第6話 数字は嘘をつかない
公開比較実験の日は、よく晴れていた。
ヴェルムントの中央広場に、二つの魔道具が並んでいる。左が私の灯火石。右が、王太子の紋章が刻まれた模倣品。どちらも同じ「灯火石」という名前だが、手に取ればすぐに違いが分かる。重さ、質感、研磨の精度。だが、今日はそれを感覚ではなく数字で示す。
集まったのは、辺境の住民だけではなかった。近隣三領の代表者。辺境を行き来する商人たち。わざわざ遠方から来た魔道具の同業者もいた。そして何より、王都から派遣された宮廷書記官長グレイスの姿があった。
銀縁眼鏡の奥の目は、誰の味方でもない色をしていた。黒いローブに身を包み、背筋を正して広場の中央に立つ姿は、裁判官のようだった。
「本日の比較実験について、記録を担当します。結果はすべて宮廷の公式記録として保管されます。事後の改竄は不可能です。異議のある方は、この場で申し出てください」
グレイスの声は、広場に静かに響いた。静かだが、よく通る声。誰も異議を申し出ない。王都から来た商人たちの顔がこわばっているのが見えた。公式記録になるということの意味を、彼らは理解している。
実験は四項目。私が設計し、トーマ師匠に検証してもらった試験プロトコルに基づいて行う。
一つ目、魔力消費量。同じ光量を出すために必要な魔力を計測する。計測器は辺境伯領と宮廷書記官室が各一台ずつ持ち込んだ。二つの計測器の数値が一致することを確認してから、試験を開始した。
結果。私の灯火石は模倣品の約三分の一の魔力で同等の光量を出した。広場にざわめきが走った。
二つ目、耐久性。連続使用での劣化速度を測定する。朝から晩まで、両方の灯火石を同時に点灯させた。日没後にグレイスが数値を読み上げた。
結果。模倣品は八時間で光量が半減した。私の灯火石は二十四時間後も九割以上を維持。住民たちの間から、感嘆のため息が漏れた。
三つ目、安全性。過負荷をかけた際の挙動を見る。これが最も重要な試験だった。魔道具は日常的に使うものだ。万が一の事態に、使用者を守れなければ意味がない。
私の灯火石は安全装置が作動し、自動的に出力を下げた。設計段階で組み込んだ保護回路が、正確に機能した。
模倣品には安全装置がなかった。過負荷をかけると、石の内部温度が急上昇し、最終的に亀裂が入って破損した。破片が飛び散らないよう、事前に防護壁を設けておいてよかった。
広場が静まり返った。住民たちは理解した。この模倣品が家の中で割れたら、怪我をする。子供のそばで割れたら。
四つ目、環境耐性。雨天を想定した防水試験。私の灯火石は問題なく動作を継続。模倣品は水が内部に浸入し、魔力回路がショートして停止した。
すべての数値を、グレイスが淡々と記録していく。表情は変わらない。ただ、ペンを走らせる手だけが確実に動いている。
「以上の結果を、宮廷記録として正式に登録します。本記録は国王陛下にも写しが提出されます」
グレイスがそう宣言したとき、群衆からどよめきが起きた。
「三倍の魔力効率って、とんでもないわよ」
ナディアが隣で呟いた。帳簿ではなく、今日は腕を組んで実験を見守っていた。
「安全装置がない魔道具を、王太子殿下の名前で売ってたの? 冗談じゃないわ。子供がいる家にも売ってたのよ」
住民たちの声。それは噂ではなく、自分の目で見た事実に基づいた言葉だった。噂は曖昧だが、数字は明確だ。三分の一。九割以上。安全装置なし。誰にでも分かる。
王都の商人たちが、そそくさと広場を離れていくのが見えた。彼らは帰って報告するだろう。王太子に。そしてメルヴィナに。
トーマ師匠は広場の端で腕を組み、静かに頷いていた。口には出さないが、弟子の仕事を認めてくれている。その姿を見て、目の奥が熱くなった。
「リーネ殿」
セルヴァンが、近づいてきた。群衆の中でも、彼の声はすぐに分かる。低くて、落ち着いていて、ほんの少しだけ温かい。
「よくやった」
短い言葉。でも、その目がわずかに和らいでいるのが分かった。
「まだ終わりではありません」
「分かっている」
公開実験の結果は、辺境では決定的だった。模倣品は信頼を完全に失い、王都の商人たちは在庫を抱えたまま引き上げていった。私の魔道具の需要は一気に跳ね上がった。
だが、王都はまだ動いていない。
◇
その夜、グレイスが宿を訪ねてきた。
「実験の記録に関して、一つ確認したいことがある」
銀縁眼鏡の向こうの目は、相変わらず感情を読ませない。事務的な声。事務的な姿勢。でも、夜にわざわざ訪ねてくるということは、これが重要な内容だということだ。
「あなたの魔道具に使用されている術式の骨格。これは、三年前に宮廷に登録された王太子殿下名義の設計と、基本構造が一致している」
心臓が跳ねた。
「ただし」
グレイスは手元の書類をめくった。
「本日の模倣品の術式と、宮廷登録の術式を比較したところ、模倣品の方が宮廷登録版に近い。あなたの製品は、宮廷登録版から大幅に改良・発展している。つまり、あなたは登録された設計を『模倣した』のではなく、登録される前の段階から設計を知っていたことになる」
「それは――」
「事実を述べている。感想ではない。宮廷登録の設計を誰が本当に作ったのか、私が判断する立場にはない。だが、記録上の矛盾は記録する義務がある」
グレイスは書類を閉じた。
「設計者の証明に関する資料があれば、宮廷記録として受理できる。あるか」
「……あります」
前世の習慣で、設計の初期スケッチには必ず日付を入れていた。品質管理の基本だ。いつ、何を、どのように設計したか。その記録がなければ、後から検証できない。
宮廷に提出する前の、自分だけのノート。走り書きの数式。試行錯誤の跡。改良の過程。あれは婚約破棄の日に、引き出しの奥から咄嗟に鞄に入れたものだ。設計図は奪われたが、ノートだけは手元にある。あのとき、なぜか手が勝手に動いた。三年分の記録を捨てたくないという、本能のような衝動だった。
「提出する意思はあるか」
「はい」
「であれば、正式な手続きを案内する。焦る必要はない。記録は逃げない」
グレイスは立ち上がり、一礼して去っていった。味方でも敵でもない。ただ、事実の番人。
部屋に一人になって、旅の鞄から古いノートを取り出した。
表紙はインクで汚れ、角が擦り切れている。でも中身は鮮明だ。日付入りの設計スケッチ。試作の記録。失敗の分析。改良のメモ。数式の走り書き。
三年分の、私の手の跡。
指でページをなぞる。あの頃の自分は、これが奪われるなんて思ってもいなかった。
今は違う。もう、奪わせない。
ノートを鞄にしまい直した。明日、セルヴァンに相談しよう。
窓の外、辺境の夜空に星が瞬いている。
――王都では今頃、誰かが焦り始めているだろうか。
その問いの答えは、思ったより早く届くことになる。




