表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
反転した砂時計

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/41

【第28話】 殻に籠もった僕らの、最初の一歩

 期末試験が終わった七月中旬。

 教室には夏休みを目前にした解放感が満ちていたけれど、俺の耳に届く笑い声はすべて、解像度の低い雑音のようにしか聞こえなかった。

 返ってきた答案用紙はバツばかり。

 試験勉強もしければ、授業にも身が入らなかった。赤点がなかったことだけが、奇跡に近い。


 陽向とは、あの日以来、全く話をしていない。互いに目も合わせていない。

 陽向は悪い意味で我が強い。誰かを笑顔にしたいという強い欲求の中に、自分自身は含まれないのだ。

 だから何かが起きるとすべて自分のせいだと受け止め、自罰的な振る舞いを行う。

 普段なら俺がフォローすることで彼女を繋ぎ止めていたが、今の俺には、その自信も、彼女への接し方も分からなくなってしまっていた。


 悠斗や坂口が心配そうに話しかけてくるが、俺はそれらすべてを受け流した。

 今の俺にできることは、彼らから距離を取り、自分という空虚な存在を隠すことだけだった。


 だが、再開した部活はそうはいかない。部長としての責任が、かろうじて俺をこの場所に繋ぎ止めていた。

 部室に陽向が来ることはなくなった。

 悠斗や坂口は、陸や石田さんと親しげに話している。

 陸と石田さんは、いつの間にか名前で呼び合うほど距離を縮めていた。

 俺は、しばらくカメラに触っていない。備品やデータの整理を行い、話を振られたら応対するだけ。

 そんな俺を、じっと見つめる視線があることに、俺は気づいていなかった。



 翌日の部活中、不意に腕を強く引っ張られた。

 視線を上げると、そこには強い光を宿した瞳で俺を射抜く、石田さんが立っていた。


「先輩、撮影に行きましょう」


 今の俺には、レンズを覗き込む気力なんて欠片も残っていない。


「悪いけど、今手が離せなくて。一人か陸を連れて」


「いいから。行きましょう」


 言葉を遮られ、強引に腕を引かれる。

 図書室の背景の一部だった彼女からは想像もつかないほど、その指先は熱く、力強かった。


「それでは、お先に失礼します」


 石田さんは俺に鞄を持たせると、自らも帰り支度を済ませ、俺の袖を掴んで歩き出す。

 連れて行かれる俺を、悠斗や坂口が呆気に取られて見送っていた。陸だけは、何かを確信したように嬉しそうに口を吊り上げた。


 辿り着いたのは、学校から少し離れた河川敷だった。

 俺が以前、おすすめの場所として彼女を連れてきた場所。

 川面を眺めて物思いにふけっていると、石田さんは無言でスマートフォンを操作し、それから首に下げたカメラの調整を始めた。

 観念して、俺は口を開いた。


「えっと。撮影、するんだよね」


「はい、私が。先輩を、撮りたいんです」


 いつになく強い意志を覗かせ、彼女がレンズを向けてくる。


「待って。俺、人物写真が撮れないって言ったけど、撮られるのもあまり好きじゃないんだけど」


「一枚だけでいいです。お願いします」


 真剣に詰め寄る彼女の瞳に、俺はそれ以上、抗うことができなかった。


「分かった。一枚だけね」


 石田さんが少し離れ、日差しの角度を調整し、立ち位置を変える。

 レンズの向こうに見える彼女は、いつもと違い、ゾッとするような美しさがあった。

 

 合図もなく、シャッターが切られる。

 乾いた音が響き、彼女がデータを確認しながら戻ってきた。


「ありがとうございます。先輩、見て、頂けますか?」


 差し出されたモニターに写る自分を見る。

 そこには、所在なげに視線を彷徨わせる、情けない顔つきの男が写っていた。

 夕暮れに向かう太陽の眩しさだけが、俺の頼りない立ち姿を残酷に浮き彫りにしている。

 あまりの惨めさに言葉を失っていると、石田さんの震える声が響いた。


「こんなの、先輩じゃ、ありません」


 彼女の目には、いつしか涙が浮かんでいた。

 その涙が、今の俺がいかに彼女を失望させているかを物語っていた。


「早く、紡木先輩と仲直りして、いつものかっこいい先輩に、戻ってください」


 頬を伝う涙を拭うこともせず、石田さんは真っ直ぐに俺を見て、呟いた。


「私は、ずっと先輩の背中を見て、追いつきたくて。でも、今の先輩は」


 それ以上は、言葉にならなかった。

 俺は一言「ごめん」と呟き、彼女の頬にハンカチをあてる。

 自分の殻に閉じこもり、独りで傷ついたふりをして、俺を慕ってくれる後輩にこんな顔をさせていた。

 後悔が、どろりとした重みを持って胸に溜まっていく。


「俺, 陽向と話し合ってみるよ。だから、もう泣かないで」


 その言葉を受け、彼女はやっと涙を拭き、ぎゅっと一度目を瞑ってから、弱々しくはにかんだ。


「そう言ってくださると思って、紡木先輩を、呼んであります。もうすぐ、来ると思います」


 完全に一本取られた。

 彼女は計算や打算でこんなことをしたわけじゃない。

 心から俺と陽向のことを想い、このきっかけを強引に作り出したのだ。


「分かった、ありがとう。ちゃんと向き合うから。陽向にも、君にも」


 その言葉で元気が出たのか、彼女の微笑みが満開の笑顔に変わった。

 その眩しさに、胸を鷲掴みにされたような衝撃を覚える。


「じゃあ、私は失礼します。先輩、頑張ってください」


 彼女は頭を下げて、軽やかな足取りで帰っていった。

 俺はその背中を、視界から消えるまでずっと追い続けていた。



 石田さんのことを考えながら待っていると、陽向が渋々とやってきた。

 そこには以前のように溶け合うような距離感はない。

 俺たちは、一人ひとりの人間として、初めてこの河川敷で対峙していた。


「や」


「うん」


 土手に腰を下ろし、陽向もそれに倣う。


「修学旅行以来だね、外でこうやって二人で会うの」


「そうだね」


 ひと呼吸つき、かつての「当たり前」を一度解体する。


「石田さん、どうやって呼び出したの?」


「私が説得しますから、謝ってもらえるチャンスですよ、だって。沙耶ちゃんったらね」


「じゃあ、ごめん」


「軽いなあ」


「陽向がどんな気持ちで毎日頑張ってるか、分かってたんだけどな」


「私こそ、一番つらいのは駿くんだって分かってたのにね」


 一度分かたれたものは、もう元には戻らない。

 以前の感覚を取り戻そうと呼吸を合わせようとしている時点で、俺たちの関係性は、決定的に変わってしまったのだ。


「俺も、自立しなきゃいけないんだろうね」


「正直言えば、それは寂しい。でも、私がそうさせちゃったんだもんね」


「陽向がいないと、ダメなやつになっちゃってたよ」


「私も、駿くんがいないなんて、考えられない」


「だけど今度はちゃんと、どちらが勝手にじゃなく」


「うん。話し合って、お互い一人の人間になろ」


「陽向のことが大事だから、距離感を見つめ直そう」


「また何度も失敗すると思う。そのくらい、私の中の駿くんは大きいから」


「今度は注意するよ。無視するとか、不自然に距離を取るとかじゃなくて」


「うん。ずっと一緒にいた私たちだけど、まずは”友だち”になろう」


「それと、さ」


「うん」


「石田さんと、ちゃんと向き合おうと思う」


「……そっか。私だけの駿くんじゃなくなっちゃうのは、悔しいな」


「向き合った上で、自分なりの答えを出すよ」


「私も、駿くんの隣にいられるために、頑張るね」


 胸の中に、巨大な穴が開いたような喪失感が広がる。

 けれど、二人の関係を新しく始めるために、これは必要な儀式だった。

 俺たちは、今度こそ”他人”になったのだ。



 家に戻り、LINEを開く。

 自室の静寂の中で、俺は石田さんの個別チャット画面をタップした。


<駿:時間があるとき、通話してもいいかな?>


 すぐに既読がつき、返信がくる。

<沙耶:いま>


 通話ボタンを押す。

 呼び出し音が数回。しばらく待っても応答がなく、かけ直そうとした時、ようやく声が届いた。


「す、すみません。慌ててしまって。……深呼吸してたら、出るの遅くなってしまいました」


「なんで慌てるのさ」


 あんなに強く俺の腕を引いた人が、電話一本でこの反応を見せることに、微かな笑みがこぼれる。


「それで、その。どう、でした?」


「ありがとう。ちゃんと仲直りできたよ」


「……よかった」


 安心して漏れ出たような、柔らかな吐息。


「次は、俺の番だね」


「何が、ですか?」


 俺は、これまで誰にも、陽向にさえ話したことのない胸の内を、言葉にした。


「俺は、さ。昔から、人に踏み込むのが怖かった」


 受話器の向こうで、彼女が呼吸を止める気配がした。

 俺の吐露した弱さを、一言も漏らさず受け止めようとしているのが伝わってくる。


「自分と他の人たちとの間に、絶対越えられない壁があって。それが俺の普通だった」


「それ、分かります。私も、そうでしたから」


 受話器越しに、彼女の静かな共鳴が伝わってくる。


「今まではそんな俺の隣に陽向がいて、それが当たり前だった。陽向がいてくれたから、普通でいられた」


「そう、なんですね」


 受話器の向こうから、彼女が小さく息を呑む気配が伝わってきた。

 言葉を探して指先で受話器を強く握りしめるような、微かな摩擦音が静寂を埋める。


「でも、陽向も壁の向こうに行っちゃったんだ。だから、俺はどうしたらいいのか、分からなくなっちゃったんだ」


「……」


「石田さんのおかげで、俺も壁の向こうに足を踏み入れる決心がついたよ。本当にありがとう」


「……え、は、はい!」


 弾むような彼女の声。

 俺は、一つの決意を伝えるために、言葉を重ねた。


「それで、お願いがあるんだけど」


「何でしょうか」


「もしかしたら、このことで君を傷つけてしまうかもしれない。それでもよかったら、なんだけど」


「……はい」


「俺と、一緒に遊びに行ったり、何でもない時でも話し合えるような、”友だち”になってくれないかな」


「……それが傷つけるって、どういうこと、でしょうか」


 これから言うことは、最低な人間のセリフかもしれない。

 けれど、嘘を吐いて彼女を繋ぎ止めることだけは、したくなかった。


「俺の中には陽向がいる。大事な存在として切り離せないくらいに」


「そう、ですよね」


「俺は、人を好きになるってどういうことか、まだ知らない。陽向のことが好きなのか分からない。気持ちに名前を付けられない」


 受話器の向こう側の沈黙に、俺は深く息を吸い込み、さらに言葉を重ねる。


「でも、沙耶ちゃんのことも、俺の中で大きい存在になってるのは確かなんだ。天秤にかけちゃってる最低なやつだと思う」


「……え」


「だから、傷つけてしまうかもしれない。それでもよかったら、俺と”友だち”になってくれないかな?」


 しばらくの沈黙のあと、返ってきたのは、呆れたような溜息だった。


「そんなことは、最初から分かってました。先輩が、紡木先輩を大切にしていることも」


「……そっか」


「それでも、私はこうしています。傷つくことなんて、ありません」


「強いんだね。尊敬する」


「私でよければ……し、駿、せ、先輩と、”お友だち”に、なってください」


「ありがとう, こちらこそ」


 俺には恋愛という感情が欠落している。そんな欠陥品が感情の通った写真なんて撮れるはずがない。

 手を差し伸べてくれる人たちに、一歩踏み出してちゃんと考えて答えを出したい。

 これが誠実かどうかなんて知ったことではない。

 彼女たちのことを理解せず、感情を知らないままに与えられた好意を無にしてしまうのは、彼女たちの真心を、ただ踏みにじるだけの行為に思えた。

 だから、この俺の行動を誰に詰られようと、後悔はしないと心に誓った。


これにて『反転した砂時計』閉幕となります。

次回から新章『あの夏の残響』が開幕しますので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ