【第21話】紡木陽向:依存を捨てた彼女の、孤独な背伸び
修学旅行から帰った翌日の日曜日。私は微熱を出し、ベッドから動けずにいた。
失恋したあの日、咄嗟についた「体調が悪い」という嘘が、そのまま現実になった。
これはきっと、罰なのだと思う。
呆けた頭で、私たちのこれからを、一つひとつ考えた。
璃奈には幸せになってほしい。だから、大野くんと付き合ってほしい。
璃奈の気遣いや遠慮が、今の私には痛い。
私が背中を押さないと決めたことも、私なりの善意のつもりだった。
けど、この止まった時間を作っている一因になっている。
それなら、私が動かなければ。
そして、駿くん。
私が今まで前を向いていられたのは、君が隣にいてくれたから。
なのに、今の私は彼を悪意の標的にして、その足を引っ張っている。
駿くんは誰より幸せであるべきだ。いつか人物写真を撮れるようになって、色々な人に認められて、素敵な恋人を見つけて……。
……私は? 駿くんに相応しい人が見つかって、隣にいられなくなった私は。
想像しただけで悪寒が増し、熱に浮かされているのに凍えている身体を抱きしめた。
考えることが、怖かった。
けれど、今の私のままでは駿くんをダメにしてしまう。
自分の力で何とかしなければ。そう思った時、出発前の会話が蘇る。
「今度こそ自分の力で何とかしないと、璃奈のためにもならないかなって」
「それ。自分にもブーメラン刺さってるの、気づいてる?」
駿くんは、こうなることを分かっていたんだ。
他人の自立を説くなら、私自身も駿くんへの依存から自立しなければならない時が来ると。
私は震える指でスマートフォンを手に取り、駿ママに電話をかけた。
最近の体調管理の杜撰さと、やりたいことがあるという建前を添えて。
「西村家へ行く頻度を減らしたい」という私の願いは、親同士が仲が良いからこそ、余計に心苦しい相談だった。
◆
月曜日、予鈴ぎりぎりに登校した。
余計な会話を避けるための選択。
後ろの席から注がれる駿くんの気遣わげな視線が、背中に刺さる。
「何も心配いらないよ」と振り向いて笑いたかった。
けれど、今言葉を交わせば、必ずボロが出る。
私は駿くんを自分に関わらせないよう、前だけを見つめて衝動を抑え込んだ。
授業の合間はわざと教室の外で時間を潰し、昼休み。
私はお弁当を持って、以前からたまに話をしていた別のグループの席へ向かった。
いつもの場所には、駿くんと大野くんだけが座っていた。璃奈の姿はない。
不意に視線が絡んでしまう。
私は、心配かけないように微笑んだ……つもりだった。
けれど、それを見た駿くんは、悔しそうに顔を歪めると、一度も振り返ることなく教室を出ていってしまった。
他人には見抜けない、ほんの些細な強張り。
駿くんにだけは、ごまかせない。
私が「彼のために」距離を置こうとしていることを、彼は察して、傷ついたのだ。
ああ、“いつも通り”まで壊してしまったのか。
それでも、駿くんを守るためには、今はこれが必要なんだ。
「ね、今日は一緒に食べさせてもらっていいかな」
「いいけど、紡木さん今噂になってるし、いいの?」
「私も興味あるし、色々聞いちゃうかもよー?」
噂。たぶん言われるだろうとは思っていた。
「聞かれて困ることもないしね。家が隣同士で仲がいいのは当然だし」
男子と話すのが苦手な私に、駿くんが自然な距離感を作ってくれていた。
その優しさが、今は皮肉にも噂の火種になっている。
「幼馴染? ずっと一緒って窮屈じゃない?」
「私は一人っ子だし、姉弟みたいなものだよ。西村くんも同じじゃないかな」
「えー、紡木さん可愛いもん。私が西村くんだったら、きっと惚れちゃう」
「あの子はカメラが恋人だからね。それに、私は好きな人いるし」
「え!? 好きな人いるの? 誰!?」
「教えなーい」
言葉を重ねるたびに、胸が締め付けられる。
お弁当の味は少しもしなかった。喉が塞がって、飲み込むことさえ難しい。
会話が続かなくなるのを恐れて、私はみんなが食事を終える頃に席を立った。
「職員室に呼ばれてるから、もう行くね。明日もご一緒させて」
そのまま教室を出て、トイレへ駆け込み、食べたものを全て吐き出した。
一息ついた瞬間、全身がガタガタと震え、涙が零れそうになった。
駿くんを否定して、姉弟だと言い張って、遠ざけることがこんなに辛いなんて。
私は、駿くんがいてくれないと、こうもダメなのか。
必死に涙を押し込んでこらえ、鼻をすする。
せめて部活には出なければ。
避けることと、距離を置くことは違う。それは駿くんも望まないはずだから。
◆
放課後、部室へ向かう足取りは重い。
ドアを開けると、そこには見違えるような少女が立っていた。
眉のあたりできれいに切り揃えられた前髪。後ろ髪は三つ編みにまとめられ、胸元に垂らされている。
「もしかして、沙耶ちゃん?」
「はい、お久しぶりです。紡木先輩」
微笑む沙耶ちゃんには、以前にはなかった芯があるように感じた。
遅れてきた璃奈や大野くんも、「イメチェン大成功じゃん!」と絶賛している。
沙耶ちゃんは照れていたけれど、その瞳はしっかりと相手を見据えていた。
自分を変えるために、どれほどの勇気を振り絞っただろう。それを思うと、今の自分が余計に情けなくなった。
「おっと、これ。陸と沙耶に“四人から”修学旅行のお土産ね」
璃奈が生八ツ橋を差し出す。
京都でのあのトラブルのせいで、私と駿くんは土産を買うことを失念してしまっていた。
璃奈が気を利かせて四人からということにしてくれたのだ。
大野くんは少し顔を出した後、アルバイトへと向かった。
私と璃奈は陸くんから修学旅行の話を聞かれ、その隣で沙耶ちゃんと駿くんは、お互いがいなかった間に撮影した写真を見せ合っている。
こうして見ると、沙耶ちゃんは本当に素敵な女の子になったと思う。
まだ少したどたどしさの残る口調で自分から積極的に話し、表情がよく動く。
だからこそ、気づいてしまう。
沙耶ちゃん。やっぱり駿くんのことが、好きなんだ。
私より、ずっと駿くんの隣に相応しい。
同じ視線で、同じ空気を共有できる彼女。
居たたまれなくなり、私は家の用事を理由に、逃げるように帰宅した。
◆
夕食は一人。両親は帰りが遅く、自分たちで済ましてしまう。
自分の分だけ作るのも億劫だし、食欲もない。お風呂に入り、髪を乾かしベッドに潜る。
駿ママから「今日から早く帰れるから駿の夕食は大丈夫よ」と連絡があった。
以前なら「残念」だと思ったその言葉が、今は救いだった。
私は一体、何がしたいんだろう。
駿くんを悪意から引き離すために、本人と相談もせず距離を置き。
そのくせ、他の女子が駿くんに好意を向けていると知れば不愉快になる。
しかも、私のそれは恋ですらない、ただの独占欲。
璃奈も、沙耶ちゃんも、みんな必死に戦っている。
失恋をしたときから、何も変わっていない。
私だけが駿くんにしがみつき、彼をヒーローという檻に閉じ込めて。
何もしないまま停滞している。
分かっているのは、このままじゃいけないということだけ。
私はスマートフォンを取り出し、LINEの画面を開いた。
せめて動かないと、駿くんに向き合うこともできなくなる。
◆
翌日の放課後、駅前のカフェ。
やってきた大野くんは、アルバイトの前に時間を割いてくれた。
「ごめんね、時間を取らせちゃって」
「いや、大丈夫だ。俺も話があったから」
久しぶりの二人きりの会話に緊張が走る。
手に汗の感触を覚え、私はウェットティッシュでそれを拭き取った。
「俺から話すよ」
大野くんは表情を引き締め、深く頭を下げた。
「今まで、ありがとう。それと、ごめん」
「いいよ。頭を上げて? そんなにかしこまらないでよ」
「……俺は、紡木さんの気持ちに気づいてあげられてなかった」
「うん、そうだね。まったくだよ。これでも私、がんばったんだけどな」
そのくらいの軽口なら許されるだろう。
大野くんは顔を上げ、言葉を継いだ。
「俺はさ、初めて四人で会った頃には、もう坂口のことが気になってた。……それと同じくらい、駿は俺にとって憧れだったんだ。あんなに物事を冷静に見れるやつなんて、運動しか能のない俺にはできなかった」
駿くんを理解してくれる人が他にもいる。
その事実が、波のように私を救った。
大野くんなら、そう素直に受け取れるのに、何で沙耶ちゃんには嫉妬を抱くのか。
「坂口から、俺たちが四人でいられたのは、いつだって紡木さんと駿のおかげだったって言われたんだ」
その言葉自体は嬉しかったけど、大野くんにしてもらいたいことは別にある。
「でも、今回の件は璃奈のときと同じで、たまたま一緒に組んだ班の子が私たち四人を勘違いしてるだけなの。だから、しばらく私と駿くんが別行動を取っていれば、噂なんて勝手にどこかへ行くよ」
私は大野くんに諭すように言葉を選んだ。
「もう変なやっかみとか、八つ当たりで大事な奴らが振り回されるのは沢山だ。俺にできることは何でも言ってくれ」
「ありがとう。じゃあ、お願いがあるんだけど」
私は、自分なりに考え抜いた「自立」を打ち明けた。
「しばらく私と駿くんが別行動を取っていれば、噂なんて勝手にどこかへ行くと思うの。だから……」
私は、震える声を整えて告げた。
「私も、大野くんのところでアルバイトさせてもらえないかな」
この悠斗とのお話は、後ほど少しだけ続きます。




