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恋愛短編集

『規定値、超えてました』

作者: 月見酒
掲載日:2026/02/01

本作は、

「感情を管理できるはずだ」と思っている社会人たちの、

管理できなかった部分の記録です。


業務上の不具合は是正できますが、

人間の仕様については、

今のところ正式なマニュアルが存在しません。


※本作に登場するシステム・規定・警告音はすべて架空です。

※感情が規定値を超える可能性については、各自ご注意ください。


午前九時三十二分。

始業から、まだ三十分も経っていない。


社内に、聞き慣れない警告音が鳴り響いた。


「ピロリン」


軽い。

軽すぎる。


サーバーダウンや個人情報流出のときに鳴る音ではない。

せいぜい「コピー用紙が切れました」程度の緊張感だ。


だが、私のモニターだけが赤く点滅していた。


【警告】

感情規定値超過を検知しました。


「……は?」


私は周囲を見回した。

誰も気づいていない。

みんな通常運転で、メールを開き、表計算をし、

社会人として正しい顔をしている。


私だけが、社会人失格の色をしていた。


「誤検出だ」


そう思って、画面を最小化する。


五秒後。


「ピロリン」


さっきより少しだけ、自己主張のある音だった。


【再通知】

感情規定値超過が継続しています。


「継続してない」


私は普段、独り言を言わない。

それは自分でも評価している長所だ。


なのに、このシステムは人を喋らせる。


「それ、出ました?」


隣の席の同僚が、紙コップを手に覗き込んできた。


「何がですか」

「赤いやつ。去年も誰か引っかかってましたよね」

「引っかかるって何ですか」

「“私情混入アラート”」


嫌な単語だ。


「混入してません」

「じゃあなんで点滅してるんです?」

「仕様です」

「何の仕様です?」

「……人間の」


その瞬間、画面が勝手に最大化された。


【対象:あなた】

【感情分類:好意】

【数値:測定不能】


「測定不能って何」

「壊れてるんじゃないですか?」

「壊れてるのは私じゃなくてシステムです」


同僚はコーヒーを一口飲んだ。


「でも去年の人も、同じ表示でしたよ」

「その人どうなったんですか」

「告白してました」

「業務時間中に?」

「はい。評価面談の直前に」


私はキーボードを叩き始めた。

勢いだけはあった。


「これは誤検出です。たまたま、生体反応が——」

「名前、入力してません?」

「してません」

「ログに残ってますけど」

「……予測変換です」

「便利ですよね」


画面が切り替わる。


【是正処理を開始します】


「待ってください」


【是正案①:対象との距離を取る】

【実行中……】

【失敗】


「早くない?」


【理由】

同一フロアに存在します。


「存在してたらダメなんですか」

【回答】

はい。


【是正案②:冷静になる】

【深呼吸を推奨します】


画面いっぱいに、ゆっくり膨らんで縮む円。


「今?」

【今です】


私は指示に従った。

吸って、吐いて。

確かに少し落ち着いた。


【再測定】

【数値:悪化】


「どうして」


【補足】

対象を意識しています。


「意識しないで仕事するの、無理じゃない?」


【是正案③:感情を処理してください】


「処理って……削除?」

【削除は推奨されません】


「じゃあ何」

【推奨処理】

告白。


「極端すぎる」


そのとき、背後から声がした。


「……何が極端なの?」


振り返ると、対象本人が立っていた。

書類を抱え、業務用の表情で。


私は一瞬で理解した。

これは是正不能案件だ。


「い、いえ、これはその……システムの——」


説明より早く、システムが朗読を始めた。


【報告ログ】

・対象を見ると心拍数が上昇

・声を聞くと作業効率が12%向上

・隣にいると理由なく安心


「ちょっと待ってください!」


私は必死でエンターキーを連打した。


【補足】

上記反応は長期的に安定しています。


「安定しなくていい!」


沈黙が落ちた。


相手が、ゆっくり口を開く。


「……で?」


「……好きです」


驚くほど、普通の声だった。

震えてもいなかった。


システムが満足そうに画面を更新する。


【処理完了】

【感情は仕様です】

【エラーではありません】


相手は少し考えてから、ため息をついた。


「じゃあ、後で話そうか」

「……業務時間外で」

「だね」


その日の午後、社内規定が更新された。


※感情規定値超過は異常ではありません

※再発防止は不可能です

※処理は各自で行ってください


警告音は、それ以降、鳴っていない。

たぶん今も、測定不能のままだ。


それが正常らしい。


帰り支度をしていると、同僚が思い出したように言った。


「そういえばこの部署、

 告白成功率だけ異様に高いらしいですよ」


一瞬、誰も返事をしなかった。


同僚は続けて、ゴミ箱の中身を整えながら言う。


「このシステム、

 “うまくいった例”は全部ログ消えるんです」


だから、記録上は今日も問題なし。


最後に、靴を履きながら同僚が付け足した。


「ちなみに去年の人、

 あれ“測定不能”が三ヶ月続いて、結婚してましたよ」


……参考にならない前例だけが、

また一つ、正式記録から除外された。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


感情はエラーとして検知されることがありますが、

削除や修正の対象ではない場合も多いようです。


なお、本作の登場人物たちは

今日も特に問題なく働いています。

たぶん。


また別の測定結果でお会いできたら幸いです。

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