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歪な砂時計の落ちる先 ―幼馴染のまどろみが終わる時、僕たちは絶望を抱きしめる―  作者: みるとべる
ひとつの始まり

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【第24話】坂口璃奈: 檻を抜けた二人の、消えない熱量

 一番迷惑をかけていた陽向に、再び背中を押してもらえた。

 だから、もう私は迷わない。

 震える指でメッセージを送り、大野を呼び出した。

 私たちの四人の関係が一度壊れた、あの校舎の裏へと。



 放課後の校舎裏。

 普段は人気のないこの場所で、あの日、陽向に聞かれていたなんて。

 偶然だったと彼女は言ったけれど、たとえあの日でなくても、今の私たちがこの気持ちを隠し通せるとは思えない。

 大野が動いたあの瞬間から、私たち四人がこうなるのは、きっと最初から決まっていたのだ。


 私は怖かった。

 四人の関係が壊れることも、陽向と向き合うことができなくなることも。

 だから結論を出すことから逃げ続けて、波風を立てないことだけを願っていた。

 でも、もう大丈夫。


 大野は少し遅れてやってきた。

 こうして二人きりで会うのは修学旅行以来だ。教室でも、まともに言葉を交わしていなかった。

 彼の顔には隠しきれない緊張の色が浮かんでいる。

 それはきっと、今の私も同じ。


「すまない。待たせた」

「ううん、待つのは嫌いじゃないから」


 風が吹き、梅雨特有の湿った空気が頬を撫でる。

 言葉は色々考えてきたはずなのに、いざ目の前にすると何も思い出せなくなる。


「あ、その……ね」

「ああ」


 言葉が詰まり、つい顔が俯いてしまう。

 不自然な上目遣い。

 こんなのは私のキャラじゃないはずなのに、どうしてこうも弱くなるのか。

 でも、もう私を見つめる悠斗の優しい眼差しから、自分を外したくはなかった。


「悠斗」

「うん」


 名前を呼ぶ。呼吸を揃える。

 もう、離れないように。


「私は陽向が好き。四人でいる時間が、好き」


 悠斗がゆっくりと頷く。その表情を逃さないように見つめる。


「悠斗が、好き。悠斗の一番で、ありたい。だから」


 顔を上げて、胸を張って。

 自分の中で、できる限りの笑顔を見せて。


「これから、付き合って。私だけを、見てほしい」


 言えた。

 やっと、これまで抱えてきた重い熱を、伝えることができた。


「俺の気持ちは変わらない。中一の頃からずっと。璃奈が好きだ」


 笑顔は、十秒も保たなかった。

 胸から込み上げてくる愛しさが抑えられなくて、視界が滲んでいく。


「……あり、がとう。今まで、待たせて、ごめん」


 涙で前が見えない。こんな顔、見せたくない。

 私は悠斗の胸に顔を埋めた。

 背中を、大きな手が優しく叩く。


 陽向、西村、ごめん。

 私、この先何があっても、悠斗を選ぶ。

 四人の「特別」を壊してでも、私はこの人の隣にいる「特別」を離さない。



 どのくらい泣いていただろうか。

 五分? もっと短いかもしれない。

 ただ、今までの涙とは違っていた。罪悪感は消えないけれど、嬉しさの方がずっと大きい。

 悠斗は黙って、私が泣き止むのを待ってくれた。

 私たちがすれ違っていた年月を考えれば、ほんの一瞬の時間だったから。


 顔を少し上げると、そこには悠斗の優しい表情があった。

 私はそっと目を瞑り、つま先を上げた。

 悠斗の顔が、体に伝わる体温が、驚くほど近く、熱かった。



 照れくさかったのもあり、ばくばくと煩い心臓を落ち着かせたかったのもあって、場所を近所の喫茶店へと移した。

 

 そこは、地主のお爺さんが趣味で経営しているという、古くて落ち着いたお店だった。

 カウンターに並ぶサイフォン。豊かな豆の香り。

 こんなに素敵な場所が近くにあるなんて、もっと早く知っていればよかった。


 いくつかの品種がメニューに並んでいたけれど、よく分からなかったので私はブレンドにした。

 悠斗はキリマンジャロ。

 私もこれからは、色々な味を知っていきたいと思った。


「悠斗, 味とか分かるの?」

「あまり。大体缶コーヒーかバーガーノートのブレンドだから、今回挑戦してみたかった。いいお店だしな」

「そうだね。私も普段は砂糖とミルクを入れるけど、今回はブラックにしてみようかな」

「無理しないほうがいいぞ」

「だってさ、ああやってサイフォンで作ってくれてるの見るとワクワクしない?」

「する。分かる」


 私たちはしばらく、カウンターの向こうで琥珀色の液体が満ちていくのを眺めていた。

 やがて、丁寧に淹れられたコーヒーが運ばれてくる。

 お爺さんに「あんまり見られると恥ずかしいよ」と言われて、二人で笑った。


 宣言通り、砂糖もミルクも入れずに一口含んでみる。

 広がる香りと、想像以上の苦みと酸味。


「……にが」


 たまらず砂糖とミルクを混ぜる。

 背伸びをしたけれど、まだブラックは早かったみたいだ。

 けれど、悠斗は平然とそれを口にしている。


「……苦くないの?」

「ああ、ちょうどいい。好きになれそう。璃奈も飲んでみる?」

「じゃあ、一口だけ」


 間接、なんて今さら気にすることじゃない。

 一口もらったキリマンジャロは、さっきのブレンドよりは苦みが少なく感じたけれど。


「うん、やっぱ無理かな」

「嗜好なんて変わっていくものなんだから、今はいいんだよ」

「そうだね。中学の頃はコーヒー自体ダメだったし」

「俺は甘いやつなら飲めたな。今はブラックの方が好き」

「こうやってさ、色んなものが変わって、大人になっていくんだね」

「まあ、そうかも」


 私は表情を引き締める。コーヒーを一口飲んでから切り出した。

 止まっていた針を、自分の手で進めるために。


「私、また陸上を再開しようと思う」

「え, いつから?」


 さすがに悠斗も驚きを隠せていない。


「文化祭が終わった後からかな。本格的には大学からって感じになると思う」

「そうか。応援するけど、いきなりだな」

「うん。今までは私が皆に引っ張ってもらってた。だから、今度は私も一人で頑張れるところを見せたいなって」

「いいことだと思う。俺、走ってる璃奈が一番好きだしな」

「そ、そういうことは何度も言わなくていいの」

「本当のことだし」


 店内に流れる穏やかな音楽と、コーヒーの香り。

 立ち上る湯気の向こう側で、私は最近感じていた懸念を口にする。


「ただ、ね。西村が少し心配。陽向が離れてから、何となくおかしいっていうか」

「俺も最近は一緒にいる機会が減っていてな」

「私たち、陽向を焚き付けたんだし、西村も何とかしてあげたい」


 私の言葉に、悠斗が「たち」という言葉に反応した。


「たちってことは、俺が紡木さんと話したことも知ってるのか」

「陽向は悠斗の名前を出さなかったけど、陽向の考えを変えられる人なんて少ないからね」

「それもそうか。ただ、あの二人は良くも悪くも普通じゃないって、よく分かった」


 悠斗の言葉には、親友としての諦念に近い理解が混ざっていた。


「そうね。陽向のおかげで私は告白できたから、何とかしてあげたいんだけど」

「俺としては、少しそってしておいてあげたいかな。無責任に見えるかもしれないが」

「まあ、文化祭までは私も写真部にいる予定だから。夏休みに合宿したいって言ってたし」

「そんなのやるんだ。じゃあ聞いてシフト空けてもらわないとな」

「陸が寂しがってるから、もっと顔を出してあげなよ」


 悠斗はキリマンジャロの残りを一口、喉に流し込んだ。

 カップを置く小さな音が、不思議と心地よく店内に溶ける。


「ゲームはほとんど毎日一緒にやってるぞ」


 どこか他人事のような、それでいて彼らしい飾らないトーン。

 思わぬ「男同士の付き合い」を暴露され、私は拍子抜けして、ふっと肩の力を抜いた。


「そこは勉強じゃないんだ」


 緊張して泣き腫らしたあとの目に、悠斗のそんな無頓着さがどこか救いのように思えた。

 これからは、こうして彼が見せる「素」に、何度も呆れたり笑ったりしていくのだろう。


 部活の話。期末試験。これからの二人のこと。

 コーヒーを飲み終えるまで、たくさん、たくさん話をした。


 まだ「恋人」だという実感は少なくて。

 けれど隣にある体温は、昨日までとは確実に、何かが違っていた。

 これから少しずつ、本当の恋人になっていけばいい。

 空になったカップを眺めながら、私はまたこのお店に来ようと、心の中で決めた。


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