鳥の巣と大陸
見た目も実年齢もまだ充分に幼い《地》神であったが、大地主神は伊達ではなく、運動能力は他を凌駕している。
たとえば軽く助走し、木の幹にめがけて跳び、それを蹴って弾みをつければ、いとも簡単に高い木の枝に座ることができてしまう。
他の部族がそれを目撃すれば、
「《地》族族長は、何ともやんちゃな子どもなのだろう」
と、おどろきもするだろうが、《地》族は翼竜でない代わりに人化のときの身体能力が極めて高いのだ。
女官たちはそれを危なげなようすで見ることはない。
幼い族長が何を目当てに木に跳んだのかは見当がついているので、ただ木の下で座して待つ。
「――こんにちは」
と言って声をかけた枝股にあるのは、以前、《水》神との戦争で大敗北をし、逃走の果てで見つけ、保護した鳥の巣だった。
大怪我をした《地》神はしばらく寝込んで寝宮から出ることがかなわなかったが、その間、女官たちがこの大陸で暮らしている鳥たちを集めて「親鳥のかわりに育ててくれ」と伝えたところ、賛同した鳥たちが立派に役目を務め、あのときはまだふたつの卵だったそれは無事に孵化し、雛は順調に育って自ら飛ぶ練習に至るまで成長していた。
《地》神は最初、自分では何もできなかったことを恥じ、情けない気持ちでいっぱいになってこの鳥の巣に近づくこともできなかったが、親鳥を務めた鳥たちに服を引っぱられて、
「ぜひ、見てやってほしい」
そんなふうに誘われたので、《地》神は意を決して近づくようになった。
はじめて巣をのぞいたとき、二羽の雛はふかふかとした羽毛に包まれていて、大変愛らしかった。手を伸ばして撫でてみたかったが、
「自分たちの故郷である大地も護れぬ手で、触らないでくれ」
もし、そんなことを言われでもしたら……。
思うだけで泣きたくなって、触れることもできなかったが、雛たちはそのようなことは言わなかった。
最初に生を受けた大陸はちがうが、孵化したとき、雛たちの住まう大陸は「ここ」になった。《地》族族長とおなじ大陸に住めるのは身に余る光栄だ、と、そんなふうにぴぃぴぃと鳴くので、《地》神はどんな顔をしたらいいのかわからなかったが、雛たちを見て、その巣を見て感じるものがひとつあった。
――まるで、大陸みたい。
鳥の巣は、まるで大陸だ。
そこで生まれる命を護るために巣を作り、命はそこで誕生して、安堵に包まれながら育つ。
翼の羽ばたきは日を追うごとに力強さを増して、一人前となって巣立つまで、巣は何があろうと揺らぎもせず、ただひたすら雛たちの成長を護りつづけている。
――たとえ激しい雨風に見舞われようと、けっして崩れることなく。
「俺にもできるかな?」
そんなふうに思えると、《地》神にとって鳥の巣は自分が目指す大陸創成の縮図のようにも見えた。
その日から、何かあるたびに《地》神は鳥の巣を見ようと訪ねるようになった。
「大陸は、ただ基盤となる大地を創成すればいいわけではないんですね。この巣のように強くて、優しくなければ、生命が誕生できる大地となっても何も育たない……」
これまでの自分には何が足りず、これからの自分には何が必要なのかを、見ている鳥の巣は教えてくれている気がする。
――そして……。
「巣立って、空を自由に飛べることができても、鳥には帰る場所がなければ、立ち止まることができる木々がなければ生きてはいけない」
大陸は大地に生きる者にとって恒久永続する場所でなければ、何の意味もなさない。ただ場所があればいいというわけではない。生きていくために必要な恵みと実りがなければ、生命は誕生しても繁栄はできない。
どんなに歩いても帰る場所がなければ、その一歩さえも前には進めない。
「そのすべてを与え、護るのが《地》神……俺のたいせつな務め」
――大陸とは、そのように創成しなければならない。
鳥の巣はそこにあるだけだが、《地》神にさまざまな気づきを与えてくれる。
気がつくと、雛たちは一人前となって、すでに巣立っていた。目の前には助けたままの巣だけが残り、《地》神はときどきそれを見に行く。
その姿を見て、鳥たちが寄ってきてくれる。
最初は「遊ぼう」と言って、若鳥らしくじゃれてきたりもしたが、いつの間にか二羽は番いとなって自分たちを育んでくれた巣に新たな生命を誕生させて、あのときとおなじ色の卵をふたつ、その巣で育てている。
「これが、俺の創らなければならない大陸……」
――あなたたちに与えなければならない、大陸。
それはいつになるのか、不甲斐ないばかりの自分には想像もつかない先のことになるのはたしかだが、けれども――。
「かならず、あなたたちに大陸を与えます」
他に住む場所がないから、いっしょに住んでいる……ではなく、数多の生命が誕生し、集い、安心して暮らすことができる彼らだけの大陸を、
「俺はかならず創成します。時間は――かかってしまいますが、それでも待っていてくださいますか?」
尋ねると、卵だったはずにふたつは立派な二羽となって、巣から飛び立とうと力強く羽ばたいている。
幼い子どもはそれを何度も見ながら、何度も訪ねては「つぎこそは」と誓う。
――世界はいま、創世期。
「竜の五神」である《地》神の大陸創成が竜族の成すべき主軸となっていたが、いまだそれは叶わず。
幼い子どもに課せられた宿命は、苦難の道のりでもあった。