幕間 報告
薄暗い部屋だった。
窓はない。
灯りも、机の上に置かれた小さな魔石灯が一つだけ。
その淡い光の中で、
一人の男が椅子に座っていた。
細い体。
白い指。
丸い縁の眼鏡。
紙束に目を落とし、
さらさらと何かを書き続けている。
部屋の空気は、妙に静かだった。
――コツ。
足音が止まる。
扉の前で、
一人の男が立ち尽くしていた。
長いコート。
赤い瞳。
ヴァルディスは、しばらく動けなかった。
「……入りたまえ」
顔も上げずに、
机の向こうの男が言った。
声は低くも高くもない。
静かで、感情の起伏がほとんどない声。
ヴァルディスは、扉を開けた。
中へ入る。
足音がやけに響く。
机の前で止まり、
軽く頭を下げた。
「報告に参りました」
カリ、カリ、と。
男はまだ筆を動かしている。
数秒。
いや、もっとか。
わざと待たされているのが分かった。
やがて。
筆が止まった。
「……で?」
そこで初めて、
男――ノクスは顔を上げた。
細い目が、ゆっくりとヴァルディスを見る。
感情は、ない。
ただ、観察するような視線。
「結果は?」
短い問い。
「……スタンピードは、途中で崩壊しました」
その一言に、
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「ほう」
ノクスは、椅子に深くもたれた。
「“途中で”?」
わずかに、
口元が歪む。
「原因は?」
「……人間です」
一瞬、
沈黙が落ちた。
ノクスは、瞬きもせずにヴァルディスを見ている。
「人間?」
小さく、繰り返す。
「ええ。単独の個体です。女でした」
「……女」
ノクスは、そこで初めて、
わずかに興味を示したように目を細めた。
「それが?」
問いは短い。
「……戦力を、全て投入しましたが」
言葉が詰まる。
喉が、乾く。
「全滅しました」
静寂。
部屋の中で、
魔石灯の音だけがかすかに鳴っている。
ノクスは、
何も言わなかった。
怒鳴りもしない。
ため息もつかない。
ただ、黙っている。
それが、
余計に怖かった。
「……なるほど」
やがて、ぽつりと呟く。
「つまり君は」
机の上で指を組む。
「スタンピードを崩壊させ」
「主力を失い」
「自身も討伐対象に接触し」
「そして、取り逃がした」
一つずつ、
静かに並べていく。
「……はい」
ヴァルディスは、
拳を握った。
「ふむ」
ノクスは眼鏡を押し上げる。
「随分と、派手にやられたね」
責める口調ではない。
だが。
言葉の一つ一つが、
じわじわと刺さる。
「四天王の直属が、単独の人間に壊滅させられるとは」
少し、首を傾げる。
「これは……どう解釈すべきかな」
視線が、鋭くなる。
「君の見立てでは、どうだった?」
試すような声。
「……異常でした」
ヴァルディスは答えた。
「魔法の規模が、常識外れです。詠唱も構えもなく、ただ立っているだけで周囲が沈んでいく」
言葉が、少しずつ熱を帯びる。
「見たことがない力でした。理解できない」
「ふぅん」
ノクスは、
指で机を軽く叩く。
「理解できない、か」
小さく笑った。
「君が?」
その一言が、
妙に刺さる。
ヴァルディスは何も言えなかった。
「それは、珍しいね」
ノクスは立ち上がる。
背が高いわけでもない。
体も細い。
だが、妙な圧がある。
「で?」
一歩、近づく。
「君は」
眼鏡越しに、
まっすぐ見てくる。
「怖かったのかな?」
心臓が、跳ねた。
「……っ」
言葉が出ない。
「人間に」
静かに、重ねる。
「怯えた?」
図星だった。
ヴァルディスの指が、わずかに震える。
「……違います」
反射的に否定する。
「ほう」
ノクスは、興味深そうに目を細めた。
「では、単なる戦術的撤退かな?」
その言い方が、
完全に皮肉だと分かる。
ヴァルディスは、
歯を食いしばった。
「……任務は、続行可能です」
低く言う。
「次は、必ず仕留めます」
ノクスは、
しばらく黙っていた。
やがて、
小さく息を吐く。
「残念だけど」
さらりと言う。
「君は外れる」
「……は?」
思わず顔を上げた。
「戦力を失いすぎた」
淡々とした声。
「判断力も、少し怪しい。今の君を前線に置くのは効率が悪い」
机の上の紙をめくる。
「配置転換だね」
さらりと。
「左遷、と思ってもらって構わない」
頭が、
一瞬、真っ白になる。
「……そんな」
「君の代わりは、いくらでもいる」
冷たい声だった。
「それが、組織だ」
ノクスは、もう興味を失ったように、
書類に目を落としている。
「下がっていいよ」
それで終わりだった。
ヴァルディスは、
何も言えなかった。
ただ、
深く頭を下げて、
部屋を出る。
扉が閉まる。
廊下に出た瞬間。
「……くそがぁぁああああああああっ!!!!」
押し殺していた声が、
低く、漏れた。
拳を壁に叩きつける。
脳裏に浮かぶのは、
あの女の姿。
泣きながら、
立っていた、人間。
「……次は」
赤い瞳が、
ぎらりと歪む。
「絶対に、殺してやる」




