プロローグ・駿
思い出や記憶といったものは、時とともに色褪せる。
過去に感じた空気や景色、それに纏わる出来事も同じだ。
だから俺は、記憶を写真という記録に残す。
写真を見れば、そのときの情景や気持ちを、少しは思い出せる気がするから。
アルバムをめくる。
生まれたばかりの頃の写真、初めて自力で立った日の記念写真。
写真好きな父が何かにつけて撮ってくれていたおかげで、幼稚園に入る前だけでも数十枚はある。
ページを流していると、一枚の写真に目が留まった。
満開の桜、小学校の校門、《第24回 東ヶ丘小学校 入学式》と書かれた看板。
左手には俺の両親、右手には隣人である紡木のおじさんとおばさん。
そして中央には、緊張で表情のこわばった俺と、屈託のない笑みを浮かべる陽向が、手を繋いで並んでいる。
その写真の下に、もう一枚。ピントも甘く、構図もおかしい、陽向のアップ写真。
父に頼んでデジカメを借り、初めて俺が撮った写真だ。
近づきすぎて首から上しか写っておらず、顔も画面の中央ですらない。
撮り直そうとした俺に、陽向は言った。
「これがいい!」
だから残した。
その一言が、何より嬉しかった。
俺が撮った写真で喜んでくれる人がいる、それがカメラにハマったきっかけだ。
とはいえ、小学生の行動範囲などたかが知れている。
撮るのは近所の川や橋、公園の木に止まる鳥くらいのものだった。
友達に「撮って」と言われることもあったが、「俺は風景専門だから」と断っていた。
撮影に慣れてくるほど、最初に撮った写真の下手さが身に染みるようになった。
だからこれは、聞こえはいいだけの、ただの子供じみた言い訳だ。
撮り慣れてくるほど、人物を撮る自信がなくなっていった。風景なら、失敗しても誰も傷つかない。
そんな幼稚な意地で、被写体を選んでしまっていた。
それでも卒業文集には、「カメラひとつで世界を回る」なんて、生意気なことを書けるくらいには夢中だった。
中学に入った俺は、写真部がなかったこともあり、部活強制参加のお題目のもと、親友の大野悠斗に誘われて陸上部に入った。
体力づくりの一環だという理由で、俺は一五〇〇メートルを選んだ。
長距離走の方がより体力が付きそう、という根拠のない持論からだ。
運動神経抜群の悠斗と違い、俺は適度に汗を流す程度。顧問も特に厳しく言ってくることはなかった。
部活帰り、夕暮れの並木道や、放し飼いにされている猫を撮りながら帰る日々。
あれから、俺はまだ人物写真を撮れていない。
ある日のことだった。
部活を終え、制服に着替えて帰ろうとしていた俺は、ジャージ姿の悠斗に呼び止められた。
「駿、紡木さんと家、隣だったよな? 悪いんだけど、送ってやってほしい」
連れて行かれたのは保健室だった。
養護教諭の姿はなく、そこには右足の踵に包帯を巻いた陽向が、ベッドに腰掛けていた。
「あ、駿くん。来てくれたんだ」
「怪我したの?」
「あはは、いつものドジ。片付けの途中で転んじゃって。足、捻ったみたい」
「途中の整形外科まで送るよ。保険証は?」
「持ってきてなくて……荷物も璃奈にまとめて持ってきてもらった。ごめんね、迷惑かけちゃって」
「気にしなくていいよ。終わったらおばさん呼べばいいし」
そう言うと、陽向は少しだけ安心したように肩の力を抜いた。
陽向とやり取りしていると、悠斗が声をかけてきた。
「じゃあ駿、あとは任せた。 紡木さん、お大事に」
「あ、大野くん」
「ん?」
「……ありがとう」
「さっきも言われたし、もういいよ。どういたしまして」
手を振って、悠斗は部室へ戻っていった。
陽向を背負い、両手に鞄を提えて歩く帰り道。
「ねえ、駿くん」
「なるべく揺らさないようにしてるけど、痛い?」
「ううん、そうじゃなくて……」
いつもははっきり話す陽向にしては、歯切れが悪い。
「どうしたの?」
「……ごめん、なんでもない。送ってくれてありがとう」
「大丈夫。俺も役得だから」
「あー!合法的に女子に触れられるからって、変なことしちゃダメだからね!」
「違うって。荷物と陽向で体力が鍛えられるだけ」
「暗に重いって言ってない?」
「重かったら置いてく。荷物は届けるけど」
「酷い! お姉ちゃんイジメ反対!」
「暴れるなって。落ちるぞ」
「うー、ごめん」
「いいから黙って掴まってろ」
「うん。ありがとう」
少しは元気を取り戻したようだった。そのまま病院まで送り、迎えに来たおばさんに引き渡して、その日は終わった。
数日後。俺は陽向から、悠斗のことが好きになったと相談を受けた。
この度は拙作をご閲覧いただき、ありがとうございます。
本作は事件性の少ない、とても静かな物語です。
もう一本、別視点のプロローグがございますので、よろしければ引き続きお付き合いいただけますと幸いです。




