第5話 偽りの紋章
民生用魔道具の評判は、想像以上の速さで広まった。
灯火石は、辺境の農家で夜間作業の必需品になった。魔力を込めれば一晩中、柔らかな光を保つ。蝋燭のように火事の心配がなく、油のように補充の手間もない。最初は恐る恐る使っていた農家の人たちが、一週間もすると「もうこれなしでは暮らせない」と言い始めた。一つの家に一つ。やがて、辺境の農村の夜の風景が変わり始めた。
温熱石は、冬の厳しいこの地域では文字通り命を守る道具だった。小さな石を懐に入れておくだけで、体の芯まで温まる。高齢者や幼い子供のいる家庭から注文が殺到した。
浄水石は、井戸水の質が悪い集落で子供たちの病気を減らした。水に含まれる不純物を魔力で分離する仕組みで、原理は前世の浄水器と同じだ。導入した集落では、子供の腹痛が激減したという報告が上がってきた。
「リーネさんの魔道具がなかったら、うちの子は冬を越せなかったかもしれない」
市場で農婦に手を握られたとき、目頭が熱くなった。彼女の手は畑仕事で荒れていて、硬くて温かかった。
これだ、と思った。これが、私が魔道具を作る理由だった。宮廷の装飾品ではなく、人の暮らしを支える道具。前世で作っていた電子部品も、最終的には誰かの生活の中で働いていた。同じことだ。
辺境伯領の税収も上向き始めた。ナディアが数字を見せてくれた。
「魔道具の販売益だけじゃないわ。魔道具のおかげで農作業の効率が上がって、生産量が増えてる。冬の死亡率も下がってる。交易品が増えれば、私の商売も潤う。全部繋がってるのよ」
セルヴァンは報告を聞いても、表情をあまり変えなかった。ただ、騎士団への指示の中で「魔道具工房の拡充」という項目が加わったことを、後からナディアに教えてもらった。
言葉にしない人だ。でも、行動には出る。
トーマ師匠は相変わらず口が悪かったが、民生用魔道具の設計を見て、一言だけ褒めた。
「使う人間のことを考えて作ってある。それでいい」
師匠に褒められたのは初めてだった。嬉しくて、その夜は設計図の前で少しだけ泣いた。
◇
異変は、三日後の朝に起きた。
「リーネ殿。これを見てほしい」
セルヴァンが工房に持ち込んだのは、一つの魔道具だった。灯火石。見た目は私が作ったものと同じだ。
だが、手に取った瞬間に分かった。
「これは私の製品ではありません」
「確かか」
「確かです。まず重さが違う。私の灯火石より約二割重い。素材の純度が低い証拠です。表面の研磨も荒い。そして――」
魔石の底面を裏返す。
「ここに刻印があります。これは……」
息が止まった。
そこには、王太子オルディスの紋章が刻まれていた。双頭の鷲。王位継承者の証。
「王太子殿下の名前で、辺境に魔道具が出回り始めている。先週から、王都の商人が持ち込んで安価に販売している。品質は、あなたの製品より明らかに劣る」
セルヴァンの声は静かだったが、目の奥に硬い光があった。
「しかも、設計は――」
「私の初期設計の模倣です」
言葉を引き取った。見れば分かる。術式の骨格が、私が宮廷に残してきた設計図と同じだ。魔力回路の基本構造、素材の配置パターン。私のやり方だ。ただし、核心部分の理解が浅いから、効率が大幅に落ちている。安全装置の設計も省略されている。コストを削るためだろう。
盗まれた設計図。それをヴェルナー工房長が表面だけ再現し、王太子の名で売り出している。
「リーネ殿。もう一つ問題がある」
セルヴァンが別の書簡を差し出した。王都からの通達だ。
『辺境で流通する非認定魔道具について、品質に関する苦情が王都に届いている。王太子殿下は、辺境の消費者を守るため、品質保証済みの魔道具を供給することを決定された』
読み終えて、理解した。
巧妙だ。
私の設計を盗んで粗悪な模倣品を作り、それを「正規品」として辺境に売る。同時に、私の製品に対する信頼を「非認定」という言葉で削る。最終的には、辺境の魔道具市場そのものを王太子の支配下に置く。被害者のふりをしながら、市場を奪う。
噂では止められなかったから、次は市場を奪いに来た。
「ナディア」
「もう調べてる」
赤毛の商人は、すでに帳簿を広げていた。数字を指で追いながら、早口でまくし立てる。
「王都の商人三名が、この一週間で辺境に入ってきてる。全員、王太子派の貴族と取引のある商会。そして、価格はうちの半値以下。赤字覚悟の設定よ。これ、市場を潰すつもりだわ」
ダンピング。前世の知識が、状況を正確に名づけた。資金力のある大手が価格を不当に下げて、競合を市場から追い出す手法。短期的には赤字でも、競合がいなくなれば独占できる。
「対抗手段は」
ナディアが珍しく黙った。
価格競争では、王太子の資金力に勝てない。一介の辺境の魔道具師と、国庫に近い王太子では、資本の桁が違う。
トーマ師匠が腕を組んで考え込んでいた。
「……一つだけ、方法があります」
全員の視線が私に集まった。
「品質の差を、誰の目にも明らかにすることです。王太子の模倣品と私の製品を、同じ条件で比較する。公開実験を行いましょう」
セルヴァンが目を細めた。
「公開実験か」
「模倣品は私の初期設計の表層を真似ただけです。耐久性、魔力効率、安全性、すべてにおいて差がある。それを数字で示します。数字は嘘をつきません」
「だが、王太子側が比較に応じるとは思えない」
「応じなくていい。こちらが一方的に、両方の製品を比較して結果を公開するんです。拒否すれば、それ自体が品質に自信がないという証拠になる」
ナディアが口角を上げた。
「いいわね、それ。市場の人たちは実物を見たがってる。数字で見せれば一発よ」
「ただし」
私は全員を見回した。
「比較データは、改竄の余地がない方法で記録する必要があります。第三者の立会いが要る。権力に左右されない、公正な記録者が」
「心当たりがある」
セルヴァンが言った。
「宮廷書記官長。グレイスという人物だ。徹底した中立主義者で、事実の記録にしか興味がない。王太子にも国王にも忖度しない。辺境の実地調査に派遣を要請できる」
宮廷書記官長。記録の番人。権力に屈しない中立の証人。
「それが実現すれば、勝てます」
「要請する。準備を進めてくれ」
セルヴァンは立ち上がった。その動きに迷いがなかった。
工房に戻って、比較実験の計画を練り始めた。
項目を書き出す。耐久試験。魔力消費量の計測。安全性試験。環境耐性試験。すべてを数値化し、誰が見ても分かる形にする。前世の品質監査のフォーマットを下敷きに、この世界の基準に合わせて設計する。
ペンが止まらない。
――ただ、胸の奥には小さな棘がある。
オルディスが私の設計図を使っている。私が三年間を捧げた仕事が、今も彼の道具にされている。怒りではなかった。もっと冷たい感情。
(……証明しよう。あの設計図を生かせるのは、あなたではなく私だと)
ペンを握り直す。指先は震えていなかった。
トーマ師匠が工房を覗いた。
「夜更かしは職人の敵だぞ。目が曇る」
「もう少しだけ」
「ふん。若いうちは無茶も芸のうちか」
師匠はそう言って、毛布を一枚、作業台の椅子に置いて去った。




