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婚約破棄された宮廷魔道具師は静かに証拠を作る ~捨てられた私が王国を救うまで~  作者: 渚月(なづき)


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第10話 陽だまりの工房

国王の裁定が届いたのは、半月後のことだった。


春の訪れとともに届いた勅書。セルヴァンの執務室で、二人で読んだ。


王太子オルディスは、魔道具の成果詐称と品質偽装の責任を問われ、王太子の位を剥奪された。完全な廃嫡ではなく、一貴族としての身分は残されたが、王位継承権は永久に失われた。公的な場での謝罪と、被害を受けた辺境伯領への賠償が命じられた。


ヴェルナーは宮廷魔道具工房長を免職。工房の管理体制は全面的に見直されることになった。新しい品質管理基準の策定にあたり、辺境伯領の工房の方式が参考にされるという。


メルヴィナは処分の対象にはならなかった。ただ、王太子の婚約者候補という立場を自ら辞退したと聞いた。あの人なりの損切りだろう。社交界での彼女の影響力は、かなり落ちたらしい。噂で人を操った人が、今度は噂に追われている。因果応報とは言わない。ただ、虚飾は長くは持たない。


そして、私に対しては。


「宮廷魔道具工房への復帰と、主任技術者の地位を。国王陛下より正式に打診がありました」


セルヴァンの執務室で、その書簡を読んだ。


宮廷への復帰。主任技術者。三年前の私なら、喉から手が出るほど欲しかった言葉。あの日々、認められたくて、評価されたくて、必死で設計図を描いていた頃の私なら。


でも今、指先は震えなかった。


「……お断りします」


セルヴァンは驚かなかった。


「辺境を選ぶか」


「はい。ここに、私の工房があります。ここに、私の魔道具を必要としてくれる人たちがいます。ここに、師匠がいて、仲間がいて、正当に評価してくれる人がいます。宮廷に戻る理由がありません」


答えながら、自分の声がとても穏やかであることに気づいた。迷いがない。


半年前、婚約破棄の通告を受けたあの灰色の朝。あのとき私は、すべてを失ったと思った。でも今思えば、あの日は終わりではなく始まりだった。失ったのではなく、手放したのだ。自分を縛っていたものを。


セルヴァンは窓の外を見た。辺境の春。雪解けの山から吹き下ろす風が、領地に新しい季節を運んでいる。街路樹の枝に、小さな新芽が膨らみ始めていた。


「リーネ殿」


「はい」


「ずっと『殿』をつけてきたが、もういいか」


「……え?」


「リーネ、と呼びたい」


不意を突かれた。頬が熱くなる。この人にこんなことを言われるとは思っていなかった。いや、どこかで予感はあったのかもしれない。毎日届く茶。肩にかけられた外套。隣を歩く足音。言葉にならない、小さな行動の積み重ね。


「そ、それは……」


「仕事の話ではない。個人的な、話だ」


セルヴァンの耳が、わずかに赤いことに気づいた。あの落ち着いた人の、初めて見る表情。寡黙で実直で、いつも感情を表に出さない人が、今、耳まで赤くしている。


「あなたがここに来てから、この領地は変わった。魔道具だけではない。人々の暮らしが変わった。希望が生まれた。だが、それだけではない」


彼は言葉を探すように、少し間を置いた。この人は、大事なことほどゆっくり話す。


「私の中も、変わった」


短い言葉。飾りのない言葉。この人らしい。宮廷のような華美な愛の言葉は、一つもない。でも、その短い言葉に、嘘はない。


返事を考える前に、口が動いていた。


「……リーネ、でいいです」


それだけ。でも、それで十分だった。


セルヴァンが小さく、本当に小さく笑った。目が細くなる、あの表情。何度も見てきたのに、今日はなぜか、胸の奥が震えた。





工房に戻ると、トーマ師匠が作業台に座っていた。分厚い眼鏡の奥で、鋭い目がこちらを見る。老職人の目は、ものの本質を見抜く目だ。


「顔が赤いぞ。風邪か」


「風邪じゃないです」


「ふん。まあいい。それより、これを見ろ」


師匠が差し出したのは、アイリスが試作した魔道具だった。小型の温熱石。設計は荒削りだが、発想に光るものがある。素材の組み合わせに、私とは違うアプローチが見えた。


「あの子、筋がいい。お前が教えてやれ」


「私が?」


「お前以外に誰がいる。技術は継がれてこそ意味がある。お前がここで学んだことを、次に渡せ。それが職人ってもんだ」


師匠はそう言って、工房の隅で茶を啜り始めた。偏屈な師匠なりの、祝福なのだろう。技術の話に託した、精一杯の優しさ。


アイリスが工房に入ってきた。あの日、震える手で帳簿を差し出した少女。今日の手はもう震えていなかった。


「リーネ先輩。今日から、正式に弟子にしてください」


三つ編みの少女の目には、決意があった。あの日とは違う、前を向いた目。


「よろしくね、アイリス」


「はいっ」


元気な返事が、工房に響いた。師匠が眼鏡の奥で目を細めたのが見えた。


工房の窓から、春の日差しが差し込んでいる。埃の粒子が光の中で舞っている。


作業台の上には、新しい設計図が広がっている。辺境の暮らしをもっと良くする魔道具。農業用の自動灌水装置。遠距離通信用の伝声石。子供向けの学習用光石。セルヴァンの領地を、人々の生活を、少しずつ豊かにしていくための道具たち。


作りたいものが、尽きない。


工房の壁に、試作品が並んでいる。失敗作も含めて。ここに来てから作ったすべての試作品。師匠に「捨てるな、失敗は教師だ」と言われて残しておいたものだ。最初の試作一号から、今日の最新作まで。並べて見ると、自分の成長の軌跡が分かる。


ナディアからは、すでに新しい取引先のリストが届いている。「忙しくなるわよ」という走り書き付きで。辺境だけでなく、王都からの問い合わせもあるらしい。宮廷の不正が明るみに出たことで、本物の品質を求める声が高まっている。


グレイスからは、事務的な一通。「設計の正式な著作者登録が完了した。今後、あなたの設計は宮廷記録において正当な帰属が保証される」。淡々とした文面の最後に、一行だけ。「今後の活動を記録することを楽しみにしている」。あの人なりの言葉だと思うと、少しだけ笑った。


工房の炉に、火を入れる。


前世の記憶。この世界での経験。辺境で出会った人たち。すべてが、今の私を作っている。品質管理の地味な技術者だった前の私と、魔道具師としてここに立つ今の私。どちらも私だ。


かつて奪われた三年間は、取り戻せない。でも、あの三年間があったからこそ、今の私がある。奪われた経験が、もう二度と奪わせないという強さになった。


これからの時間は私のものだ。


指先が熱い。作りたいものが、頭の中にいくつも浮かんでいる。


ふと、工房の入口に影が差した。


セルヴァンが立っていた。手には、温かい茶が二つ。いつもの香草茶。いつもの、何も言わない優しさ。


「一杯、どうか」


「いただきます」


並んで、工房の入口から春の風景を眺めた。雪が残る山。芽吹き始めた街路樹。市場の賑わい。子供たちの笑い声が、風に乗って聞こえてくる。


肩が、少しだけ触れていた。


どちらも動かなかった。


茶の湯気が、春の風にゆるやかに溶けていく。


――陽だまりの工房で、新しい季節が始まる。


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