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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
あの夏の残響

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【第34話】不完全な僕らの、眩い指先の色彩

 視界を埋め尽くすのは、無数の岩が織り成す幾何学的きかがくてきな模様だ。

 ダムの巨大な壁面が、真昼の太陽を真っ向から受け止めている。

 その圧倒的なスケールと、石が放つ乾いた熱気に、俺はただ純粋に圧倒されていた。


 ファインダーを覗き、露出を合わせる。

 風景は、裏切らない。

 こちらを試すことも、拒絶することもない。

 ただそこにある圧倒的な事実を切り取る作業に、俺は心地よい没頭を感じていた。

 今の俺にとって、この温度のない静止した世界だけが、唯一、息をつける場所だった。


 数枚のカットを収め、俺は満足してレンズキャップを嵌めた。



 ダムの展望台を後にし、俺たちは路線バスに揺られて下流の河原へと向かった。

 冷房の効いた車内から一歩外に出ると、再び湿った重い熱気が全身を包み込む。

 バス停から河原へ続く坂道を、俺たちは手分けして機材を運びながら歩いた。

 肩に食い込む三脚のストラップの痛みと、民泊の夫妻が持たせてくれた竹皮包みのおおにぎりの重みが、掌に心地よく残っている。


 木々の隙間から、鮮やかな「赤」が見えた。

 深い緑と澄んだ水面に、その橋の赤は驚くほど強く、鋭く映えていた。


 「よっし、午前中に展示用のメインカット、全部押さえちゃうぞ!」


 璃奈の威勢のいい号令が、川音に混じって響く。

 午前中は、文化祭の展示用写真の本格的な撮影だ。

 

 「悠斗、ちょっとそのレフ板下げて! 水面の反射を拾いたいから!」


 璃奈の指示に、悠斗が「こうか? あんまり下げると自分が映り込みそうだな」と苦笑いしながら応じる。

 二人は展示企画『あの夏の残響』に使う、風景のニュアンスを深めるための素材集めに余念がない。


 その傍らでは、陸が沙耶ちゃんに岩場での構図を提案していた。

 「沙耶さん、あっちの岩の隙間から狙うと、水の透明感が凄そうじゃないっスか?」

 「あ、本当。……やってみます」


 陸の感覚的な助言に沙耶ちゃんが頷き、真剣な顔で岩場に屈み込む。

 俺はそんな彼らの賑やかさを背中に聞きながら、三脚を据え直した。

 レンズを向けるのはあくまで赤い橋の幾何学的な造形だが、視界の端を横切る部員たちの色彩が、俺の切り取る風景に確かな熱を添えていた。



 撮影が一段落し、機材を片付けようとした時だった。

 岩陰から漂うシトラスの香りに、ふと意識が向く。


 陽向の指先が、沙耶ちゃんの肩に触れていた。

 白濁した乳液が肌に広がり、夏の強い光を反射して、そこだけが周囲より一段明るく浮き上がって見える。

 陽向の迷いのない手つきと、それを受け入れる沙耶ちゃんの、無防備な信頼。


 俺はすぐに視線を外し、カメラバッグのジッパーに手をかけた。

 どこにでもある合宿の一幕だ。

 けれど、その白さが網膜もうまくに焼き付くような鮮烈さを持って残っていて、俺は一度だけ強く瞬きをした。



 正午を過ぎ、河原の岩陰に集まって昼食にする。

 竹皮を解くと、中には塩加減の絶妙なおにぎりと、自家製の梅干しが並んでいた。


 「駿、午前中の撮れ高はどうだ?」


 悠斗がおにぎりを飲み込みながら聞いてくる。

 「……悪くない。ダムの造形も、ここの赤い橋も、展示の軸になる素材は押さえられたと思う」

 「俺たちの方もバッチリっスよ。沙耶さんも良いの撮れてましたし、これなら午後は余裕を持って予定通り進められそうっスね」


 陸がラムネの瓶を掲げ、ビー玉を鳴らす。

 予定していた展示用のカットは概ね揃った。午後は撮影の手を少し休めて、心置きなく渓流プールを楽しめそうだ。


 「沙耶ちゃん、水着に着替えるの楽しみだね」


 陽向が沙耶ちゃんの肩を抱き、悪戯っぽく微笑む。

 午後の日差しはさらにその強さを増し、川面の乱反射が眩しく目を刺した。


◆ 《キャンプ場内更衣室にて》


 「よし!気合入れて泳ぐよー!」


 勢いよく服を脱ぐ璃奈は余程楽しみにしていたのか、朝に着替えをする時に水着を着ていた。

 陸上で引き締まった体躯たいくに、赤地に縦縞たてじま模様の入った鮮明なワンピースは彼女の魅力を引き立てていた。

 「でも璃奈、さっき見えたでしょ?泳げるような広さや深さじゃないと思うよ。他に人もいるし、軽く遊べる程度じゃないかな」

 以前購入した水着に着替える陽向に、璃奈は明らかにトーンダウンした声を返す。

 「え、そうなの。見てなかった。楽しみにしてたのに」


 「まあ、泳ぎたいなら大野くんと行けばいいでしょ。カヌー体験の予約も入れてあるし、そっちで楽しもうよ」

 「でも、予約が間に合わなくて二人用が二艇だけだったんだよね。どうしよっか」

 二人の話に、ようやく着替え終わった沙耶が恐る恐る口を挟む。

 「あの、私は留守番でいいですから。皆さんで行ってください」


 「え、沙耶ちゃん。その水着……」

 「沙耶、思い切ったね!それなら」


 沙耶を見た陽向は、大きく目を見開き、璃奈もまた獲物を狙う目つきへと変貌した。


◆ 


 渓流プールで女性陣を待つ。長い着替えに陸が落ち着かない様子になっていた。

 「いやあ、先輩方も沙耶さんも可愛いですからね。水着めっちゃ楽しみっス!」

 「陸。お前、璃奈をそういう目で見るなよ」

 「坂口だけじゃないぞ」

 俺と悠斗からの非難に、陸は口をすぼめて反抗の態度を見せる。

 「あーこれだから彼女持ちとキープ先輩は困ります。俺たち男子高校生ですよ!」

 「キープ先輩は傷つくからやめろ」


 「ごめん、お待たせ」


 そんな話をしていると、坂口の声が聞こえた。

 現れた彼女は、健康的なワンピース姿を堂々と晒していた。

 「おー!璃奈先輩、すげえ似合ってるっス!」

 「はいはい、ありがと」

 悠斗は一緒に買いに行ったのだろうか、ここで声をかけることはなかった。ただ自然に坂口を出迎えている。


 「ほら、二人も早く来なよ」


 坂口の声に、「うん、今行くー」と陽向が沙耶ちゃんの手を引き連れて来る。二人はラッシュガードを着ていた。


 沙耶ちゃんは、サイドポニーに結い直した髪をキャペリンの影に隠すようにして、俯き加減に歩いてくる。

 片側だけ露わになった白い首筋に、真夏の陽光が容赦なく突き刺さる。

 「沙耶ちゃん、髪型変えたんだね」

 「あ、あの。こ、これは……坂口先輩が」

 喋り方が以前の頃に戻ってしまっていて、懐かしさを感じる。少し背中も丸まって見える。


 「ほら、二人とも観念してラッシュガード脱ぎなって。こういうのは恥ずかしがるから余計に変に思われるんだよ」


 坂口の促しに、陽向と沙耶ちゃんは渋々とジッパーに手をかける。

 じりじりと、金属が噛み合う音が静寂の中に響く。

 陽向はポケットから薄墨色の布を取り出し、腰に巻き付けた。


 ラッシュガードが肩から滑り落ちる。


 沙耶ちゃんは、白地に薄青の花柄が入った《《ビキニ》》にフリルがあしらわれており、華奢な身体を上品に仕立て上げていた。

 沙耶ちゃんの纏う白は、夏の光を吸い込んで、蕾が花開くような瑞々しい輝きを放っていた。

 普段の控えめな彼女からは想像もつかない、少女から女性へと移ろう瞬間の危うい美しさが、確かにそこにはあった。


 そして陽向。


 深緑のシンプルなビキニに薄墨のパレオ。

 着痩せ体質なのは知っていたが、上半身の美しさを、これ以上無い程にくっきりと描いている。


 俺は言葉も無く、二人に魅入ってしまった。

 耳の奥で、自分の心拍音だけが異様に大きく響く。

 「あ、これは西村ダメだわ。良かったね、二人とも。ちゃんと悩殺できてるよ」

 「俺、この後のカヌーで命が尽きても悔いはないっス」


 学校指定以外の、陽向の水着姿。それは小学生の頃の記憶で止まっていた。

 数年ぶりに見る水着姿の陽向は、俺にとって名状しがたい美で視線を外すことを許してはくれなかった。



 冷たい渓流の水に身を沈めると、焼けるような肌の熱が急速に奪われていく。

 陸が派手に水を跳ね上げ、坂口がそれに倍返しで応戦する。悠斗が苦笑しながら二人を制し、その飛沫を浴びた沙耶ちゃんが、小さく肩をすくめて笑った。


 一時間ほど遊び、カヌーの予約時間が近づいた頃。

 俺たちは一度荷物をまとめ、渓流プールの入り口にある送迎用のワゴン乗り場へと向かった。

 濡れた肌にまとわりつく熱気と、サンダルがアスファルトを叩く音。


 「悪い。俺、カヌーは辞退するわ。ちょっと、のぼせたみたいだ」


 ワゴンの到着を待つ間、俺が切り出すと、陸が意外そうに眉を上げた。

 「え、先輩? せっかくのメインイベントじゃないっスか」

 「その代わり、陸。お前もカメラ、持ってきてるだろ。カヌーからのアングルは、お前に任せたい。……頼めるか」


 陸は俺の顔をじっと見た後、自分のカメラバッグのストラップを握り直した。

 「わかりました。部長の頼みなら、気合入れて撮ってきますよ」


 陽向がこちらを振り返り、何かを言いたげに唇を微かに動かした。

 けれど、俺が無理をしているわけではないと悟ったのか、最後には小さく頷いて、ワゴンのステップに足をかけた。


 結局、二艇のカヌーに向かうのは悠斗と璃奈、そして陽向と陸の四人になった。


 「駿くん、ちゃんと休んでてね。行ってきます」


 陽向の静かな声。

 ワゴンがエンジン音を響かせ、ゆっくりと走り出す。

 俺は、隣に残った沙耶ちゃんと共に、窓から手を振る陸たちの姿を静かに見送った。


 真夏の陽光は、容赦なくアスファルトを焼き続けている。

 遠ざかっていく車影を見つめながら、俺は喉の奥に溜まった熱い空気を、ゆっくりと吐き出した。


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