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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
あの夏の残響

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【第30話】視線が交差する、歪な三人の買い出し

 夏休みに入った初日。照りつける日差しの中、俺は沙耶ちゃんと待ち合わせした駅の改札へ向かった。

 十分前には着くようにしたが、彼女はもう到着していた。


 後ろ髪を編み込み、ハーフアップにしてバレッタでまとめ、白の丈の長いオフショルダーワンピースを華麗に着こなしている。青地でチェックの入った日傘を差した彼女は、前に見た私服姿よりも、ずっと眩しく見えた。

 入学当時の、背中の丸まった内気な少女がここまで変わった。俺のために頑張ってくれたんだと思うと、胸に込み上げてくるものがある。

 目が合ったはいいが、しばらく言葉を発せず、ただ見つめることしかできなかった。


「あの、先輩。大丈夫ですか。暑さでお加減でも崩しました?」


 この子は自分の破壊力を全く理解していない。だからこそ恐ろしい。


「いや、大丈夫。暑いのに待たせてごめん。その、似合ってるね。ワンピース」


「……あ、ありがとう、ございます。クラスの子に選んでもらったんですよ。えへへ」


 赤面して俯くところまでが、無自覚に計算された可愛さに見える。


「じゃあ、早く涼しいところに行こうか。すぐモールでいいの?」


「はい、お願いします」


 今をもってしても、何で俺なんだろうと思う。でも卑屈になることは、この子を悲しませるのと同じことだ。だから俺は、胸を張って彼女の隣に並ぼうと笑顔を作った。



「涼しいです」


 折りたたんだ日傘をバッグにしまう沙耶ちゃんを見て、やはり結構待たせていたんだろうなと気づく。


「まだ時間には余裕あるし、そこのベンチで休もうか」


「ありがとうございます」


 笑顔で答えた彼女は、ベンチに腰を下ろすとペットボトルの水を取り出した。


「温くなってない? 良かったら新しいの買ってくるよ」


「いえ、冷たすぎるとお腹を壊しちゃいますから」


「そっか。今日はどうする? まずは本屋から行く?」


「本屋に行くと、その。水着を買うお金で本を買ってしまいそうなので、今日はやめておきます」


「沙耶ちゃんらしい」


 思わず吹き出してしまう。すると彼女は少し口を尖らせて言い返してきた。


「わ、私だって本ばかり買ってるわけじゃないんですよ。服とか化粧品も最近は買ってますし」


 子供のようにあどけない表情。


「ごめんて。女の子は買うものも多くて大変だよね」


「はい。でも、その」


 沙耶ちゃんは膝の上で指を震わせ、意を決したように顔を上げた。


「先輩も。かっこいい、です、よ」


 上目遣いに頑張って伝えてくれる言葉は、完全に不意打ちだった。俺は思わず顔を背けてしまう。


「あ、はい。ありがとうございます」


「なんですか、その心のこもってない返事。本当に思ってるんですから」


「う、うん。分かってる。いきなりだったから恥ずかしかっただけ」


「ならいいんです。先輩はかっこいいんですから」


 えへんと胸を張る彼女に、ちょっと神聖視されすぎじゃないかと心配になった。



 目的地である水着売り場は、モールの最上階に近い特設会場だった。

 エスカレーターを上がるたびに、視界に入る色彩の彩度が増していく。

 真夏の眩しさと、目に刺さるような原色のパレード。

 どこを向いても剥き出しの熱量に当てられそうで、俺はただ、逃げ場のない居心地の悪さに立ち尽くすことしかできなかった。


 売り場に着くと、沙耶ちゃんは「わあ……」と小さく声を漏らし、圧倒されたように立ち止まった。

 色とりどりの布地、健康的な肌を模したマネキン。

 俺は視線をどこに置いていいか分からず、ただ鞄の紐を強く握りしめる。

 早く選んで、ここから出よう。そう切り出そうとした、その時だった。


「……あ、紡木先輩?」


 沙耶ちゃんの視線の先。陳列棚の影に、見覚えのある後ろ姿があった。

 少しだけ疲れを見せながらも、真剣にハンガーを手に取っているのは、間違いなく陽向だった。


 陽向は俺たちの声に気づくと、弾かれたように肩を揺らした。振り返った彼女の瞳に、一瞬だけ行き場のない動揺が走る。

 けれど彼女はすぐにそれを隠し、普段通りの装いで微笑んだ。


「駿くんに、沙耶ちゃん。奇遇だね。二人でデート?」


「デートってほど大げさなものじゃないよ。買い物」


「駿くん、そこはデートって言ってあげるのが、男の子の正解だよ?」


「ち、違います。合宿用の水着を選びに来たんです。先輩もですか?」


 沙耶ちゃんの純粋な問いに、陽向は一瞬だけ言葉を濁らせた。


「うん。でも、私はもう決まりそうだから。二人の邪魔しちゃ悪いし、行くね」


 逃げるように背を向けようとした陽向の袖を、沙耶ちゃんが迷いなく掴んだ。


「そんなこと言わないでください。私、どんなのがいいか全然分からなくて。先輩、一緒に選んでくれませんか?」


 沙耶ちゃんの真っ直ぐな瞳。

 陽向は困ったように俺を見た。助けを求めるような、あるいは拒絶を期待するような、複雑な眼差し。

 けれど、俺にそれを止める言葉は持ち合わせておらず、黙って首を横に振る。

 結局、陽向は押し切られる形で、俺たちの買い物に合流することになった。



 地獄だった。

 二人の女の子に挟まれ、次々と提示される「候補」に感想を求められる。

 女子二人に男子一人、水着売り場。これだけの材料が揃えば、周囲からの視線は刺々しいほどに突き刺さる。


 沙耶ちゃんは、彼女の清楚なイメージを損なわないワンピースが中心だ。

 陽向も、本人の性格から大胆な露出を嫌う。言うと付け上がるから言わないけれど、きっとビキニなどの大胆なタイプも似合うとは思う。


 やがて二人は、数着の候補を抱えて試着室へと向かった。

 俺は試着室の前のベンチに座り、ただ床のタイルを見つめていた。


 カーテン一枚を隔てて、二人の「生身」がそこにあるという事実。

 「想像するな」と自分に言い聞かせても、耳は勝手に目の前の気配を拾ってしまう。

 ここに座り続けているのは、道徳的にも、男子高校生の理性としても限界だった。

 試着室の前に堂々と座る男。紛うことなき変態だ。


 俺は沙耶ちゃんに「外で待ってる」とLINEを打ち込み、静かに、けれど速やかに店を飛び出した。


◆ 《試着室にて》


 恥ずかしい。それが余所行きの水着を初めて着た沙耶の感想だった。

 ワンピースと言えど、私服と比べて肌の露出は圧倒的に多い。学校指定の水着でさえ強い抵抗があったというのに。

 今回の服も友人に勧められ、肩を曝け出すという、自分なりには「攻めた」服装だった。

 これを他人に、しかも先輩に見せるのかと意識すると、全身に熱が駆け上り、赤く染め上げる。


 隣から「沙耶ちゃん、着替えた?」と声がかかる。何とか返事はするものの、外に出る勇気が出ない。

 その時、スマートフォンが振動した。先輩は外に出たらしい。安堵の息を一つ落とすと、外で「あれ? 駿くんがいない」という声があった。

 沙耶はカーテンを開け「先輩は外で待ってるそうです」と声をかけると、陽向の水着姿が目に映った。


 深緑のビキニに浮かび上がる、しなやかで女性らしいボディライン。腰を覆う薄墨のパレオが、彼女の魅力をより一層引き立てている。

「……綺麗」

 思わず、ため息が漏れた。自分とは違う、完成された美しさ。

 その圧倒的な差に、沙耶はかける言葉を失ってしまう。


「沙耶ちゃん可愛い! それすごく似合うよ」


 明るい笑顔を浮かべて賞賛してくれる陽向に裏は感じられず、それなら自分でも大丈夫なのだと自信を少し、取り戻す。


「それにしても駿くんめ。ここで逃げ出すとは情けない」


 怒る陽向を「この状況じゃ仕方ないですから」と宥め、お互い私服に着替え直す。


「まあ、見せるのは当日のお楽しみだね」


 買った水着を手に持ち、二人で笑い合った。


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