第一話 夜明けの帰路
森の空気が、少しずつ明るくなっていく。
夜の冷たさはまだ残っているけれど、東の空が淡く白んでいるのが見えた。
足元の落ち葉を踏む音だけが、静かに響く。
その隣を、リバルが歩いていた。
リバル・ルーベン、だったっけ。
最初に里へ来た時、弓を向けてきたエルフの青年だ。
その後は案内役を引き受けてくれて、里にいる間は自然と一緒にいる時間が増えていった。
そんな彼と一緒に、俺は里へと続く道を歩いていた。
(……なんか、変な感じだなー)
森も、道も、空気も、昨日とは何一つ変わっていない。
なのに、見えるもの全てが新鮮に見える。
まるで、初めてしっかりとこの世界を見たような感覚。
いや、実際俺は見ていなかったんだろう。
自分を鍛えることばかりに目を向けて、女になったことに目を背けて。
そのことを痛いほど昨日分からされて、今ようやく現実と向き合ったってとこかな。
ーー正直、俺は昨日のでっかいトカゲを倒した以降のことをはっきりと覚えていない。
断片的に、こういうことがあった?程度に記憶に残ってるくらいだ。
魔物。
叫び声。
重たい空気。
押し潰す感覚。
それから――
泣いていた気がする。
多分、漏らしたショックがキッカケで......。
(……はぁ)
思い出そうとすると、胸の奥がざわつく。
どう考えても癇癪起こした困ったちゃんになってた予感しかしない。
精神衛生的にも、無理に思い出そうとするのはやめておこう。
思い出したら、黒歴史すぎてまた泣きそうだし……。
隣をちらりと見る。
リバルは、いつも通り前を向いて歩いている。
背筋が伸びていて、無駄な動きがない。
弓を背負った姿は、いかにも森の戦士って感じだ。
美形のエルフ。絵になるなーほんと。
「……あの」
自分でも驚くくらい、声が小さく出た。
リバルが、すぐにこちらを見る。
「どうしましたか」
低くて、落ち着いた声。
なんだろう。
この声、ちょっと安心する。
「いえ、その……」
何を言おうとしたんだっけ。
やべー自分の声の小ささに驚いて内容飛んだ。(アホ)
分からなくなって、少し視線を逸らす。
「……ご迷惑をおかけしました」
結局、それしか出てこなかった。
でも迷惑をかけてるのは本当。
すんませんマジで......。
しばらく沈黙が続く。
落ち葉を踏む音だけが、二人分。
それから。
「迷惑ではありません」
短く、はっきりとした返事が返ってきた。
「私は、自分の意思でついてきただけです」
それだけ言って、また前を向く。
いつもの、よく見る真面目な横顔。
多分、気遣ってくれたんだろうな......。
すんません訳分からんことに付き合わせて。
でもなんか、少しだけ胸が軽くなった。
「……ありがとうございます」
今度は、ちゃんと声が出た。
朝の光が、少しずつ森の中に差し込んでくる。
葉の隙間から漏れる光が、道を細く照らしていた。
その中を、二人で歩いていく。
(……女、か)
ふと、思い出す。
昨夜の、あの魔物に囲まれた時のことを。
あの、身体中をミミズがのたうち回るかのような、弄られているかのようなどうしようもない気持ち。
怖くて。
気持ち悪くて。
恥ずかしくて。
体が、勝手に震えた。
(……俺、あんなふうになるんだな)
感情に支配されるって、多分ああいうことなんだろう。
男だった時には感じたことのないものだった。
見ないで。
触らないで。
近づかないで。
そう思った瞬間、
俺は、完全に――
「ナギ」
不意に、頭の上から名前を呼ばれた。
......どうやら気付かないうちに下を向いていたらしい。
「......はい、なんでしょうか?」
顔を上げ返事をする。
リバルは前を向いたまま、静かに言った。
「体調は、大丈夫ですか」
その言葉に、少しだけ驚く。
心配されてる?っていうのが滲み出る声色だった。
もしかしたら、本当に心配してくれてたのかもしれない。
優男エルフや......。
「……ええ。大丈夫です」
少し考えて、付け足す。
「少し、疲れているだけですから」
(実際は、めちゃくちゃ疲れてます……)
未だ眠気はすごいし、足取りも重い。
ここで力を抜いたら直ぐに寝てしまう自信があるくらいには、疲れてる。
でも、身体は重いんだけど(物理的にも精神的にも)、軽く感じるっていうか。
前より少ない力で歩けるようになってる感じがするんだよな。
自分のことなのに把握できてないの、なんか怖いんだけど......。
もうすぐ里へ着くというところで、ふと右のこめかみに手が伸びる。
何も、ない。
少しだけ指先が空を掻いた。
(……っ、え? やべっ、無くした!? ……って)
そうだ。
昨日、回収してから外したままだった。
神的じじいに貰った、特別な白い仮面。
頭の横に付けているのが、もうずっと当たり前になっていたから、つい焦ってしまった。
声を変えるための道具。
口調を元に戻すための道具。
――男に、戻るための道具。
少しだけ考える。
里に入るなら、つけておいた方がいいのかもしれない。
今までだって、基本はつけていた。
でも。
(……まあ、外したままでもいいか)
これも、心の変化なんだろうか。
女に見られても、「そりゃそうか」くらいには
余裕を持てるようになった気がする。
それに、ここは里だ。
少なくとも、街やギルドみたいに男ばかりって場所でもない。
右手を下ろす。
少しだけ、落ち着かない気もする。
でも、それ以上に――
そのままでも、歩ける気がした。




