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約束 01

朝日がまだ昇りきらない、しんと静まり返った森の奥深くに、古ぼけた小屋がある。木々が生い茂る中にぽつんと佇むその小屋の前で、"トワネ"は椅子に腰掛け、本を静かに広げていた。

 小柄な体躯に、少しばかり幼い顔立ちの少女。とはいえ、その容姿にそぐわぬ落ち着いた様子は、どこか年長者のような落ち着きがあった。


 トワネは本の世界に没頭し、ページをめくる音にさえ余韻を感じながら読むことを楽しんでいる。彼女は()()()()であるがゆえに、時間はほとんど気にならない。それでも、読書の時間だけは、静けさに包まれた特別なものとして彼女の中に存在していた。


 ――そんな静謐な空気を破るように、周囲から元気な足音が近づいてきた。ドタバタと地面を踏む音が聞こえ、次いで高い声が響く。


「おねぇー!  あーそーぼぉー!」


 声の方向から姿を見せたのは、妹の"イツミ"だ。彼女は世界を見上げるような幼い体をせかせかと動かし、トワネのそばまで駆け寄ってきた。髪に絡まった小枝や落ち葉を気にするふうもなく、まるでどこかの動物のように無邪気にはしゃいでいる。


「いらっしゃい、イツ」


 トワネは相手を見ず、手を止めることなく本を読み続けたまま、静かにそう告げる。ただ訪れたことを認めただけのような、素っ気なさがにじんでいた。


「ねーねー、おねぇー! あそぼーあそぼーあそぼー!」


 イツミは弾むような足取りでトワネの横にやってくるが、トワネはちらりとも視線を向けない。ページをめくる手を止める気配さえない。


「本を読み終わったら、遊んであげます。もう少し待っていてください」


 その言葉を聞いたイツミは、頭上に「?」が浮かんだかのように首をかしげる。


「何読んでるの?」


 と、トワネの手元の本を覗き込んだ。


「ただの物語ですよ。少女がひとり出てくるだけです」


「どんな子? 髪の毛は? ふわふわ? ぴょんってしてる? お洋服は? リボンつけてるとか――」


「……そういうのは、読んでいけば、あまり意味を持たなくなりますよ。結局、"少女"という()()に落ち着きますから」


「よくわかんなぁーい……」


 イツミはつまらなそうに地面を何度もつま先で蹴って、小さな砂ぼこりを巻き上げた。しかし、すぐに耐えきれず、再びトワネの本をじっと覗き込む。


「まだぁー?」


「まだですよ」


「まだぁー?」


「まだです」


 その単調な繰り返しに、イツミはついに耐え切れなくなって大きな声をあげた。


「んもぉー!  いつ読み終わるのさ!」


「うーん……ざっと、()()()くらいですね」


 トワネが少し間を置いてからそんな返事をすると、


「そんな本1冊にかかんないじゃん!」


 と、大げさに机をバンバン叩きながら抗議する。トワネは、微かにため息をつくと、読んでいた本をぱたんと閉じた。閉じると同時に本からは古書特有のかすかな埃の匂いがふわりと立ち上る。


「イツ、こっちに来てください」


 トワネが手で合図するように示すと、イツミは待ってましたと言わんばかりに


「はぁーい!」


 と元気よく返事をする。二人は小屋の扉を開け、中へと足を踏み入れた。


 二人が小屋の扉を開けて中に入ると、そこにはびっしりと本が詰まった棚が何列も立ち並んでいた。天井までぎっしりとはいかないものの、充分に圧巻の光景だ。イツミは大きく目を見開き、感嘆の声をあげる。


「はぇー、すっごぉ! なんでこんなにいっぱいあるの?」


「暇つぶしですよ」


「そっかぁー。じゃあイツと遊んで!」


 ふわふわと軽い調子でリクエストするが、トワネは眉ひとつ動かさず答えた。


「本を読み終わったら、と言ってるでしょう。これらを全て読み終えるのに、50年くらい。あっという間じゃないですか」


「やだやだやだ! イツは今がいい! 今遊びたいのぉー!」


 甘えるような声が小屋の中に響き渡る。イツミはそのまま床に仰向けに倒れて、手足をじたばたと振り回し始める。


「やだやだやだやだやだー!」


 木の床を叩く音が一定のリズムを刻んでいる。

 トワネはその様子を見下ろして、呆れたように小さく息をついた。そして、それ以上相手にせず椅子に戻ると、先ほど閉じた本の続きを開いた。ぱらり、とページをめくる音が再び響く。


 イツミはなおも騒ぐが、トワネも動じる気配はなく、本の世界へと戻っていく。窓越しに見える空はやがて赤みを帯び、森の生きものたちの声も夜のそれへと変化していった。


 ◇◇◇


 ――夜が明け。小鳥のさえずりが森に戻り、朝になる頃。淡い朝日が小窓から入り込み、書棚の脇や床の上に影を落とす。


「やだやだやだやだやだー!」


 夜をまたいだ駄々が、新しい一日の静けさに溶けきれずに残っていた。繰り返す彼女のその声は、朝の音すべてを押しのけるほどだった。

 トワネはようやく読書の手を止め、本をぱたんと閉じると、すっかり夜通し駄々をこね続けた妹の方へ顔を向ける。


「イツ、うるさいですよ。本に集中できません」


「遊んでくれるまで、こうしてるもん!」


 イツミは床にべったりと腹ばいになり、むくれた顔で姉を上目遣いする。声はかすれているように聞こえ、目の下にもクマめいた影が見えた――というのはもちろん、どれも気のせいだ。彼女もまた、()()()()

 身に疲れなど残るはずもないのだから。


「まったく……いつまでそうしてるんですか?」


「うーん……()()()くらい!」


「……私が本を読み終えるまで、ずっとですか?」


「うん! そぉだよ! だからあそんで!」


 トワネはこれでは一向にらちが明かないと判断し、ゆっくりと立ち上がった。その仕草に気づいたイツミは、ばっと上体を起こして期待の目を向ける。


「わかった、わかりました。本当にしょうがない妹ですね……」


「やったぁー!!」


 イツミは瞬時に笑顔を取り戻し、全身で喜びを表現するかのようにぴょんぴょんと跳ね回る。一晩中駄々をこねていたとは思えないほど軽やかだった。トワネはその様子にあきれたような表情を浮かべつつも、言葉を続けた。


「それで、 何して遊ぶのですか?」


「うん! ()()()()()()()()()、あったでしょ? それのお披露目会するのー!」


 イツミは瞳をきらきらさせながらそう言い、トワネの袖をくいっと引っ張る。しかし、トワネは顎に手を当て、何かを思案するような仕草を見せるのだった。

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