【第27話】 選ばれなかった彼の、潔い晴れやかな逆光
《石田沙耶》
見違えるような毎日だった。
印象を変えるだけで、少し勇気を持つだけで、今まで見向きもされなかった私が、人の輪に入ることができた。
新しくできた、初めてと言っていい友人たちは、特別な何かを持っているわけではない。
抜きん出るような容姿も、人を惹きつける話術も。でも、それこそが私が望んでいたものだ。
普通に暮らしているだけで友人と話し、好きな人を想い、同じ夢を追える。
そんな今は、私にとって何より得がたい日常だった。
だから私は日常に浮かれ、思い出すことを忘れてしまった。
自分の対人経験の少なさを。
そして、自分がまだ「羽化」の途中にいる、脆い存在であるということを。
◆
部活が試験期間へと入り、休止になった。
先輩に会えないのが寂しい。
グループチャットも静かで、たまに大野先輩や坂口先輩、中原くんがやり取りをする程度。西村先輩と紡木先輩は参加していない。
個人チャットを送ろうかとも思ったけれど、自分の好意が透けて見える気がして怖かった。
どうしようかと悩んでいた放課後、中原くんからLINEが届いた。
<陸:石田さん、成績いいよね。勉強教えてもらえない?>
中原くんには体育祭以降、いっぱいお世話になりっぱなし。
勉強なんかでお返しできるなら、断る理由がなかった。
了承の返事を出して向かったファミレスには、すでに中原くんが待っていた。
「あ、石田さん。来てくれてありがとう」
「こちらこそ。力になれるなら嬉しい」
一緒に過ごす時間が長かったからか、中原くんとはスムーズに話せるようになっていた。
というより、中原くんが私の「話し相手」の練習になってくれていたようにも思える。もしそうなら、感謝しかなかった。
「それで勉強、だよね。私、理数は苦手だから教えるとしても文系になっちゃうよ?」
「十分。俺、全部の成績悪いから」
「胸を張るところじゃないよ、それ」
思わず笑ってしまった。
彼はいつもこうやって和ませてくれる。だから私も、気兼ねなく接することができる。
私は顎に指をあて、必要なことを考える。
「じゃあ、現文、古文、英語あたりかな?」
「なんでもいいっス。先生、お願いします」
「調子がいいんだから。じゃあ、教科書とノート出して」
期末試験の範囲を振り返る。
軽い口調とは裏腹に、中原くんはとても真剣にノートへ向かっていた。
私が教えたことも、細かくメモに書き、覚えようと頑張っている。その熱量が、机越しに伝わってくる。
一時間ほど経過し、一息つく。ドリンクバーでジュースのお代わりを持ってきて、肩を軽くほぐした。
「中原くん、頑張ってたね。すごい」
「こうでもしないと追いつけないから」
何に追いつけないのかは分からなかった。
けれど、最近の中原くんは少し前と様子が違っているように見えた。
ふと思い出し、気になっていたことを口にする。
「最近、体格良くなった?なんか、すっきりしたように見える」
「うん。中学でやめちゃってた運動を再開したんだ。まだ日は浅いけど、体の鈍りが取れてきたんだと思う」
「へえ、すごいね。私は運動なんてさっぱりだから。運動も勉強も頑張るなんて、私にはできないよ」
そう言うと、中原くんに意外なものを見るような顔つきをされてしまった。
「一番すごいのは石田さんだと思うけど。外見も内面も、前と違って別人みたいだよ」
それは、西村先輩の隣を歩きたいから。
だから、そこを褒めてくれるのは素直に嬉しかった。
「ありがとう。すっごい勇気が必要だったけど、やってよかったって思ってる」
「そうだね。だから俺もそんな石田さんが好きになった」
「そっか、私を好きに……って、ええええ!?」
話を合わせていたら、異次元から言葉が飛んできたような感覚。
中原くんの顔を見る。とても真剣で、冗談で言ったわけではなさそうだった。
サウナにでも入ったように全身に熱が駆け巡り、体が石膏で塗り固められたように硬直する。
口がパクパクと餌を待つ鯉のような動きしかできず、呼吸の仕方を忘れてしまった。
唯一できたことは、固まった体を無理に動かし、その場から逃げることだけだった。
鈍くさい私の足音が、なぜかとても大きく聞こえた。
◆
家に帰ると、そのまま自分の部屋へ直行する。
ベッドに座り、脇に置いてある犬のヌイグルミを抱えて顔を沈めた。
私のことを、好きに? いやいや、私だよ? 何の取り柄もない私に? え、私?
頭の中は大パニックを引き起こしていた。
写真部に入ってからは毎日が驚きの連続だったけれど、今日は最大級だ。
母が夕飯ができたと呼びに来たが、食欲がないと断った。
何度も深呼吸をして、ようやく酸素を体に行き渡らせる。
人を好きになることも初めてなら、人から好かれることも初めてだった。
嬉しい気持ちもある反面、申し訳なさの方が圧倒的に大きい。
「私なんか」という卑屈な価値観と、何より、西村先輩への想いが消えない。
こういう時、今まで読んだ本の知識は何の役にも立ってくれない。
恋愛小説だって何冊も読んだのに、自分が告白されるような登場人物に当てはまらない。
だから、私の手で、せめて答えを返さないといけない。
それが私にできる精一杯でしかない。
震える指を押さえながら、スマートフォンに少しずつ文字を打ち込んでいった。
◆ 《中原陸》
本当は、ここで告白する予定ではなかった。
ただ一緒に勉強ができるだけで、十分に嬉しかった。
でも、彼女が自分の努力を認めてくれたとき、好きだという気持ちが溢れ出し、言葉が勝手に先走ってしまった。
そこに後悔はない。
ひとつあるとすれば、彼女に無用の混乱を招いたことくらい。
図らずとも全ては動き出した。なら、必要なのは彼女を想う心だけだ。
不思議と気分は落ち着いていた。だから、彼女から届いたLINEにも平然と対応できた。
<沙耶:中原くん、今時間ある?>
<陸:あるよ。さっきはいきなりでごめん>
すぐに既読がついた。けれど、なかなか返信が来ない。
サブスクのプレイリストから流れる曲が変わることで、時間の進みが伝わってくる。
<沙耶:ごめんなさい。私には好きな人がいます>
会話のクッションもなく送られてきた、予想通りの返答。
きっと色々考えてくれたんだ、ということが分かって、むしろ嬉しくなった。
<陸:知ってる。駿先輩に告白しないの?>
<沙耶:え>
<沙耶:なんてしってるの>
ああ、慌ててる。
写真部で石田さんが駿先輩を好きなことを、知らない人はおそらくいないということに、本人は気づいていないんだろうな。
<陸:見てれば分かるよ笑>
<沙耶:う>
<沙耶:知ってて、告白してくれたの?>
<陸:うん>
<陸:石田さん鈍そうだから、まずは気持ちを知ってもらうところから始めようかなって>
曲が変わる。最近流行りの、お気に入り。
<沙耶:ありがとう。知らなかった>
<陸:断られるのは分かってたから、気にしないでいいよ>
<沙耶:ありがとう>
<陸:そればっかり笑>
余計なお世話かと少し考え、けれどやっぱり伝えようと指を動かす。
<陸:駿先輩も石田さんと同じタイプだから、もっとアピールした方がいいよ>
次の返信は、かなり時間がかかった。
<沙耶:でも先輩に気持ちを伝えるの、怖い>
分かる。以前の彼女なら、そうだっただろう。でも。
<陸:たぶん本人も気づいてるよ>
まあ、俺がチクっちゃったけど。あの様子だと本人も薄々気づいていたと思う。
<沙耶:え>
<沙耶:うそでし>
でしって何、でしって。突っ込まずにスルーする。
慌てている様子を想像するだけで、どこか楽しかった。
<陸:慌てなくていいから深呼吸して>
<沙耶:でも、先輩には陽向先輩がいるから>
たぶん、自分に一生懸命で、こっちは気づいていないのかな。
<陸:今がチャンスじゃない?>
<陸:あの二人、何かあったと思う>
<陸:最近グルチャにもいないし悠斗先輩に聞いても、はぐらかされる>
落ち着いた雰囲気のバラードが流れる。
この曲は陽向先輩に教えてもらったんだっけ。
先輩、すみません。俺は石田さんの肩を持つって決めてるので。
<沙耶:そこに付け込んだら、嫌な人じゃない?>
石田さんならそう言うだろうと思っていた。
けれど、ここで踏み出さなければ、全部終わりになってしまう。
<陸:じゃあ二人が付き合うようになって諦める?それでいいならいいけど>
<沙耶:でも>
<陸:好きなんだよね。誰にも渡したくないよね?>
強引なのは分かっている。
けれど、今の彼女に必要なのは、さらなる一歩を踏み出すことだ。
今、どれだけ悩んでもいい。駿先輩のために変わった君が、何もせずに諦めるなんて見たくなかった。
<沙耶:うん>
時間はかかったけれど、答えは出た。
<陸:なら、頑張れ>
<陸:当たって砕けろとは言わない。当たって成就して>
<沙耶:私なりに頑張ってみる。本当にありがとう>
良かった。前を向いてくれて。
<陸:じゃあさ、一つだけお願い聞いてもらっていい?>
<沙耶:出来ることなら。何?>
<陸:今から石田さんじゃなく、沙耶さんって呼んでいい?>
<沙耶:そのくらい、全然いいよ。呼び捨てでも、ちゃん付けでも。好きに呼んでくれた方が、私は嬉しい>
そういう一言が男に刺さるってことを知らないのが、この子の怖いところだ。
きっと無邪気に言っているんだろう。
<陸:じゃあ沙耶さん、今後もよろしくね>
<沙耶:うん、ありがとう。おやすみなさい>
たとえ相手が自分じゃなくて、後で悔し涙を流すことになっても。
今ここで、彼女の背中を駿先輩へと押した選択は、間違ってなんかない。
「選ばれないこと」を自分で選んだ。そのことに、胸を張っていい。
でも、俺だってまだ全てを諦めるつもりはない。そのために努力は続ける。
振られたのに、心は不思議と晴れやかだった。
中学時代に閉じ込められた心の殻から、ようやく抜け出せたような気がした。




