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第三十二話 月下の目撃者

 リヴァルは、空を見ていた。


 夜の森の上。

 月明かりに照らされた木々の隙間を、白い影が横切っていく。


 あの人だ。


 仮面をつけたまま、まっすぐ森の外へ向かって飛んでいく姿を見た瞬間、胸の奥がざわついた。


 理由は分からない。

 だが、目が離せなかった。


 次の瞬間には、もう体が動いていた。


 枝から枝へ。

 地面を蹴り、幹を踏み、風を裂くように森の中を進む。


 追いつけるとは思っていない。

 空を飛ぶ相手だ。


 だが、それでも。



(……放っておけない)



 ただ、その一心だった。





 森の外れに近づいた頃。

 地面に、不自然なものが見えた。


 近づいて、足を止める。


 置かれた靴に、丁寧に畳まれた服。

 さらに、その上には――


 小さい三角形の、布。



「……は?」



 一瞬、思考が止まった。


 目を逸らそうとして、逸らせない。



(な、何をしているんだあの人は……)



 仮面の人物が、なぜこんな場所で。

 なぜ、こんなふうに。


 理解が追いつかない。


 だが、すぐに。


 地面が揺れた。


 遠くから、何かがぶつかるような重たい音が響く。

 魔物の唸り声も、混ざっていた。


 リヴァルは顔を上げる。


 気配が、する。


 濃い。

 嫌な気配だ。


 そしてその奥に、確かに、彼女の気配がある。


 迷う理由はなかった。





 木の上を移動しながら、徐々に音が大きくなっていく。


 地面を叩く音。

 何かが砕ける音。


 そして。


 低く濁った、魔物の唸り声。


 枝の上で足を止める。


 視界が開けた。



「……っ」



 息を呑んだ。

 そこには、魔物の群れがいた。


 ゴブリン。

 フォレストウルフ。

 オーク。


 数えきれないほどの影が、地面を埋め尽くしている。


 その中心に――


 彼女がいた。


 月明かりに照らされて、白く浮かび上がる身体。

 仮面は、ない。


 何も身につけていない姿で、

 ただ、そこに立っている。



(……なっ……)



 一瞬、目を逸らしかけた。

 だが。


 次の瞬間には、それどころではなくなった。


 魔物たちが、じりじりと距離を詰めている。

 囲むように。

 逃がさないように。


 その視線が、異様だった。

 獲物を見る目ではない。


 もっと粘ついた。

 濁った、欲に塗れた目。


 彼女が、一歩、後ずさる。



(……まずい)



 助けに行かないと。

 そう思った。


 だが、足が動かない。

 数が多すぎる。


 あそこに飛び込めば、

 自分は、あっという間に飲み込まれる。


 分かってしまう。


 助けに入ったところで、

 何も変えられない。


 その時だった。



「……はぃ?」



 彼女の声が、聞こえた。


 困惑したような。

 理解できない、と言いたげな声。


 視線が、自分の身体へと落ちる。

 そして。


 止まった。



(……違う)



 今まで見てきた、あの人じゃない。


 魔物を殴り飛ばしていた時とも。

 子どもたちと笑っていた時とも。


 全然、違う。


 オーク種の一体が、ゆっくりと近づく。


 よだれを垂らしながら。

 息を荒くしながら。


 その視線は、

 顔ではなく、身体をなぞるように動いていた。


 彼女が、さらに一歩、下がる。



「……え……?」



 かすれた声。

 明らかに、怯えていた。



(……やめろ)



 思わず、拳を握る。


 飛び出したい。

 止めたい。


 だが。

 身体が、動かない。


 ゴブリンが、後ろから近づく。

 フォレストウルフが、横から回り込む。


 完全に、囲まれている。



「い、嫌……来ないでっ……!」



 その声が、森に響いた。

 リヴァルの胸が、強く締めつけられる。


 あの人が。

 あんな声を出すなんて、思っていなかった。


 次の瞬間。


 魔物たちが、一斉に動いた。



「っ……!」



 リヴァルの足が、わずかに前に出る。

 だが、止まる。


 分かっている。


 今、飛び込んでも。

 自分は何もできない。


 ただ、足手まといになるだけだ。



(くそっ……)



 歯を食いしばる。


 目を逸らせない。

 逸らしたら、何かが壊れる気がした。


 次の瞬間。

 彼女の悲鳴が、夜を裂いた。



「っきゃぁぁぁぁあああああっ!!」



 その声に、心臓が跳ねた。


 そして。


 ドガッ!!


 目の前のオークが、吹き飛んだ。

 空気が、一気に変わる。


 彼女の顔が、歪む。

 涙で濡れた目が、魔物たちを睨みつけた。


 その瞬間。


 空気が、重くなった気がした。



(……何が……)



 分からない。


 ただ、確実に。

 何かが、変わった。


 その中心で。

 彼女は、泣きながら立っていた。

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