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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
反転した砂時計

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【第25話】 選びたい僕らの、無慈悲な不協和

 梅雨のじっとりとした空気が肌にまとわりつく七月の始め。

 学校中が期末試験の話で持ちきりになっても、俺はその輪に入る気になれず、ただ湿った空を眺めていた。


 悠斗と璃奈が付き合い始めた。その知らせを聞いた時は、素直に祝福した。

 お祝いだと缶コーヒーを奢ったのだが、悠斗がどこか意味ありげに笑った理由は、俺には結局分からないままだった。


 陽向は複雑な心境だろうと予想していたが、実際は心から喜んでいるようだった。

 彼女と璃奈は、あの体育祭のわだかまりが嘘のように以前の親密さを取り戻している。

 澱んでいるよりはずっといい。ただ、それでも俺は、その三人の中に入っていくことに躊躇いがあった。


 噂だって完全に消えたわけではない。陽向が一人で頑張ろうとしている中で、俺が側にいれば、彼女を快く思わない悪意に餌を与えるだけだ。

 今の俺にとって教室は、濁りきった不味い空気しか吸えない場所だった。



 放課後、部室のドアを開けると、暑く湿った空気が溢れ出し、一瞬で汗が噴き出した。

 窓を開けても風は生温い。卓上扇風機の乾いた回転音だけが、室内の重苦しさを助長しているようだった。

 LINEのグループチャットを見ると、今日は陽向がバイトで欠席、石田さんもクラスメイトに遊びに誘われたらしい。いつも部活優先で断っていたため、今日はそちらに行くとの報告。

 一人で時間を潰そうとしていたところに、陸がやってきた。


「お疲れ様っス、先輩。今日は二人だけみたいですし、外で試験勉強でもしませんか?」


「勉強は、まあいいけど。わざわざ外に行くの?ここで良くないか?」


「まあまあいいじゃないっスか。俺、電車通学ですから駅に近くて冷房の効いたところでやりたいです」


 駅まで歩く理由を並べられ、俺は渋々と彼に続くしかなかった。



 辿り着いたのは、駅前のショッピングモール内にあるファストフード店だった。

 レジカウンターの中にいたのは、いつものボブを後ろでひとまとめに結わえた、とても見覚えのある店員。


「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」


 彼女の笑顔は完璧だった。けれど、その奥にある「今は来ないでほしかった」という無言の圧が、突き刺さるように俺を貫く。

 俺は抵抗したんだ。陸に連れてこられたんだと目で訴えても、彼女の眼光は一切揺るがない。


「スマイルお願いっス!」


 陸が、ふざけたように注文を口にした。その瞬間、陽向の背後にどろりとした殺気が渦巻くのを、俺は見逃さなかった。


「お客様、お言葉遣いに気をつけたほうがいいと思いますよ」


 顔は笑っているのに、声の温度が氷点下まで下がっている。


「あ、はい。すみません」


 陽向の本気マジの怒りを察知したのか、陸は萎縮して普通に注文を始めた。

 俺は陸に自分の注文を押し付け、逃げるようにフロアの隅へと逃げ込んだ。



「いやあ。ユニフォーム姿の陽向先輩、めっちゃ可愛いっスよね」


「お前、恐れ知らずだな……」


 運ばれてきたジンジャーエールを半分ほど一気に飲み干す。

 冷や汗が止まらない。喉を通る炭酸の刺激で、高鳴る鼓動を無理やり鎮めた。


「よく漫画やドラマであるじゃないですか。一度やってみたかったんですよね」


「分かる。いや、分からない」


「陽向先輩なら許してくれるかなって」


 陸は視線をカウンターへ向けると、不意にその顔が青ざめた。

 俺はカウンターに背中を向ける位置に座ったので、あちらの様子は分からない。


「陽向がマジで怒ると坂口より怖いぞ。気をつけた方がいい」


「う、うっす」


 陸は、陽向の背後に渦巻く殺気に気づいたようで、俯きながらハンバーガーを平らげた。


「さ、食ったら勉強するぞ。長居しても迷惑かかるからな」


 鞄を広げようとする俺の動きを、陸が手で制してきた。


「実は勉強ってのは先輩と話す名目でして。どのみち部室は暑いですから」


「わざわざ話?部室から離れたってことはカメラじゃないんだろ?」


「ですね。先輩と恋バナしようと思いまして」


「は?俺とは全く縁のない話なんだが」


 陸の瞳には、いつもの飄々とした態度の奥に、鋭く俺を射抜くような光が宿っていた。


「ほら、悠斗先輩と璃奈先輩が付き合い始めたじゃないっスか。先輩と陽向先輩はどうなのかなと」


「そこ知ってるんだ」


「悠斗先輩とはソシャゲで繋がってますから。連絡はよく取ってるんですよ」


「あー、そういえばそうだったな」


 窓の外に目を向けようとすると、ガラスの反射でフロアに出ていた陽向の様子が、微かに、けれど鮮明に映り込む。


「俺と陽向は幼馴染。それ以上でも以下でもない」


 周囲の喧騒に紛れ込ませるように、自分に言い聞かせるために告げた。あっちもこちらを見ている感じではない。


「へえ。じゃあ石田さんとはどうです?最近ぐいぐい接近してるみたいですけど」


「別に、ただの撮影仲間でいい後輩かな。話も合うから一緒にいて楽しいってのもある。でも、それはお前に対しても同じだぞ」


「へへ。それは嬉しいです。先輩からあまりそういうの聞けないですからね」


「人を褒めるって慣れてないから苦手なんだよ」


 冷えたカップを手に取り、ジンジャーエールの残りを飲み干す。


「実は俺、石田さんのことが好きなんですよ」


 危うく吹き出しそうになった。陸は俺が飲み干すタイミングを見計らっていたのではないかと思うほど、淀みのない声で告げた。


「そ、そうなんだ。まあ二人はよく一緒にいるし、そうなってもおかしくないな」


「はい。近々告ろうかなって思ってます」


「いいじゃないか?二人がそういう仲になるのも悪くないと思うぞ」


「でも、石田さんは先輩のことが好きじゃないですか」


 その言葉は、俺の耳の奥で耳鳴りのように響いた。


「おまっ、そんなの分からないだろ。それに本人の許可なく言うなよ」


「いや、見れば分かるでしょ。ずっと先輩のことを目ぇキラキラさせて見てますし、あんなに可愛くなっちゃって。本人に隠す気があるのかどうかも怪しいっスよ」


 陸の言葉は、容赦なく俺の平穏を削り取っていく。


「で、先輩はどうなんです?」


 喉の奥で、行き場のない呻きが鳴る。

 俺は目を伏せ、視界を遮ることで陸から突きつけられた現実から逃れようとした。


「好きとかそういうの、よく分からないんだよ」


「初恋もしたことないんですか?」


 脳裏に、強烈なノイズが走った。

 ピンボケの写真。その中心にいたはずの、笑顔の女の子。

 それを無理やり意識の底へと沈め、俺は答えた。


「ないよ」


 友情や親愛なら理解できる。けれど、恋愛感情というもののピントを合わせる方法を、俺は知らない。

 陸は「ふーん」と意外そうに頷き、ドリンクに口をつけた。


「じゃあ、石田さんと付き合ってみればいいじゃないっスか」


「なんでそうなる」


「付き合ってみれば、好きになるって感覚が分かるかもしれないですよ」


「好きになれなかったら石田さんに失礼だろ」


「嫌いになるわけでもないですよね。何度か二人で遊びに行ってるようですけど、どうでした?」


「……楽しかった、かな」


「なら、考えてみてもいいと思いますけど」


 陸の言葉は、まるで他人事のように軽やかで、だからこそ残酷だった。


「お前が告白するんじゃなかったのか?」


「しますよ。付き合えたらラッキーだとも思ってます。でも、一番は石田さんの幸せなんで、先輩と石田さんが付き合えるなら、俺はその方がいいです」


 俺は面を食らい、かける言葉を失ってしまった。


「それなら自分の手で、とは思わないの?」


 問いかけながら、俺は陸の揺るぎない意志に飲み込まれそうになっていた。


「だから、まずは告白します。自分で幸せにできるなら、その方がいいですから。でも、石田さんが先輩のことを好きなのが分かりきってるんで、それは二の次っスね」


「……お前の考えはよく分からないよ」


「自分は選ばれないのはもう嫌なんです。だから、どんな結果だろうと自分で選びたい。それだけです」


 陸はトレーを持って席を立った。


「試験が終わったら、俺は告白します. 先輩も考えておいてください。お願いします」


 深く、深く頭を下げ、陸はそのまま店を出ていった。



 陸に突きつけられた「選択」が、頭の中を埋め尽くしていく。

 強引だ。けれど、間違ってもいない。

 石田さんからの好意に気づかないふりをして、平穏を守り続けることは、もう許されないのかもしれない。

 付き合ってみる。

 それは、今の俺にとって救いになるのだろうか。


 容量を超えた思考がショートし、俺は考えるのを止めた。

 視線をふらふらと泳がせ、その果てに捉えたのは、フロアで客に応対する陽向だった。


 俺の見知らない世界で、俺の知らない笑顔で働く彼女。

 

 ――可愛いな。


 押し寄せる情報の渦から逃げるように、俺はただその光景に視線を固定した。


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