第4話 噂という名の毒
領境の試験設置は、成功だった。
北側の森に配置した感知石が、侵入してきた小型の魔獣を正確に捕捉した。光が点滅し、低い音が鳴る。巡回中の騎士団が即座に対応できた。従来の目視巡回では発見が遅れていた種類の夜行性の魔獣だった。
「この光り方なら、夜間でも見落とさない」
騎士の一人が、感知石を手に取りながら感心したように言った。年配の、領境巡回歴十年以上のベテランだ。
「音も大きすぎず、小さすぎない。魔獣を刺激しない程度で、人には確実に聞こえる。これ、よく考えてあるな」
その声を聞いて、胸の奥がじわりと温かくなった。設計段階で最も苦心した部分を、現場の人が正確に拾ってくれた。
「感知範囲、反応速度ともに申し分ない」
セルヴァンの報告書の文面は簡潔だったが、騎士たちの反応はもっと分かりやすかった。
「これがあれば夜間巡回の負担が半分になる」
「冬場の遭難も減るだろうな。去年は三人亡くなったからな……」
現場の声。これが、私が三年間欲しかったものだった。
自分の作ったものが、人の役に立っている。当たり前のことなのに、宮廷ではその当たり前が、いつも誰かの手柄にすり替わっていた。完成した魔道具は王太子の名前で発表され、私はその場に立つことすら許されなかった。
二週間で、領境全域への設置が完了した。設置作業の中で、現場の騎士たちから細かな要望を聞き、その場で微調整を加えた。取り付け角度の工夫。防水処理の強化。音量の調整。現場の声を反映した改良は、宮廷にいたら絶対にできなかったことだ。
ナディアが早速動いた。辺境の他領からの問い合わせが来ていると、帳簿を広げながら報告してくれる。
「隣のバルトス領とケーニヒ領から、同じ魔道具が欲しいって。あなた、もう暇じゃなくなるわよ」
「まだ一つ目の製品ですよ」
「一つ目が当たれば十分。商売ってそういうもの。最初の信頼が一番大事なの」
順調だった。
少なくとも、辺境では。
ちょうどその頃、工房の近くに住むトーマという白髪の老人が、ふらりと訪ねてきた。分厚い眼鏡の奥に、鋭い目を光らせている。
「お前が新しい魔道具師か。仕事を見せてもらうぞ」
遠慮のかけらもない口調。だが、作業台に並んだ試作品を一つ一つ手に取る仕草は、紛れもなく熟練の職人のものだった。
「接合部の処理が甘い。あと五ミクロン詰めろ」
「……分かります、か」
「分からいでか。わしは元宮廷魔道具工房の親方だ」
息が止まった。元宮廷工房の親方。トーマ。その名前は知っている。私が工房に入る二年前に引退した伝説的な職人だ。
「筋は悪くない。だが雑だ。明日また来る」
そう言い残して、老人は背中を丸めて去っていった。
翌日、本当に来た。その翌日も。口は悪いが、指摘はすべて的確だった。私が見落としていた素材の癖、炉の温度管理の微調整、接合部の仕上げ方。どれも長年の経験がなければ分からないことばかりだ。そして指摘の直後に、改良のヒントをぼそりと呟いては去っていく。
師匠ができた。思いがけない幸運だった。
◇
変化は、二十日後に届いた一通の書簡から始まった。
王都の工房組合から、辺境伯領宛て。公式な文書だった。
『宮廷認定外の素材を用いた魔道具の製造・販売は、王国魔道具管理規定第十七条に抵触する可能性がある。速やかに該当製品の使用を中止し、製造者の身元を報告されたい』
セルヴァンの執務室で、その書簡を読んだ。
指先が冷たくなる。
「……来ましたね」
「予想より早い」
セルヴァンの声は平静だった。彼もまた、この展開を想定していたのだろう。
管理規定第十七条。私は条文を知っている。宮廷認定素材以外の使用を規制する条項。ただし、これは王都と直轄領にのみ適用される法律だ。辺境伯領は自治権の範囲で独自の素材運用が認められている。十年前の辺境伯特権法が根拠だ。
「この書簡には法的拘束力がありません。辺境伯領の自治権の範囲内です」
「そうだ。だが、問題はそこではない」
セルヴァンは窓の外を見た。
「書簡が届いたということは、王都が動いている。法では抑えられないと分かれば、次は別の手を使う」
噂。
私はその言葉を口にしなかった。でも、セルヴァンも同じことを考えていると分かった。
それからの数日で、噂は辺境にまで届き始めた。
「ヴェルムントの魔道具師は、宮廷を不正で追放された女」
「王太子殿下の研究成果を盗んで逃げた」
「辺境で粗悪品を売りつけている」
市場でナディアが聞き集めてきた話だ。彼女の顔は珍しく険しかった。
「王都の商人経由で流れてきてる。組織的よ、これは。一人や二人じゃない。複数の商会を通じて、同じ内容の噂が同時に広まってる。誰かが意図的に流してるわ」
メルヴィナ。名前を聞かなくても分かった。宮廷の社交界で情報を操るのは、あの人の得意分野だ。王太子の新しい婚約者候補。銀髪の伯爵令嬢。笑顔のまま人の評判を壊せる人。
「ナディア、辺境での取引に影響は」
「今のところは大丈夫。実物を見た人は信用してるから。でも、王都との取引を考えるなら話は別。信用問題になる」
信用。魔道具師にとって、信用は命と同じだ。技術があっても、信用がなければ誰も使わない。前世でも同じだった。品質管理の資格を取り、データを積み上げ、信用を築くのに何年もかかった。
「反論しますか」
セルヴァンに尋ねた。彼は首を横に振った。
「噂に噂で返せば、相手の土俵だ。事実で返す。それが一番確実な方法だ」
「……同意です」
事実で返す。つまり、私の魔道具が本物であることを、否定しようのない形で証明する。
「一つ、提案があります」
「聞こう」
「防衛用だけでなく、民生用の魔道具を作らせてください。灯り、暖房、水の浄化。辺境の人々の生活を直接改善するものを。使った人が品質を語ってくれれば、それが一番の反証になります」
セルヴァンは少し考えてから頷いた。
「必要な素材と予算を出してくれ。ナディアと調整する」
「ありがとうございます」
頭を下げる私に、彼は静かに付け加えた。
「リーネ殿。一つだけ」
「はい」
「あなたの仕事は、私が見ている。辺境の民も見ている。噂に怯える必要はない」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
宮廷では、誰もそんなことを言ってくれなかった。「見ている」と。私の仕事を見て、評価してくれる人がいなかった。
「……ありがとうございます」
声が小さくなった。それを隠すように、設計図を広げた。
トーマ師匠の指導を受けながら、民生用魔道具の構想を練る。灯火石、温熱石、浄水石。どれも技術的には可能だ。辺境産の素材を使えば、王都の製品よりコストも抑えられる。
指が動き始める。
アイデアが溢れてくる。
でも、心の隅に冷静な声がある。
噂は序章にすぎない。王太子オルディスは、自分の「功績」を脅かす存在を放っておかない。私が成果を上げれば上げるほど、あの人にとっては都合が悪くなる。
次の一手は、もっと直接的になるだろう。
そう考えたとき、ペンを持つ手に力が入った。
――今度は、奪わせない。
その決意は、指先の熱さとなって、設計図の上を走り続けた。




