くと、彼は目をぱちくりさせて私を見る。あまりにも長く見つめられるものだから、自然と瞬きが多くなり、頬に熱が篭る。


「え、えっと……?」

「あぁ、ごめん。なあ、俺とどっかで会ったことある?」

「え? いや、ないと思うけど……」


 私の交友範囲はひどく狭い。同じ塾でも話すのは数人で、男子の知り合いなんてほぼ皆無だ。


「そっか。あ、俺、みずき」

「みずき、くん」

「うん。こう書くの」


 そう言って、彼は近くにあったメモ帳に『水樹』と書いた。メモ帳やボールペンもさり気なく花柄が取り入れてある。


「へえ。なんか、花屋の息子さんっぽい」

「だろ? 気に入ってるんだ」


 ふふ、と水樹くんは嬉しそうに健やかな笑顔を見せた。水を吸い、生き生きと育つ樹。そんな風に連想して、彼にぴったりの名前だと思った。私の名前とは大違いだ。

 息を吸うと、植物の良い香りがした。きちんと手入れされているのか、どの花も生き生きとしていて、彩りも鮮やかだ。そんな花々を見ていて、塾の前にある花壇に咲いたヒマワリに、水をやるのを忘れていたことに気づいた。


「ヒマワリって、一日水やり忘れてても、大丈夫かなあ?」

「ヒマワリ?」

「あ、うん。私、ヒマワリの世話してるんだけど、今日、たまたま水あげるの忘れてて……」

「ふーん? 大丈夫だと思うよ。ヒマワリ、暑さに強いから。でも、今日は結構日が照ってたし、ちょっと萎れちゃってるかもね。明日、ちゃんと水あげれば大丈夫だよ」

「そっか。今度は忘れないようにしなきゃ」


 花は好きだ。特に、水を浴びて水滴が光っているきらきらした花が好き。その花を見ていると、綺麗で一生懸命生きている感じがした。塾に行くのは義務のようなものだけれど、花壇に咲いたヒマワリに水をあげるのは自分から希望してやっている。本当は塾の先生の仕事らしいけど、私がしたいと言ったら、快く了承してくれた。というより、もともと水遣りが面倒だったらしく、逆に有難がられた。

 水樹くんに、その話をすると、うんうん、と頷きながら「俺、花大切にする子、好き」と爽やかな笑顔で言われた。


「やめてよ、言われ慣れてないんだから」

「すぐ真っ赤になる子も好き」


 にこにこと面白がるように続ける。私は唇を噛んで、ふい、と視線を逸らした。耳まで真っ赤なのを知られないように、手を添えた。耳たぶまでじんわりと熱を持っている。


「みーずーき! 女の子口説いてる暇あんなら、さっさと仕事手伝いなさい」


 水樹くんのお母さんが冗談めかしてそう言うと、水樹くんも、はいはい、とやる気のない返事をした。よっこらしょ、と水樹くんは重い腰を持ち上げる。そうすると「あんたは何歳よ」とすかさず突っ込みが入った。両親が共働きで、塾に入り浸っている私は、家族と会話を交わしてない。そのせいか、二人のやり取りが何だか可笑しくて、少しだけ羨ましくて、つい、くすりと笑みが零れた。


「かき氷は、何味が好き?」


 水樹くんにそう問われて、少し考えてから、ブルーハワイ、と答えた。


「練乳は?」

「入ってたほうが嬉しいかも」

「りょーかい。ちょっと、待ってて」


***


「はい、どーぞ」


 差し出されるかき氷。氷は涼しげな水色に染まり、白い練乳がたっぷりかけてあった。


「無料サービス。今日の俺は太っ腹なの。こんな日、滅多にないからゼヒ甘えて下さい」


 に、と白い歯を見せて笑う。ありがとう、と言って恐る恐る、手にすると、水樹くんは私の隣にどかっと座った。


「花屋は、かき氷係なんだ。チビんときから店番任されてたんだぜ」  


 得意げにそう言って、水樹くんはかき氷を口に運ぶ。水樹くんのかき氷もブルーハワイで、練乳をたっぷりかけてあった。私もストローで出来たスプーンで練乳のいっぱいかかったてっぺんをすくった。口に入れると、甘くて冷たくてキメの細かい氷がふわりと溶けた。


「おいしい」

「良かった」


 水樹くんは、嬉しそうに顔を崩す。本当、彼はとことん笑顔が似合う。しかも、その笑顔は優しくとろけて、心の中に入り込んでくる。私は、初対面の人と話すのは苦手だ。いつも顔が強張って、そのせいか、異性どころか同姓の友達もまともに作れない。それなのに、水樹くん相手だったら自然と表情が解れる。


「あ、そうだ。アオイちょっと待ってて。直樹、店番頼む」

「うん!」


 水樹くんが立ち上がりながらそういうと、直樹くんは子供らしい元気な返事をして、カキ氷機の前に立った。アイスのことで泣いてしまったときはどうしようかと思ったけど、その心配は杞憂だったようだ。「どれにしますか?」とお客さんに、たどたどしい敬語で聞くのが可愛らしい。でも、きちんと仕込まれているのかカキ氷機の使い方は手馴れていた。直樹くんが三人目のお客さんにメロン味のカキ氷を渡したとき、丁度、水樹くんが帰ってきた。


「これ、あげる」

「え?」


 手渡されたのは、ビーズで作られたブレスレットだった。


「あそこで売ってたんだ。さっき買ってきた」

「え、でも、悪いよ」

「二百円」

「え?」

「アイス、二百円だったでしょ? そのブレスレットも二百円。だから、これでチャラ」

「え、でもカキ氷……」

「カキ氷はサービスなの。とにかく受け取ってよ」


 黄色を基調としたブレスレットはゴテゴテしてなくて、でも手首に付けると、ちょっとした華やかさがあって可愛い。緑や茶色のビーズも混ざっていて、さりげなく、ヒマワリを表現している。夜店の明かりにビーズが反射してきらめいた。


「可愛い。ありがと」


 私は手首につけたブレスレットを優しく撫でて、思わず笑みが零れた。


「わ、やべえ」


 水樹くんは口元を手で覆って目をぱちぱちと瞬かせた。


「どうしたの?」

「アオイ、笑った顔良いじゃん。もっと笑えよ」


 今度は私が目をぱちぱちさせる番だった。やめてよ、と少しだけ口を動かした。照れ隠しに溶けかけのカキ氷をストローで一気に吸い込むと、冷え切った喉につっかえ、少しだけ咳き込んだ。すると、彼は声を上げて笑った。一つひとつの出来事が、あまりに今までの現実とかけ離れている。これは今日限定なのだ、と思うと、少しだけ寂しい。

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