第二十話 異変の気配
その夜、俺は妙に落ち着かなかった。
そよ風が頬を撫で、虫が鳴く声が微かに聞こえる。
いつも通り、心地良い夜なんだけどな...。
森の奥、エルフの里の一角。
俺は木の上の通路を歩きながら、ふと足を止めた。
(……ん?)
耳を澄ます。
風が木々を揺らす音。
虫が鳴く声。
川のせせらぎ。
その中に、微かに混じる、異音。
「…………」
無意識に、空を見上げる。
月は出ている。
夜空は静かだ。
だが。
(……今、なんか)
頭の奥で、誰かが何かを言ったような気がした。
言葉にはならない。
ただ、かすれた声みたいなものが、断片的に。
(……気のせい、か?)
そう思った、その瞬間。
足元が、ほんのわずかに揺れた。
――ドン。
遠くから、低い振動が伝わってくる。
「......地響き?」
もう一度。
――ドン。
今度は、少しはっきりと感じた。
遠い。
だが、確実に感じる。
(なんだ……?)
胸の奥が、妙にざわつく。
さっきの“声”みたいなものも、まだ残っている気がした。
「……ちょっと、見に行ってみるか」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
人影はない。
夜だし、里の者たちはほとんど休んでいる時間だ。
俺は通路の端へと歩き、そこから森の上へと目を向けた。
(……飛んだ方が早いな)
軽く息を吐き、足元に意識を向ける。
体がふわりと浮いた。
音もなく、夜の森の上へと上昇する。
*
少し離れた場所。
見張り台の上で、リヴァルは森の外縁を見ていた。
夜の見張りは、視界が悪い分、気配に頼ることが多い。
その時だった。
(……?)
ふと、上空に違和感を覚える。
視線を上げると、木々の隙間から、何かが浮かび上がるのが見えた。
人影。
月明かりに照らされて、白く浮かび上がる輪郭。
(あれは……)
見間違えるはずがない。
彼女だ。
仮面をつけたまま、静かに空へ上がっていく。
(森に帰るのか?......こんな時間に?)
様子が、いつもと違う。
ただ飛んでいるだけじゃない。
どこか、急いでいるような。
迷っていない。
真っ直ぐ、森の外の方へ向かっていく。
(何かあったのか……?)
リヴァルは、ほんの一瞬だけ迷った。
だがすぐに決める。
枝から枝へ飛び移り、森の外縁へと移動する。
地上からでは追いつけない。
だが、視界に入る範囲なら、追える。
*
俺は空を飛びながら、地響きの方向へと向かっていた。
月明かりに照らされた森が、下に広がっている。
少しずつ。
少しずつ。
揺れが、強くなってくる。
(……近いな)
耳を澄ます。
地面を踏み鳴らすような、重たい音。
数じゃない。
これは――群れだ。
(……まさか)
高度を上げる。
さらに上へ。
森全体を見渡せるくらいまで。
そして。
ーー見えた。
「…………うわぁ」
思わず、声が漏れた。
森の切れ目。
山の麓のあたり。
黒い塊が、うごめいている。
ゴブリンの群れ。
狼型の魔物。
さらに奥には、もっと大きな影。
「あれが世界樹の言ってた、魔物ってやつか......?」
思ってたよりもキモい......。
もっと獣の亜種みたいなもふもふのやつらを想像してた。
そして臭そう......。
それにしても、数が異常だ。
集合体恐怖症なら失神するレベル。
一定の方向へ進んでいるみたいだ。
このまま行けば辿り着くのは――リムネアの街。
その結果が何を生むのか、俺は理解した。
「マジかよ......」
背筋が、ぞくりとした。
地響きの正体。
魔物の群れ。
明らかに、普通じゃない、よな?
(……)
しばらく空中で止まり、群れを見下ろす。
なんであいつら、綺麗に同じ方向に進んでんだ?
てか、理性なさそうな顔してるし、共食いぐらいしそうなもんだが......。
その時。
頭の奥で、また――
かすかな声がした気がした。
(……?)
はっきりしない。
ただ、助けを求めるような、そんな感覚だけが残る。
(……やるか)
俺は、自分の体を見下ろした。
服。
ベルト。
見えないけど下着。
全部、エルフの里のやつらに貰ったものだ。
「うーむ。」
頭の中で、少しだけ想像する。
ーー例えば、あいつらを思いっきり殴ったとする。
するとどうなるだろうか。
ビリリッ「あっ......」ーー
(絶対、破けるな......。脱ぐか)
俺は森の近くの地面に降り、ベルトを外して靴を脱いだ。
シャツとズボンを脱ぎ、シワにならないよう綺麗に畳む。
ーー魔物の群れが近づいてくる。
ブラとパンツも脱ぎ、着替えの上に置く。
これで破ける心配もしなくて済む。
だが......。
(自分の住処じゃないところで素っ裸になるの、なんか、ちょっとドキドキするな......。遮るものも無いし......。)
ちょっとモジモジしてしまった。
恥ずかちい。
ーー地響きが大きくなってきた。
仮面はどうするか悩んだが、無くしたら見つからなそうだから置いておく。
木刀?もちろん邪魔だから置いてく。今訓練しないし。
頭の奥で、また――
かすかな声がした気がした。
気のせいだった。
よし、これで準備は整った!(素っ裸)
ーー視界いっぱいに広がる、魔物の群れ。
夜風が、肌に触れる。
月明かりが、白く反射する。
夜の森の中で、ただ一人。
その姿は、まるで――
(……よし)
ほんの少しだけ、息を吐く。
「……行きますわ」
ーー魔物の群れは、もう、目の前。




