表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された宮廷魔道具師は静かに証拠を作る ~捨てられた私が王国を救うまで~  作者: 渚月(なづき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 辺境からの依頼書

手紙の封蝋は、翼を広げた鷹の紋章だった。


宮廷では見かけない意匠だ。指先で封蝋をなぞると、蝋の質が良いことに気づく。安価な量産品ではない。辺境であっても、相応の家格の人物が差し出した手紙ということだ。


文面は簡潔だった。


「辺境伯領ヴェルムントにて、防衛用魔道具の製作を依頼したい。報酬と工房は用意する。詳細は面談にて――セルヴァン・ヴェルムント」


防衛用魔道具。

私の専門だった分野だ。いや、専門だと思っていた分野、と言うべきか。


宮廷では三年間、私が設計した魔道具はすべて上の名前で提出された。王太子オルディスの成果として。私の名前は設計図のどこにも残っていない。


それが婚約者としての務めだと、疑わなかった自分が馬鹿だったのだ。


手紙を読み返す。二度、三度。


(……でも、この手紙はどうして私に届いたのだろう)


宮廷を追われた魔道具師に、わざわざ依頼を出す理由。

考えられるのは二つ。


一つは、私の技術を本当に知っている人物。

もう一つは、安く使い潰せると踏んでいる人物。


どちらであっても、今の私に選択肢は多くない。


王都の工房組合には、すでに話が回っているはずだ。オルディスの影響力は、この国の魔道具業界の隅々にまで及んでいる。王太子に睨まれた職人を雇う工房は、王都にはない。


実家に戻る選択肢も考えた。だが、田舎の没落男爵家には、成人した娘を養う余裕はない。そもそも私は、魔道具を作ることしか能がないのだ。


手紙をもう一度見る。

辺境伯領ヴェルムント。王都から馬車で五日。


遠い。

でも、遠いからこそ、オルディスの手が届きにくい場所でもある。


荷造りは半日で終わった。旅支度の鞄一つと、道具箱一つ。持ち物の少なさに、三年間の空虚さを思い知る。この王都で得たものは、何もなかったのだ。いや――奪われたのだ。


出発の朝、宿の窓から王宮の尖塔が見えた。

朝日を受けて白く輝くその姿は、美しいと思う。初めてあの門をくぐった日の、胸の高鳴りを覚えている。


目を逸らした。

感傷に浸っている暇はない。





辺境伯領ヴェルムントまで、馬車で五日。


王都を離れるにつれて、空気が変わっていった。石畳が土道になり、整然とした街並みが、素朴な農村の風景に溶けていく。街道沿いの木々は王都では見ない種類のものが増え、空の色まで違って見えた。


三日目の夜は、街道沿いの小さな宿に泊まった。隣の部屋の旅商人が、辺境の噂を教えてくれた。


「ヴェルムント? ああ、あそこは最近活気があるらしいぜ。若い領主代理が頑張ってるって話だ」


若い領主代理。手紙の差出人、セルヴァンのことだろうか。


五日目の午後、ようやく到着したヴェルムントの街は、想像していたよりずっと活気があった。


市場には辺境特産の薬草が並び、鍛冶の音がどこかから響いている。子供たちが通りを走り回り、荷馬車が行き交う。人々の顔は日に焼けて逞しく、王都の白粉とは無縁の健やかさがあった。


辺境という言葉から連想していた寂れた風景は、どこにもなかった。


「リーネ殿ですか」


街の入口で待っていたのは、黒髪を短く刈った長身の青年だった。灰青色の目。穏やかだが、芯のある声。背筋がまっすぐで、貴族というより軍人に近い佇まいだった。


「セルヴァン・ヴェルムントです。遠路、感謝する」


差し出された手は、大きくて硬かった。剣胼胝がある。この人は机上の貴族ではない。自分の体を使って何かを守ってきた人の手だ。


「……リーネです。手紙を拝見しました」


握手を交わす。彼の左手の甲に古い火傷の痕があることに気づいた。けれど、聞かなかった。初対面で踏み込む話ではない。傷にはそれぞれの物語がある。


セルヴァンは余計な社交辞令を挟まなかった。天気の話も、旅の労いの言葉も、形式的な歓迎もなし。


「工房に案内する。話はそこで」


短い言葉。でも不快ではなかった。むしろ、宮廷の長い前置きと建前に慣れた耳には、心地よいくらいだった。あの場所では、本題にたどり着くまでに三十分は要した。


案内された工房は、街外れの石造りの建物だった。広い。天井が高い。窓が大きく、自然光がよく入る。王都の工房は地下にあったから、自然光で仕事ができるというだけで贅沢に感じた。


作業台、炉、基本的な素材の棚。最低限だが、質の良い設備が揃っている。


「以前はここで、鍛冶師が刃物を作っていた。魔道具用に改装した。足りないものがあれば言ってほしい」


私は工房の中をゆっくり歩いた。炉の状態を確かめる。煉瓦の目地は新しいが、炉心の構造はしっかりしている。素材棚の中身を一つずつ見る。魔石の原石、金属素材、薬品類。


(……悪くない。むしろ、純度の高い素材がある)


王都の工房よりも、ある意味では恵まれているかもしれない。王都では予算の大半が装飾用の宝石に消えていた。見栄えだけを求められる魔道具。権力者が胸元に飾るための光る石。実用性は二の次だった。


ここは違う。装飾品の素材が一つもない。すべてが実用のための材料だ。


「セルヴァン様。一つ確認させてください」


「どうぞ」


「なぜ、私に依頼を? 宮廷を追われた魔道具師ですよ。経歴に傷がある人間に仕事を頼むのは、普通はリスクです」


彼は一瞬だけ間を置いた。

その間が、考えなしに答える人ではないことを教えてくれた。


それから、棚の奥にある一つの魔道具を手に取った。


「三年前、王都の市場に試作品として出回った防護の魔石がある。公式には王太子殿下の開発とされている」


私の呼吸が止まった。


「あれを辺境の騎士団で試験運用した。半年間。結果は極めて優秀だった。だが、術式の組み方に特徴がある。宮廷魔道具工房の他の製品とは明らかに違う設計思想だ」


彼は魔石を作業台に静かに置いた。


「効率を追求した構造。無駄のない魔力回路。装飾性を一切排除した、純粋に機能のための設計。これは、飾りに興味がある人間の仕事ではない」


心臓が速くなる。


「調べた。宮廷の関係者に当たり、設計者は王太子ではなく、当時の工房所属の技術者だと分かった。――あなただ、リーネ殿」


見ていた人がいた。

三年間、誰にも見えないと思っていた私の仕事を、正しく見ていた人が。


「私が欲しいのは、飾りではなく人を守れる魔道具だ。辺境には、今すぐそれが必要だ。作れますか」


返事は、一秒もかからなかった。


「作れます」


声が震えなかったことが、少しだけ誇らしかった。


セルヴァンは小さく頷いた。それだけだった。でも、その頷きの中に確かな重みがあった。約束の重み。この人は軽々しく頷かない人だと、直感で分かった。


工房の窓から差し込む西日が、作業台の上の魔石を照らしていた。


三年間、誰にも見えなかった私の仕事が、ここで初めて光を受けている。


指先が熱い。

作りたいものが、もう頭の中に浮かんでいた。


けれど同時に、一つの疑問が胸に残る。――宮廷は、私がここにいることを、いつ知るだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ