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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
反転した砂時計

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【第29話】他人になれない僕らの、仮初めの名前

新章開幕です。よろしくお願いします。

「つまり、陽向先輩と沙耶さんを”友だち”って枠に押し込んだ、実質二股キープですよね。先輩、それはクズ野郎っスよ」


「言い方ぁ!」


 久しぶりに六人が揃った写真部の部室に、陸の容赦のない断罪と、俺の情けない叫びが響き渡った。

 窓から入り込む湿った風はどこか穏やかで、嵐が過ぎ去ったあとのような、静かな凪が室内を満たしている。期末試験が終わり、放課後の校舎には開放的な空気が流れていた。


 陽向や沙耶ちゃんと話し合った翌日。陽向はようやく部室に顔を出し、みんなに「心配かけてごめん」と頭を下げた。

 悠斗や坂口はそれを笑って受け流していたが、事情を知る陸だけは、事の顛末を聞いてきた。

 こいつも沙耶ちゃんに関しては当事者の一人だ。俺が周囲にどれだけの心配をかけていたか、その自覚はある。

 だから二人の了承を得て説明したのだが、返ってきたのは、救いようのないこの一言だった。


「まあまあ陸くん。付き合ってるってわけじゃないんだよ。むしろ私の場合は前より距離が離れてるし」


「そうだよ。私がいいって言ったんだから、に、駿…先輩は、悪くないよ?」


「だからって、写真部の二大美人と特別な関係なんて、羨ましいッス!世の無常を儚むッス!」


 二人からの必死のフォローに、陸は頭を抱えて慟哭の悲鳴をあげる。その大げさな振る舞いに、張り詰めていた空気は完全に霧散した。


「こーら、陸。私の存在はどこに行った。私は美人じゃないとでも?」


「そうだぞ、陸。璃奈の可愛さが分からないのは許されないな」


「あっハイ。すみませんでした。璃奈先輩もカワイー」


 悠斗と坂口に凄まれ、陸はあっさりと閉口した。だが、あいつの言葉が鋭い刃となって俺の胸を突いていることも、事実だった。


 今の俺の状態は、決して褒められたものじゃない。

 陽向の抱える深い依存にどう応えるべきか。沙耶ちゃんの真っ直ぐな視線をどう受け止めるべきか。

 結局、答えの出ないまま、都合よく二人を「友だち」という枠に留めているだけだ。

 けれど、誠実を気取って「好き」という感情を知らないまま二人を突き放して、一生消えない後悔を残すのだけは、どうしても避けたかった。

 不誠実だと指を差されても、この薄氷の上で立ち止まり、自分の本当の気持ちを見極めるための時間が必要なんだ。それがどれほど傲慢なのだとしても。


「陸にも迷惑かけて悪いと思ってる。何言われても仕方ないとも。だからすまない」


 俺は陸に対し、心の底から頭を下げた。けれど、陸は何事もなかったように、いつもの飄々とした笑みを浮かべていた。


「あ、ただの冗談です。事情も分かってるつもりですから。ただ、両手に華の状態で誰もツッコミ入れないのも、駿先輩の居心地が悪いだろうなって」


「お前ってやつは……」


 肩の力が、一気に抜けた。

 陸は、俺のこの「居心地の悪さ」さえも見抜いた上で、あえて茶化してくれたのだろう。

 


「ま、まあ。俺のことは一旦置いといて、そろそろ合宿のことを決めないとだろ」


 話題を変えるように、俺は切り出した。

 グループチャットで悠斗や陽向のシフトを確認し、八月の中旬に二泊三日という日程だけは押さえてある。問題は、場所だ。

 海を高々と主張する璃奈、悠斗、陸。

 山か高原を主張する俺、陽向、沙耶ちゃん。

 勢力は完全に二分され、多数決は拮抗したまま一向に進まない。


「だからさ、海がいいって。遊べるし、うちの県は海なし県だし、めったに行けないよ?」


「でも、日焼けとか嫌だよ。UVオイルだって限度はあるし、私泳げないし」


「泳ぎなら駿先輩が教えられるんじゃないっスか?俺でもいいですけど」


「俺、海の家の焼きそばやラーメンが好きなんだよな」


 言いたい放題の四人を、俺と沙耶ちゃんはただ見守るしかなかった。だが、その平穏な均衡は唐突に破られる。


「西村」


「な, なんだよ」


 坂口に不敵な笑みで捕捉された瞬間、嫌な予感が背筋を走った。


「海に行けば、陽向と沙耶の水着姿が見れるよ」


「ぶっ!」


「き、着ませんから!せ、先輩も、こっち見ないでください」


 咄嗟に想像してしまった俺に、沙耶ちゃんからの鋭い非難の声が飛ぶ。


「駿くんのすけべ。鼻の下が伸びてる」


 陽向がシラっとした視線を向けてくる。坂口の放った、文字通りのデッドボールだった。


「だから、俺は山がいいって言ってるだろ。海じゃ撮れる写真も少ないし」


「海が撮れるし、近隣に観光名所があるところを探せばいいじゃない」


 遊びたい盛りの高校生にとって、海なし県の「海」という響きは、抗いがたい魅力を持って響いたのだろう。その均衡を、「あ、あのぅ」と遠慮がちな声が打ち破った。沙耶ちゃんだ。

 彼女は、スマートフォンに写るサイトを提示してくる。


「この民泊施設なんですが、私の親戚がオーナーでして。部活の合宿だって言えば泊めてくれると、思います」


 東ヶ丘から電車で一時間ほど。その施設は貸切可能で、湖、ダム、大規模なキャンプ場が隣接している。渓流で泳げる施設もあり、撮影環境としても申し分なかった。


「ここ, いいっスね」


「陸、石田さんの提案だからって手のひら返すの早いぞ」


「でも、泳げるしキャンプ場は広いし、湖ではカヌー体験とかもあるみたい。確かにいいかも」


 海派の三人も納得したようだ。

 この場所なら、遊びたい三人と、写真を撮りたい俺たちの両方が妥協できる。


「沙耶ちゃん、悪いけど親戚の方にお願いして予約入れてもらっていいかな?」


「はい。任せてください」


 彼女は力強く頷いたけれど、その瞳に一瞬だけ寂しげな色が混ざっていた。



 その日の夜。俺は沙耶ちゃんと通話をしていた。

 受話器から聞こえる彼女の声は、昼間よりも少しだけ、距離が近く感じられた。


「予約、オッケーだったんだ?ありがとう」


「少しですけど、安くしてくださるようです。よかったですね」


 彼女は落ち着いた声で話している。けれど、そこには昼間感じた「些細な違い」がまだ残っていた。


「沙耶ちゃんさ、言いにくかったら言わなくてもいいんだけど」


「な、何でしょう?」


「もしかして、そこを紹介するの、嫌だったんじゃないかなって」


 受話器の向こうで、深く、長い溜息が漏れた。


「やっぱり先輩にはお見通しですね。隠せません」


「無理に言わなくてもいいよ。負担かけたくないから」


「いえ、先輩なら知ってほしいです。実はーー」


 沙耶ちゃんは、自分の家庭事情を静かに話し始めた。

 両親の仲が良くないこと。民泊を管理している親戚がそれを知って心配していること。

 陽向の家と家族同然に育った俺には、彼女が抱えてきた孤独の深さを理解する言葉が、すぐには見つからなかった。


「じゃあさ、俺だけでもいいし写真部全員でもいい。その親戚にご挨拶をちゃんとして、今こんなに変わった沙耶ちゃんが元気でやれてるんだって見せてあげよう」


 呼びかけた後、受話器の向こうから音が消えた。

 無神経だっただろうか。彼女が隠してきた暗がりに、土足で踏み込んでしまったのではないか。

 静寂の末、受話器を握り直したような微かな摩擦音に続いて、沙耶さんの震える吐息が漏れた。


「先輩は、本当に」


 絞り出すような、切ない声だった。


「私が、助けてほしいと思ったとき、当たり前のようにいてくれますね」


 彼女は大げさに言うけれど、今の沙耶ちゃんを動かしたのは、彼女自身の勇気だ。

 

「大丈夫。今の元気で可愛い沙耶ちゃんなら、親戚の人もきっと喜んでくれるよ」


「か、かわ……」


 ……しまった、何言ってるんだ俺は。

 元気づけようと焦るあまり、普段なら口にしないような言葉が、無意識にこぼれ落ちていた。


「そ、それなら先輩。ひ、一つお願いがあるんですが」


「何でしょうか」


「合宿のための買い物に付き合って頂けませんか?」


「いいけど、何を買うの?カメラ用品?」


「み……水着、です」


「……はい?」


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