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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
反転した砂時計

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【第27話】 選ばれなかった彼の、潔い晴れやかな逆光

《石田沙耶》


 見違えるような毎日だった。

 印象を変えるだけで、少し勇気を持つだけで、今まで見向きもされなかった私が、人の輪に入ることができた。


 新しくできた、初めてと言っていい友人たちは、特別な何かを持っているわけではない。

 抜きん出るような容姿も、人を惹きつける話術も。でも、それこそが私が望んでいたものだ。

 普通に暮らしているだけで友人と話し、好きな人を想い、同じ夢を追える。

 そんな今は、私にとって何より得がたい日常だった。


 だから私は日常に浮かれ、思い出すことを忘れてしまった。

 自分の対人経験の少なさを。

 そして、自分がまだ「羽化」の途中にいる、脆い存在であるということを。



 部活が試験期間へと入り、休止になった。

 先輩に会えないのが寂しい。

 グループチャットも静かで、たまに大野先輩や坂口先輩、中原くんがやり取りをする程度。西村先輩と紡木先輩は参加していない。

 個人チャットを送ろうかとも思ったけれど、自分の好意が透けて見える気がして怖かった。


 どうしようかと悩んでいた放課後、中原くんからLINEが届いた。

<陸:石田さん、成績いいよね。勉強教えてもらえない?>


 中原くんには体育祭以降、いっぱいお世話になりっぱなし。

 勉強なんかでお返しできるなら、断る理由がなかった。


 了承の返事を出して向かったファミレスには、すでに中原くんが待っていた。


「あ、石田さん。来てくれてありがとう」


「こちらこそ。力になれるなら嬉しい」


 一緒に過ごす時間が長かったからか、中原くんとはスムーズに話せるようになっていた。

 というより、中原くんが私の「話し相手」の練習になってくれていたようにも思える。もしそうなら、感謝しかなかった。


「それで勉強、だよね。私、理数は苦手だから教えるとしても文系になっちゃうよ?」


「十分。俺、全部の成績悪いから」


「胸を張るところじゃないよ、それ」


 思わず笑ってしまった。

 彼はいつもこうやって和ませてくれる。だから私も、気兼ねなく接することができる。

 私は顎に指をあて、必要なことを考える。


「じゃあ、現文、古文、英語あたりかな?」


「なんでもいいっス。先生、お願いします」


「調子がいいんだから。じゃあ、教科書とノート出して」


 期末試験の範囲を振り返る。

 軽い口調とは裏腹に、中原くんはとても真剣にノートへ向かっていた。

 私が教えたことも、細かくメモに書き、覚えようと頑張っている。その熱量が、机越しに伝わってくる。


 一時間ほど経過し、一息つく。ドリンクバーでジュースのお代わりを持ってきて、肩を軽くほぐした。


「中原くん、頑張ってたね。すごい」


「こうでもしないと追いつけないから」


 何に追いつけないのかは分からなかった。

 けれど、最近の中原くんは少し前と様子が違っているように見えた。

 ふと思い出し、気になっていたことを口にする。


「最近、体格良くなった?なんか、すっきりしたように見える」


「うん。中学でやめちゃってた運動を再開したんだ。まだ日は浅いけど、体の鈍りが取れてきたんだと思う」


「へえ、すごいね。私は運動なんてさっぱりだから。運動も勉強も頑張るなんて、私にはできないよ」


 そう言うと、中原くんに意外なものを見るような顔つきをされてしまった。


「一番すごいのは石田さんだと思うけど。外見も内面も、前と違って別人みたいだよ」


 それは、西村先輩の隣を歩きたいから。

 だから、そこを褒めてくれるのは素直に嬉しかった。


「ありがとう。すっごい勇気が必要だったけど、やってよかったって思ってる」


「そうだね。だから俺もそんな石田さんが好きになった」


「そっか、私を好きに……って、ええええ!?」


 話を合わせていたら、異次元から言葉が飛んできたような感覚。

 中原くんの顔を見る。とても真剣で、冗談で言ったわけではなさそうだった。


 サウナにでも入ったように全身に熱が駆け巡り、体が石膏で塗り固められたように硬直する。

 口がパクパクと餌を待つ鯉のような動きしかできず、呼吸の仕方を忘れてしまった。


 唯一できたことは、固まった体を無理に動かし、その場から逃げることだけだった。

 鈍くさい私の足音が、なぜかとても大きく聞こえた。



 家に帰ると、そのまま自分の部屋へ直行する。

 ベッドに座り、脇に置いてある犬のヌイグルミを抱えて顔を沈めた。


 私のことを、好きに? いやいや、私だよ? 何の取り柄もない私に? え、私?


 頭の中は大パニックを引き起こしていた。

 写真部に入ってからは毎日が驚きの連続だったけれど、今日は最大級だ。

 母が夕飯ができたと呼びに来たが、食欲がないと断った。


 何度も深呼吸をして、ようやく酸素を体に行き渡らせる。

 人を好きになることも初めてなら、人から好かれることも初めてだった。


 嬉しい気持ちもある反面、申し訳なさの方が圧倒的に大きい。

 「私なんか」という卑屈な価値観と、何より、西村先輩への想いが消えない。

 こういう時、今まで読んだ本の知識は何の役にも立ってくれない。

 恋愛小説だって何冊も読んだのに、自分が告白されるような登場人物に当てはまらない。


 だから、私の手で、せめて答えを返さないといけない。

 それが私にできる精一杯でしかない。

 震える指を押さえながら、スマートフォンに少しずつ文字を打ち込んでいった。


◆ 《中原陸》


 本当は、ここで告白する予定ではなかった。

 ただ一緒に勉強ができるだけで、十分に嬉しかった。

 でも、彼女が自分の努力を認めてくれたとき、好きだという気持ちが溢れ出し、言葉が勝手に先走ってしまった。


 そこに後悔はない。

 ひとつあるとすれば、彼女に無用の混乱を招いたことくらい。

 図らずとも全ては動き出した。なら、必要なのは彼女を想う心だけだ。

 不思議と気分は落ち着いていた。だから、彼女から届いたLINEにも平然と対応できた。


<沙耶:中原くん、今時間ある?>

<陸:あるよ。さっきはいきなりでごめん>


 すぐに既読がついた。けれど、なかなか返信が来ない。

 サブスクのプレイリストから流れる曲が変わることで、時間の進みが伝わってくる。


<沙耶:ごめんなさい。私には好きな人がいます>


 会話のクッションもなく送られてきた、予想通りの返答。

 きっと色々考えてくれたんだ、ということが分かって、むしろ嬉しくなった。


<陸:知ってる。駿先輩に告白しないの?>

<沙耶:え>

<沙耶:なんてしってるの>


 ああ、慌ててる。

 写真部で石田さんが駿先輩を好きなことを、知らない人はおそらくいないということに、本人は気づいていないんだろうな。


<陸:見てれば分かるよ笑>

<沙耶:う>

<沙耶:知ってて、告白してくれたの?>


<陸:うん>

<陸:石田さん鈍そうだから、まずは気持ちを知ってもらうところから始めようかなって>


 曲が変わる。最近流行りの、お気に入り。


<沙耶:ありがとう。知らなかった>

<陸:断られるのは分かってたから、気にしないでいいよ>


<沙耶:ありがとう>

<陸:そればっかり笑>


 余計なお世話かと少し考え、けれどやっぱり伝えようと指を動かす。

<陸:駿先輩も石田さんと同じタイプだから、もっとアピールした方がいいよ>


 次の返信は、かなり時間がかかった。

<沙耶:でも先輩に気持ちを伝えるの、怖い>


 分かる。以前の彼女なら、そうだっただろう。でも。


<陸:たぶん本人も気づいてるよ>


 まあ、俺がチクっちゃったけど。あの様子だと本人も薄々気づいていたと思う。

<沙耶:え>

<沙耶:うそでし>


 でしって何、でしって。突っ込まずにスルーする。

 慌てている様子を想像するだけで、どこか楽しかった。

<陸:慌てなくていいから深呼吸して>


<沙耶:でも、先輩には陽向先輩がいるから>


 たぶん、自分に一生懸命で、こっちは気づいていないのかな。

<陸:今がチャンスじゃない?>

<陸:あの二人、何かあったと思う>

<陸:最近グルチャにもいないし悠斗先輩に聞いても、はぐらかされる>


 落ち着いた雰囲気のバラードが流れる。

 この曲は陽向先輩に教えてもらったんだっけ。

 先輩、すみません。俺は石田さんの肩を持つって決めてるので。


<沙耶:そこに付け込んだら、嫌な人じゃない?>


 石田さんならそう言うだろうと思っていた。

 けれど、ここで踏み出さなければ、全部終わりになってしまう。


<陸:じゃあ二人が付き合うようになって諦める?それでいいならいいけど>

<沙耶:でも>

<陸:好きなんだよね。誰にも渡したくないよね?>


 強引なのは分かっている。

 けれど、今の彼女に必要なのは、さらなる一歩を踏み出すことだ。

 今、どれだけ悩んでもいい。駿先輩のために変わった君が、何もせずに諦めるなんて見たくなかった。


<沙耶:うん>


 時間はかかったけれど、答えは出た。


<陸:なら、頑張れ>

<陸:当たって砕けろとは言わない。当たって成就して>

<沙耶:私なりに頑張ってみる。本当にありがとう>


 良かった。前を向いてくれて。


<陸:じゃあさ、一つだけお願い聞いてもらっていい?>

<沙耶:出来ることなら。何?>

<陸:今から石田さんじゃなく、沙耶さんって呼んでいい?>

<沙耶:そのくらい、全然いいよ。呼び捨てでも、ちゃん付けでも。好きに呼んでくれた方が、私は嬉しい>


 そういう一言が男に刺さるってことを知らないのが、この子の怖いところだ。

 きっと無邪気に言っているんだろう。


<陸:じゃあ沙耶さん、今後もよろしくね>

<沙耶:うん、ありがとう。おやすみなさい>


 たとえ相手が自分じゃなくて、後で悔し涙を流すことになっても。

 今ここで、彼女の背中を駿先輩へと押した選択は、間違ってなんかない。

 「選ばれないこと」を自分で選んだ。そのことに、胸を張っていい。

 でも、俺だってまだ全てを諦めるつもりはない。そのために努力は続ける。


 振られたのに、心は不思議と晴れやかだった。

 中学時代に閉じ込められた心の殻から、ようやく抜け出せたような気がした。


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