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婚約破棄された宮廷魔道具師は静かに証拠を作る ~捨てられた私が王国を救うまで~  作者: 渚月(なづき)


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第7話 震える手の告発

公開実験の結果が王都に届いてから、一週間が経った。


予想通り、王都は沈黙していた。反論できないとき、権力者は黙る。沈黙は考えているのではない。次の手を練っているのだ。嵐の前の静けさ。前世の企業でも同じだった。不正が発覚しそうになったとき、会社は一度沈黙し、それから対策チームを組んだ。


私はその間、通常業務を続けた。新しい魔道具の開発。既存製品の改良。辺境の住民からの要望への対応。手を動かしている方が、不安を感じずに済む。


トーマ師匠は毎日工房に来て、私の仕事を見ながら技術を教えてくれた。時に叱り、時にヒントを与え、まれに褒める。その日常が、王都からの沈黙の不気味さを忘れさせてくれた。


そして予想外のことが、一つ起きた。


「リーネ先輩、ですか」


工房の入口に立っていたのは、栗色の三つ編みの少女だった。そばかす。大きな目。小柄な体。旅装は埃にまみれ、顔色は青白い。長い旅路を急いで来た顔だ。


見覚えがある。いや、忘れるはずがない。


「アイリス……?」


宮廷魔道具工房の見習い。私が宮廷にいた最後の年に入ってきた子。入りたてで右も左も分からなかった彼女に、基本的な素材の扱い方を教えたのを覚えている。真面目で、勤勉で、魔道具に対する情熱が本物だった。


「どうしてここに。王都から一人で?」


「逃げてきました」


その声は震えていた。彼女の手が、一冊の帳簿を握りしめている。革表紙の、宮廷工房の公式帳簿。指が白くなるほど、強く。


「中に入って」


工房の扉を閉めた。作業台から道具を片付け、椅子を出す。温かい茶を淹れた。セルヴァンがいつもそうしてくれるように。


アイリスの手がカップを持つとき、かちかちと音を立てた。磁器と指がぶつかる音。怯えている。でも、ここまで来た。それだけで、この子がどれほどの覚悟を固めたか分かる。


落ち着くのを待った。急かさない。彼女が自分の言葉で話し始めるまで。


茶を半分ほど飲んで、ようやくアイリスの肩の力が少し抜けた。


「……先輩が工房を去ってから、ヴェルナー様が工房長になりました」


知っている。頷くだけにした。


「工房長は、先輩の設計図を使って魔道具を量産しています。でも、先輩の設計の本質を理解していないから、品質が落ちていて。私は検査担当なので、そのことがデータで分かるんです」


検査担当。あの真面目な子なら、適任だ。


「それを工房長に報告したんですが、聞いてもらえなくて。それどころか……検査記録を改竄するように命じられたんです」


「改竄」


「はい。耐久試験の数値を書き換えています。実際には安全基準を満たしていない製品が、王太子殿下の名前で出荷されています。私が報告した安全装置の不備も、握り潰されました」


アイリスは帳簿を差し出した。彼女の手は、まだ震えていた。


「これは、改竄前の本物の検査記録です。工房長が廃棄を命じたものを、私が密かに保管していました。毎晩、自分の部屋で書き写して、原本を隠しておいたんです」


受け取った。

ページをめくる。


数字が語っていた。耐久試験の実数値。安全基準の合否判定。出荷日と出荷先。改竄後の数値との明確な乖離。一つ一つが丁寧に記録されている。検査員としての矜持が、ここにあった。


これは、決定的な証拠だった。


「アイリス。これを持ち出すのは、危険だったでしょう」


「怖かったです」


彼女の声が、小さく割れた。


「ずっと見て見ぬふりをしていました。工房長に逆らえば、職を失う。見習いの身分で上に盾突けば、二度と魔道具の仕事には就けない。王太子殿下に睨まれれば、家族にまで影響が出る。田舎の両親が困ることになる。だから黙っていました」


涙が一筋、頬を伝った。


「でも、先輩の公開実験の結果を聞いたんです。辺境の人から手紙が来て。模倣品に安全装置がなかったって。過負荷で破損したって。あれは、私が検査で不備を報告したのに、工房長が握り潰した項目です」


「……そう」


「もしあの模倣品で事故が起きたら、子供が怪我をしたら、私は一生、自分を許せない。自分が黙っていたせいで誰かが傷ついたら。それが怖くて、もう黙っていられなくなりました」


アイリスは顔を上げた。涙の跡が残る目に、覚悟の色があった。震えてはいる。でも、目は逸れていない。


「先輩。この帳簿を、正しい場所に届けてください。私一人では、どこに持っていけばいいか分からなくて」


帳簿を胸に抱いた。この子が、どれほどの恐怖を乗り越えてここまで来たか。五日間の旅路を一人で。追手を恐れながら。考えるだけで、胸が痛い。


「ありがとう、アイリス。あなたは正しいことをした」


「……先輩みたいには、強くないです」


「私も強くないよ。ただ、一人じゃないだけ」


アイリスの目から、また涙がこぼれた。今度は、安堵の涙に見えた。





セルヴァンの執務室に、四人が集まった。私、セルヴァン、ナディア、そしてアイリス。トーマ師匠はアイリスの世話を買って出て、工房で待機してくれている。


帳簿の内容を共有する。全員の表情が厳しくなった。


「安全基準未達の魔道具が、王太子の名で流通している。これは技術的な問題だけじゃない。人命に関わる」


セルヴァンの声は低く、硬かった。元騎士団副長として、人命の重さを誰よりも知っている人の声だ。左手の火傷痕が、その言葉に重みを与えていた。


「グレイスに提出すれば、宮廷の公式記録になる。王太子といえども、改竄の事実は無視できなくなる」


「ただし」


ナディアが指を立てた。


「帳簿だけでは、工房長個人の不正で片づけられる可能性がある。王太子殿下は『部下の独断で知らなかった』と言えばいい。尻尾切りよ」


「それは想定内です」


私は、先日グレイスに提出した自分のノートの話をした。設計の原著者が私であることの証拠。それと、この検査記録の改竄。二つの証拠を組み合わせれば、構図が見える。


「私の設計を盗用し、品質を落とした模倣品を王太子の名で出荷し、その品質問題を隠蔽していた。一つ一つは別の問題に見えるけれど、繋げれば組織的な不正です」


「だが、王太子本人の指示を証明する直接の証拠は」


「ありません。今は」


セルヴァンと目が合った。


「でも、必要なのは直接の証拠ではなく、王太子側に自ら動かざるを得ない状況を作ることです。グレイスの記録に不正の事実が残れば、王太子は対応を迫られる。対応の中で、必ずボロが出ます。追い詰められた人間は、証拠を隠そうとするか、誰かに罪を押し付けようとする。どちらにしても、動けば痕跡が残る」


「観察して、仮説を立てて、検証する。あなたらしいやり方だ」


セルヴァンの声に、かすかな温度があった。


「アイリス」


セルヴァンが見習いの少女に向き直った。


「辺境伯領として、あなたの安全を保障する。王都には戻らなくていい。ここにいろ」


アイリスの目がまた潤んだ。今度は、安堵の涙だった。


「あ、ありがとう、ございます……」


「礼はいい。あなたが持ってきたものの価値は、これから証明される」


その夜、工房で一人、設計ノートと検査帳簿を並べた。


証拠は揃いつつある。あとは、これをどのタイミングで、どの順番で提示するか。


前世の品質管理の鉄則を思い出す。不正を暴くとき、大切なのは感情ではなく手順だ。証拠を並べ、事実を語らせ、相手が言い逃れできない状況を作る。怒鳴る必要はない。データが語る。


ペンを取り、手順書を作り始めた。


一、設計ノートの原著者証明をグレイスに提出する(済)

二、検査記録の改竄証拠を提出する(明日)

三、宮廷の公式調査を要請する

四、調査の過程で、王太子側の対応を観察する


一歩ずつ。確実に。


工房の灯火石が、静かに夜を照らしていた。自分が作った光の中で、自分の権利を取り戻すための準備をしている。


不思議な気分だった。


ふと、セルヴァンの言葉が蘇る。「あなたらしいやり方だ」


(……あなたらしい、か)


誰かに「らしい」と言われたのは、いつぶりだろう。宮廷では「もっと華やかに」「もっと見栄えよく」と言われ続けた。私の「らしさ」は、いつも否定されていた。


頬が少し熱い。

茶のせいだと思うことにした。


――王都からの返答は、三日後に届いた。そして、その内容は誰も予想していないものだった。


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