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第三十五話 崩れゆく境界

 ズンッ!!!!


 森全体が、

 一瞬、沈んだように感じた。


 木々が軋む。

 地面が唸る。


 枝の上にいるはずの自分の体まで、

 ぐっと下へ引き込まれる感覚。


「……っ!」


 思わず幹に手をつく。


 重い。

 空気が、重い。


 呼吸が浅くなる。

 胸の奥が圧迫される。


 だが、その中心は――


 彼女だった。


 下を向いていた顔が、

 ゆっくりと持ち上がる。


 涙に濡れたままの瞳。

 焦点は、合っていない。


 ただ、

 目の前に来る“それ”だけを、

 捉えている。


 オーク。


 足を引きずりながら、

 それでも境界線の中へと踏み込んでくる。


 ズブッ


 膝まで沈む。

 だが、止まらない。


 腕を伸ばし、

 彼女へ近づこうとする。


 その姿を見た瞬間。


 彼女の体が、

 びくりと震えた。



「……ぁ……」



 喉の奥から、

 かすれた声が漏れる。


 次の瞬間。



「……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアっ!!!」



 叫びが、森を裂いた。


 ドンッ!!!!


 地面が、

 一気に沈む。


 豚頭の魔物の体が、

 一瞬で、

 形を失った。


 音すら、

 ほとんど聞こえなかった。


 その周囲にいた魔物も、

 まとめて、

 押し潰される。


 だが。

 止まらない。


 彼女の足元から、

 重さが、

 広がっていく。


 じわり、

 じわりと。


 円が、

 外へと広がる。


 ズンッ


 また、沈む。


 木の幹が軋む。

 地面が裂ける。


 岩が砕ける音が、遠くで響いた。



(っ……)



 思わず、

 息が止まる。


 これは、

 魔法なのか。


 こんなものを、

 見たことがない。


 彼女は、

 ただ泣いているだけだ。


 叫んでいるだけだ。


 何かを放っているようには、

 見えない。


 それなのに。


 森が、

 押し潰されていく。



「もぅぜんぶっ、消えてぇぇぇぇぇええええええええっ!!!」



 声が、震える。


 怒りと、

 悲しみと、

 恐怖と。


 すべてが混ざった、

 壊れそうな叫びだった。


 ――ズンッ!!!!!


 今度は、

 さらに広く。


 遠くの魔物まで、

 一斉に地面へ押しつけられる。


 逃げようとした個体が、

 宙に浮きかけて、

 そのまま叩き落とされる。


 飛び上がろうとした影が、

 空中で止まり、

 地面へ沈んだ。



(……止まらない)



 彼女の周囲にある“境界”が、

 もう境界ではなくなっていた。


 外へ、

 外へと、

 際限なく広がっていく。


 このままでは。



(森が……)



 潰れる。


 そう思った瞬間。


 彼女の肩が、

 がくんと揺れた。


 叫びが、

 嗚咽に変わる。



「ぅ……ぅあ……」



 声が、

 小さくなっていく。


 それでも。


 ズンッ


 まだ、

 沈む。


 重さは、

 止まらない。


 彼女自身も、

 それを止められていないのだと、

 分かった。



(……どうすれば……)



 助けたい。


 だが、

 近づけない。


 今、あの中へ入れば、

 自分も押し潰される。


 それでも。


 枝の上で、

 拳を握る。


 目の前で、

 一人の人間が、

 壊れていくのを。


 ただ見ていることしかできないのか、と。

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